神獣討伐 世界を巡って5
龍の山脈跡地。かつてそこには断崖絶壁の針のようにそびえ立つ山脈に囲われた緑豊かな聖域と呼ばれる黒龍の住処があった。だが、その聖域もハル・シアード・レイによって、破壊の限りを尽くされた後は、緑の無い荒野だけが広がっていた。人間社会との壁として機能していた聖域を囲っていた山々も平らにならされていた。聖域は未開の地と龍たちのものから人間たちの手へと渡ることになった。突如として開かれた広大な土地に新たな人々が流れ込むのも仕方がない。土地の権利争いが始まり、今では大国間での分割も始まっているとのことだった。特に、アスラとイゼキアでの土地の取り合いが激化しているとのこともあり、直接領土が接していないスフィア王国とニア王国も、土地の所有権を主張しているとのことだった。そんな政治情勢溢れる未開の土地にハルは足を降ろす。
龍の山脈跡地にもいくつもの水の壁が伸びており、上から見ればそれはやはりマス目のように規則正しく水の壁は線上に縦に横に真っすぐ伸びていた。しかし、そんな水の壁で仕切られた龍の山脈跡地のマナ場にあったのは、水球ではなく、キラキラと輝く宝石だった。巨大なマナ場がある聖域の中心にあたる場所に降り立つと、そこには宝石箱をひっくり返したかのように、宙に宝石が散らばっていた。そして、その宝石散らばる空間の奥では、白いパラソルが開かれ、お茶をしている人物がいた。
「あら、ハルさん、お茶でも一緒にどうですか?」
そこにいたのは、ドミナスの魔女のひとりエンキウだった。
「これは宝石の結界か何かですか?」
ハルは辺りに散らばる宝石の詳細を求めた。
「そうよ、水球が集まって来るからこうして宝石をばら撒いて散らしているの」
「散らすって…」
そういうと遠くで大きな爆発が起こった。爆風がハルの頬を優しく撫で、宙に浮いていた宝石たちを軽く揺らした。
「ああ、やって、水球が集まっているところに反応して宝石が爆発するのよ、すごいでしょ?」
エンキウがパラソルの下で紅茶を嗜みながら優雅に微笑んでいた。
「さすがドミナスの魔女です。エンキウさんになら、ここは任せても大丈夫そうです。俺は次の目的地に向かいます。それでは失礼します」
ハルがそこで次の目的地に向かおうとした時だった。
「待って、まだ行っちゃダメよ」
エンキウが、ハルのことをジッと見つめては呼び止める。彼女の金と銀の瞳がハルを見つめる。
「なにか?」
「話があるのよ、あなたに」
「俺に?ですが今は時間が…」
まだ回らなければならない箇所は六か所もあった。
「時間?おかしなことを言うのね、あなたに時間なんて関係ないんじゃないの?」
「それはどういう意味ですか?」
「時間を止められるんでしょ?」
ハルは肯定も否定もしなかった。
「そんな便利なものじゃないですよ…」
「そう、でも、今はまだこの魔法も第一フェーズで、焦る必要もないわ。おそらくこの水球を破壊したところで、次のフェーズになったら、もっと悲惨なことが起こるはずよ。そうなったらこの程度の脅威で身も守れない人間たちはきっと次のフェーズなんか生き残れやしないわ」
エンキウのその言葉がハルには少しだけ引っかかった。
「生き残れないのなら、俺が救います」
「その必要もないわ」
「どうしてですか?」
「弱者は淘汰される。そうでしょ…」
「人間を強い弱いで決めつけている内は、きっと貴方には、人間の素晴らしさが分かることはないのでしょう。私は彼等のために駆け回りますよ」
棘のある言い方をしたが、エンキウはにっこりと笑みを崩さなかった。
「フフッ、そうね、あなたの言う通り、私はきっと人の素晴らしさなんて一生分からないと思うわ。それでもね、やっぱり弱者は強者の下、たとえ直接的に手を加えなくても簡単に潰えるものだと思うわ、私の言っていること間違ってるかしら?」
「それは……」
ハルは私利私欲のために手に掛けた者たちを思い出していた。イゼキアでの虐殺を、彼等は確かにハルに抵抗することもできなかった弱き者たちだった。
「ほらね、あなたは否定なんてできるはずないわ、だって、あなたは誰よりも強者なんですもの、蹂躙することがあたりまえ、誰にも逆らわせないことが当たり前そうでしょ?あなたは自分の不幸な未来を決して受け入れない、強いからそんな未来だって自力で変えてしまう。そうなのよね?」
「………」
認めたくないが自然の摂理でもある以上、弱者が強者に狩られてしまうということは必然でもあった。強さで言えばハルはその頂点に君臨しているといっても良かった。戦闘の強さだけでいえば、そうだった。
エンキウは、紅茶を一口飲み、ゆっくりと丁寧にそのカップを置いた。そして、黙り込むハルの方をまっすぐ向くと彼女ははっきりと言った。
「私は長い歴史をこの目で見て来たけど、ハルさん、あなたのような、強者は誰一人としていなかった。あなたは何も感じていないかもしれないけれど、私たち弱者はあなたの存在を厭うの。なんでかわかるでしょ?」
「………」
ハルは黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
「強者はいつだって、弱者から奪う。それは絶対に変わらない事実でもある。そうでしょ?あなただって多くを奪って今ここにいるはずよ」
目を背けたくなるような言葉にもハルはまっすぐと頷いた。
「ええ、あなたの言う通り、私は多くを奪ってここにいますよ」
エンキウはハルの真っ直ぐな目から視線を逸らし、テーブルに置かれたカップの中を覗き込んでいた。
「そう、かつては私たちも奪う側だった。だけど、あなたが、存在してからこうして、あなたという存在を無視できなくなっている。それはあなたが強いから、強者だった私たちを弱者に落としてしまうほど、あなたの力は圧倒的なのよ!!」
突然、エンキウは、小さな白いテーブルの上にあったティーカップを腕で薙ぎ払った。表情から見るに、その行動はどう考えても怒りから来るものだった。
「あなたはいずれ、私たちからすべてを奪っていく…たとえ、あなたがそれを望まなかったとしても、あなたが私たちと関わっている以上、嫌でもそれは続く。それにあなたは私たちのことも嫌っているそうでしょ?だって、あなた、」
「じゃあ、どうしますか?俺のこと殺すんですか?」
しかし、エンキウはそこで潮が引くように、冷静に取り乱していた自分を落ち着けていった。
「いいえ、私はエルノクスの言葉を信じるから、あなたとあなたの周りの人間には手を出さない。だけどね、ハルさん、あなたにはエルノクスに近づかないで欲しいの。分かるでしょ?強き者であるあなたは弱き者に人知れず不幸をばら撒く、その不幸をあの人に押し付けないで欲しいのよ…」
ハルの前ではエルノクスという男ですら周りと同じただの人に過ぎない。ハルの目か等見た時、ドミナスの怖いところは組織的に動くところであり、エルノクス個人をハルが恐れているわけではない。その点で言えばハルは確かに強き者だった。
そして、目の前にいるエンキウでさえも、ハルからしたらどこにでもいる女性と何も変わらない。強さの果てに立っているハルにとって、彼女の忠告も戯言に聞こえてしまう。強さとはそれほど見方を変えてしまうものだった。誰がどうほざこうが、強者が一度決めた意思を変えることはできない。
それは、彼等からアシュカという人間を奪ったことも起因しているのかもしれないと思った。ハルは確かに人知れず、弱き者たちから奪っていたのかもしれない。
もしもドミナスという組織と深くかかわらず生きていけるのなら、それはハルにとっても嬉しいこと、だが、もう遅かった。
出会ってしまったからには、そう簡単には無かったことにできない。それでもハルはエンキウの言葉から、彼女が少なからず自分を受け入れてないことだけは分かった。ハルという存在が無意識にかき乱してしまった彼女の周りの関係は予想以上に大きかったのかもしれない。
「話しは以上よ、別にこのことをエルノクスに言っても構わないし、ここで私を殺してもいいわ、だけど、覚えておいて、あなたの強さは異常で、その強さは周りを不幸にするってこと、絶対に忘れないで…」
エンキウはそれから一切ハルの方を見ないで、キラキラ空中に浮かぶ宝石を見つめていた。
「話してくださってありがとうございます。ここにもまた様子を見に来ます」
「ここにはもう来なくてもいいわ、私ひとりで十分だから」
「そうですか、それでは失礼します」
ハルはそれだけ言うと、次の目的地へと飛んだ。