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本になりたい少年  作者: つくし
3/11

音楽隊

 花のいい香りがする。店の外からでも香るほどにたくさんあるのか。それとも匂いが強いのか。

 "音楽家"という看板が置かれた店に、一人の少女によって連れてこられた。物騒な誘い文句だったが、僕のことを好いてくれる人が現れたのだと、胸を躍らせていた。

 店に入ると、少女は店の中央を通り、カウンターを抜け、普段、居住していると思われる場所へ案内された。僕はてっきり望まれた来客だと思っていた。カウンターにいた男性が慌ててやってくる。

「ブルーメ、その子は?」

 驚かないはずがない。いきなり自分の店に知らない少年を連れてきたのだから。リープとブルーメの顔を交互に見る。ミザキとは対照的にブルーメは落ち着いていた。というより、鼻を高くしていた。

「人ごろ…じゃなくて、お母さんのこも知ってる人連れてきた!」

 ミザキの慌てようは、一段階進化する。速まる鼓動、流れる。今更現れた妻の情報を持つと聞いて、冷静でいられるわけはなかった。

「ほ、本当なの?」

 震えた声で真偽を問う。

「何の話ですか?」

 この場の誰一人として、どういう状況なのか、理解が追いついていなかった。リープは少女の母親なんて知らないし。ブルーメは見ず知らずの少年が母親のことを知っているものだと思っていたし。ミザキは娘が少年を連れてきてそれどころじゃなかったし。

「すいませーん」

 店内から声が聞こえる。唐突に情報という渦に巻き込まれたミザキは何も言わずに、それでも整理しようと独り言とともにふらついた足で接客に向かった。

 残されたリープとブルーメは言葉を交わさず、互いを観察していた。初めて犬を見る猫と、猫を見る犬のように。テーブルを中心にぐるぐる回る。二人は追いつかないように、けれど、追いつこうと、一定の距離を保っていた。

 この状況に痺れを切らしたブルーメが口を開く。

「あの写真どこで拾ったんですか?」

 突然の問いかけに少し驚いた。

「写真?」

「はい。私とぶつかった時、落としたあの写真です。私の母が写っていたあの写真です」

 この子の母親だったのか。でも、じゃあ、どうしてそれを政府の人間が?

「あれは元々僕のものじゃなくて、落とし物なんですよ。今はもう持っていなくて、ある人に任せてあります」

「その人は今どこに!」

 食い気味に、勢いよくテーブルから身を乗り出してきた。

「今はわからないですけど、その人が営んでる店なら…」

 あまりの勢いに押されてしまう。荒げた娘の声を聞き、慌ててミザキが帰ってきた。

「どうしたの」

「この子、お母さんのこと知ってるかも」

「たまたま拾った写真に写っていたのが母親だったらしく」

 今は写真を持ってないことを知ると、安堵の表情を浮かべる。と同時に穏やかそうな顔には不釣り合いな睨みをリープに向けた。

「すまないが、出てってくれ。それともう娘と関わらないでほしい」

「どうして、お母さんのことわかるかもしれないのに」

「何が知りたいんだ?」

「どうしていなくなったか…」

「ビラーマは死んだんだ。成り代わりを渡しただろ。それ以上、何を知る必要が」

 そこまで言って、取り乱した自分を反省するように我に返る。居心地を悪くしたミザキは店内に戻って行った。

「とにかく、娘とは関わらないでくれ」

 いきなり連れてこられ、いきなり怒られ、散々な目に遭った。

 ブルーメは普段穏やかな父が怒った衝撃で放心している。でも、心という枝は折られていなかった。リープの腕を掴むと、早足で店を飛び出した。父に止められないように。

 今日は厄日だと運を恨むリープ。二人をカウンターから見ていたミザキは、心配と不安の眼差しを出入り口に向けていた。

 リープとブルーメは店から少し離れた、森の中にポツンと建てられた小屋に来ていた。ベッドで横になるブルーメと小屋を見渡すリープ。

「連れ回してしまってごめんなさい」

 悲しそうな背中がしゃべる。

「いきなりのことで何が何やら…話してください」

 ブルーメは母が突然いなくなったのと、成り代わったこと、それを信じきれていないことを伝えた。

「ここは嫌なことがあると来るんです。幼い頃、母と建てました」

 リープは驚いた。成り代わりを信じていない人がいるとこに。命を落とすと成り代わるというのは、もはや常識だと思っていた。

「どうして信じられないんですか?」

「それは生きていて欲しいからですよ。数年経った今でも、それを望んでいます。それに、死に際に遭えなかったからというのもあります」

 僕も同じでいきなり祖母から伝えられた。けれど、それが偽りかもしれないとは思わなかった。祖父は一体、どこで、どうやって命を落としたのか。

「そうでした!」

 ブルーメは突然立ち上がり、こちらを向き、思い出したかのように話題を変える。テンションも百八十度変わった。

「写真の持ち主のところへ連れて行ってください!」

 部屋に差し込む月明かりと虫の鳴き声で夜が更けていることに、ブルーメは今気づいた。

「明日、ですね」

 返事も聞かずに、ブルーメは再び横になり、すぐに眠りについた。リープはそんな彼女の気持ちを少しずつ理解していた。

「おじいちゃんが生きているとしたら…」

 カバンから本を取り出し、何も書かれていないページを読む。他の本と違って、この本を読んでいるときは、考えることに集中できる。考えて考えて、結局わからないことがほとんどだが、リープが本になりたいように、ブルーメが母の生存を望む気持ちは理解できる。

 生きているうちは夢を追える、ここはそんな国だ。ブルーメにとって、母親の生死をはっきりさせることが夢と言えるだろう。そして、生死がわかった時、祖父についても何かわかるかもしれない。この旅の最終目標が決まった。

「まだ起きていますか?」

 寝たと思っていたはずのブルーメが口を開く。

「君は、リープ君は今何をしているんですか?子どもが一人でいるのが不思議だったので」

「旅の途中です。外の世界を堪能しています」

「寂しく、ないですか?」

「おばあちゃんと二人で生活していましたけど、家でも基本的に一人だったので、寂しくはないですね」

「そうですか」

「でも、怖い目には何度か遭いました」

「帰りたいとは思わないですか?」

「恐怖に好奇心が勝るんです。夢のためにも、たくさん知らなくちゃいけないので」

「夢、叶うといいですね」

「はい。そろそろ寝ましょう」

 太陽が真上に来る頃、二人は小屋を出た。ドヒに会うため、シュピルへ向かう。道中は、昨晩話しきれなかったことを続けた。主にリープの夢についてだ。ブルーメの顔色を伺いながら、ゆっくり話す。間に祖父の話を挟むと、優しく包み込むように聞いてくれた。初対面の少年に人殺しなんてワードを使う人とだとはとても思えない。

 街へ出て、暗い階段を下る。重々しい扉を前に躊躇してしまう。昨日の件がトラウマになっていた。

「その女は?」

 中から野太い声が聞こえる。

「ドヒさんに会いたいということで連れてきました。入れますか?」

 返答はなく、一人でに扉が開く。ブルーメの方が歩幅が大きく、堂々としていた。

「オーナーは来ていない。あの人は気まぐれ。来ないことの方が多い」

「箱?」

 ボックスだ、と名乗る箱に、ブルーメは驚いていた。

「ドヒって人がここのオーナーなんですけど、来てないみたいですね」

「待ってても来なさそうな言い回しでしたね」

「あ、でも…」

 リープはここでするべき任務があったことを思い出す。ドヒを待つまでの時間潰しだと言い、ブルーメにも付き合ってもらうことにした。一人よりかは二人の方が可能性があると思った。

 二人は騒音の中をかいくぐり、カウンターに腰掛ける。手際良く料理をするコヘンの姿があった。

「ドヒさんに、この子の心を開いて欲しいって頼まれたんです」

 ブルーメは話を聞いているふりをして店内を見渡す。

「料理の腕は一人前で、作れないものはないらしいですよ」

 コヘンがこちらに気づき、頭をかきながら軽く頭を下げる。リープは返したが、ブルーメは店内に夢中になっていた。

「私、こんなに多くの男の人見たの初めてです」

「何か頼みましょう」

「何があるんですか?」

「ブルーメさん、話、聞いてました?」

 間。

「オムライス二つお願いします」

「僕の分ですか?」

「私の分ですよ」

「一人で二つも食べるんですか?」

「オムライスをおかずにして、オムライスを食べるんです。母の得意料理で、久しく食べていなかったもので」

「作ったり、作ってもらったりは?」

「何が足りないのかわからないのですが、母の味にはどうしてもならなかったのです」

「そうでしたか。僕はおにぎりで」

 息を小さく吹くと、コヘンは調理に取り掛かった。素早い手つきで、あっという間に出来上がる。

 ブルーメはお淑やかな容姿とは不釣り合いに、オムライスにがっつく。溢れそうなほどにほおびり、咀嚼して、涙を流した。コヘンは無表情であったが、焦りと心配からか、瞬きが増えていた。突然のことだったので驚いた。けれど、顔をよく見ると、心配は不要だった。ブルーメは嬉しそうに泣いていた。

「美味しかったです!」

「急に泣き出すからびっくりしました」

「数年ぶりに母のオムライスを食べましたから。もちろん、美味しさから出た涙でもありますよ」

 間。

「でも、どうして母の味を?」

 二人はコヘンを見ると、コヘンは顔を逸らした。どうやら、企業秘密のようらしい。

「心を開くためには、まずは口を開かせないといけなさそうですね」

 ブルーメは真似させてみる。口を大きく開く。動かず。小さく開く。動かず。舌を出す。動かず。

「その顔、犬みたいですね」

「ワン、道のりは遠そうだワン」

 間。

「ドヒさん、まだ来られないんでしょうか」

 その瞬間をリープは見逃さなかった。開いたとは言えないものの、小さな門が少し緩んだのを。

「ドヒさん」

 ピクリと動く。

「ドヒさん」

 ピクリと動く。いきなり連呼し始めたリープを不思議に思い、コヘンの方へ視線をやると何をしていたのかがわかった。

「開いてるじゃないですか!」

 声を大にして身を乗り出すブルーメに驚き、開きかけた門は再び固く閉ざされた。申し訳なさそうに視線を変えると、難しい顔をするリープがいた。

 ドヒさんがキーワードになることは確実だ。今後はドヒさんを話題に出して、攻めていこう。しかし、問題はそれほど知らないということだ。他の切り口でも踏み込んでいかないと。

 店内からじゃ時間の経過が分かりにくいが、すでに陽は沈んでいた。こんな時間まで待ってもドヒは現れなかった。これ以上、子ども二人で待つのは危ないと感じ、二人は店を後にした。

 店を出るとき、顔を覚えられたことをボックスに言われたブルーメは立ち止まった。ボックスを、箱をじっと見つめる。

「あなたも閉ざされているんじゃないんですか?」

 それに対する答えを、ボックスは持っていなかった。

 帰りはブルーメの一言について言及したが、答えてくれなかった。女には色々あるんです、とはぐらかされてしまう。

 翌日はドヒがいつ現れてもいいように、陽が顔を出すのと同時にシュピルへ向かった。

 入り口で顔を見せ、騒音の中を通り、同じようにカウンターに座る。この店は一日中騒がしいようだ。ということは、一日中開いているということで、コヘンも同じ時間厨房にいるのか?

「今日はピザをお願いします。リープ君、一緒に食べましょう」

「コヘン、ちゃんと休んでる?」

 ブルーメの声を押し退け、コヘンの身を案じる。しかし、相変わらず返答はなかった。二人のやり取りを見ていたブルーメが間に入るように口を開く。

「かわいらしい風船ですね」

 指差したのはコヘンの鼻。膨らんだり、しぼんだり、たまに割れたり。割れるとブルーメは身体をピクリとさせた。

「はなちょうちん?」

 コヘンは料理を振る舞いながら寝ていたのだ。いや、寝ながら料理しているのか。コヘンは黙ってピザを作りに向かった。調理中に寝ているからって、体が休まるはずがない。オーナーに会ったら文句言ってやる。コヘンのためだ。コヘンの心を開いて欲しいとか言って、本性は人を機械のように扱う人だったのか。許せん。

「一段とお腹空かせているんですね」

 滲み出ていた怒りをブルーメは食欲として受け取ったようだ。

「僕もドヒさんに用ができました」

 コヘンの肩がピクリと動いた。

 ピザが二人の前に姿を表す。具沢山で健康に良さそうなピザだった切り分けるのも待てずにがっつくかと思っていたのだが、ブルーメの手は全く動いていなかった。食べようとしていなかった。変に行儀がいいのを不思議に思いながら切り分ける。

「冷めないうちに食べましょうよ」

 口を開かずに首を横に振るだけだった。コヘンも不思議に思い、じっと見つめる。ブルーメはピザに乗っているある具を指差していた。

「紫玉ねぎ?」

 首を横に振る。

「じゃがいも?」

 首を横に振る。

「くるまえび?」

 首を振らずに、これだって!と言いたげな顔で指を差し直す。

「なす、ですか?」

 ブルーメの体は突然震い始めた。聞いただけでこの反応は相当だ。ブルーメを見ていたコヘンの視線が下がる。

「なすおいしいですよ。何がいやなんですか?」

「もう、名前出さないでください」

 ピザから顔を背けながら、震えた声で言う。

「だって、見た目あんなに奇抜なのに、原色で綺麗な紫なのに、中が白いのかわいくないんですもん」

 え、それだけ?

「食べたことは?」

「ないですよ。それを前にすると身体が拒否反応を示すんですから」

 ブルーメの腹の虫が鳴いた。いくら嫌いと言えど、コヘンの作る料理のにおいに体は正直だ。

 味が保証されているとは言え、なすが乗っていると言う事実を知ってしまった以上、全てを受け入れることはできない。食べるかどうか葛藤していると、突然の音だったが、鼓膜がうまくキャッチした。

「お…しい…ら」

 それはとても小さく、騒がしいこの場所ではかき消されるほどなのに、二人には届いていた。あまりに唐突なことだったために、顔を見合わせて、互いに聞こえたことを確認すると、コヘンの顔に視線を向ける。

「今のって…」

「コヘンの、声…?」

 コヘンの顔は青ざめていた。目が常に動いていた。汗が垂れていた。二人の視線に耐えきれず、背中を見せてしまう。これは紛れもなく、コヘンの口が開き、声帯を震わせ、声を発したということで。

「第一関門、突破しましたね」

「もう一度、話せますか?」

 ブルーメの声は届かず、コヘンは店の奥へと姿を消してしまった。しかし、まさかブルーメのなす嫌いからコヘンの口を開くのに繋がるとは思っていなかった。ドヒの話題に加えて、料理についての話題がコヘン攻略の鍵だ。この二点に共通するものを探すか、新たな切り口を探すか。

 ただ、今日わかったのは、コヘンに対して呼びかけるのではなく、コヘンの興味を引く話をブルーメとしている方が有効であること。コヘンの心が開く日は近い。ピザ美味しい。

「でも、ドヒさんに頼まれたって理由で心を開こうとしても、私たちの想いは伝わらないと思います」

 ピザ。

「やっぱり私たちがコヘン君と話したいと、仲良くなりたいと思う必要があります」

 ピザ。

「それには少しでもコヘン君の情報が必要で、それを知っているのはドヒさんで…どれもこれもドヒさんがいれば解決するのがもどかしいですね」

 ピザ。

「情報があってもなくても、コヘン君と心で向き合わなくちゃ、信用してもらえません。ほら、見ず知らずの人が訪ねてきても、勝手に扉は開けられないじゃないですか。その人が知っているのなら話は別なんです。だから…そうか!」

 リープとブルーメの模索の仕方は対照的であった。リープはピザを片手に脳内に思考を張り巡らす。ブルーメはピザを両手に一人で喋っている。内で考えるか、外で考えるか。

「明日も今日みたいに話しながら、心を開きそうなヒントを探しましょう」

「その中で信用してもらえるように、私たちのことも少しずつでも伝えましょう」

 明日も、ということはこの日もドヒは現れなかった。ボックスの話によると、毎日来ることもあれば、一月来ないこともあるとのことだ。いつ来るかわからない人をただただ待つだけなのも馬鹿らしい。けれど、情報もなく探し回るのも時間の無駄だ。どうしたものか。

 今ではコヘンの攻略に尽力しているが、元の目的はドヒに会うこと。明日こそは、明日こそはと思いながら、森の中の小屋へ帰る。

 自分に対して興味を抱いてくれる人は初めてだった。故に、慣れておらず、疲労が溜まる。加えて、嫌いなものがあると言って、しばらく僕の料理に手をつけなかった。だから、ちょっと、ちょっとだけ怒ってしまった。嫌われたかもしれない。リーダーに告げ口されないだろうか。明日も来てくれるだろうか。

 コヘンは生まれて初めて、明日を待ち望んだ。初めて口角を上げた。いつもの皿洗いが、今日は楽しく思えた。

 暗くて狭くて息苦しい場所を転々としていたから、外の世界を知らない。リープやブルーメみたいに、僕に興味を持ってくれる人はいるだろうか。声をかけてくれる人はいるだろうか。見てみたい、外の世界を。

 翌日、二人が店を訪れることはなかった。その日は人生で最も長い一日だった。

「まだ帰ってこないの?」

 心配に加え、吹っ切れているような表情の男性が立っていた。

「まだ…リープ君もいるし」

「ここじゃ、身体が休まらないだろう。戻ってきなさい。リープ君…も一緒でいいから」

 ミザキの厚意で家に招き入れてもらった。そこで今までの経緯を話した。ミザキは黙って、目をつむりながら聞いている。

 話終わるのを待っていたのか、立ち上がり、手招きでリープたちを地下へ案内する。ブルーメの表情から察するに、彼女も初めて見たのだろう。ジメッとして、埃が舞う階段を下ると、微かに花の香りがする。ブルーメはミザキを追い越し、部屋に入っていった。続いてリープも部屋に入る。そこは研究施設のようで、大量の植物がケースに入れられていた。

「この匂い…」

 ブルーメは鼻を揺らし、部屋中を歩き回る。

「ここはビラーマの研究施設。ブルーメのお母さんね」

 間。

「今も研究施設として、月に数回利用している」

 ブルーメには届かない声量で放たれたその言葉に困惑した。今も?ブルーメさんのお母さんが?死んだはずじゃ?成り代わったんじゃ?

 聞き間違いだと、言い間違いだと思い込む。きっとミザキさんもこの場所へ来て、昔の姿が見えたのだと思い込んだ。

 ミザキはブルーメの元に寄り、この場所を自由に使っていいと言った。将来、音楽家ではなく、花の博士を目指していると知っていたから。

 ブルーメは自宅にこんな場所があったなんて、といった表情で物色に物色を重ねていた、しかし、よく見ると隅まで整理整頓が行き届いている。ここまでの道が掃除されていなかったにも関わらず、ここには塵一つとない。きっとミザキさんが定期的に掃除しているのだと、リープは必死に思い込む。それでも、ブルーメの母親が生きていると思わせるようなミザキの言葉が頭にずっと残ってしまう。

 リープは肩を叩かれ、二人で話があると言われ、ミザキとともに研究室を出た。

「リープ君はどこまで知っている?」

 真剣な眼差しで問われた。つくつもりはないが、絶対に嘘をつけない空気が漂う。

「何のことですか?」

 言葉選びをしくじらないように、ゆっくり口を開く。

「ビラーマ、妻の写真を持っていたんだろう?ブルーメに近づいたのはそういうことなんじゃないのか?」

「話が掴めていないのですが…」

 互いに何を言っているんだ、といった表情。

「話を変えよう。リープ君は…旅人なのかな?」

「今はそうです。おばあちゃんに視野を広く持てと言われまして」

「祖母の名前は?」

「センマ、です」

 突然見開かれたミザキの瞳に、身体をピクリとさせる。

「祖父…は?」

「ヨーパ、です」

 リープを見つめ、何度も息を呑む。

「そうか、そういうことだったのか」

 頷いてから、再び口を開く。

「もう、動き出してしまったのか」

 意味深な言葉に被せるように、階段を駆け上がる音が聞こえる。

 すでに日付が回っていたため、この日は泊めさせてもらった。

 さすがの僕にでもわかる。ミザキさんは何かを知っているし、隠している。冷静そうな人なのに、祖母の名前を聞いた時の顔は恐怖と不安が入り混じっていた。

 花の匂いが強まり、鼻を刺激されて目が覚めた。不思議な目覚ましだ。二人は朝食を済ませ、家を出ようとしたところをミザキに止められる。

「二日も家を空けていたんだ、手伝って欲しいんだけどな」

 二人は花の手入れを行ったり、接客したり…どうして僕まで手伝うことに。

「リープ君はお花好きですか?」

 ちょうど水やりを終えたリープに、枝を整えていたブルーメが声をかける。

「好きなのかどうかはわかりませんが、こんなに多くの花を目の前にして、興味を抱かないわけないです」

「男の子なのに珍しいですね」

「そうですか?」

「お父さんは匂いが強いから最初はダメだったみたいで、だから、男の人みんな匂いに敏感なのかと思いまして」

「男の人も女の人も、色んな人がいますよ」

「そうなんですね」

「そうだ!」

 被せるようにリープが言う。閃いたと同時に立ち上がった。ブルーメが手にしている花を指して、興奮しながら続ける。

「花ですよ、花」

 ブルーメは理解できておらず、頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。

「ブルーメさんのお気に入りの花どれですか?」

 翌日、お気に入りの花を片手に、シュピルへ向かった。途中、街が騒がしいと思ったが、特に気にせず歩いた。

 シュピルに着くと、二人はボックスに顔を見せて中に入る、と中は異様な空気が漂っていた。いつもあんなにうるさいのに、この日は、静まり返っていた。異常なほどに。

「今日は静かですね。こんな日もあるんですね」

 カウンターに座った二人は店内の静まりについて話す。

「お店だって生きているんですよ、落ち着きたい時もありますよ、ね」

 ブルーメは店の中心に向かって同意を求めたが、返ってくるわけがなかった。

「花について詳しく聞いても?」

 ブルーメが手にしていたお気に入りの花とは、母の成り代わりでもあるランの花であった。コヘンにも聞こえるように柔らかい口調で話し始める。

 ランの花自体はもちろん知っている。植物図鑑に載っていたから。写真からはわからない暖かさが滲み出ていた。まるで、生きているかのように。

 話に夢中になっていて気付かなかったが、コヘンが真剣な顔でブルーメを見ていた。あまりの視線の強さに、話の速度が緩やかになり、やがて止まる。

「は、恥ずかしくなってしまいました」

 顔を赤らめて言う。自分が原因だと思ったコヘンは視線を落とす。察してリープの空気を割った。

「き、今日は甘いものでも…」

 じゃあ私は、と続けて注文しようとするブルーメの言葉を待たずに調理を開始してしまった。しゅん、と落ち込む姿に少しときめいてしまった。少しだけ。

 しばらくして、二品運ばれてきた。リープの前にはケーキが。そして、ブルーメの前には…

「コヘン君、私のこと嫌いになっちゃったんですか?昨日あんな態度とっちゃったからですか?」

 ブルーメの前には、焼きなすが置かれた。料理に身を隠すのをやめ、激しく主張するなすは、承認欲求を欲しているようだった。好かれたという思いの強さが、ブルーメの前になすを生んでしまった。

「コヘン君、どうしてなんですか?」

 涙を流しながら、コヘンに訴えかけていると、それは唐突にやってきた。

「マ、マヨネーズかけたら、大体、おいしくなるから」

 それと同時にブルーメの前にマヨネーズが置かれた。良いことを聞いた。今後、苦手なものにはマヨネーズをかけてみよう。一流のコックが言うのなら間違いない。

「マヨネーズ…試してみます。ありが…」

 それは唐突に、且つ、自然に訪れたが故に気づかなかった。二人は一度顔を見合わせ、頷き合い、コヘンの方へ視線を向ける。赤らめた顔の一流コックがいた。

「普通に話しましたね」

「普通すぎて気づきませんでした」

「普通に話せる。人間せいがわからない内は話したくないだけ」

 あまりに普通に話し始めたため、二人の喜びの視線は輝きを増す。感嘆の声を漏らし、コヘンを質問地獄に追い込む。まるで、記者会見のように。

「得意料理は?」

「花は好きですか?」

「あ、本は好き?」

「匂いに敏感ですか?」

「ドヒさんのことどう思う?」

 ドヒについて聞かれると、返答はないものの身体が反応していた。やはり、ドヒさん関連で何かあるに違いない。深掘りしようと、僕はドヒさんについて、ブルーメさんはコヘンについて質問を重ねていた。

「こらこら、コヘンが困っているだろ」

 ドヒが二人と肩組み、地獄からコヘンを解放する。

「この子は?もしかして彼女?」

「違いますよ。それより…」

「あなたがドヒさんですか!?」

 ドヒの登場を最も待ち望んでいたブルーメが、勢いよく席を立つ。

「いかにも」

「母について、ビラーマについて何か知っていることないですか?」

「写真をドヒさんに渡したと話したら、写っていた女性がブルーメさんのお母さんらしかったんです。それで、ドヒさんが来るのを待っていました」

「君が娘さんか…」

 ドヒはブルーメを上から下へ、右から左へと、舐め回すように見つめる。店内の静けさも相まって緊張感が走る。

「お母さんに似て美人さんだな。彼氏いるの?俺と遊ばない?」

「私は真剣に聞いています!母は、本当に死んだのですか?それならどうやって死んだのですか?どこで、誰に…」

 緩んだ涙腺から涙が溢れ出る。必死の問いかけにもかかわらず、ドヒは答えなかった。いや…

「すまないが答えられない、と言っておこう。これは君たちの身のためだ。悪く思わないでおくれ」

 間。

「ただ、希望だけは捨ててはいけない。望むものがあるのなら、それを持ち続けなさい」

 間。

「それと、ブルーメと遊びたいのは思ったのは真剣だったんだけどな」

 希望を捨ててはいけない、この言葉はリープの心にも響いた。諦めようとも、挫けることもなかったが、この先もないとは限らない。本になるのをやめたくなってしまった時、この言葉を思い出せるだろうか。思い出せるためにと、強く胸に刻んだ。

 ブルーメの背中をさすりながらリープは話題を移す。

「コヘンを働かさせすぎじゃないですか?いくら立ちながら寝られるとしても、それじゃ体は十分に休まりません」

「それね、だから俺は困っていたのよ」

 首を傾げる。

「休めって言ってんのに休もうとしないんだよ。集会所だから店を閉めるわけにはいかないしさ。多分、俺以前に買った奴らがそうさせたんだろうな。それが定着しちゃって、それが普通だと思ってる。異常だよ。だから、心を開いて、精神面だけでもマシになればと思ってね」

 そういうことだったのか。ドヒさんはコヘンのために。

「でも、だからといって、あんな質問攻めはよくないと思うな」

「あ、いや、あれは…」

 口を開いたことを伝えようとすると、やめてほしいというコヘンの視線が背中を刺した。

「やっぱ何でもないです。他の方法探してみます」

「それがいいと思うよ。考えて考えて、正解を導き出すのが君の役目だ、リープ」

 ドヒは水を一杯だけ飲んで、手を振りながら店を出て行った。忙しい人だ。

「私はこれからどうすれば…」

 今心配なのはブルーメの精神だ。母のことを知れると思っていたのに、結局、何も得られなかったのだから。その落ち度は計り知れない。それも研究室を見た後だ。相当期待していたに違いない。

「俺は冒険家になりたい」

 コヘンが急に口を開く。

「もっとたくさんの人に食べてもらいたい。喜ぶ顔が見たい」

 間。

「お腹空かせてると悲しさは増すだけ。とりあえず食べろ」

 ブルーメは泣きながら焼きなすに手をつける。もちろん、マヨネーズをかけて。ブルーメの涙はさらに水分を含む。

 どうしてなすが嫌いだったか思い出した。母がいなくなったあの日の夕食がなすの炒め物だったことに。加えて、あの日、父もいなかったことも思いだした。

「おいしいです。けれど、好きにはなれないかもしれません」

 満面の笑みには雨が降っていた。けれど、なにかを乗り越えたような顔をしていた。

 コヘンは好きにはなれないという言葉を真に受けてしまい、寂しそうに両手見つめていた。

「よく開けたものだ」

 店を出る時、ボックスに声をかけられた。

「ボックスさんの心も開けましょうか?」

 しばらく箱を見つめていたが、待てど待てど返答はなかったため、諦めて地上へ出た。シュピルへ向かう時よりも増して騒がしくなっていた。

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