11コ目 「からさ!」なトコ(前編)
※本話では、少し性的で粗暴なスラングが出てきます。苦手な方はご注意下さい。もし規約違反だったりタグ付けが必要だったならば教えて頂けると幸いです。
「おっ、恭介」
昼休み。弁当を持って中庭に向かっていると声を掛けられた。
「あっ、桜」
高階桜。藤宮の親友で、まあ少しあって、僕のこの学校での数少ない知り合いの一人になった。
手を振って近づいてくる彼を見て僕も手を振り返そうとした時、頭の中、脳の端を『女』という文字がチッと掠めた。
自己嫌悪に殴られて、手が上がらなかった。
「どうした?」
「いや…なんでもない」
やっぱり僕は、ださい人間だ。
「そっか」
僕は心の中で桜への謝罪の言葉を反復反復する。
桜のことを、特別視せず接しようと決めたのに、まだ僕はそれが出来ない。そのことがどうしようもなく悔しくて、どうしようもなく、情けない。
はぁ…
次は、頑張ろう。どんだけ情けなくても、努力だけはしよう。
「恭介はどこ行くところだったんだ?」
「中庭に。いつもそこで弁当食べてるんだ。」
「誰かいるのか?」
「基本一人。時々7組の友達が来るけど。」
「今日は?」
「多分一人」
「じゃあさ、一緒に食べてもいいか?」
僕が何か言う前に、桜は「弁当取ってくるから先行っててー」と、自分のクラスの方向へ駆けて行った。
「どう?詞月とは最近」
「まあ、ぼちぼち。」
「そうか。ま、あいつ寝てばっかだしな」
木陰とは言え少し蒸し暑いベンチがぽつぽつと散らばる中庭には、僕と桜、そして並んで座る二人の男子生徒の姿しか見えない。時々駆けていく爽やかな微風が気持ち良い。
「桜は、今日は良かったの?いつも一緒に食べてる人とか」
「大丈夫。俺も一人でどっかで食ったり、詞月の隣で喋りながら食ってたりするけど、詞月起きないから、ほぼ独り言ってるみたいなもんで。」
「昼休みまで寝てるんだ…」
中学校からの癖で、僕は昼休みの最初に教室を出ていくから分からなかった。…どっちにしろ一人だから早く教室から姿を消したいだけなんだが。
「ほんと、あいつは中学ん時から変わんない」
「あっ、桜と藤宮は中学校からの知り合い?」
「ん、言ってなかったか。」
中学校時代の藤宮―
聞きたいと思った僕の心を知ってか知らずか、桜はその話をし始めた。
「中学ん時も今と変わらず、ずっと一人でほぼほぼ寝てたけど、時々カードゲームやら、校則違反っぽいの持ってきて遊んでたな。」
じゃあやっぱり、この前藤宮が言ってた、『中学校では』ってのは、桜とのことだったんだな。
桜と会ったときにもしやとは思ってたが、これで胸のモヤモヤが完全に吹き飛んで安心できた。
…安心?何を安心することがあるというのだ、僕は。
「まあそのお陰でカードゲームは上手くなったがな。変わった人だよ、ほんとに。情緒不安定…とはまた違うかもしれないけど、たまにテンションがめっちゃ高い日があるから、そん時は付き合ってやってよ。」
こう言うと桜は弁当のサンドイッチを食んだ。
桜は本当に、藤宮のことを大切に思っているんだな、というのがひしひしと伝わってくる。
「なにが―」
「ん?」
「なにが、藤宮のなにが、桜をそうさせたの?この前言ってた、桜が一番きつかった時に、藤宮が掛けた言葉って―」
そこまで言って僕はハッとする
「あっ、いや、ごめん。言いにくいことだよね」
やっちゃった。藤宮のことを知りたいと思って、その気持ちが口に出てしまった。
「や、ほんとごめん」
「別にいいよ、気にしないで。だけど、そうだね。ちょっと長くなるけど。」
桜はサンドイッチを持っていた手を降ろして、口の中にあったぶんを飲み込んで、そして口を開いた。
俺は転校生で、中2の春にこの格好のまま転入して。今思えば最初のうちでさっさとトランスジェンダーだって言っとくべきだった。その勇気が出せないまま俺は、普通の男子みたいに、普通の男子に囲まれて日々を過ごして。そんな何も問題の無い、慣れきった日常に『もうこのまま言わなくてもいいや』なんて思ってた。
トイレ、っていうのが唯一の悩みで、今は公共トイレが高校にあるから大丈夫だけど。中学校には男子用か女子用しかなくて、俺はどっちに入ればいいのか分からなかった―どっちに入ってもダメな、気がした。はは、そんなことないのにな。普通に男子トイレにも個室はあるし、そこでしたって何も変じゃない。けれどその頃の俺は凄く怖がりで、「お前立ちションしないのかよ」って言われたらどうしようって、そんなことばかり考えていた。だから結局、トイレに行く必要がないような努力をしてたんだ。時々誘われる連れションを毎回断るのは少し大変だったけど。
だから、そんな日常が変わったのはほんとに偶然でしかなかったんだ。
その日、酷い腹痛に襲われて。どうしても耐えきれそうに無かったから、少し離れた別棟のトイレなら誰も見てないだろうと、俺は腹を押さえながら走ってった。もっと慎重になれば良かったんだろうけど、遠かったその距離を決死の思いで走ってきた俺に、そんな余裕はなかった。そしてほぼ無意識に女子トイレに駆け込んだところを、見られた。見られて、いたんだ。
その数日後に俺は体育館裏に呼び出された。差出人の名前も書いてない手紙を下駄箱から見つけて、不思議に思いながら放課後、俺は一人で向かった。
そこには一人の男子生徒が立っていた。長い前髪が目にかかっていて表情はよく見えなかったけれど、立ち振舞いがおどおどしてて少し内気な印象を与える生徒だった。見覚えはなかったから多分他のクラスの生徒だったんだと思う。
俺はなんだろうと、本当にそれしか思っていなかった。
そいつは俺が近づくと開口一番、少し震えた声で言った。
「お、お前、女だろ」
完全に血の気が引いた。俺の顔面を避けるようにスッと血液が逆流していった気がした。
足を止めた俺に向かってそいつは言う。
「こ、この前、お前が女子トイレに入るのを、見た。」
恨んだね。頭に湧いた全てのものを。こいつ、俺、そして、神様。
「は、入ってきた転校生が、女みたいな美形だって、話題になってたけど、ま、まさか本当に女だったとはな。は、はっはー!いつもみたいに面倒な、じ、授業をサボってたら、まさかこんなことになるなんてな!これが、棚から火に入る夏のぼた餅ってやつか!」
ああ、ちょっと頭おかしいヤバい奴なんだ
そう考えると腑に落ちたが、落ちたところでなんの解決にもならなかった。
喋るにつれ饒舌に、流暢になっていくそいつはまだ意気揚々と言葉を吐く。
「こんなこと、学校の皆が知ったらどうなるだろうなぁ!友達関係、信頼関係も、転校生から作るのは苦労したよなぁ?それが今更崩れるのは困るよなあ?けどな、ボクは優しいから許してやるよ。皆に言わないでおいてあげる。ああ優しい!ボク優しい!ただし、ボクの条件を飲んでくれたらな!」
金か。きっと阿保みたいな額だろう。が、それで俺の、『普通』みたいな生活が守れるんだったら、仕方な―
「ヤらせろ」
「は?」
「お前、女なんだろ。男みたいな外見しといて、ちゃんとアレついてるんだろ。だったらヤらせろ。そうすれば許してやる。」
なにを言ってんの、なにを言ってんの、なにをいってんの、なにを、いってんの。
そいつはユラユラと俺に近づいてくる。ザッ、ザッと、草の生え混じった土を踏みしめる音が、近づいてくる。
怖い―
走って逃げ出したかったが、足が震えてしまってまともに扱えない。そいつと合わせて後ずさるのがやっとだった。
そいつは近づく。
踵が壁に当たって俺はとうとう追い詰められたことを知る。
距離がじりじりと消えていく。そいつのふーっ、ふーっ、という荒い鼻息と、踏まれて踊る土の音がじわじわと大きくなってくる。
怖い、怖い怖い怖い怖い怖い
俺は目から溢れる涙を散らしながら首を振る。誰か、誰か―
そこで視界の端に映ったそれを掴んだ。
「ヤらせろおおおおおおお!」
バキッ、という甲高い音と、ガッ、という鈍い音がした。
全力で振った箒は持ち手の先端で、飛び掛かってきたそいつの左のこめかみに当たってへし折れた。
そいつは倒れはしなかったものの、フラフラと千鳥足を踏む。二、三歩で体勢を立て直すと、箒の当たったこめかみを押さえて俺を睨む。
「お前、どうなってもいいんだな!今に見てろよ、僕を殴ったこと、後悔させてやる!」
そう喚くと本校舎の方へ走り去っていった。ザッザッと土の弾ける音が遠ざかっていく。
乱れた俺の呼吸は一向に収まる気配がなかった。
次の日は学校に向かう足取りが重かった。まるでマラソン大会の翌日のように怠い足で、平坦なはずなのにきつい斜面を登っているかのように感じる通学路を、一歩一歩だらだらと踏みしめる。地面と同じ色をした厚い雲はあるはずのない天井を造り出し、俺を閉じ込めていた。
人間ってのは愚かな生き物で、これから起こる最悪の、逆を、逆を夢想してしまう。
『あいつはヤバい奴だからどうせ、あいつの言うことは誰も信じないだろう。』
そんな、極々僅かな期待を、きっとそうだと思い込んでしまう。
だからその分、さらにショックを受けるんだ。
「おはよう」
いつになくザワザワしている教室に足を踏み入れ、いつもどおりの挨拶をする。
いつもなら仲のいい数人が笑顔で返してくれるのだが、今日は違った。
それどころか俺が教室に入ると全員、ピタッと話を止めて、俺を見た。
そして机に着くと、駆け寄ってきた。その仲のいい数人だった。笑顔だった。
「お前、女なんだって?」
ああ、やっぱりか。
はぁって全身の力が抜けた。ショックにも色んな種類があるんだなって思った。
「朝来たら全クラスの黒板に『髙階桜は女』って書かれてて」
「お前色白で体つきも顔つきも女みたいじゃん」
「前々からそんな噂はあったし」
「だから皆信じ込んで話題なってんだけど、え否定しないってことは本当なの?」
「まじ?じゃあおっぱい揉ませろよおっぱい。俺とお前の仲だろ?」
ニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤニヤ
誰もが仮面みたいな笑顔を引っ付けてニヤニヤしている。
いつの間にか降りだした雨はバシバシと窓を打ち付け、煩いその音はどんどん鮮明に聞こえてくる。それと逆に仮面人間達の喋る声はどんどん遠退いてく。
なんだよ、
もっと、
はっきり、
しゃべれよ
俺は席を立って逃げるように教室を出る。いや、逃げる。
けれどどれだけ廊下を走っても、すれ違うのは仮面、仮面、仮面。
どこか、この涙を、誤魔化せるような場所は―
窓から見上げた雨越しに屋上が目に映った。
後ろを何度も振り返って、誰もいないことを確認してから屋上へ続く階段をのぼる。一段上がる度に膨らむ安堵への期待は、まだ息も整わない俺を急かす。そうして屋上のドアが見え、一気に駆け上がった時、俺はそこに寝ていた人物に躓いて転んだ。触るのはドアノブだけだったはずのそのドアにダイブする形で衝突した。
「っ、いってぇ…」
額を押さえながら振り向くと、そこにいた人物はゆっくりと体を起こす。
艶やかな黒髪、少し長いまつげ、眠たそうな瞳―
それが、藤宮詞月だった。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
後編に続きます。




