神獣討伐 さあ、幕引きへ
思い出した過去の記憶。今ここに来て思い出すということは、きっと、それが何よりも大切だということなのだろう。レキにとって、やはり、始まりが一番肝心だった。ファーストとの出会いが彼の全てを変えた。
「弱いな」
闇人から生み出された化身。そう呼ばれた六人の中のひとりが、ぽつりとつぶやく。
レキはすでに六人の化身のひとりにも傷を与えられないまま、時が止まった海面の上に倒れていた。
「呆れるほど弱い、どうしてそこまで弱いんだぁ?お前は、我が主と同等の存在のはずだろ?」
面を付けた双剣持ちの化身の問いに、レキはすでに虫の息で答える。
「悲しいことに、僕自身、それほど強くなくてね…君たちのような僕と同類相手だとこのざまだ……」
全身血だらけで、すでに指一つだって動かせない惨めな姿を晒していた。見あげる先には六人の化身たちが退屈そうにレキのことを、見下ろしていた。
そこで化身の中でも長髪でリーダー的な存在の男がレキに言った。
「あなたは結局、何がしたかったのですか?まさか、我が主を止めようと?そうだとしたらその程度ではあまりにも無謀でしたよ?」
「………」
レキは黙っていた。
「先の見えている穴に落ちることを愚か者というんです。それはあなたも知っていたのでは?」
レキは血だらけの身体で、立ち上がろうとするが、思う様に力が入らなかった。それでも、最後の力を振り絞ってその場に誰の助力なしに立ち上がった。
「今、僕はひとりでここに立った」
六人の化身たちは、レキの言葉が何を意味しているか分からなかった。
「何をおっしゃっているのですか?」
「これは凄いことだ、僕にとっては大きすぎる進歩だ」
「はぁ…?」
化身たちは呆れてレキを見ていた。
しかし、レキは息を切らし、今にも途絶えそうな命を燃やしてそこにいた。
「分からないか?僕は、また、立ち上がった。これが何を意味するか?」
「さあ?また、這いつくばりたいなら、そうさせてあげます」
その化身が、レキに向かって灰色のエネルギーを放出した。レキはその灰色のエネルギーに身を焦がすと、今度こそ、立ち上がれないほど、全身に見るに堪えない火傷を負って倒れ…。
ない。
倒れなかった。
レキは直前で今出せる最大出力の防御魔法である〈守護〉で、その身を守っていた。それでも、〈守護〉の強度は弱く、灰色のエネルギーの集合体にところどころ焼き尽くされ、レキの身体も焼き尽くされたところに沿って火傷を負っていた。
「今度は……倒れなかった…………これが、何を意味するか……分かるか………」
そこで先ほどまで話していた。面を被った化身が、前に出て来て言った。
「俺たちに屈しなかったとでも言いたいのかぁ?じゃあ、今、楽にしてやるから、さっさと天国にでも地獄にでもいっちまえよ!!」
面の男が背中の双剣を抜き、レキに斬りかかる。双剣はクロス状に構えられ、レキの首めがけて切り開くように振るわれた。
「おら!!!」
しかし、そこでレキはとっさに自らの両腕をクロスさせて、双剣から首を守った。腕は斬り刻まれ深手を負い、もはや、ほとんど肉が残らないほど肉が削げ骨が見えていた。
「どう…だ、これで……わかった……だろ……お前たちは……僕には…勝てない」
「死にぞこないが、言うことはそれだけか?」
仮面の男はすでにボロボロになったレキの前で、剣を構えていた。処刑に使われる剣の刃がギラリと鈍く煌めく。
レキは思った。
『死にたくない』と。
死ぬことは、終わりを意味した。
そして、レキはそんな死をとても恐れていた。
レキは教えてもらった。
死ぬことは、当たり前ではないということを。死ぬことはやり直しではないということを。
人は生れてから死ぬまでに、この世に生きた証を残していく。たとえ、それが誰にも知られなくても、誰にも見つけられなくても、この世界に、この世の記憶に残り続ける。その世界の記憶の痕跡、つまりは確かにこの世界に存在していたという証は、形があろうが、無かろうが、彼がいた彼女がいたという存在証明に繋がり、それは後世へと続く。
それは描かれていないページの先の物語だったり、それは彼、彼女の子孫だったり、それは誰かが身につけている装飾品だったり、彼等が生きていた証は死んだ後も確かにそこにあった。
『死ねない、死んではいけない、僕が、記憶しておくんだ。そして、僕がこの世界を守る』
レキには死ねない理由があった。死んではいけない理由があった。去ってしまった仲間たちが守りたかったこの世界を、このレゾフロン大陸を、誰かの企みの為だけに、滅ぼされるわけにはいかなかった。
だから、レキはそういった者たちを代表して、今、ここに立っていた。
『いろんな人の想いを見届けたんだ。そんな僕が、ここで最後まで立っている理由にはなるだろ…僕が、ここで頑張る理由にはなるだろ!!』
「それ…だけ……だ……」
「そうか、なら死ね」
仮面の男が振るった剣。無抵抗のレキの首を捉える。
だが、その時、奇跡は起こった。
黄金に輝く少女が、レキの前に浮いて、振りかざされた剣を魔法の障壁で押さえつけていた。
「君は…」
それだけではなかった。
レキの隣から、現れたのは、双翼を持つ紅い輝きを身に纏った少女だった。
さらに、上からは青い輝きを纏った星のような青年。
三人がレキのもとに現れる。
「君たちは………」
そして、背後から現れる。真っ白に輝くエルフの姿。それは、かつての友の姿でもあった。
「あぁ………みんな、来てくれたのか………」
レキはそこで目を閉じかけた。
戦闘はすぐに始まった。
レキの前に現れた三人がすぐに、その六人の闇の化身たちを圧倒していく。
その様子をレキは、隣にいた彼と共に見ていた。
「ありがとう…助けに来てくれて………」
白い輝きの彼は何も語らず、ただ、レキの傍に立っていた。
「君との約束、僕はまだ忘れていないよ…ファースト………」
そういうと、白い輝きの彼は小さく頷いた。
「君と別れてからも、いろんな人に逢ったんだ。彼等もそのうちの人たちだ…」
レキが戦っている三人を指して言った。すでに戦場のほうはめちゃくちゃだった。三人の暴れっぷりは、まさに神の化身すら、圧倒するほどの勢いがあった。
「みんな、個性的で面白いんだ…」
白い輝きの彼も表情は白い光で見えなかったが、笑っているような気がしていた。
「まだ、いるんだだけど、その中にハルって子がいたんだ。彼は僕が出会ってきた中で、たぶん、一番、君の予想を超えていると思うんだ……」
白い輝きの彼は静かに聞いていた。
「彼はこの世界を救う存在なんだ。君の好きな救世主ってやつだ。いたんだ。だけど、今まで秘密にしていた。君の物語には関係なかったからね…悲しいかい?君が中心にいないことが」
白い輝きは静かに首を横に振り否定した。
「そうか、だろうね。君の、いいや、君たちの物語はすでに、終わったんだからね…」
レキが目を閉じる前、最後の化身が呆気なく、青い輝きによって消滅すると、止まっていた時間が前に進み始め、現実世界にレキは戻って来ていた。
海面に落ちたレキは気を失うように、海の底に落ちていく。
『ダメだ…まだ、死ねない、僕にはまだやり残したことがある……』
レキが必死に魔法を発動すると、海面に上がり、そして、巨大な亀の周りを覆っていた結界まで海面を歩いていった。
結界の側面までたどり着くと、レキは、そっと手で結界の表面に触れた。
「破るか?だが、結果は何も変わらないぞ?」
気が付けば闇人がすぐ傍に立っていた。辛うじて彼の瞳がある位置からその輪郭だけを暗いかなでもぼんやりと見て取ることができた。
だが、ぼろぼろのレキはそんな彼を一瞥するとすぐに、何重にも掛けられた概念魔法の結界の解除に取り掛かっていた。
「お前はすでに負けているのだ。そもそも、今回、私はお前と同じ土俵にすら立っていない。この意味が分かるか?」
レキは内心『知るか』と思いながら、ハルが世界亀を止められるように、分厚い何重にも重ね掛けされていた概念魔法が組み込まれた結界を解こうとする。
「お前はただ、あいつを再び俺のところに導けばいい、分かるか?レキよ、いいか、レキよ。聞けよ。未来だ。未来を見ろ。私のここでの計画が済めば、じきに奴らの使いが来る。大陸は再び危機にさらされる。その時は、お前がハルを導けいいな?」
闇人が何を言っているかなどどうでもよかった。ただ、今ここで全力で結界を解除するだけだった。
そして、レキが戦闘よりも長年時間をかけて来た魔法知識と経験。そして、元から備わっている圧倒的な魔法への理解力で、概念魔法というこの世の理をも捻じ曲げる強力な魔法が込められた結界を突破することができた。それはレキがある意味でこの分野に関して特別だからできたことでもあった。
「これは始まりに過ぎない、あいつの最後はここではない、それをしかと心得ておけ」
「だ…まれ…」
レキが結界を破壊し、海面に倒れ込む。海面を歩くための力もなくなりその体が今度こそ海の底に沈み始める。
真っ暗な海面に浮かぶ闇人の姿は、すでに闇に紛れて見えなくなっていた。
「それと安心しろ、お前の最後でもここではない。まあ、お前自身もすでに分かっているとは思うが」
レキは海に落ちていきながらも、その闇人の声だけははっきりと聞こえた。
「私が、いや、彼女が呼んでおいたからな…」
それを最後にレキは静かに海の底に沈んでいった。
だが、間もなくして、煌々と輝く光が、レキのもとに迫っていることに、眠りに落ちてしまったレキが気づくことはなかった。
ただ、瞼の外側に滲む光に安らぎを感じていた。
それは温かな陽だまりのような光だった。