神獣討伐 神の不在
朝の陽ざしを迎えに行くように、薄暗い裏路地を子供たちが走って表通りに抜けた。そこから道に並ぶ市場を駆ける。彼らは椅子に座り箱いっぱいに敷き詰められた果物を売る老婆の屋台や、川でとれた魚に他国から届いた立派な魚介類を並べている若い兄ちゃんがやっている店、朝に偶然出会ったのか主婦たちが集まって会話する横を通り過ぎて行く。そして、彼等が走っていると広場にたどり着いた。そこでは、ひとりの大人が声高らかに何かを必死に訴えていた。それでも街を走る子供たちには彼が何を言っているのかはまだ理解はできず、広場の先にある急な坂道を走って下っていった。
「皆さん!!」
高地にある広場で、熱心にその男は民衆に訴えかけていた。
「いいのでしょうか!?レイドの王があんな決闘で決まってしまって?大国であるというのに、この野蛮な決め方には問題があると皆さんは思わないのでしょうか?こんなやり方がまかり通ってしまう国は、腐っているとそう思いませんか?」
街の広場で主張する男に、そこに集っていた民衆たちの何人かは「そうだ」と賛同し、抗議の声を上げていた。だが、大半の者たちは彼等のことを一歩引いた冷静な目で見ていた。広場で主張する男もなぜか、民衆たちのほとんどが自分の意見に賛同しないことに焦りのようなものを感じて、演説にはさらに熱が入る。
「我々は現国王である親愛なるダリアス・ハドー・レイドの退位を決して認めず、新国王となるエウス・ルオの王位継承の取り下げを要求する。王位は決して決闘では決まらず、王家の血筋を持って受け継がれていくべきだと、愚かな新王エウスは分かっていない」
新王反対派の抗議者の主張に民衆たちもようやく耳を貸しだす。確かに王家は代々王家の血筋の者たちが受け継ぐのが常識であり、レイドのやり方には問題があるといえた。
「王が武力で決まってしまえば、他国から送り込まれた敵にも、このレイドの主導権を握られる可能性があるということだ。これは国として絶対にあってはならないことだ。そうなったら、我々は敵国の奴隷として一生、苦しい生活を強いられることになる。そんな現実が見えているというのに、ここに居る皆はそんな理不尽が通用していいというのか?」
民衆たちは抗議者の言っていることが最もだと思い次第に彼に賛同するように、多くの人たちが声を上げ始めていた。老若男女問わず、その熱狂はやがて広場の外に広がり、現在レイド王国で新王が誕生しようとしていることに、対して不満を募る者たちをかき集めていた。
「我々は今ここでレイドを守るために団結しなければならない!民衆よ、立ち上がるのだ!我々が声を上げることで、きっとこのふざけた王位継承もなかったことにできるはずだ!さあ、声をあげるんだ!新王エウスを玉座に座らせないために、皆の声を!!!」
「ちょっといいか?」
民衆たちの最前列にいたローブの男が手をあげてそう言うと、周りの者たちは熱に冷水を掛けられたように勢いを失った。
「なんだね?」
「あんたは王位継承のその仕組みが気に入らないってことなんだろ?」
「ああ、そうだ。武力で成り上がることができるなら、どんな悪人でさえ武力さえあればこの大国の王になってしまう。それでは、国として破綻しているのだ。いずれ力を持った敵国のものが来て王位を奪還する、そうなればレイドは抵抗する間もなく敵国に落ちてしまうということ、この危険性が分からないとでもいうのかね?君は」
抗議者はあくまでこのままではレイド王国が、敵国に乗っ取られることに対して抗議の声を上げていた。至極真っ当な意見に、ローブの男もそのことについては反論の余地もなかった。しかし、その解決策は至極単純で、彼等が心配する必要もないことではあった。
「いや、だったら、新王にそんな法律はあなたで最後にすればいいと言えばいい。まあ、おそらく彼は必ず王位継承戦とやらを廃止にするだろう。だって、考えてみろよ、せっかく念願叶って王になった男がその地位を脅かすための法をいつまでも残しておくと思うか?彼にかぎってそれはありえない」
今度は抗議者の男が押し黙る番だった。それでも、彼は無理やりにでも口を開いた。ローブの男の主張にこの場の空気を支配されることを嫌ったようだった。
「確かにそうだが、それでも私はこんなやり方で王にのし上がった新王がまともな政治をするわけがないとも思っている。そういった民をまとめる力の無い者が王になること自体ダメなのだ。まず民がついてこない。王が民に認められないのであれば王として終わりだ。それなら現状維持で、ダリアス王をそのまま、玉座に据え置いておいた方がいいに決まってる」
もっともな意見だったが、そこで別の誰かが声を上げた。
「だが、新王エウス殿は、もとはエリー商人の会長だと聞きましたぞ、それならこの国を商売という観点からみて、舵を切ってくれるかもしれないし、民たちからの信頼も厚いと思うのだが?」
「商人…それこそ害悪というもの、商人など皆、自分の利益を追求するばかりで、国のことなど何も考えてはいないだろう。実際にそうだろ?街の商人たちは自分の利益を最大化することだけを考え、我々、民衆たちから金を巻き上げている。そんな金の亡者を王にしてこの国が豊かになると思うか?」
新王反対派の主張に、ローブの男が口を開いた。
「それはねえ、あんたも知っていると思うが、王が暴走しないようにレイドにも三大貴族がいるだろ?彼らが未熟な新王を支えてくれるはずだ。それに、エウスってやつは、エリー商会の会長だ。この王都スタルシアが、ここ数年でずっと繁栄したのだって、彼の商会が商売を広げて各地で取引をして物資を運んで来たからに他ならない。あんたたちだって、この街に住んでいたなら、エリー商会の恩恵は受けているはずだ。生活に欠かせない身近な品質の良いものをエリー商会から安く買っているはずだ。みんなもそうだろ?彼の商会が各地で取引して運んで来てくれた様々な商品を我々は享受できているんだ。王都スタルシアが今、こんなにも豊かであるのは、彼等がいるおかげなんだ」
新王反対派の抗議者が顔を歪ませた。言葉にも詰まっていた。それほど王都スタルシアでのエリー商会の功績は大きく民衆たちにも浸透している証拠だった。先ほどまで我を忘れて新王反対派閥に流されそうになっていた人たちも、エウスという男なら国を上手くまとめてくれるのではないかと、かすかな希望を見出していた。
「それに、彼、エウスは…人を見捨てるような薄情なやつじゃない…すっとこの国のために走り回るそんな奴なんだよ……」
会場は一気にそのローブの男の言葉に魅入られていた。民衆たちはこぞってざわざわと新王エウスの可能性について語り始めていた。
「エリー商会には俺の店が危ない時に多額の補助をしてもらったな」
「俺のところもそうだ、俺の装飾品をどこよりも高く買い取ってくれるお得意さんだ」
「エリー商会って孤児院にも多額の寄付をしてるって聞いたわ」
「俺なんか、エリー商会が経営する酒場でいつもうまい酒を飲んでるぜ?」
「私も毎日、安くて美味しい野菜をエリー商会のお店から買っているわ」
「そもそも、エウスってやつから悪い噂を聞いたことがねえな」
「いや、確か、前この街を取り仕切っていた商会を潰したって聞いたぞ?」
「待てよ、そもそも前この街を取り仕切ってた商会は最低だったんだが?」
「そのエウスって人って、いったいどんな姿をしているのかしら?一度でいいから見てみたいわ…」
「確かによく名前だけは聞くが、顔はみたことねえな、どんな面なんだろうな?」
民衆たちが新王エウス・ルオという人物について思い思いに言葉を交わしていると、新王反対派の抗議者が声を荒げた。
「皆、こいつに騙されるな!そもそも、エウスという男は、すでに敵国と内通していてもおかしくないんだ!商人は各国を飛び回っている、もしかしたら、すでに他国と内通している可能性だってある。それにこのローブの男だって、敵国の使者でエウスという男を庇っているかもしれないんだぞ、顔も見せないで見るからに怪しいだろうがよ!!!」
抗議者の言葉を誰も聞いていなかったが、そこでローブの男だけがその頭からかぶっていたローブを取ると、顔を見せた。
物腰柔らかそうな青年がそこにはいた。ふわりとした少し癖のついた茶髪にそれでもどこか彼の茶色い瞳の奥には燃え滾る熱が帯びていた。彼が他の民衆とは違い自分の意見を持ってそれを相手に対して示せるのはこの瞳の奥の熱があるからなのだろう。そして、彼は自分の名を語る。
「顔を伏せていて悪かった。俺はこの街のスターライトって酒場の店主の【グラアン・フィーデス】という者だ。俺は小さい頃からエウスを知ってる。だから、断言できる。エウスが王になれば、この国は今よりももっと繁栄する。なんたって、彼の夢はこの大陸で一番の大商人になることなんだからな」
エウスの旧友グラアンが、そう言い切ったところで、地面がかすかに揺れたように感じた。地響きが街中に響き渡った。大気が震えみんな何か不吉なことが起こる前触れに怯えるように辺りを見渡していた。
「なんだ……」
話し合いどころではなくなり、みんな地面が揺れ始めると、その場に屈みこみ伏せていた。大きな揺れが街を襲っていた。
グラアンは、何が起こっているのかも分からず、街を一望できる広場の先までかけていった。
すると、その時、グラアンの視界には想像を絶する光景が広がっていた。
「あ……ああ…………」
王都スタルシアを横切るのは水の線だった。水の線といってもそれは遠目から見てのことで、その水の線はありえないほど巨大な筒状で巨大な山のような柱を横に倒したようなもので、そしてそんな円柱の水の塊がとてつもない速さで、レイド王国の王都スタルシアの街を横切っては、人も建物も何もかも押し流していた。広大な王都スタルシアの街がその光線のように飛んで来た水の線によって、あっという間に洗い流されていく。街を囲う大きな壁もなすすべもなく、その圧倒的な水量に押し流され、もはや人がどうこうできる次元を超えていた。
「街が……」
そして、グラアンが絶望するにはまだ早かった。その水の線は、遥か先の地平線から何本もこちらに向かって来ているのが見えていた。それは、グラアンが考えられる絶望の許容値を軽々と超えており、その高地にある広場から見える景色は最悪だった。さらに、その水の線は大地を這うように真っすぐ等間隔に間を空けて伸びていたが、その水の線の大きさはたった一本で街をまるごとひとつ削り取るほどの幅があり、もはや、王都スタルシアの低地にいる者たちは、どこに逃げても手遅れという状態だった。北から伸びて来ていた水の線の一本が、グラアンが見下ろしていた王都スタルシアの西側の街を削り取っていくと、グラアンにはそれが現実と捉えるには難しくなっていた。
街全域に警鐘が鳴り響く。街に絶望が広がり始めていた。グラアンの傍にいた人達はパニックになり、至る所からこの絶望に対する怒りの怒号と、悲鳴で満ち溢れていた。
「神の裁きだ…」
人々は神の怒りを買ってしまった。そう思わずにはいられなかった。
「こんなことできるのは神しかいない……」
人類は忘れていた。この大陸には神の名を冠する獣たちがいたことを、忘れていた。本来ならば、人類が繁栄するには、大きすぎる障壁が、身近にいたことを。思い出さなくてはならない、どうすればこの絶望から生き残れるか?
「ああ、神よ…」
答えは簡単。ただ、祈れ。この絶望に対してできることは、救いを待つだけだというこを人類は思い出さなくてはいけない。忘れるな。人が神という存在には決して勝てないということを。
「我らをお救い下さい……」
懸命な祈りも虚しく、グラアンの目の前は神の裁きともいえる大量の水で洗い流されていく、彼はただ、怯えて祈ることしかできなかった。その間にも、その大洪水によって、街の被害は拡大し続けた。
無力で哀れな人間たちもとに救いの神はいなかった。
大陸が洗い流される。