取捨選択
あれからどうなったのだろうか。どうしようもなくなって、みんなやられちゃって、そこに誰かがやってきて、それから、記憶がない。
死んでしまったのか?そうか、死んでしまったのか。ああ、もっと知識を身につけて、本になりたかったな。もっと早くに旅に出てたら変わってたのかな。悔いてももう遅いか。
無の中を後悔が彷徨っていると、何かにぶつかった。何かにぶつかった?
「やっと会えたね」
声が聞こえてくる。無の世界のはずなのに、声が聞こえてきて、気持ちが悪い。
「私は君であり、君は私でもある。時間がないから端的に話すよ」
何のことを言っているのか、全くわからない。
「君は死ぬべき存在ではない。君がいなくなれば、誰もこの惨劇を後世に残せない」
間。
「さぁ、この世界を捨て、新たな世界で生きるんだ」
眠りにつく寸前で、誰かの声がした。意識が不安定なため、誰かわからなかった。杞憂は少なくしておきたいという思いから、ヴァッフェの寝言であると思い込んだ。
目をつむると、無の世界にいた時の自分が蘇る。リープは勢いよく体を起こすと、エレベーターで九十六階に向かった。
「ここで外の空気を吸えるのか」
初めて訪れた階層を見回す。窓が開放されており、涼しい夜風が入ってくる。リープは心配しすぎでよくない光景が脳をよぎったと思い、気持ちを落ち着かせにきた。
「寝れないのか?」
エレベーターの音が聞こえたのか、エアフィンが心配してやってきた。
「よくない光景が浮かんでしまったんです。途中まではうまく事が運んで、無事に王室に着けたんですけど、その後…」
リープは頭を押さえ、しゃがみ込む。脳が思い出すことを拒絶しており、耐えられるギリギリの頭痛を感じていた。
「大丈夫か!?」
エアフィンが体をさすってくれたおかげで、頭痛は少し和らいだ。それでも、頭はクラクラしたままだった。
疲労が溜まっているのだと、エアフィンは早く寝られるよう優しく抱きしめてくれた。懐かしい匂いがした。とても落ち着く。はぁ、このままでいたい。このまま何もせず、生きてい…
「いつも寝床にいかず、辛い時はこうして、わしの胸の中で眠っていたな」
しかし、安らかな眠りは何者かに邪魔された。リープは目を覚まし、エアフィンから離れる。
「エアさん、このままじゃダメです。明日の作戦は失敗に終わります」
唐突な発言にエアフィンも言葉を詰まらせる。
「な、何をいきなり…」
「信じられないかもしれませんが、聞いてください」
リープは脳によぎった光景を詳細に話した。
「信じられないことではあるが、懸念点はなくすべきだな」
「僕と瓜二つの人物、ゲイブの他にもいた警戒すべき人物が引っ掛かります。そもそも、政府を甘く見ていたことが敗因だと思うんです」
エアフィンは俯く。
「だとしても、対策の時間がない」
「僕の見えた光景が本当に起こりうるものだと仮定して動けば、うまくいくと思います」
「それで失敗したら?」
「失敗することを考えていたら、成功なんてしません」
「何コソコソしてんの?」
無意識に声を大きくしてしまったのか、眠っていた三人がやってきた。
「大事な話ならみんなでするべきだ」
「夜ふかしはワクワクしますね。お菓子ありますか?」
そうだ、この緊張感のなさ、うまくいきすぎる作戦、まんまと乗せられていたんだ。
「エアさん、正直に言ってください」
空気に緊張感が走ったことに気づき、三人は脳を起こした。
「明日の作戦、成功させる気ないですよね?」
「そんなわけない!」
被せ気味に強く否定するエアフィンに視線が集まる。
「そうですか、よく分かりました」
間。
「明日は僕の指示で動きます。現地の判断を優先させるんですよね?」
「……」
「話が全く掴めないのだが」
リープは信じてもらえないだろうと思いながらも、光景のことを伝える。
「俺は信じるぜ」
考える間もなく、ヴァッフェが告げた。ブルーメは悲しい顔をしており、ツァオバーは整理しているようだった。
「私は信じたくありません。お父さんが襲ってくるなんて…」
「そもそも、脳をよぎっただけだろう?確証ない情報に踊らされたくはない。気を引き締めるということなら正直に伝えてくれ」
伝えてみたはいいものの、実のところ自分でも信じきれていない。明日、何が起こるのかなんてわかるはずがない。未来に起きることは全て不確定要素なのだから。
「私は…」
静かだったエアフィンが口を開く。
「私は…信じてしまう」
「…エアがそう言うのは意外だな。自分が味方ではないと言っているようなものだぞ」
「それは違う。少なくとも、目的は同じだ。確かに伝えていない情報もあるし、成功率の低い作戦を立てたけど、決して敵ではない」
エアフィンは珍しく涙を流した。
「わしは、過去に一度、政府に侵入している」
ツァオバー以外が衝撃の事実に言葉を失う。
「当時は見張りも少なく、隠密行動さえしていれば簡単に侵入することができた。けれど、軍隊長に見つかってから狂い始めた」
「ゲイブ?」
「そう。彼はわしに発明という能を与えた。今、こうして発明できているのは彼のおかげだ。ただ、気づいた時には兵士に囲まれていた。捕まると目的のためにしてきた準備が水の泡になると思い、どうやって逃げ出すか考えた」
「目的?」
「両親が連れ去られるのを、わしは隠れて見ていた。跡をつけていくと、政府に入っていったのだ」
「一人で侵入したんですか?」
「今、捕われているペットと共に侵入した。政府内の情報を送ってくれると言ったやつだ。そして、わしはペットを囮に逃げ出した」
間。
「運が良いのか悪いのか、与えられた能でペットと通信することができた。政府の情報を得ることに成功した。このカラスはわしがペットの成り代わりとして、作ったんじゃ」
「じゃあ、捕われているのはカラス?」
「名前はな。実は種類はカラスじゃなくて、ズナガツメキリムチョウと言うんだ」
「や、ややこしいですね」
「エアを信じるか、リープを信じるか、己を信じるか、出発までに考えることだな」
緩みそうな緊張感をツァオバーが再び引き締める。
「俺はみんな信じてるぜ」
「私は、細かいことよくわらないですけど、と、とにかく頑張ります!」
目が覚めてしまったらしいツァオバーを残して、四人は九十七階に向かった。
何を信じるべきか、今はわからない。目の前で起こったことを信じよう。予測で動くことは大事だが、予測に振り回されることは良くない。
僕には信じるための仲間がいる。いざとなったらみんなを信じよう。でも、同じように信用してほしい。
来る当日、眠い目を擦りながら塔を出た。ヴァッフェとツァオバーはそれぞれマントを羽織り、リープとブルーメは同じマントを羽織った。
互いを視認できないため、各自に異なる花の匂いを体につけ、認知していた。
明け方だからか、今回の件が絡んでいるのかわからないが、街は静寂に包まれていた。
政府近辺の民家に着き、物音に細心の注意を払って、地下へ向かう。見張りがいたが、こちらには気づいていない様子。ここまではよぎった光景と変わらない。見張りの人間も同じである。
「なんか、花の匂いがしないか?」
「俺の屁の臭いだろ」
「お前の主食は花か」
この会話も全く同じだ。やはり、僕がみたものって…
次に何かトラブルが起きていたかを思い出していると、空気を吸い込む音がした。振り返ると、ブルーメがくしゃみをしそうな顔をしている。
そうだった、このために僕らは同じマントを羽織っていたんだ。
リープは急いで人差し指を開いた口に差し込む。ブルーメは驚いた顔で、リープの指を咥えてしまった。
それから、二人は気まずい様子で、顔を見ることができなかった。リープは指を見つめ、ブルーメは口を抑え、脳内を桃色に染めていた。
「ふぁ〜あ」
「今日はやけに眠たそうだな」
「実家の羊の面倒がたいへんで、寝られなかったんだ」
くしゃみをしていたら、おそらく勘付かれていただろう。光景では別の会話をしていたが、気づいていないふりをして、順調だと思わせる作戦だったのかもしれない。
朝が早いだけあって、僕らはいつもより睡眠が少ない。たまに足元がふらついてしまっていたが、緊張感で気が立ってる中、誰かに体を当てるわけにはいかない。リープは深く瞬きをして、なんとか目を覚まさせる。
リープ一行は音を一つとして立てることなく、政府内部へと、さらに進んでいく。
「ライ、気づかれてないかな」
「レフ、名演技だったぜ。うまく騙せたはずだ」
「ライ、あんなに隠れているつもりなのに、バレていたとわかったらどんな顔するかな」
「レフ、俺らも油断しちゃいけない。リーブ隊長は四人と仰っていたが、まだ来る可能性もある」
「ライ、油断はしていないよ。そうだね、僕らは僕らの仕事をしよう」
いくつか懸念点を潰したが、この後が簡単に変わったとは思えない。ここからも慎重に選択をせねば。
再び、耳元で空気を吸い込む音が聞こえてきた。恥じらいの気持ちを抑え、咄嗟に開いた口に指を突っ込もうとしたが、すでにブルーメは自分の指を咥えていた。そして、伸ばした指を持ち、そのままリープの口へ入れる。あれ、この指さっき口に入れたやつじゃ…
どこか大人の余裕を見せるブルーメとは対称に、リープの鼓動が激しくなり、顔を真っ赤に染め上げていた。
ツァオバーが動き出したのと同時に、三人は階段を目指した。その時、ブルーメはリープの手を握っていた。
何を狼狽えているんだ、恥ずかしがっている暇なんてないだろ。
リープはもう大丈夫と言う意味で、掴まれていた手を撫でた。
「じゃあ、早速ネタの披露といきますか」
マントを勢いよく脱ぎ捨て、姿を露わにする。何十人といる見張りの兵士とツァオバーとの戦闘が始まった。
マントを脱ぎ捨て、階段を駆け上がるリープ一行。
「こんな順調なのはおかしい。昨夜の僕がそう言っていた」
「順調なのは良いことなんじゃないのか?」
「向こうは勝てる算段に僕らをただ当てはめているだけだ」
「真っ直ぐ進まず、遠回りするということでしょうか?」
「いえ、"あえて"向こうの算段に当てはまります」
『聞こ…る…、聞こ…るか、聞こえるか』
「…エアさん、どうしましたか?」
『少なからず、今まで騙していたことを謝罪する。今から話すことは信じようが信じまいが、リープの勝手だ』
「…教えてください」
『リープが昨夜見た光景の通り、政府には軍隊とは別に精鋭部隊を編成している。ナーインスレイブと呼ばれている。彼らは九人で構成されており、自陣を防衛することに長けている連中だ。今、五人のナーインが政府のどこかにいる。侵入するために入った民家に二人、入口とショーケース、それから王室に一人ずつ。それと、ゲイブと共に行動し、て…いる、して…る、して…』
「通信が遮断されたみたいだ」
「リープは信じるのか?」
「昨夜の光景だと、様子がおかしくなったおばあちゃんたちがショーケースから出てきたし、王室で僕とヴァッフェはいきなり地面に押しつけられた」
「つまり?」
「僕が自分自身を信じることは、エアさんを信じることにも繋がる」
「お父さんが私を殴ってきたって言ったたのも…」
「操られているんだと思います」
「とりあえず、この紙に書いてある通りに動けばいいんだよな?」
今朝、出発寸前に記したメモを二人に渡していた。簡単ではあるが、最低限こなしてほしいことを記入してある。
「僕を信じてくれるなら」
「俺は疑い方を知らないからな、信じるしかできん!」
「私も、リープさんが頼れる方だと信じています」
リープは入り口での指の件がフラッシュバックし、顔を少し赤くした。
「あ、照れた!」
「うるさいな」
三人はショーケースにたどり着いた。開けると、そこには操られたおばあちゃんとミザキさん、僕にそっくりの少年が出てくるはずだ。
リープとヴァッフェが警戒しながら扉を開ける。
「ビンゴ」
様子のおかしい二人と、リーブ、と言っていたか、リープに似た少年が現れる。ブルーメは父との再会で、一瞬、込み上げる感情があったが、すぐさま行動に出た。同じく、リープとヴァッフェも動く。
リープはリーブの両手をマントで拘束した。
「え」
リーブは表情を変えぬままだったが、驚いているようだった。そのまま、リーブを連れて、王室へ向かう。
ブルーメはショーケース内に、睡眠の力-ハナカイドウ-を使い、部屋中を花粉で埋め尽くす。操られた人々は、苦しみながらも、やがてすやすやと眠りについた。
ヴァッフェは来たる最強の登場を神経を研ぎ澄ませながら待っていた。ヴァッフェにはメガネがあるため、どこから来ようとも、わかるはずだったのだが…
「一」
いきなり、背後から凍える声で囁かれた。驚いたヴァッフェは慌てて十二分に距離を取った。
「そんな警戒しなくても、君強いんでしょ?」
俺の仕事はこいつを倒すことじゃない、俺の仕事はこいつを倒すことじゃない、俺の仕事は…
『今のヴァッフェにゲイブは倒せない。けれど、ヴァッフェにしかゲイブを足止めすることができない。ゲイブとは常に距離を取って、室内に追いやられないように気をつけるんだ』
集中を切らすな。倒すことじゃなくて、倒されないようにどうすべきか考えるんだ。
「父ちゃんはどうしてそんなに強いの?」
父との会話を思い出す。
「俺は強くないよ。でも、弱くもない」
斜め上を見つめ、父は悩んでいた。
「強いやつは強いし、そこに理由はないけど、しいて言うなら、自分を弱く、相手を強く思うことだな」
「強くなると、弱くなっちゃうの?」
「強くなればわかるさ。あ、俺は強くないけどね」
笑う父は、俺の憧れだった。
「結局のところ、最後まで立っていたやつが強いんだ。ヴァーは倒すより、倒されないことを考えたらどうだ?」
ありがとう、父ちゃん、大事なことを思い出せたよ。ヴァッフェの体から、少し薄いがオーラが漂い始める。
「俺の名はヴァッフェ!英雄ドヒの息子!そして、最強になる男!」
「一丁前にオーラ出しやがって」
ゲイブは勢いよく飛び出し、間合いを詰める。それに合わせて、ヴァッフェは引き下がる。建物内だと、いつ追い詰められるかわからない。ヴァッフェは距離を一定に保ちつつ、正面玄関へ誘導する。ゲイブの飛んでくる刃を受け止めるのも精一杯だったが、なんとか凌いで、外へ出ることに成功した。
「外なら勝てる見込みが?地形を理解していないのに?」
「勝つ見込みは…仲間に諦めらさせられた。だからと言って、負ける見込みがあるわけじゃないぜ」
「そうか、その甘い考えを正してやるわ!」
ブルーメは座ったまま眠ってしまった人たちを横に寝かせていた。この人たちは何も悪いことをしていない。良い人間を悪くする人なんて、相当な悪い人間であると、ブルーメの中で、怒りが芽生えていた。
かなりの人数を寝かせていると、その中に完全に眠っていない人がいた。花の力は強力なはず。効かない人なんているのか。
「具合、大丈夫ですか?」
合わない焦点でなんとかブルーメを見つめていた。この女は誰だ?俺はどうなったんだ?確か、隊長の予測通り、侵入者がここに来て、鼻がムズムズすると思って、咄嗟に体内に入った粉を外に出そうとしたが…あぁ、その影響で今こんなにクラクラしているのか。
「ごへんらさい、ひょっと、くらくらひてひまって」
「私こそごめんなさい、罪のない方たちを大人しくするために寝かせてしまって」
今この女、寝かせてしまってって言ったな。確かに言った。じゃあ、こいつが俺を寝かせたのか?あぁ、でも、女に膝枕されるのはいつぶりだろうか。もう少しだけこのままでいていいかな。
男は目をつむりそうになったが、朦朧とする意識の中で、自分の使命を思い出した。
いや待て待て、目の前に侵入者がいるんだ。俺は何をしている。動かんかい、操られんかい、俺の体!
すると、男の体は糸で吊り下げられたように立ち上がった。
「もしかして、操られているんでしょうか!?」
「操っているし、操られてもいる。かわいい女の膝枕は絶品だな」
ブルーメは男を見上げたまま、じっと見つめていた。
「はっ!あなたが罪のない方々を操り遊んでいたんですか!」
「勘が鈍いところもかわいいな。あぁ、そうだ。俺の名はショート。侵入者を足止めするよう命じられている」
ブルーメはすぐさま立ち上がり、距離をとる。
ここで相手をすると、連れ去られた方々に被害が出てしまう。ここから出ないと。
「ここで戦っても、こいつらに被害は出ないぜ。俺はなんでも操ることができる。人や物はもちろん、痛みや感情までもな」
人を弄ぶ人の言うことだ。簡単に信じてはいけない。
「あなた、私たちを足止めするよう命令されているんですよね?この方々を戦いに巻き込む必要はありません。一度、避難させてください」
「いや、だから、何かあっても俺がなんとかするって」
「何かあってからじゃ遅いんです!赤の他人だからそう言えるんです!」
いきなりの大声にショートは少し驚く。
「隣に小部屋があるから、狭いけど」
ブルーメは魔力の力-カトレア-を使い、軽々しく持ち上げ、小部屋に運んでいく。逃げ出さないようショートはその様子を観察していた。
「足止めが目的だから、別に戦う必要ないんだけどな」
全員を避難させると、ショーケースでショートが口を開く。
「それはあなたの目的です。私は、私たちは被害者を解放させるためにここに来ました。少人数のため、一刻も早く、他の方の応援に駆けつけなくてはいけないのです」
「俺と戦うと?」
「目をつぶって逃げさせてくれるんですか?」
ショートは口角を上げると、両手の指を器用に動かし、壁の中から2体の人形を引っ張ってきた。
「遊んで討つ、それが俺のモットーだ。楽しもうぜ」
2体の人形でブルーメを左右から挟み撃ちにする。運動が苦手で、戦闘なんてしたことのないブルーメは、完全に避けることができず、左腕を挟まれる。
「い、痛い…」
「その痛み、俺なら消せるよ」
耳を貸すな。その誘い文句に私は乗らない。
私は頼まれたんだ。リーダーであるリープ君に。最低限の仕事を。
『ショーケースにいた人の様子がおかしかったので、近くに誰か隠れていると思います。警戒しながら動いてください。操る攻撃を仕掛けてくると思います。花の力を使って、頑張って倒してください!』
いや、最低限にしては、厳しすぎませんかね、リープ君!?
でも、嬉しかった。私はサポートすることしかできないと思っていたし、それを目的とされているんだと思っていた。リープ君はそんな私に立派な目的を与えてくれた。その思いに応えたい。リープ君を信じた私を肯定するために!
ブルーメは睡眠の力-ハナカイドウ-をばら撒く。もう一度、ショートの意識を朦朧とさせるためだ。
人形の次の行動は前後からだった。避けきれないと思い、ジョウロを上に投げ、右手と左足で人形を止めることができた。咄嗟の行動だったが、魔力の力-カトレア-の効果が残っていて助かった。
攻撃を受け止められ、倒れた人形に対して、束縛の力-クロイバラ-で行動を制限しようとした。したのだが…
「見た目によらず、戦えるんだな」
ショートは人形を一旦自分の元へ引き寄せる。
ハナカイドウを使ったのに、堂々と立っていることにブルーメは驚いた。
「俺はなんでも操ることができる。そう、体内に侵入する粉を体から追い出すこともね。だから、俺にもうそんな粉は効かないよ」
ショートのその言葉は、ブルーメの事実上での敗北を意味していた。リープのような思考力も、ヴァッフェのような力も、ツァオバーのような経験も何もないブルーメにとって唯一の対抗手段である花粉を封じられては、出す手足もなくなってしまう。
「俺と戦うことに絶望したのなら、俺は手を出さないよ。かわいい女を傷つけることはしたくないんだ」
思索の力-パンジー-。力がないのなら、花に助けてもらおう。まずは整理から。相手はなんでも操ることができる。人や物はもちろん、痛みや感情といった視認できないものや体内に入ってきたものも。そんな便利な力があるのに、何故、私を直接操らない?私を倒そうと思っていないから?いや違う。さっきの人形の動きは紛れもなく私を倒そうとしていた。何か条件があるのか?人形や被害者に対して行ったこと、私に対しては行ったないこと、考えろ、考えろ、考えろ!
「俯いちゃってどうしたの。かわいい顔なんだから前向いてないともったいないよ。それともどうした?もう諦めちゃった?」
惑わされるな。思考に入り浸れ。お花さん、私に力を貸して!
「もしかして…」
ブルーメはあることを閃いた。それが必ずしも正しいというわけではないが、高い確率で力の条件を見抜いているはずだ。
「なぜ、私を直接操らないのですか?」
「なぜだと思う?」
「か、か、かかか、かわいいから、なんじゃないですか?」
花の力に頼って捻り出した考えだが、言いながら段々と恥ずかしくなってしまっていた。
いやいや、そんなわけないよね。違うよ?自分がかわいいとは思ったないし、でも、お母さんは美人だったから、少なくともその血は流れてるから、少しくらいはかわいいと…思ってはないよ?思いたいなっていう理想の話をしてあるだけであって…
「そ、そそそ、そ、そんなわけないじゃん」
絶対そんなわけあるー!
「本当ですか!?」
「本当じゃない!」
「私ってかわいいんですか!?」
「そ、それは本当だ」
身内か近所のおじちゃんおばちゃん、歳下にしか褒められたことはなかった。おそらく同年代の人に初めてかわいいと言われた。
ずっとこもるような生活を送っており、内面ではなく、外面を褒められることがなかったために、ブルーメはかなり喜んだ。よろ、こぶ?この人は悪い人で、罪のない人たちを悪者に仕立てようとしたんだよ?そんな人に嬉しい顔を見せちゃダメじゃない!起きて、私!
ブルーメは二十面相のように、表情が毎秒変わっていた。
「別に、ネタがバレたからって、遊びが終わるわけじゃないから言ってもいいが、俺は手で触れた人や物に対してのみ、操ることができるんだ」
間。
「かわいい人は、その、触れるのに躊躇してしまうから、苦手なんだ」
なるほど。じゃあ、触られなければいいんだ。でも、ネタがわかったところで、倒す算段を見つけられたわけじゃない。力が効かない以上、どうすることも…いや、あれを使えば。でも、あんまり好きじゃないんだよね。
「こんな状況なのに、好き嫌いなんか言ってらんないよね」
ブルーメはジョウロの側面にあるポケットから、種を取り出すと、ショートに向かって投げる。ショートは慌てて避けたが、慌てるまでもなく、種は地面に落ちただけでどうかなるわけじゃなかった。
「いきなり何してきたかと思えば、降参の合図か?」
「若い芽は早いうちに摘んだ方がいいですよ」
「あぁ、そうさせてもらう。かわいい子ちゃんも、俺の人形になれ」
時が来るまで、操られることなく、時間を稼がないと。
ショートは人形2体を引き連れ、自らもブルーメ目がけて飛び出す。ブルーメは触れられるわけにはいかないので、ぎこちない動きでなんとか回避する。
「いざ近づくと、あまりのかわいさに躊躇ってしまう」
ショートは休ませる時間を与えることなく、次々とブルーメに向かっていく。体力のないブルーメにとって、続けざまの行動は相性が悪い。それでも、時が来るまで、成長するその時までは、なんとしてでも逃げていないと…
体力を消耗し切ったブルーメは、足を絡ませ転倒してしまう。人形を操らせたショートがゆっくりと向かってくる。しかし、ちょうどそのタイミングで、ブルーメが待っていたその時がやってくる。
さっき投げた種は、決してショートに当てるつもりで投げたわけではない。あの時、ブルーメは種を植えたのだ。
突然、部屋中が振動し出す。
「なんだ、何をした?」
「操られる気持ちを教えてあげます」
ジョウロから一滴の雫を垂らすと、種から芽が生え、茎がやがて、やがて…伸びてこなかった。
「なんだ、子ども騙しか?」
あっさりと、私の作戦は終わってしまった。やっぱり、木に対する気持ちが弱かったせいだろうか。
母がいた頃、植物の話をよくしてもらっていた。
「花はお母さんみたいで綺麗だけど、木は男の人みたいでちょっと怖いから嫌い」
「嫌いなんて、ブルーメにそんなこと言われる木がかわいそうよ」
「いいもん、私は花の博士になるんだから」
「花を知るためには植物を知る必要があるわ。木を知らないと、花の博士にはなれないかな」
小さい頃から、木は少し苦手だった。こもっていた私だから、もちろん、関わる人間は少ない。偏見だけで、男の人は怖いと思っていたし、立派な幹を見ると、こっちを睨んでくる男の人に見えてしまっていた。赤とか黄とか桃とか、色とりどりじゃないところも好まない理由だった。
けれど、今回の政府攻略をするにあたって、植物を知ることは木も知らないといけないという母の言葉を思い出して、苦手ながらも研究した。使うことはないだろうと、念のためだが種を持ってきていた。けれど、結果、私の思いには応えてくれなかった。
「何されるかと思ってびっくりしたよ」
もう、だめだ。
「じゃあ、俺の操り人形になりな」
ショートはブルーメの頭に触れた。痛みでもなく、痺れるようでもなく、脳の信号を書き換えられているなという感覚になった。
私はここまでか。でも、頑張ったよ、うん。みんなもお母さんもお父さんも褒めてくれるよ。戦うためにいるような人たちに私みたいな一般人がたった数日間なにかをやっただけで敵うはずがないんだ。
ふと、ブルーメが目を開くと、ジョウロのもう片側のポケットに入れていたカプセルが飛び出ていた。もう、これ飲むしかないよね。私の力じゃ、私と植物の力じゃ足りなかった。お母さん、私に力を貸して。私の体を好きに使って。
ブルーメが下を伸ばしているのをショートが気づき、カプセルに到達する前に動きを封じた。
「勝手な行動は慎んでもらおうか」
もう、操り人形になっちゃったのか。どんどん脳が自分のものじゃなくなっている気がする。体を抑えられているわけじゃないのに、動かない。自我を持ったまま、脳からの信号だけを操るということか。これをお父さんが受けていたと考えると…
脳が全て書き換えられる寸前に、ブルーメは一粒の涙をこぼした。涙は広がり、小さな水たまりとなる。段々と広がっていき、落としてしまったカプセルに到達する。伸ばしたままの舌が自分の涙に触れた。
しょっぱい。
「もう君は自ら動くことはできない」
なんかどうでもよくなってきた。体がぼーっとする。視界もぼやけてきた。カプセルが溶けているようにも見えるし。
にがい。
「軍隊長が来るまで待ってればいいんだよな」
突然、ブルーメの頭は冴えていき、体が自由になっていくのを感じる。それをショートには気づかれていない。理由はよくわからないけど、今この一瞬の隙を逃してしまえば、勝率は消失する。お願い、応えて、エノキ!
ブルーメの思いが届いたのか、投げた種から生えた茎が凄い勢いで伸びていく。真っ直ぐに伸びるのではなく、エノキはショート目掛けて伸びていた。
完全に油断していたショートの手首を茎で縛り上げた。手指を自在に動かすことができなくなったため、人形に救助の指示を出すことができない。
「どうやって抜け出した」
「私の中に植えられた愛が芽生えたのです」
ショートは焦るあまり、理解に苦しんだ。
「人で遊ぶような人にはわからなくていいことです」
身動きも取れず、力も使えないショートの目の前で、ブルーメはジョウロを構える。
「悪夢じゃないことだけは、祈っといてあげます」
夢の力-ヘリオトロープ-を放ち、ショートの意識は夢の世界へ誘われた。




