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本になりたい少年  作者: つくし
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旅立ち

 この国では優秀な人材が命を落とすと物に成り代わるという風習のようなものがある。料理に自信があれば調理器具に、仕立屋なら裁縫道具に、羊飼いなら笛に。道具として、その者の偉大さを後世に語り継ぐらしい。

 祖父も例に漏れず、優秀な人材だった。まだ幼い僕に対し、本を通して色々なことを教えてくれた。字の読み書き、作物の育て方、計算等本当に様々だ。

 そんな祖父がつい先日亡くなった。いきなりだった。元より身体が弱く、寝込むことが多かった。

 僕がおつかいから帰ってくると、祖母が泣きながら、けれど優しく事実だけを伝えてくれた。現実を受け入れられなかった僕は自室に引きこもり、無限に雨を降らせた。

 雲が湿度を失うように、僕も泣き止む。そして、雨が嘘だったかのように、落ち着いた顔で眠りについた。

 目を覚ますと、腹部に違和感が。ずっしりと重みを感じる。身体を起こし、ずり落ちたそれを手に持ってみる。

 本だった。見覚えのない本だったが、手に取ってから、悲しくて、苦しくて泣くことはなくなった。

 本からは優しく温もりを感じる。全神経がそれを祖父であると、祖父の成り代わりであると言っていた。

 それから常に持ち歩いた。そして、この時から僕も本に成り代わることが夢となった。しかし、その本の中身に疑問を抱いていた。

 表紙から裏表紙まで、なにも書かれていない。そう、白紙なのだ。内容がないのだ。なぜだかわからないが、僕はそんな疑問を頭の隅に追いやって、勉学に励んだ。

 リープの一日のスケジュールは、七時起床、朝食を済ませると勉学。昼食を済ませ、おつかいに出向き、帰宅すると勉学。夕食を済ませるとまた勉学。そして、眠る。眠る時も枕の下に本を置いて、少しでも本と接する時間を増やしたかった。祖母のおつかいと食事、睡眠以外は祖父の書斎に入り浸っていた。

 二十時間ほど勉学のことしか考えていないリープを心配した祖母は、旅をしてみないかと提案してくる。本という狭い世界ではなく、視野を広げて、色んな世界を見るべきだというのだ。

「確かに、一理ある」

 納得したリープは、早速身支度を済ませ、祖父の本を一冊だけ抱いて、目的のない旅に出た。

 家を出て、数歩歩いて、すでに世界の広さを痛感した。行き交う人々、飛び交う言葉、空を飛ぶ鳥。普段おつかいで外出しているのだが、本を読みながら歩いているため、視線は自然と下を向いてしまっていた。こんなに世界は明るかったのかと、暗い書斎が脳裏をよぎる。

 これといった目的がないまま出てしまったわけで、不審に周囲を見渡していたのか、一人の少年に声をかけられる。

「どうした?迷子か?」

 声の方を向くと、刀を三本担いだ少年がいた。

「そのようで……」

 二人は近くの丸太に腰掛けた。リープは少年の顔を見て、祖父の本を見て、を繰り返す。刀の少年は素振りしている。

「俺はヴァッフェ。お前は?」

「リープ」

「いい名前だな。誰につけてもらったんだ?」

「おじいちゃん」

「俺は父ちゃんにつけてもらった」

「今はいないけど」

「……お互い様みたいだな」

 最後の言葉は悲しみを帯びていた。

「少しは落ち着いたか?」

「うん、ありがとう」

「帰れるか?」

 首を横に振る。

「狭い世界しか見てこなかったから、広い世界を見るために旅の途中なんだ」

「そういうことなら、うち来るか?」

 人間の多くとは関わらない生活を送ってきたからなのか、とても嬉しかった。人に誘われるってこういうことなのか。本で読んだことはあったけど、体験するのも良いな。

「ふつかものですが、よろしくお願いします」

「二日泊まっていくのか?」

 リープは深く頭を下げた。言葉って難しい。学んでも、実際に使うとなるとうまくいかないこともあるのだと、リープは学んだ。

 ヴァッフェの母のアタゲが、出迎えてくれた。

「あら、その子は?」

「旅人のリープ」

「おはつにおみみ、リープです」

「おみみ……?」

「うちに泊めてもいい?」

 いいけど、そう答えるアタゲは不信感を抱いている表情だった。

「最近、ここらで盗賊の目撃情報が出てるでしょ?それで、ちょっと疑っちゃうのよね」

「ごまよわくでしたら、他を当たります」

「ごまよわく……?」

 聞き馴染みのない言葉に戸惑い、さらに不信感を強めてしまった。

「リープは盗賊なのか?」

「盗賊じゃないよ」

「盗賊じゃないってさ」

 やれやれといった感じの吐息の後、アタゲは続ける。

「こんな幼い子が盗賊と関係あるわけないわよね。ごめんね、疑っちゃって。満足するまで泊まっていきなさい」

 ヴァッフェと笑顔で向き合う。

「でも、まだ日は高いし、荷物だけ置いて時間潰してきたら?」

「店番は?」

「せっかく同じくらいの子と会えたんだから、遊んできなさい。今日のノルマは達成してるんでしょ?」

 ヴァッフェは一日に刀を三本売ることがノルマとなっている。元々六本の刀を担いでいたと思うと、リープはヴァーの力強さに感心した。

「ジロジロ見るな、恥ずかしいだろ」

 ヴァッフェと自分の腕を見比べ、勉学だけではだめだという、祖母の思いがわかった気がした。

 お互いに「遊ぶ」がよくわからず、近くの林道を歩いていた。木の棒を拾い、振り回すヴァーと初めて見る植物に対し、ボソボソ呟くリープ。二人は正反対の人種だった。リープを静で、ヴァッフェが動。そんなわけで、二人の距離はどんどん開いていき、ふと気づいたヴァッフェが振り返る頃には、リープの姿はなかった。

「え、なんで?」

 思わず声に出してしまう。ヴァッフェは普段のペースで歩いていただけだからだ。仕方なく入り口に戻る姿は、ゲーム序盤に出てくるゴブリンのようにやる気がなかった。

 リープの姿が見えたところで、呼びかけるも気づいてくれなかった。

 しゃがんでキノコを拾い、首を傾げながら小さく口が動いている。キノコ観察に夢中でいると、後ろからキノコを木の棒で払われた。

「それ、毒あるよ。触りすぎると肌かぶれる」

「知ってるの?」

 リープの視線は輝いていた。その視線に対し、ため息混じりに質問で返す。

「リープは普段、何してんだ?」

「一日中、本読んでるよ」

「退屈じゃない?」

 何言っているの?という顔でヴァッフェを見る。

「新しく知ることができるから楽しいよ。でも、こうやって外に出るのもいいなって思った」

「いつも家にこもってるのか?」

「うん。おつかいで出るけど、早く本読みたいから真っ直ぐに帰るんだ」

「俺とは正反対だ」

「ヴァッフェはいつと何してるの?」

 ヴァッフェは何も言わずに立ち上がり、背中の木刀を構える。そして、近くの大木に向かって、何度も振り払う。木刀を見つめ、口を開く。

「これ、実は父ちゃんでさ……聞いてる?」

「あ、ごめん。急に木刀振り始めるから、無視されたのかと思って」

 間。

「俺も元々、家にこもってたんだ。身体が弱かったから。でも、ある日突然に、父ちゃんがいなくなって。母ちゃんからこれを渡されたんだ。どんな思いで木刀に成り代わったかわからないけど、強くなれってことだと思って、毎日修行してんだ」

 間。

「もしかして、リープが本読んでるのも」

「そうだよ、おじいちゃんの成り代わり」

「俺らの家系ってすごいな」

「でも、この本、何も書いていなくて。何を伝えようとしたのかわからないんだ」

「答えはないと思う。それが何なのか考えて、それを信じて生きることが大事なんだと思う。だから、俺は、たとえ間違っていたとしても、信じ続けることにした」

「ヴァッフェは強いね」

 間。

「ねぇ、ヴァッフェ。ひとつお願いしてもいいかな」

 二人はヴァーの家に戻った。家の裏にはボロボロの藁人形が立っている。リープは軽めの木刀を借りると、ゆっくり振り払った。好きでゆっくりやったわけでも、ヴァッフェにそう言われたからでもなく、単純に力がなさすぎたせいだ。これが限界だった。

「リープがうちに泊まる間、稽古つけてやるよ」

「よろちくび」

 深々と頭を下げる。

「どんな本読んでんだよ」

 翌朝、鶏の鳴き声で目覚めたが、見知らぬ天井だったので、夢だと思い、再び眠りにつこうとした。

「起きろ〜」

 ノイズが聞こえる。外の世界にはこんなに騒がしい目覚ましがあるのか。あれ、外の世界ってなんだ?

「あ」

 目を開くと、木刀を構えるヴァーの姿があった。

「おはようございます」

 挨拶と同時に大きな欠伸をひとつ。

「母ちゃんが手伝って欲しいってさ」

 寝室にアタゲが入ってくる。朝起きて、母親の姿を見ることが初めてだったので、リープは回らない頭で状況を整理する。

「母親っていいね」

「うるさいだけだよ」

「ノルマ増やすわよ」

 ヴァッフェはげんこつを食らっていた。

 祖父母しか知らないから、こういう活発な会話をしてこなかった。羨ましかった。両親はどこに行ってしまったのか。そもそも亡くなっているのか。祖父母に聞こうとしても、いつもはぐらかされた。唯一、祖父に聞いても返ってこなかった質問だ。

 アタゲの頼みというのは、刀の他に盾も撃ってきて欲しいとのことだった。武器屋だが、今後、防具の販売も進めていくらしい。商売の世界は厳しいなと、幼いながら痛感した。

「刀が三本に盾も三つか。持てるか?」

 堂々と人差し指を掲げ、

「どちらか一つなら!」

 結局、一つずつ持たされた。こんなに重いとは思っていなかったために、ヴァッフェの凄さを改めて知る。

「力つけるためにも、それくらいは持ってもらわないと」

「兵士の人らはこの格好に加えて、防具を身につけてるって考えると、とんでもないな」

「防具なんていらないよ。攻撃を受けてもいいって甘い考えがはたらいちゃうから」

 短い間だと思うけど、僕もそんな強い考えを持てるようになりたいな。

「いつもどう売ってるの?」

「毎度、買ってくれる人がいるんだ。日替わりでね。その人に会いに向かってる」

 街を抜け、森を抜け、洞窟に辿り着いた。途中、限界を迎えたリープの刀を一本、代わりに持った。リープは盾を頭の上に乗せて歩いた。

「かなり歩くんだね」

「週の中でも一番遠いんだ。でも、その分強くなれると思ってる」

「物も売れるし、一鳥ニ石だね」

 途中、刀を持ってもらったことを少し後悔した。表情に出ていたのか、ヴァッフェは無理は禁物だと、慰めてくれた。

「遠いところありがとな」

 洞窟内は暗く、顔まではよく見えないが、男性らしき人物が座っていた。無駄に耳が研ぎ澄まされ、反響するため、恐怖を感じる。

「いえいえ、いつも助かってます。今日は盾も持ってきたんですけど、どうでしょう」

「盾ぇ?いらない……けど、良い値で買わせてもらってるし、もらおうかな」

「ありがとうございます」

 リープも遅れて頭を下げる。

「その木刀は買えないんだよね?」

「はい、これは俺の宝なんで」

「そうかそうか、いや、いいんだ。はい、これお代ね」

 金貨を受け取ると、もう一度感謝し、洞窟を後にする。同じ道をもう一度歩いて帰ると考えると憂鬱で仕方ない。肩を落とすリープの隣でヴァッフェの表情は曇っていた。

「どうかした?」

 呼びかけに応じず、考え事でもしているのだと、再び声をかけることはしなかった。

 次に口を開いたのはヴァッフェだった。自分に言い聞かせるように、

「まぁ、大丈夫か、大丈夫だよな」

 と、呟くと、晴れ間を見せたヴァッフェがリープにこう言う。

「リープの知ってること教えてよ」

 重くて大変だったのもあるけど、退屈だった行きとは段違いに帰りは楽しかった。僕のことを考えてくれていたのだと、リープは嬉しかった。

 ヴァッフェが興味を抱きそうな、筋肉の仕組みについて話した。単に鍛えるだけでなく、意識すると効果が増すとか、体幹とか、インナーマッスルとか。話すのに夢中で、気づくと家に着いていた。一方、ヴァッフェはというと、頭から煙があがっていた。

 やってしまった。たまにすごい発見を見つけると、おばあちゃんに話していたのだが、一方的すぎて、脳内処理が追いついていないようだった。そして、煙をあげていた。おばあちゃんの場合は寝かせれば治るのだが、ヴァーの場合は違った。

「昨日より動きいい気がする」

「オーバーヒートすると限界越えられるのかもな」

 なぜか、プラスに働いていた。関わった人が少ないから、こういう発見も面白い。でも、今後は気をつけよう。

「じゃあ、稽古にしようか」

 この言葉を嫌いになるまでに、あまり日は要さなかった。

 稽古とは一体、何をするのかというと、まずはウォーミングアップ。一キロのランニング、腹筋、背筋、腕立て伏せ、スクワットを各百回。ヴァーはこれを十倍した数を毎日行っている。もう、わけがわからないよ。

 その後に木刀を持って、稽古に移行する。しかし、もう木刀が持てないほど体は疲弊している。そんな身体に鞭を打つように、

「刀は君を待っている!」

 なんて、熱血理論で励まされる。そんなこと本に載ってなかったし、そもそも僕は刀を待っていない。それでも、強くなるためだと、刀を握り、素振りを行う。

 数日間の疲労がピークを迎えたのか、木刀を振り下ろしたと同時に気絶してしまった。

 鶏が鳴いた。ということは定刻か。リープは気絶から復活した。

「今日は起きてるね」

「おはよう」

 挨拶とととに、腹の虫が雄叫びを上げた。寝室に顔を出したアタゲが朝食、というワードを発した途端に、脚はダイニングへ走り出していた。

 無我夢中で食べた。空腹であったからというのもそうだが、脳が、身体が栄養を待ち望んでいた。料理を体内に運ぶたび、身体中が喜んでいるのが伝わってきた。

「ごちそうさまでした!」

 満足したリープは、そのまま机に突っ伏して寝てしまった。

「今日は寝かせてあげよう」

「そうだね」

 ヴァッフェは落ち着いた朝食の後、刀を売りに出向いた。

 重い瞼を持ち上げると、薄暗い天井が視界を覆っていた。窓の方へ首を傾けると、木刀を振るヴァーが見えた。その姿を数秒見つめ、はっとする。

「寝坊した!」

 袖でよだれを吹くと、飛び起きた。ヴァッフェにバレないように裏庭に向かう。起きて間もない上に、筋肉痛がひどく、よろけた身体が刀の入った樽にぶつかる。盛大にぶちかましてしまった。

「ゆっくりしてていいのに」

 ヴァッフェは心配そうに寄ってきてくれた。

「そうなの?」

「とりあえず頭に被った樽取れば?」

 今日は大事をとって休ませてもらったことを聞いた。頼んだことなのに、先に身体にガタが来てしまったことを申し訳なく思う。

「そんな沈んだ顔すんな。そうだな、稽古の代わりに少し話を聞いてくれないか?」

 数日、生活を共にしてきたが、話を聞きたいということはあっても、自ら話したいと言ったことはなかった。だから、僕は驚いた。驚いて再び樽を被る。

「なんでだよ」

「槍が降ってくるだろ?」

 シャワーで汗を流し、夕食を済ませ、寝室で二人は向かい合った。

「話す相手も、機会もなかったんだけどさ、俺、将来なりたいものがあるんだ」

 リープは黙って聞いている。話し出すと止まらなくなりそうだから。見えない尻尾を静かに振る。僕にも将来の夢があるけど、今はお口バッテン。

「父ちゃんは俺に木刀として残ってくれたけど、俺は切れる刀になりたいんだ」

 開きかけた口を両手で押さえる。

「リープは何かなりたいものある?」

「あ!」

 解き放たれた鮫のように声が飛び出た。話せる喜びに、隠れた尻尾が騒がしく振られる。

「僕はおじいちゃんと同じで本になりたい。この数日間、なんで白紙なのか改めて考えたけど、きっと、知識はどれだけ身につけても足りないことを教えてくれているんだと思うことにした。だから、僕は、もっと勉強して、たくさん知って、一ページでも、一文字でも多く記された本になりたい!」

 夢を語らい合う二人の顔は火照っていた。

「俺はどうしたらもっと強くなれるかな」

「木刀じゃなくて、切れる刀振ったら?」

 そう言い、咄嗟に口を塞ぐ。言ってはいけないことのような気がした。簡単に手放せるわけない。僕がそうなのだから。すぐに謝ろうとしたが、返しはすぐにあった。

「実は怖くて切れる刀、日本刀を持てないんだ」

 間。

「血が苦手で、笑っちゃうだろ?こんなんで切れる刀になりたいだなんて」

「笑わないよ!じゃあ、血が出ない切れる刀とか探そうよ!」

「そんな刀、本に載ってたか?」

 油を刺さないと動かない機械のように、ゆっくりと首を縦に振った。

「だよね」

 間。

「実はさ……」

 ヴァッフェはリープを裏庭に連れ出す。夜も更け、三日月が照りつける中、鞘に入った日本刀を持ってきた。

「鞘に入ってたら大丈夫かなって、とりあえずね」

「いいじゃん!これで稽古しようよ」

「やって……みるか、明日」

「明日やろうはうましか野郎だよ!」

 二人は鞘に入った日本刀を構え、見合う。二人の間に一枚の葉が地面に降り立った瞬間、振りかかる。二つの鞘は交わることなく、空中で止められた。

「こんな遅くに何やってるの」

 ご立腹なアタゲが二つの盾で防いでいた。

「鞘に入ったままは返って危ないでしょ。それに……」

 ヴァッフェと向かい合う。

「それは人を傷つけるものでも、斬るものでもない。守るものって言わなかったっけ?」

 でも、と言い訳を放つ前に、アタゲは戻っていった。

「いつ、誰を、誰から守る時が来るんだよ」

 アタゲは木刀を優しく持ち、優しく撫でる。

「いつか、誰かを、誰かしらから守る時よ」

 この言葉はヴァッフェの鼓膜を揺らさなかった。

「ごめんね、僕があんなこと言ってしまったせいで」

 首を横に振るだけで、何も言わずに寝室に向かった。

 翌朝、二人は盾と刀を売りに家を出た。途中、そろそろ旅を再開するとヴァッフェに伝えると悲しそうだった。悲しんでくれた。僕に対して。嬉しかった。それだけで、この日の二人の間に会話は生まれなかった。昨日のことで、やや気まずくなっている。

 帰り際、街中がざわついていたが、不思議に感じるだけで、追求しようとは思わなかった。

 帰宅すると、いつもはないはずの人だかりができていた。ヴァッフェは大盛況だと思い、店の手伝いに向かった。

 リープは嫌な予感を抱いていた。

 ヴァッフェは人混みをかき分け、店番をしているはずのアタゲの元に着いた。が、アタゲの姿はなかった。

「君、ここの子だっけ?耳が痛むとは思うが、大事なことだから言うが」

 ヴァッフェは咄嗟に耳を塞いだ。事実として認めたくなかったわけでも、信じられなかったわけでもない。それ以上に、何か言われたら処理しきれなくなりそうだったから。

 一向に帰ってこないヴァッフェを探しに人混みをかき分け、店頭に着いたが、ヴァッフェの姿もアタゲの姿もなかった。家に入り、裏庭へ行くと、日本刀を研ぐ少年がいた。

「殺しに行くの?」

「なぜそうなる」

「倒すなら木刀でもいいから」

 研ぐ手が止まる。

「いいか、相手は大人だ。それも盗賊。生半可な気持ちで勝てる相手じゃない」

「振れるの?」

 その一言で研ぐ手を動かすのと同時に涙も溢れてくる。

「もう、親がいなくなるのは嫌なんだ。たとえ俺なんかの助けを望んでいなかろうと、一人になるよりはましだ」

 間。

「リープを危険に巻き込むことはしない。荷物をまとめて、旅を再開するといい」

 リープはわかっていた、伝わっていた。彼の背中が助けを求めていることに。

「わかった、じゃあ、これ使おうかな」

「何を使うって?」

 ヴァッフェが振り返ると、軽い、短めの木刀を二本両手に持ち、軽快に振るリープがいた。

「聞いてたか?俺は巻き込まないって」

「聞いてたよ。だから、僕は自ら巻き込まれていく」

「死んでも知らないからな」

「死なないよ。まだ知らないことだからね。でも、大人を倒す方法は知ってるよ」

「まともな本で知ったんだろうな?」

 表情は険しいままだったが、いつもの二人に戻った。善は急げ、ということで、軽く準備をして、アタゲ救出に向かう。

 結局、日本刀ではなく、木刀を背負うヴァッフェ。リープは腰に二本の木刀を携えて、本を読んでいる。

「早いに越したことはないけど、さすがに準備不足じゃないか?」

「相手の意表をつくには、落ち着かせないことが重要なんだ。それに、子ども二人って点も油断させるのに十分だ。ヴァッフェの強さを見込んでの作戦だ。ちなみにこれに書いてある」

「そ、それは……!?」

 リープは手に持っていたマンガを自信満々に見せてやった。立ち止まって、もう一度準備に戻るよう促すヴァッフェに耳を貸すことなく、二人は進んだ。

「アジトなんて、なんでリープが知ってんだ?」

「先週行ったからだよ」

「まさか」

 身構えるヴァッフェと、肩を落とすリープ。

「こっちがまさかだと思ったよ。いつも武器を誰に売っているのかと思ったら盗賊なんだもん」

 理解しきれず、呆然と立ち尽くす。

「まんまと騙されてたんだよ。ヴァッフェに後をつかせて、子どもと母親だけなら楽に襲えるから。これでお代なしで武器を調達することができる。防具も仕入れ始めたこのタイミングを待っていたんだろうな」

「合点がいくな」

「思ったより冷静だね。自分が母をさらったやつに砂糖を送っていたというのに」

「何も信じられないくらいに平静じゃないからさ」

 この日、初めて笑みをこぼした。

「でも、意表をつけて、油断させたからって、簡単に勝てないだろ?」

「なんか弱気になってない?」

 ヴァッフェの眉がピクリと動く。

「うぉぉおお!やってやるぞぉ!」

 最初は辛かったこの道も、稽古のおかげか楽に越えられるようになった。躍起に満ち溢れている中に、少しの不安を抱いていた。リープはヴァッフェのそんなところを心配していた。

 やがて二人は洞窟入り口に辿り着く。アタゲがここにいるという確固たる痕跡は何一つ見つからなかった。相当な手練れ集団であるとここでわかる。

「よし、行くか」

「リープは怖くないのか?」

「また弱気に……ヴァッフェがついてるから全くだよ」

「うぉぉおお!!」

 単純な人でよかった、と来る途中から思っていたが、この時はそれが裏目に出てしまう。

「あれ、君たち迷子?」

「よく見たら武器屋のガキじゃねぇか!」

 二人は潜入できていないまま、戻ってきた盗賊に見つかってしまう。完全に出オチだ。四肢と口を封じられ、完全に詰んでいた。リープの脳内をのぞいては。

(意表をつくとか、油断させるとか、それ以前の問題じゃん。本なんかの知識に頼ってるやつに任せるんじゃなかった)

 後悔するヴァッフェとは裏腹に、リープは動き出していた。

「こいつら入口にいたぜ」

「助けに来たみたいだぜ、もう詰んでるけどな」

 二人は内部まで連れられた。そこには十数名の盗賊と、縛られているアタゲの姿があった。

「殺さない気もないが、殺す気もない。牢屋に入れておけ」

 息子を助け出そうともがくも、繋がれたロープからは逃れられない。無力な自分を呪う。そして、悔やんだ。なんで助けに来たの。なんで大人に助けを求めなかったの。なんで私は捕まっちゃったの。助けて、ヴァッフェ。

 後ろを向くヴァッフェ親子と、前を向き続けるリープがいた。リープはたくさん本を読んできた。実践することはほとんどなかったが、数ある知識の中にロールの解き方があった。手の可動範囲で結び方を確認して、解き始める。ロープで引っ張られていたため、うまく動かせなかったが、牢に着く頃には、四肢は自由になっていた。

 急に軽くなったロープを不審に思った盗賊が振り返った時、リープの渾身の一撃が襲い掛かる。盗賊は白目をむいて倒れた。

「顎に当てると気絶するの本当だったんだ」

 リープの声にヴァッフェは目を開く。

「あ、起きた」

 目に入る光景を信じられなかったが、そんな自分の頬を殴る。リープを疑った自分と、後ろを向いてしまった自分に対して。

「本当に寝てたの?」

「昨日、寝付きが悪くてね」

「俺を忘れてねぇか、ガキが!」

 ヴァッフェのロープをほどいたリープの背後から、もう一人が襲ってくる。ヴァッフェがそいつに振りかぶると、リープは交わす。盗賊はサーベルを使ってきたが、対抗したヴァッフェの木刀が切れることはなかった。

「なんだその刀は?」

「お前が知る必要はないね」

 子どもとは思えない力で盗賊を跳ね飛ばす。

「母ちゃんの元に行こう」

 二人は改めてアタゲ救出に向かう。

「まだ子どもよ!あなたたちの脅威にはならないわ!」

「そんなことを聞くために口を開かせたんじゃない。いつ、どこから、どうやって武器を仕入れているのかを聞いているんだ」

「言わなくても、私が勝手にやるわよ」

「自害されると困るんだよね」

「息子を置いてそんなことするわけないじゃない」

 アタゲの身体にはいくつかの切り傷があり、額から流血している。盗賊の長である、スティーはアタゲを残して牢へ向かう。

「何しに行くの」

「あんたのことが正しいか、ガキの方が口割りやすいだろ」

「あの子は何も知らない!だから、乱暴はやめて!」

「俺が確認すれば済む話だ」

 スティーの背後から、飛びかかる少年二人の声が聞こえた。リープがスティーの脚をこけさせ、少し振り向いた顔を狙うヴァッフェ。連携の取れたいい攻撃だった。しかし、いい攻撃に過ぎなかった。スティーにダメージは全く入っていなかった。

「いい動きだ、うちに入らないか?」

「「おとこわりだ!」」

「判断を見誤るやつは嫌いだ、やはり殺しておこう」

「やめて!」

 母の叫びは少年らには届かなかった。この状況下、緊張による大量のアドレナリン分泌により、ゾーンに入っていた。二人はスティーを倒せると本気で思っていた。スティーは武器を持っていなかったから。

 周囲の盗賊は余裕の表情で、この戦闘の結果をわかっているようだった。それもそのはず、二人にとってスティーは強すぎた。武力、体力、知力、経験のどれもスティーには敵わなかった。

「なんて言うんだっけそれ、成り代わり?持ってても、使用者が未熟だと見合った力を発揮しないみたいだな」

 リープの木刀はもちろん、父の成り代わり、且つ、ヴァッフェが握っても、スティーには効かなかった。それどころか、力が盗られていくようだった。

「何か……策はないか」

「頭が…はたらかないんだ」

 膝に手をつくも、視線だけはスティーを捉えていた。

「やる気だけじゃ大切な人は守れない。善戦したことは褒めてやろう。もう一度聞くが、仲間になる気は?」

 答えることなく、リープとヴァッフェは前に倒れた。スティーは二人の頭に手を伸ばす。

「もうやめて!」

「そこまでだ!」

 母の叫びと同時に、武器を構えた軍隊が入ってきた。

「おっと、さすがに場所割れちゃったか」

 軍隊に捕まっている盗賊を見て、両手を上げるスティー。

「そのまま大人しくしていろ。動く…な…よ?」

 スティーの身体は突然、脱皮したように皮だけになってしまった。まるで魂が住処としていたかのように。

「逃したか……おい、急いで治療を行え」

 軍隊は母親と少年二人を抱え、洞窟を後にした。

 こんなに危険な目に遭って、体も痛むのに、朝は誰にでもやってくる。

「あ、起きた」

「おはよう」

 隣のベッドにはヴァッフェが横になっていた。

「身体の具合は?」

「まだ痛むよ、ヴァッフェは?」

「そこまでかな、鍛錬のおかげか、父ちゃんのおかげか」

 僕はまだまだ足りてないのかもな。頭脳も、緊急時に働かないんじゃ意味がない。インプットだけじゃなく、アウトプットも同時に会得しなくちゃ。

「朝ごはんできてるよ」

 頭に包帯を巻いたアタゲが、それだけ言って寝室から出ていった。

「僕はまだ休んでるから食べてきな」

 ヴァッフェは頷いて、朝食を食べにいった。それから色々考えた。気絶するまでの記憶はある。あの状況をどうやって、誰が打破したのか。どうして自分たちは無事だったのか。ヴァッフェでもアタゲでもないはずだが。

「リープ、話くらいはできるよな」

 ヴァッフェは軍隊長のゲイブを連れてきた。

「こんな時にすまない。少し話を聞かせてくれないか?」

 ゲイブは政府直属の精鋭部隊の隊長で、僕らが会った盗賊を追っているらしい。民間にまで手を出していることから、捜索が始まったとのことだ。僕は事の全てを話した。ヴァッフェが武器を売っていたことは口にしなかった。

「ありがとう、細かく話してくれて。身体、安静にな」

 ゲイブは一礼して、帰っていった。入れ替わりでアタゲが入ってきた。怒っているようで、悲しいようで、色んな感情が入り混じった表情をしていた。そして、優しく、僕とヴァッフェを抱きかかえた。

「無事でよかった。死なないでよかった」

 泣いていた。涙が首筋を伝って、布地が吸い上げる。

「助けてくれて、ありがとう」

 その言葉にヴァッフェも涙を流した。僕は生まれて初めて母の愛を受け取った。冷え切った僕の心には少し熱かった。

「リープのおばあちゃんに連絡しないと」

「大丈夫ですよ。こうして生きているんだし」

「でも……」

「リープがこう言うなら大丈夫だよ、頭いいもん」

 身体が万全になるまで休み、結局、計三週間ほどお世話になった。ヴァッフェとの出会いがもはや懐かしい。そうか、これが惜しむという感情か。

「ありがとうございました。とってもお世話になったし、ちょっぴり強くなった気がします」

「気だけかよ」

「それでも十分よ。あ、そうそう、これこれ」

 アタゲはリープの手に合うように作られた、新品の両手木刀を渡した。

「危ない目に遭うかもしれないから、持って行きなさい」

 愛をもらった上に、品までもらってしまうなんて、頭を下げるだけじゃ足りない気がした。それでも、深々と頭を下げた。

 ヴァッフェとアタゲに別れを告げ、一歩を踏み出した時、この先どうするか決めていなかったことに気づいた。そして、再び路頭に迷ってしまう。

 とりあえず地図を見て、行ったことがない方へ歩き出す。すると、一枚の写真が落ちていた。表には女性が写っており、裏には軍隊のマークが押されていた。思い返すと、ゲイブが被る帽子にもこのマークがあった。落とし物だとわかると、届けるために政府のある、国の中央へと向かう。

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