神獣討伐 世界を巡って8
ラタの森。レゾフロン大陸の東部にある広大な森。日中でも光が差さないほど鬱蒼と木々が生い茂り、東部の文明は自然共にあることで酷く停滞していた。まだ東部では多くの部族で派閥があり、部族間での勢力争いも続いていた。さらに部族間で独自の言語を有しているところが非常に多く、レゾフロン大陸では東部が極めて、異質な場所だということは他の地域では常識でもあった。
そんな東部にある唯一マナ場があるラタの森。そこは常に部族間で争奪戦が繰り広げられていた場所でもあった。現在では、東部の三大部族が分割して縄張りにしていた。
部族という小規模の集団で、現在大陸を荒らしまわっていた水球に対処することは困難なことが予想された。東部は西部に比べ、何もかもが遅れており、いまだに魔法の理論も魔術的ではなく、感覚や経験を重視したやり方で発展させているため、今回の水球の仕組みも彼等では理解するまでに時間が掛り、多くの犠牲者を出すことは目に見えていた。
そして、予想通り、東部最大の森、ラタの森の中央に聳え立つ大樹にはいくつもの水球が寄っては、その水球の表面を這う水蛇たちが口から吐き出した水圧で、森は切断され続けていた。森を守ろうと、飛行魔法を扱い果敢に攻め入る部族たちもいたが、皆、その水球に魔力を吸われ、水蛇によって仕留められていた。
三大部族のひとつラタ族にとあるひとりの少女がいた。彼女は迷っていた。彼女は流れ者である。しかし、それでも、ラタ族の者たちは彼女を歓迎してくれた。少女は思う。『この村を救いたい』と、温かく迎え入れてくれた彼らに恩返しがしたいと、そう思う。そして、頭に掛かっていた大事な仮面にそっと触れた時、に身体は動いていた。
「みんな、いままでありがとう、私はやっぱり、どこにもなじめないのかもしれない」彼女はそれだけ言うと、見るに堪えない化け物へと姿を変えていった。鱗。それは鮮やかな緑色の鱗だった。その鱗が彼女の全身に広がると、ラタの人たちはみんな恐怖で顔をゾッとさせていた。
居場所を捨てる。それが彼女が選らんだ答えだった。
「サヨナラ、優しいラタの人たち」
少女は緑の鱗に包まれるとみるみる大きく膨れ上がりそこには十メートルほどの巨大な人型の鱗の巨人がいた。
鱗の巨人が空高く跳躍する。
ラタの森にあるラタの村に迫っていた巨大な水球を、その鱗の巨人は腰から伸びていた鋭い鱗が詰まった尻尾を使って真っ二つに切り裂いていた。さらに後方から迫って来ていた二つ目の水球には高く跳躍した後踵落としで粉砕した。さらに、まだまだ辺りに漂っていた水球たちを、背中から生やした鱗の触手で次から次へと切り裂いていく。
圧巻の光景だった。緑の巨人が空を翔けると、次から次へと水球が破裂していった。緑の巨人はラタの森を自由に飛び回り、次から次へと宙に浮かぶ水球とその水球を這っていた水蛇を切り裂いていった。森中に水しぶきがあがった。
彼女の中で優しいラタの森の人たちと、少女が化け物に変わった瞬間の恐怖に怯えた顔、二つが彼女の頭の中をグルグルと回っていた。
『これでいい、私は、これでいいんだ…』
鱗の巨人を操る少女は自分にそう言い聞かせて、ラタの森を部族に関係なく救い出した。
『私にはあの人がいる…』
目が覚めた時のことを思い出す。何も分からない世界でただひとり信頼できる人がいた。その人は自分をラタの村という居場所まで導いてくれた人だった。けれど、こうして、ラタの人たちとは別れることを選んでしまった自分は、せっかく見つけてくれた居場所もこうして自ら台無しにしてしまった。
『大丈夫…私はひとりでも、この先ずっと、ずっと……』
森を守ることに全力を尽くした。厄災を引き起こしていた水球がみるみるうちに減って行く。宙へと飛び上がり、鋭い鱗状の身体で突っ込み、水球を斬り裂き破裂させる。それを何度も森の中で繰り返している内に、気が付けば、少女の周りには、他の部族の戦士たちが、彼女の周りを援護するように飛行魔法で飛び回っていた。
「森の守護神、我ら力になる」
そう言って自分の周りを飛び回る各部族の戦士たちを見回すと、そこには部族関係なく団結したひとつの混合部隊が結成されていた。
「我ら、森の守護神に水球、場所、伝える。我が森守ってくだされ」
するとそこですぐに鱗の巨人と部族たちによる協力体制が築かれると、ひとりで破壊し周っていた時よりも、森のことを知り尽くしている部族たちの水球の発見は早く、ラタの森で水球が水蛇を召喚するまで成長することがなくなった。
森の中を必死に駆けまわり、水球の破壊に勤める、鱗の怪物はまさしくラタの森の救世主だった。
水球が鱗の巨人によって、自分たちの村の頭上で破壊されていくたびに、ラタの森の部族たちは歓声をあげて喜んでいた。
ラタの森中で、鱗の巨人を称賛する声で溢れかえる。
だが、当の本人は必至だった。この鱗の巨人の状態はかなりの体力を使う為、そうそう長くはこの状態を保っていられない。
そのような焦りがジワリと脳裏をよぎり始めたころだった。部族たちに示され森の中を駆けまわっていると、突如、頭上に何か違和感を覚え、立ち止まった。
「どうされた?森の守護神?」
ゆっくりと視線を上に上げると、そこには、遥か上空の方でラタの森の中央へ飛来した何か、真っ黒な物体のようなものを見た気がした。それは物凄い速さでまさに一瞬の出来事だった。本当に見たかも分からない刹那的な出来事に気のせいだと決めつけることもできた。
だが、その時、確かに、少女には何かがラタの森へ向かったことを感じ取ったと、身体が震えていた。なぜ感じ取れたか?それは危機感のようなものであると同時に、予感のようなものでもあったのかもしれない。
少女はすぐにタラの森の中央にある大樹へと向かった。
全速力で森の中を駆けて行く。途中いくつも水球を破壊しながらそれでも最短距離でその、何かが飛来したと思われる方角でもあった大樹の元へと向かった。
そして、彼女が大樹のふもとまで近づくと、震えが強くなった。それは現在の脅威であった水球などとは比べ物にならないほど、恐ろしい何かがそこにはいた。
全身を真っ黒な闇に覆われ、身体の至る所からうねうねと不気味な触手を生やしては、異形の姿をした、それでも、人の形を辛うじて保っているその化け物は、両手に巨大な刀を二振り握っていた。
少女には、その得体の知れない者が、どう考えても今起きている中で一番危険な脅威であると即座に判断し、相対した瞬間すぐに、少女は闇を纏った化け物の排除にかかった。
全力で間合いを詰めて、力いっぱい振りかぶって、その小さな人間めがけて巨人の鱗に覆われた拳を振り下ろした。振り落とした拳が人間を潰して、辺りに衝撃波が起こり、地面にひびが入り陥没する。
ゆっくりと拳を引き上げて、拳にへばりついているであろう、闇の人間の潰れた死体を見ようとしたが、そこには平然とした様子で立っている闇の人間がいた。
すぐさま、次の拳を振り下ろそうとしたが、その闇の人間は口をきいた。
「敵じゃない」
振り下ろそうとした拳を止めた。
「水球はマナを吸って成長している。対抗手段は、君のようなマナを使わない天性魔法による攻撃だけだ」
闇の人間は口調は見た目とは程遠いほど、優しい声をしていた。
興味が湧いたというよりも、その闇の人間にはなぜか、会っておかなければならないような気がしてならなかった。だから、緑の巨人の胸から鱗を開いて少女は外に姿を現し、その闇の人間の前に何の恐れもなく身を晒した。
凶器であったぎらつく巨大な刀には目もくれず、ただ、その素顔を隠していた闇を覗き込んだ。
「水球からここにいる人たちを助けてくれてありがとう。この調子で続けてくれると助かる」
「あなた、名前は?」
気が付けば少女は無意識にその闇の人間に名を聞いていた。
「名前?」
「そう、名前、名前を教えて、あなたの名前を」
闇の人間は少し考えたようなそぶりをした後言った。
「ハル・シアード・レイ」
「ハル……ハル・シアード・レイ………」
少女は、頭の中でハルという人物に関してこれまでに出会って来た人たちの顔や小耳にはさんだ情報を懸命に記憶の中から掘り返していたが、そのような人物は聞いたことがなかった。
「ねえ、あなた、私とどこかであったことなかった?」
「ないよ」
「そう………」
相手の記憶に頼ってみるが、当然、相手も自分のことを知らなかった。
「はいこれ」
「え?」
「ピンチになったら砕いて使って、君を守ってくれるよ」
彼が突然、真っ黒い宝玉のようなものを手渡して来た。その宝玉は真っ黒で中が常に流動しており、生命を閉じ込めたかのようにおぞましくもとても危ない美しさを宿した玉だった。
「それじゃあ、俺はいくから、ここは任せたよ」
「待って」
「まだ何か?」
「この仮面、あなたのものなんじゃない?」
少女が、その闇の人に、自分の頭に掛かっていた仮面を差し出した。
「これあなたのなんでしょ?」
「いいや、俺のじゃない…」
「だけど……え!?」
少女が顔を上げると、彼の顔の闇が晴れ、そこには男性の顔があった。くすんだ青い髪に青い瞳。けれど、少女にはその彼の顔に見覚えは一切なかった。
「あなた………」
するとその時、後ろから部族の者たちが少女に追いついて来ていた。
「誰ですか?その者?」
「異様だ。敵、違いない!」
「守護神様、皆、守れ!」
「奴、殺せ、元凶、違いない!」
部族の者たちが、ハルの異質さに反応して、魔法で武装し、少女を守るように囲い構える。
そんな彼らに一切動じず、ハルという青年は去り際に言った。
「居場所ができたんだね…良かった………」
「え………あ…………」
なぜか、なぜだか、その時の彼の声色が、どうしても、少女にはジョンという人間の声にしか聞こえなかった。
「待って!!!」
気が付けばもう、そこには、ハルの姿はなかった。瞬きをする一瞬の隙もなかった。ただ、忽然とまるで最初からいなかったかのように、その場からハルという男の姿が消え去っていた。
少女が途方に暮れていると、周りの部族たちが慌てた様子で言った。
「守護神、我々、お守りください!!!」
その言葉で我に返った、少女はすぐに緑の鱗の巨人の胸に身をうずめると、すぐにまた、巨人として、森を守りに駆け出していた。
しかし、頭の中からずっと彼の顔が離れることはなかった。
一度も見たこともない、彼の顔が、ずっと頭から離れなかった。
そして、もう、二度と彼女の中で彼のことを忘れることもなかった。