霧へ
危険区域の森の中は注意区域と違って道は全く整備されていなかった。そもそも特別危険区域という普段誰も立ち入りを認められていない場所に向かっての道など整備したところで誰も使わない。
だが、周りには巨大な木がいくつも立派にその幹と枝を伸ばし葉をつけていた。その木が周りの木や植物の分まで日の光を独占していたため、等間隔にその巨大な木が姿を現した。そのおかげで木の密集による馬の進行の妨げにはならないほどのスペースがあり使役魔獣を走らせることができた。
この部隊の目的はハルを特別危険区域の濃霧まで送り、彼が濃霧の中に入るのを見届けたあと、無事に戻って来るのが任務であった。
最初は翼竜で特別危険区域の濃霧の前まで送るという作戦だったが、濃霧付近の空では何が起こるか分からなかった。それは地上でも同じことが言えるが、特に霧の森の濃霧周辺の空では過去にいくつも飛行魔法などで飛んでいるところに雷魔法が飛んできて撃墜されていると記録があった。そのため今ハル達の上の空で翼竜に乗って飛んでいるバハム竜騎士団も途中で離脱することになっていた。
ハル達の少数精鋭部隊が濃霧に向けて風を切って森を駆け抜けて行く途中、ハルの隣にいたフォルテが口を開いた。
「ハル、俺の波に魔獣らしきものが引っかかったぞ、どうする?」
フォルテの天性魔法には周囲の状況を把握するのにたけた種類の魔法が使えた。
天性魔法はその人固有の魔法であり、体質と似たようなものでもあった。そして、そんな天性魔法の応用は他の魔法より幅広かった。
「詰めてきそうか?」
「いや、遠くで並走してるようだな…」
「どっちからくる?」
「あっちの方からだな」
フォルテが西の方に指を差した。ハルは目視ではその魔獣の姿を確認できなかった。
「数は分かるか?」
「すまない、ハル、俺のいま使ってる探知の天性魔法はまだ覚えたてで不完全なんだ、数はなんとも言えない」
「そうか、分かった、近づいてくるようだったら俺が出る、ずっと並走してくるようなら魔法が使えるところに入り次第こちらから仕掛ける!」
「了解だ!」
ハルの後ろではライキルとエウスが二人並んで使役魔獣を走らせていた。
「ライキル、エウス!もしかしたら弐枚刃を使うかもしれない、準備しておいてくれ!」
「了解!」
二人が息を合わせて返事をした。
ライキルの使役魔獣にはハルの弐枚刃と呼ばれる二本の大太刀のうちの一本『首落とし』がつるされていた。そしてもう一本はエウスの使役魔獣に『皮剝ぎ』という刀がつるされていた。
首落としと皮剝ぎは二つを合わせて弐枚刃と呼ばれていた。
「みんな聞いてくれ!」
フォルテがライキルとエウスの後ろにいるエルガー騎士団の精鋭騎士たちのもとまで下がって来た。
「今、魔獣が詰めてきたらハルが相手してくれる、ただ、魔法が使えるようになったら、俺たちから出るぞ!いいな!」
「ハッ!」
フォルテが叫ぶと精鋭騎士たちが短く力強い返事をした。
そして、フォルテが使役魔獣を加速させて、ハルの隣まで戻ってきた。
「フォルテどうだ魔獣の様子は?」
「まだ、様子を伺って遠くで並走してるな」
「そうか、引き続き頼むぞ」
「ああ、任せておけ」
ハルたちは遠くに魔獣がいるという危険分子を抱えたまま霧の森の中央を目指す。
「うむ、そろそろ、我々は離脱の時間だな…」
ヨルムが茶色の翼竜の上で呟いた。
今、この少数精鋭部隊には大型の赤い翼竜は連れてきていなかった。赤い翼竜はナターシャと一緒に監視塔の守りにつかせていたからだった。
空の上を翼竜で飛んでいる竜騎士たちの仕事は遠くに見える濃霧の位置とハル達の進行方向が合っているかの確認と神獣の発見が主な仕事だった。
霧の森の中央に行くほど木が大きくなり、木と木の間隔がさらに開き、森の中でも低空で自由に飛行できる空間が広がった。そのため進めば進むほど空と地上の情報交換はスムーズになっていった。
「下にいる部隊に伝えてくれ、我々はそろそろ離脱しなければならないと」
ヨルムが部下の一人にそう言うと短く返事をした竜騎士が一人森に降下して行った。
ハル達がしばらく魔獣を注意しつつ走っていると空から一匹の翼竜が降りてきた。
「どうした?」
ハルがその翼竜に乗っていた竜騎士に尋ねた。
「あと少しで我々は離脱します」
「そうか、もうそこまで来たか…」
ハルの声の調子は少し落ちていた。
「分かった、空はもう離脱してくれて構わない…」
ハルが竜騎士と話していると。
「ハル!詰めてきたぞ!」
フォルテが西の方を向きながら叫んだ。そのフォルテの叫びで部隊に一気に緊張が走った。
「君、ありがとう、これから戦闘に入るから君は離脱してくれ」
「我々に手伝えることはありますか?」
「いや、大丈夫だ、さあ、行ってくれ」
ハルは竜騎士を空に帰すとすぐにフォルテの方を向いた。
「フォルテたちはこのまま使役魔獣の速度を維持させてくれ」
「了解した」
ハルが少し使役魔獣の速度を落としてライキルとエウスの間に入った。
「ハル、気をつけてください」
「頼んだぜ、ハル剣聖」
ライキルとエウスが、ハルにそう言うと、二人は使役魔獣の脇にそれぞれつるされている大太刀を持ち上げる。
ハルは『首落とし』と『皮剥ぎ』二つの刀の柄を握る。
そのままハルだけ馬を加速させて二つの刀を鞘から抜き取った。
ハルはそのように使役魔獣に乗ったまま刀を抜いたので、二つの刀は逆手持ちで持たれていた。
ハルは再び使役魔獣を加速させると部隊の一番先頭に出て、そのまま部隊の右に使役魔獣を移動させた。
そこで部隊の先頭がフォルテに切り替わるとハルが言った。
「魔獣が来たら彼を頼む」
ハルが使役魔獣のことを言った。
「任せろ」
フォルテも理解して頷いた。
ハルが弐枚刃を両手で逆手で持ちながら魔獣が来るのを待つと、遠くから魔獣の群れが駆けてくるのが目視で確認できた。
体の高さが五メートルは超える魔獣たちが二十頭以上はいた。
その姿はパースの街で襲ってきた魔獣白虎だった。白い毛並みに縦じまの黒い線が入っており鋭い牙に爪を持ち合わせていた。
「きたか…」
ハルが小さく呟いた。
その魔獣たちが使役魔獣で駆けるハルたちの部隊にどんどん近づいてきた。しかし、さすがは精鋭ぞろいであり誰も取り乱さず指示に忠実に従って、使役魔獣のスピードを全員維持していた。
フォルテも魔獣たちの方を見ていたが、前方の道を確認するためにふと前を向いた。
「ハルもう行くか?」
フォルテがハルの方を向くとそこには誰も乗っていない使役魔獣の姿があった。
グオオオオオ!
その時、白虎たちの咆哮がフォルテの耳に飛び込んできた。
「!?」
フォルテが白虎たちの方を見ると、そこにはハルが二本の大太刀で白虎の首を落として回る姿があった。
ハルの脚力はもはや人間のものではなく、その速さはこの場にいた使役魔獣や白虎たちの足の速さを遥かに超えていた。
その速さでハルはその場にいた白虎たちの首に次々刃をかけていく。
魔獣たちも必死にハルを爪や牙を使って殺しにかかるが触れることさえできなかった。
数頭の白虎がハルとの戦闘から離れて精鋭部隊に襲いかかろうとすると、ハルがすぐさまそれに気づき駆け出し、二つの刀でその白虎の首を即座に落とした。
その返り血が雨のように精鋭部隊に降り注いだ。
「………」
周りのエルガー騎士団はその凄まじいハルの殺意に震えがってしまった。それでも乱れない隊列は彼らが騎士として優秀なことがうかがえた。
二十頭以上いた白虎たちはいつの間にか二頭になっており、ハルはその二頭に弐枚刃で同時にとどめを刺すと、部隊の元に戻って来た。
ハルは走っている使役魔獣にまたがると部隊から少し離れた場所に使役魔獣を移動させて両方の手首を一瞬ひねった。すると刀についていた返り血が一瞬で吹き飛んだ。
「さすがだな、ハル、もう周囲には反応はないな」
フォルテが戻ってきたハルに言った。
「そうか」
ハルが周囲を見渡す。
「お疲れ様です、ハル」
「おつかれ、ハル」
ライキルとエウスも労いの言葉をかけた。
後ろのエルガー騎士団は驚きすぎて静かになっていた。
「ありがとう」
ハルはエウスとライキルの間に使役魔獣を滑り込ませ二枚刃を縦に回して逆手に持ち鞘に戻した。
「みんな、もう魔法は使える?」
「ああ、今さっき使えるようになったぞ」
フォルテが言った。
「それじゃあ、もう濃霧は近いはずだ、フォルテ警戒を強めてくれ」
「了解だ」
ハル達が使役魔獣で森を進んで行くと段々と霧が濃くなっていった。日の光が霧に遮られて徐々に弱まっていき、辺りが薄暗くなって不気味な雰囲気が漂ってきた。
巨大な木々が何度も後ろに過ぎ去っていくなか。
「おい、あれじゃないか?」
ついに霧の森の濃霧がその姿を現した。
近くで見るとその濃霧は不気味にうごめく巨大な白い壁のようだった。それが森の左右にどこまでも続いて見えるほど、まじかで見るとその霧の大きさが分かった。
ハルが使役魔獣から降りて、後ろのハルのバックを運んできてくれたエルガー騎士団の精鋭騎士に礼を言ってそれを受け取った。
その時のハルはいつもの優しい表情をしていたため、エルガー騎士団の精鋭騎士たちもホッとした様子だった。
「もう行くんですね?」
ライキルがすぐにバックを取りに行ったハルに言った。
「うん、もう行くよ、時間だからね」
ハルが懐中時計を見ながら言った。
ライキルとエウスが使役魔獣から降りてそれぞれ刀を持ってハルに駆け寄った。
ハルは使役魔獣に乗ったフォルテの隣に立った。
「みんなを頼むぞ、フォルテ」
「当然だ、ハルの様に鮮やかにとはいかなくても俺も剣聖だからな」
ハルが拳を突き出すとフォルテがそれに自分の拳を合わせた。
フォルテと拳をぶつけ合ったハルはゆっくり前に歩き出して、うごめく白い霧の壁を見上げた。
後ろにライキルとエウスがそれぞれ刀を持ってハルの後ろに来た。
ハルが後ろを振り向いて二人の顔を見る。
エウスはハルを信じていると言った信頼した顔つきをしていた。ライキルは泣きそうになるのをこらえていた。
「ありがとう、エウス、ライキル」
ハルが二人から刀を受け取ると礼を言った。
「ハル、ライキルを抱きしめてやってくれ、泣きそうだぞ、こいつ」
「泣きません、それに帰ってきたらたくさん抱きしめてもらうからいいです」
「あ、ハル俺は抱きしめなくていいからな」
エウスとライキルのいつも通りのやり取りにハルは笑った。
ハルはバックを下ろして、鞘に入った二つの刀を地面に突き刺すと二人に近づいた。
そして二人を同時に抱きしめた。
「………」
「………」
エウスとライキルは一瞬何も言えなくなって固まっていたが、二人はハルのことを優しく抱きしめ返した。
「またな、エウス、ライキル」
ハルがそう言うと二人の体からゆっくり離れた。
二人の体にはハルの暖かさがほんの少し残っていた。
「ああ…」
「はい…」
エウスとライキルは、離れていったハルに小さく言った。
そのまま、ハルはバックと二本の刀を持って濃霧に歩きだした。
エウスとライキルはそのハルの後ろ姿をただ静かに見つめていた。
そして、ハルが濃霧の中に消えると、神獣討伐の幕が上がった。




