七十八、カルヴィンとカシムの間
「そうだね。ジェイミーが五歳になって、シードかフィールドかの検査を受けるの、楽しみだな。一緒に行こうね」
ひとり子でシード、やがて王太子となるだろうカルヴィンが、子どもを望み、周囲から望まれるのは当然のこと。
しかしながら、ぼくは未だシードかフィールドかさえも分からない。
そんなぼくが、カルヴィンの婚約者として、その隣に立ち続けていいのか。
カシムが言っているのはそういうことだと、突然、暗雲が立ち込めた気持ちになったぼくに、けれどカルヴィンは変わらない笑顔でそう言った。
「ヴぃ」
「クロフォード公爵子息はそう言うが。王子、王太子ともなれば、そうもいかないであろう。口さがない者達に、ジェイミーが傷つけられることになるなど、吾は耐えられない」
もしもぼくが、伯爵家の出身のうえシードだったら、カルヴィンの隣に立つ資格は無い。
強い後ろ盾にもなれず、子も産めない存在なんて、カルヴィンの足を引っ張るだけだ。
思うだけで悲しくて辛くて、自分の目が、情けなく垂れ下がっているのを感じるけど、それだけでなく、心臓が尋常でなく速い動きをしているから、苦しくてたまらない。
「ジェイミー。ジェイ。約束、しただろう?必ず、俺が行くところにジェイミーを連れて行くと」
「しょう、らけど」
心臓がどきどきし過ぎて、うまく声が出せないぼくを、カルヴィンは優しく抱き取った。
「もちろん。これから先、俺もジェイミーも、新しく色々なことを学ぶ必要がある。ただそれは、公爵、公爵夫人という立場であっても、必要とされる努力だ。分かるか?」
「う。わかりゅ」
王家か公爵家かという違いはあれど、その家、カルヴィンの隣に立つに相応しい教養を身に付けることが必須だというのは、理解できる。
ただ、努力だけではどうにもならないことがあるのも、また事実。
「俺と一緒に頑張るのは、嫌か?」
「いやら、にゃい。れも」
「ジェイミー。吾なら、ジェイミーが嫌がることを学ばせたりしない。望むなら、外に出なくてもいい。好きなことだけをして、好きに過ごして、いいのだよ」
努力することを厭うつもりはないが、だがしかしと思うぼくに、カシムが甘い誘いをかけて来た。
その魅力的な誘惑に、ぼくは、ぐらぐらと揺れる。
え?
好きなことだけをして、好きに過ごしていい?
それって、アイスクリームの研究も、し放題ってこと?
「ジェイ。浮気、厳禁」
「いちゃい」
カシムの言葉に思わずときめいたぼくは、額を指で弾かれるという、カルヴィンによる制裁を受けた。
制裁を受けたといっても、咄嗟に痛いと言ってしまっただけで、まったく威力は無かったんだけど、やられたらやり返す精神をもって、ぼくは反撃することにする。
「えい!」
とはいえ、悲しいかな。
ぼくの小さくて、あまり器用でもない指では上手く弾くことが出来なくて、思い切り手でカルヴィンの額を叩くことになった。
ぼくにしては思い切りだけど、さほど打撃は無かったらしく、カルヴィンが痛がる様子も無い。
いや、痛がらせたかったわけじゃないけどさ。
なんか、悔しい。
「お。ジェイ。やったな?」
けれど、カルヴィンは大仰に目を見開いて、ならばとまたぼくの額を指で弾く。
「えい、えい、えい!」
だからぼくも、ぺちぺちとカルヴィンの額を叩き続け、気付けば声をあげて笑っていた。
あ。
ここ、王城の謁見室で、国王陛下の御前だった。
今度こそ、不敬罪なんじゃ。
「ジェイミー。オレも仲間に入れてくれ」
ぼくってば、本当に学習しないと絶望するぼくにそう言った国王は、言った時には既にぼくの頬をつついていて、不敬だと言われなかったとまたも安堵したのだけれど。
「吾の存在を忘れるなんて。ジェイミー、覚悟はいい?」
「ふぇ!」
ひんやりする声でカシムに言われたぼくは、凍り付くほど驚いた。
「そんな悪い子には、こうだ!」
「ひゃあ!」
けれど、その瞳の奥に悪戯っぽさを宿していたカシムは、宣言するなり、ぼくの脇腹をくすぐり出す。
額をカルヴィンに弾かれ、頬を国王につつかれ、カシムに脇腹をくすぐられる。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!」
みんなの笑顔が嬉しくて、みんなで遊んでいるのが楽しくて、ぼくは、カルヴィン、国王、カシムと、三人の額をぺちぺちしながら笑い続けた。
うん。
国王の額も、普通に叩いちゃったよね。
ぼくってば、本当に学習しない。
なんだろう。
伯爵家だとか、シードかもしれない、なんて以前に、ぼくは、ぼくの能力が足りないと言われる未来が、見えた気がした。
ありがとうございます。