本「自分とか、ないから」。最高ではないが最適
最近は読書にまたハマっている。
ついインプットに偏りがちなので、毎日宣言は撤回してでも時々はアウトプットしなくちゃ。
「自分とか、ないから。」〜教養の東洋哲学〜
話題になっていたが食わず嫌いしていたこれを読んでいた。
親鸞は僧侶としては異質な存在だったらしい。
エリートコースだったのに、貧困で救われない民衆を顧みて自ら戒律を破って結婚したり、自分の欠点をさらけだす日記を書いたりしてたみたい。
嘘つきな自分を受け入れるという正直な行為。
ダメな自分を曝け出すことで、綺麗事じゃ心動かされなかった民衆から爆発的な支持を得た。
ここで、さっきYouTubeで見た中国人実業家の苦悩という動画のサムネが頭をよぎった。
資産が増えるごとに幸福度が減ったという内容。
そうか、築くものが多いと失う不安ができるのか。
しかも、人はたぶん褒められるより自分の悪いところを受け入れてもらった方が精神的に安定する生き物なんだと思う。
自分の社会的価値がインフレすると、いつか大暴落する不安に取り憑かれるのではないだろうか。
私は著名人でもなんでもないけれど、順調に中高と大学を卒業して社会人として働いている。
でもその本質は、移動教室の時に1人だと不安になってた小学生の頃の自分とあまり変わってないような気がする。
それが時々たまらなく怖くなる。
自分はまともな大人になれていないんじゃないか。
無になったら誇るものがない。
誇るものがあると失う不安が出てくる。
そして現代日本で最高と最低を目指すのは恐らく至難の業だろう。金銭的な面だけでなく、精神や肉体、社会的そして学歴など評価基準は無数にある
結局のところ皆プラマイゼロに近しい気がする。
結局、どんなステータスにあっても人間の不安は変わらない。最高ではなくても最適な自分の身の丈にあったステージで充足感を得るのが正解らしい。