神獣討伐 理外
レゾフロン大陸に広がる絶望の空模様。
夜空でずっと輝いてはずの無数の星が、その場に留まることを止めて、この地上に流れ落ちて来るかのように。
宙から降る無数の隕石が、真っ暗だった夜空を白く染め上げ続ける。大陸中は日が暮れたにも関わらず、外は常に昼間のように明るかった。
レゾフロン大陸に住む人たちは、そんな明るい夜空を見上げては何が起こっているのか、理解しようにも、その圧巻の光景に、ただ、口を開いて見上げている事しかできなかった。
レゾフロン大陸の人々は今まさに夜空で起こる奇跡を目の当たりにしていた。
隕石はレゾフロン大陸だけに降り注いでいた。その数はまさに空を見上げれば隕石で埋め尽くされるほど数えることすら馬鹿馬鹿しいほどのものだった。そして、そのひとつひとつが、当然のように街ひとつ、いや、国、それどころか、この大陸、それ以上にこの星自体を死の星にしてしまうほどの、威力をもった救いの無い隕石だった。そんな隕石が夜空一面に広がっているのだから、人々は、今日ここで、自分の人生を諦めるしかなかった。
明日死ぬと分かっていたなら、一体、自分は今日何をしていただろうか?死とはこんなにも簡単に、訪れるものだとどうして昨日の自分は考えなかったんだろうか?と、誰もが憤りと後悔と、そして、もう、どうすることもできない虚無に包まれ、空を見上げていたことだろう。
今宵、最後の夜はそれほどまでに、人々の心の奥まで絶望に叩き落す光景だった。それは恐れよりも、諦観を生み出し、誰もが自分だけ助かろうなどとは、考えるだけ無駄だと思考を停止させていた。
とある年老いた天文学者はその空を見上げて言った。
「これは星の嘆きじゃ」と。
「この星は終ぞ我々人類を受け入れなかった…」と。
星の嘆きはやがて、落涙となり、星は夜空の輝きを地上に放った。
人類の命運はここで尽きる。
誰しもがそう思った。
だが、そんな星の嘆きなどと諦観を口にする空を観察する者の言葉を覆すかのように、空は次の変化を見せた。
天文学者が見上げていた昼間のような夜空だったものが一瞬にして夜を取り戻す。
「なんじゃ…、何が、何が起こっておる……」
宙は静けさを取り戻すと、そこには無数の流れ星が、夜空を彩っていた。それは、この地を脅かす白光を纏った夜を切り裂く隕石ではなく、夜空に一瞬煌めく光線となって、それが雨のように夜空を流れていた。
「おお、なんと………」
その光景は、絶望から一変し、希望に満ちた奇跡の夜空となった。この変化がいったいどれほどこの大陸中の人々に希望を与えることになったかは、分からない。それでも、紛れもなく、人類は救われたと確信を得るほどには、今宵の空は流れる星に満ち美しかった。
「あ、ありえん、これはいったい、何が、何が起こっているんだ」
天文学者は、この日のことを少しだって忘れないように、天体望遠鏡を覗き込みながら、メモを取る手を止めることはなかった。
*** *** ***
ハルがやったことは極めて単純だった。それは隕石が落ちる前に、隕石を破壊する。ただ、それだけだった。
レゾフロン大陸という広大な大陸に、落ちてくる隕石群をすべて、落下する前に破壊するには、当たり前だが、圧倒的に時間が足りなかった。
隕石を破壊する程度なら、ハルになら容易いものだった。それはすでにイゼキアの王都であった巨岩の落下事件でそれは証明されていた。しかし、今度のものは明らかに隕石であり、スピードも降って来る範囲も、桁違いの規模であった。さらに、隕石はすでに大陸中の空に満遍なく満ちており、すべての隕石を同時に破壊することはまず間違いなく不可能だった。
これがフェーズ魔法の最終段階だとしたら、第一フェーズの水害などがあまりにも、子供の遊びであり、第二フェーズと思われる塔の存在も結局何だったのか、分からなくなるほど、この隕石群の落下は致命的だった。
それはもはや滅亡という要素を含んでいるのなら魔法としては欠陥であり、これほど無意味なことがあってたまるかと、憤りすらハルは覚えていた。
『止めるしかない』
ハルが止めるのは時間だった。
ハルが内側に意識を向けるだけで、世界はハルの呼吸に合わせるかのように、次第にゆっくりとなり、やがて静止した。
時間を止めるというよりかは、どちらかというと、止まっている世界にハルが侵入していくという方が正しかった。そして、その時間が止まった世界で、ハルは少し前の過去と少し先の未来を自由に行き来することができた。この時間軸での移動が本来の使い方だったが、ハルは、この時間が止まるという副次的な効果を思う存分に活用し、隕石の破壊へと動いていた。
そして、この時間軸の移動があることで、万が一、大陸のどこかで隕石が落下し間に合わなかったとしても、少し過去の時間に戻り、それを阻止するという手段をとった。だから、こそハルは何度でも、その普通じゃ考えられない現実へ干渉する力を使い続けた。
時間止めながら、空から降る無数の隕石を破壊する。失敗したら過去に戻りやり直す。これを徹底した結果、ハルは現実世界で一秒と掛からない時間で、すべての隕石を脅威がなくなるまで破壊することに成功する。
ハルが最後の隕石を砕き終わった時、夜空には無数の流れ星が降り注いでいた。
「なんとか、なった……」
ハルが満足気にやり切った顔で空から落ちていると、その時、自分の手の甲から何か薄い光のようなものが出ていることに気付いた。
「なんだ…」
何かと思い、そこで、そっと手の甲に触れると、手の甲の皮がボロボロと崩れ、その中から真っ白い光輝く新たな皮膚があった。その皮膚の裏側にある眩く輝くものは、自分のものではなかった。
「やっぱり、こうなるのか…」
この白い光には見覚えがあった。
それは【白き者】としての自分だった。
ハルが止まった世界で活動するたびに、おそらくは、この白い部分が広がって行くのだろう。そして、それは、まず間違いなく、自分が自分ではなくなることを意味していた。
意識して白き者に変わることはできる。だが、ハル自身でその力を制御はできない。莫大な力だ。ハルですら扱い切れない力だった。この世を終わらせることができるハルが、持て余す力。それが蝕むは、【魂】そのものだった。
そして、この内側からの変化は間違いなく、後戻りはできないたぐいのものだった。なぜなら、白い部分に触れると、そこだけまるで自分の一部ではないかのように感覚がなかったからだ。
白き者は、ハルではないことだけは確かだった。
「やっぱり、あんまり、使っちゃいけない力だったか…」
人の理から外れた力。ハルはそのことをちゃんと承知していた。だからこそ、今まで使うことを控えていた。使うと自分が自分じゃなくなる気がしてずっとどんな場面でも控えていた。
だが、どうやら、この時間を止めて過去と未来を行き来する力もまた、白き者の力の一部だったとしたら、ハルは今、こうして、ようやく、自身の身体に実害が生じ始めていたことを認識していた。
それでも。
「まあ、良かった、みんなを救えて」
流星が降り注ぐ空の中、この大陸を救えたと思うと、一安心することができた。
そして、ハルは自分の天性魔法で、薄い闇をその白く輝く部分に塗ると、その白い光を隠した。
「帰るか…」
ハルは自身の下に闇の足場を創り、ライキルたちが待つ、イゼキアの王都シーウェーブへ戻るため、飛び立った。
星空が降る中、ハルは空を泳ぐ。
そして、最初に思うことは妻たちのことだった。
「そうだ、アシュカのところにも顔をださないと」
隕石の破壊中だったハルは、彼女の元に寄る余裕が無かった。それでも、エルフの森の近くで、彼女の紅い物体が物凄い速さで侵食しては、水壁を紅く染め上げているのは大陸中を飛び回っていたので確認することができていた。
おそらく、大陸中に聳え立つ水壁の方の問題は彼女によって解決されたのだろうと思った。
ただ、その確認を取るためにも、ハルはライキルたちの安否確認も含めて一度イゼキアに戻ろうとしていた。そこでドミナスの兵士のひとりでもいれば状況は聞き出すことはできた。
ハルはすぐに戻りたかったが、時間を止めることなく、現実の時間帯だけでの移動で、街へ戻った。
『早く、皆に、逢いたいな…』
ひとりひとりの妻たちの顔を思い浮かべながら、ハルは夜の空を飛んだ。
だが、ハルはこの時点ではまだ気が付かなかった。
これは始まりでしかないことを。
天が一瞬、白く光った。
「ん?」
ハルの視界が真っ白になる。
「え………」
振り向くと、そこには巨大隕石が大陸を貫いていた。
「………」
見るに堪えないどうしようもない絶望的な光景が広がる。
「あぁ…」
一瞬。それはまさに一瞬の出来事だった。空を埋め尽くしていた隕石はすべて破壊した。それをすべて未来でも確認してハルも時間を止めた世界から戻って来ていた。万全の状態で到達したこの現実。だが、この不意の一撃は未来でも観測すらできなかった。
「なんで…」
大陸が隕石衝突後の衝撃で、大地ごと灼熱に焼かれてめくれ上がり、そして、今もなお続く爆炎と衝撃は大陸全土に広がろうとしていた。
ハルは当然、時を止めた。
破壊が止む。
しかし、ここから何をどうしようがはハルの力でも被害を抑え込むのは無謀に思えた。
『どうする…考えろ……いや、ここはもう一度過去に戻ってこれをなかったことにするしかない……だけど、未来でも観測できなかった隕石がなんで…落ちて来た…どうやって……』
しかし、そうこうしている内に、制限時間が来てしまい、現実の時間が進み始めた。
すると、次の瞬間ハルの目に映ったのは、新たな絶望だった。
さきほどのハルですら目で追えない速さの隕石が複数。レゾフロン大陸の各地を貫いていた。
大陸全土が僅か数秒で跡形もなく消し飛ぶ。
ハルは、そんな絶望的な光景を見つめたまま、とっさに時間を止め、そして、過去へと時間を巻き戻していた。