社会性という名の濾過装置
私は空気を読みすぎる性格になった。
だからこそ、自分の「言いたい」より相手の「言われたくない」を優先して避ける話題や表現が多くある。喉につっかえ、腹に沈殿していく。
でも世の中には、そういう濾過装置を持たない人も多く居る。そりゃあ精神衛生は良いでしょう、と思ってしまう。
かと言って、なんでも黙っていては成り立たない。
居場所を作るには自己主張「できている」という自覚が何よりも大切になる事が分かった。
そのままの純度100%の研ぎ澄まされた刃の言葉にならないよう、精一杯丁寧な言葉で自己主張しなければならない。その労力が面倒になって結局黙って話題が終わってしまう事が多々ある。
そうして飲み込んだ言葉が幾つもある。
言葉と一緒に徒労感が喉を伝う。
自分の器の容量が大きく無い事は自分が一番よくわかっている。
結局は「言いたい」と「言われたくないであろう」のバランス感覚が大切なんだろうけど。
相手に合わせる、空気を読む、環境に適応する
だけが社会性だと思っていた。
社会の面前に出す前に濾過装置に通す事であると。
濾過装置にかけられて沈殿した物を、上手に形にするのも社会に求められるらしい。
それを品よく出来る人になりたい。