神獣討伐 世界を巡って6
アスラ帝国に足を踏み入れた時、そこには氷の世界が広がっていた。どこを見渡しても、季節が揺り戻したかのように、アスラ帝国帝都周辺には氷の柱がいくつも聳え立っていた。
誰の仕業なのかそれは考えるよりも先に、アスラ帝国最強の剣聖シエル・ザムルハザード・ナキアのことが頭に浮かんだ。
帝国の【氷上の悪魔】とも呼ばれる彼女は、氷を扱うことで有名だった。
しかし、その戦い方は豪快そのもので、ひとたび、神獣が姿を現せば氷の石像にされてしまい。体力続く限り無尽蔵に溢れる氷を使って、巨大な氷塊を大地に叩きつけることもある。まさに、その姿は氷の悪魔であり、アスラ帝国の守り手であった。
龍の山脈跡地から飛んで来たハルが上空からひときわ、大きな氷の円柱を見つけると、そこには、真っ白な髪の女性が立っていた。凍えるような寒さの中、それでも白を基調とした軽装備で、白い息一つ吐くことなく、ただ佇んでいた。
その白い柱に近づこうとすると、彼女がこちらの気配を感じ取ったのか、すぐに振り向くと、眼前に溢れんばかりの氷塊を生み出し、ハルへとぶつけて来た。
飛んで来た氷塊をハルが両手の大太刀で一瞬で細切れにする。だが、すぐに攻めっ気強く、剣聖シエルが氷のレイピアを構えて突っ込んで来ていた。
ハルは彼女の突きを大ぶりの大太刀で弾いた。
「戦う意思はありません。手助けに来ました」
「手助け?あなた、誰?」
「ハル・シアード・レイです」
「ハルって……」
シエルが慌てて、氷の柱を成長させて足場をつくり、ハルから距離を取った。彼女が空中を歩くたびに氷の柱から枝分かれした氷が彼女の軽そうな体重を支えた。
「あなた、あのハル・シアード・レイなの!?」
シエルが驚ていると、ハルも身体からどろどろ闇を近くにあった氷の柱に闇を固定し足場をつくる。
「私のこと、ご存知でしたか?」
ハルを覚えている人は少ない。それもハル・シアード・レイという認識で覚えている人謎数えられるくらいしかいないが、反応から見るに彼女もその一人のようだった。
「ええ、知ってるも何も、ルルクからよく話を聞いていたし、それに、いや、そうなぜかみんなあなたのことを知らないって…」
シエルはハルのことを知っていた人たちと同じ反応をしていた。無理もない。突然、自分が知っていた認識の一部が世界の方で改変された。知っていたことがある日、突然、未知になれば誰だって困惑する。
「話せば長くなるのですが、それよりも、シエル剣聖、帝都のこの状況は無事ということでいいのですか?」
帝都はすでに氷に呑まれており、極寒の地へと変わり果てていた。雪景色ならぬ氷景色がそこには広がっていた。
「帝都の民は緊急時、こうなることを毎日想定して暮らしているから大丈夫のはずよ。夏でも年中、常に暖炉の薪と炎は欠かさずに備えているし、私が帝都防衛する際の訓練も毎年欠かさずやってるからね」
帝都の建物の煙突からは一斉に煙が上がっていた。急激な気温の低下にみんな暖を取っているようだった。そして、街の外には誰一人として人がいなかった。
「なら、安心しました」
「ねえ、それよりも、今何がどうなっているか教えてもらえる?球体の水がなんか押し寄せて来たんだけど」
ハルも分かっていることだけをシエルに告げた。現在この大陸が大陸規模のフェーズ魔法を掛けられていること、そして、世界亀の討伐を進めていたことで、起こったこともすべて話した。
「そう、じゃあ、あなたは遂に、最後の四大神獣を討伐するのね?」
「そうなります。ただ、そのせいでこの大陸中を巻き込むことになってしまいました…」
始まりは仕組まれたことだったかもしれない。それでも、ハルは自分が行って来た犠牲も承知のうえで、今後この大陸に神獣の脅威が無いと確信できる平和をもたらしたかった。その一心で今まで神獣に対して刃を振るってきたと言ってもいい。
神獣がこの大陸からいなくなれば、もう、人類が理不尽な危機にさらされることもない。そうなればハルが望む平和な時代がやって来る。ハルが人間同士の戦争など許すはずがない。そうなると、言葉の通じない神獣たちを滅ぼせば、確実に争いの無い世界は実現可能だった。
さらに、裏から糸を引いていたドミナスという組織まで、闇社会の底から引き上げることができた。これによってこの大陸の根本的な脅威は可視化され、その脅威を強者であるハルが握る形となった。
これを平和と言わずになんというのか?
ハルはドミナス相手に和平を築くことができたが、それは不用意に敵を作らないためでもあった。どう考えても力関係はエンキウに指摘された通り、圧倒的にハルの方が上。その点を見誤っていないエンキウという女性はおそらく、エルノクス、アシュカ、ドロシーたちよりも現在の状況が把握できていた。ハルが今からでも殺そうと思えば、顔を覚えたドミナスたちを、一秒も掛からず殺せてしまえる。それをやらないのはどう考えてもハルに人間の心が残っていたからでもあった。
それはハルが生まれ育った場所、そして、そこにいた人たちがハルに愛を与えてくれたからでもあったのかもしれない。
ハルは優位に立つことにこだわらない。支配にも興味がない。ただ、明日も平穏な生活が送れるのならば、その平和を何よりも大事にした。
その結果が現状の悲惨な結果にも繋がっていた。
これはすべてハルのせいでもあった。
そして、それは平和に必ずついて回る犠牲というものでもあった。
「じゃあ、ちゃんとあなたが責任を取ることね、正直、まだ、この帝都で犠牲者は一人も出ていないけど、これが続くようなら、多分、私の氷で体力の持たない人たちは寒さで死ぬと思う。だから、あんまり長引かせないで欲しい、できるでしょ?あなたなら、ハル・シアード・レイなら」
シエルが真っすぐ真剣な目でハルのことを見つめていっていた。それは彼女が昔のハルの功績を知っているから言える、信頼の証でもあった。
「ルルクから聞いていたのよ、あなたは凄いって、私の方が凄いって言ってみたけど、彼、全くそこは譲らなくてね、あの人に尊敬されるなんて、あなたは本当に凄い人だったんだって…」
シエルはそこで振り向くと、遠くの空から帝都に近づいて来ていた水球に目を向けた。そして、その宙に浮く水の塊めがけて鋭い氷柱を放っていた。
見事に命中したその氷柱は水球を一瞬で凍らせると、地面に落ち、バラバラに砕け散る。
「だから、ハルさん、どうか、この大陸のことをよろしくお願いします」
シエルがそういうと、ハルは大きく頷いた。
「はい、必ず、この大陸を救って、神獣のいない平和な世界を実現させてみます」
「うん、あなたになら、できると思う」
シエルがそこでハルの方に振り向いて言った。
「あ、そうだ、聞きたいことがあったんだけど、本当にあなたが、龍の山脈ごと黒龍を倒したんでしょ?」
シエルが振り向くと、そこにはもうハルの姿は見当たらなかった。
「そう、やっぱり、本当だったのね…」
シエルは小さく笑うと、帝都を守るため、さらに複数接近していた水球たちに氷柱をおみまいしていた。