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傍にいるから

 地下施設ザ・ワンにある訓練施設は真っ白いタイルを部屋に規則正しく張り巡らされたような広々とした場所だった。四角い箱の中のようなその空間では、剣や魔法を扱うにはもってこいの場所であった。

 そんな訓練場には、訓練用の大剣を振り回すガルナと、それを同じく訓練用の片手剣で受け流すハルの姿があった。


「ハァアアア!!!」


 豪快に大剣を振り下ろすガルナに対して、ハルは片手剣で軽々とその剣戟を払う。ガルナが一方的にせめているが、ハルにはその剣が一向に届く気配すらない。それでも、ガルナは懸命に何度でも挑む。ハルも彼女の剣のテンポに合わせて実力を上げる。そして、ガルナが思うがままに剣を振り回し汗だくになって倒れた後、ハルはガルナに良かったところと悪かった修正するべきところを優しく教えてあげた。


 ハルは汗ひとつかかず、二人の訓練を見守っていた壁際にいたライキルとビナのところに向かった。


「お疲れ様です」


 二人の「お疲れ様」にハルも「お疲れ」と返事をする。

 ライキルが、戻って来たハルに用意していた水を渡そうとするが、ハルは受け取らずに、壁に寄りかかった。


「ガルナ、久しぶりにハルと稽古できて楽しそうでした。ここから見ていても分かりました」


 ライキルが、訓練場の中央で仰向けに寝転び満足そうに息を荒げているガルナを見ながら言った。


「それなら良かった…」


 エウスがレイドに帰ってしまってからというものハルには元気がなかった。

 ライキルたちにはまだ何も話していなかった。彼女たちもエウスと何かあったのだと感じ取っているようであったが、彼女たちの方から深く尋ねて来ることはなかった。気遣われているのだろう。とにかく、ハルにはここ数日、すべてのことがどうでもよくなるくらいには無気力が続いていた。


 しかし、そんな無気力なハルには、彼女たちがいた。ハルがぼうっと白い四角い地面を見つめていると、ライキルがハルの手にそっと手を重ねていた。


「大丈夫ですか?」


「あぁ、うん、大丈夫だよ」


「…………」


 ライキルが覗き込んで来るが、ハルは目を逸らす。考えてみればハルは彼女のこともとっくに裏切っていると思うと、胸の奥が酷く苦しくなった。


「ハル、どうしたんですか?疲れましたか?」


 ビナがハルの前にしゃがむ。


「大丈夫だよ、ありがとう」


「本当ですか?ちょっと元気ないように見えますよ」


 ハルがライキルの手をそっとすり抜けると、立ち上がった。


「ビナにも稽古つけてあげるよ」


「え、いいんですか!?」


「うん、ほら、あっちにある剣を取って来て、ガルナ」


 ハルがガルナを呼ぶと彼女は耳をそばだてて、すぐに立ち上がって駆け寄って来る。


「なんだ?」


「ビナと稽古するから、ガルナはここでライキルと一緒に休んでて」


「わかった!」


 ガルナがライキルの隣に密着すように座り込む。ライキルがお疲れ様と彼女のことを撫でていると、ガルナがライキルの膝の上に倒れ込む。

 ハルはそんな二人を一瞥した後、訓練場の中央に向かい、ビナと対面した。


 ビナも武器は片手剣で、ガルナよりも技量は高いが、基本に忠実すぎるところがあり、ガルナのような戦闘センスの高さ、臨機応変な対応ができないところがあった。ハルは徹底的に基本の応用ができるように、様々なシチュエーションで多彩に剣を振るった。そのため、ビナは最初は何度もすぐにハルに打ち負かされてしまったが、繰り返し、粘り強く同じことができるようになるまで繰り返すと、徐々にハルの剣の軌道が見えるようになっていき、型に忠実な攻め方と守り方から、臨機応変な対応に至るまで雰囲気だけはつかめるようになっていった。


 それから、ビナとガルナを交互に見ていき、二人が立ち上がれないほど、訓練を繰り返したことで、施設内の天井から外の地上で日が沈んだことを知らせる音楽が鳴った。


 ハルはガルナとビナを抱えて、ライキルと一緒に自分たちの部屋へと戻った。

 ガルナとビナはシャワー浴びにいき、その間、ハルはライキルと夕食の支度をした。二人がシャワーから上がって来ると、四人で夕飯を作った。夕飯は四人で取った。ガルナが無邪気に今日のハルとの稽古のことを楽しそうに話しており、ビナもまた同じだった。夕食は二人のおかげで賑やかで、ハルも終始彼女たちの話しを楽しそうに聞いていた。


 夕飯が終わると、二人は疲れからかすぐに眠ってしまった。ハルはというとソファーにひとり座り、グラスに酒を注ぎ一口も口にしていなかった。


「隣良いですか?」


 ライキルが来ると、ハルはソファーのスペースを空けた。


「何があったのか教えてもらってもいいですか?」


「ああ、そうだね」


 彼女には言わなければならなかった。そして、彼女がどう思っているかもちゃんと話し合わなければならなかった。


「俺がエウスを怒らせしまってね…」


「喧嘩ですか?」


「喧嘩というより、俺がエウスのことを裏切ってたから、彼が俺の元から去ったそれだけなんだけどね…」


 ライキルがそこで言いずらそうな口調で言った。


「エレメイのことですか?」


「うん、エウスは彼女のことがどうしても許せなかったみたい…」


「まあ、そうですよね…エウスがキャミルのことを考えれば当然ですよね」


「エウスはエレメイと一緒にいるだけで多分キャミルのことを裏切ってるって感じたんだろうね」


 エレメイは、キャミルの親の仇でもあり、レイドを襲撃した張本人でもあった。そんな彼女を次期国王となるエウスが許せるはずが無いし、キャミルの暗い過去をよく知っている彼が彼女のことを許せるはずがなかった。


 しかし、それでもハルは思う。


 彼女のことは受け入れなければならなかったと。


 それは彼女のことが大切だったからじゃなく、みんなの命が掛かっていたから、選択の余地がなかった。

 自分を差し出してみんなの命が救われるならハルはいくらでも自分の命を使うことができた。それくらい、ハルはエウスを始めとしたライキル、ビナ、ガルナたちのことが大切だった。


「俺はやってはいけないことをしていたんだろうね…」


 エレメイを選ばなければエウスが去ることはなかった。それでもエレメイを選ばなければ、エウス含めたみんなはここにはいなかった。


「でも、ハルは、私たちのためにエレメイを選んだんですよね?彼女から聞きましたよ、自分が私たちを人質にして、ハルを脅していたって」


「ライキルも聞いたんだ」


「はい、私たち全員聞きました。だから、ハルがあの時エレメイを選んだ理由もみんな知っています」


「そっか…」


 少しだけ誤解が解けていたことが、ハルにとっては少しの救いだった。


「今回のこと、エウスも間違っていませんが、ハルも決して間違っていないと思うんですが、エウス、凄く怒っていましたか?」


「ううん、どっちかって言うと、悲しんでた…エウス、泣いてたよ……」


「え…」


 ライキルもエウスが泣いていたことに絶句していた。


「俺は、エレメイを選んでエウスを裏切った。ずっと傍に居てくれたエウスのことを裏切ってしまった………」


 ハルはそこでようやく涙が出て来た。とても遅れてあの時流せなかった涙が溢れてきた。エウスが自分のもとから去ってしまった悲しさと苦しさが、重ねて来た月日の分だけとめどなく溢れ出していた。


「俺は、もう、エウスには会えない…」


 そんな予感がしていた。自分が彼の傍にいるに値しない人間になっていたと、痛いほどよく理解してしまっていた。自分はもう、エウスの隣には立てるような人物ではないのだと、分かってしまった。


「どうして、そんなこと……」


「俺はエレメイを選んだ。俺はエウスを裏切って彼女を大事にすると決めた。これはもう絶対に覆らない」


「それは…」


「俺は…エウスにはもう今後一切会っちゃいけない…キャミルにも、レイドにだって帰れない……」


「ハル………」


 ハルはボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らしていた。


「ライキル、ごめん、俺は君のことも裏切ってるよね…」


 キャミルのことを大事に思っているのは決してエウスだけじゃない。深く関りがあったのはライキルもまた同じだ。ハルはエレメイを迎え入れたことで、エウス、キャミル、そして、ライキルまで裏切ってることになるのは、当然のことだった。


 しかし、ハルは愚かにもみんなの命さえ助かればそれでいいと考えていた。そのためなら、どんな状況でもいいと、考えも無しにエレメイを選んでいた。そして、彼女に同情だってしていた。一方の意見だけ聞いて、他の何よりも大切にしなきゃいけない人たちのことをないがしろにしていた。


 ライキルがハルの頭を抱きしめるとゆっくりとした口調で話し始めた。


「私は、確かにキャミルのことは大切に思ってますよ。でも、きっと、そうですね、それでいったら、私もキャミルやエウスのことを裏切ったことになるんでしょうね。私はハル、あなたを選びました。誰になんといわれようと、言い方はあれですけど、誰を犠牲にしようと、私は一番にハルのこと選びます。それは私の中で決まったことで、たとえ、ハルが私を一番に選んでくれなくても、私はあなたを一番に選びます。ハルはいろんな人に愛されて大変で、そのせいでこうやって誰かがハルのもとから去ってしまうこともあって、だけど、私は、私だけは、いつまでもあなたの傍にいてあなたを支え続けます。それが、ハルの最初の妻になったものとしての役目だと思ってます。あなたのあらゆる罪を許し、あなたの愚行を愛し、あなたの欠点を補う。そして、絶対にどんな時も傍にいる。私は、ライキル・ストライクというひとりの女性から、ライキル・シアードというあなたと共に生きる女性になりたいんです。だから、ハル、私は絶対にあなたの傍から離れません。私はあの時からずっとそうでした。あなたの傍にいることだけが私の人生だと思ってます。だから、ハル、あなたはあなたのことだけに一生懸命になってください。私は傍であなたの力になれるように、自分なりになんとかあなたに見捨てられないように頑張るので…」


 ハルが顔を上げる。ライキルの目元にも少しだけ涙が浮かんでいた。


「ライキル…俺は、君を幸せにできない……」


 ライキルの幸せだけを考えるなら、今の選択はきっと間違いだったのだろう。彼女のことだけを一番に考えられないハルは、彼女に何を言っても何を約束しても、彼女の望むような二人だけの幸せを築けないことは明らかだった。


「私は、きっとハルに愛してもらうよりも、私がハルのことを愛したいって、そう思うようになったんです。前まではずっとハルに愛されることばかり考えていましたが、今は、ハルのことを何があっても支えたい、ずっと傍に居たいって、きっと、ここ最近ハルと離れ離れになることが多かったから、そう思うようになったんだと思います。これって、成長ですよね?私、少しは大人の女性になれたかもしれません」


「俺は………」


 ハルは、ライキルから受けた言葉に詰まった愛に触れて、もう何も言葉にできなかった。


 ライキルが、震えるハルの身体を優しく包み込んだ。


「私が傍にいます。ハルは、ハルのしたいように生きてください。大丈夫、私はこの先もあなたとずっと一緒です」


「………」


 涙が止まらなかった。それでも、しばらく泣くと涙は枯れていった。


 落ち着きを取り戻すと、ハルはずっと夜が明けるまで、隣にいてくれるライキルと話していた。


「驚きましたよ、ハルが海岸で抜け殻みたいに倒れていた時、私、ハルが死んじゃったんじゃないかって心臓が止まり駆けました」


「ごめん、でも、それくらい、エウスが俺の元からさったショックが大きくて…だけど、こうして、ライキルたちがいてくれるから、俺はどんな辛いことからでも立ち直れるんだと思う…」


「本当ですか?」


「ごめん、やっぱり、まだエウスのことからは立ち直れてない…多分、今後も絶対引きずる……」


「いいな、エウスはハルからそれだけ愛されていて、私、ずっとエウスには嫉妬してたんです」


「嫉妬?」


「はい、だって、ハルとエウスの間には絶対に私では入れない、男同士の友情っていうんですか?そういうのがあって、私はそんなふうにハルと一緒にいられるエウスに、ちょっとというよりかは、とても嫉妬してました。だから、多分エウスにだけ、ずっと当たりが強かったんだと思います」


「そうだね、エウスとは、たくさんバカやってきた…」


「また、会いに行けばいいんですよ、ここでのこと全部終わったら、ふらっとエウスのところにいって、みんなで食事でもしましょう、約束もしてましたもんね!」


 けれど、ハルはそこで首を横に振った。


「ごめん、ライキル、それは多分できない…」


「…………」


 ライキルがハルの横顔を見つめた後、残念そうに小さく頷いた。


「そうですね、ごめんなさい」


「ごめん」


「ハルが謝ることは何もありません、私が軽率でした」


 ハルがライキルに向き直り、彼女を手を優しく握った。


「ライキル、聞いて欲しいことがある」


「なんですか?」


「みんなで一緒はやっぱり無理だ…」


「そうですか…」


「俺も、もうそれじゃダメなんだ。自分勝手だと思うけど……わかって欲しい……」


 ハルがそう言うと、ライキルは静かに頷いていた。


「私は構いません。それがハルの為になるなら私は賛成です」


「ごめん…本当に……」


「いいんです。ハルはただみんなと幸せでいてください。それが私の幸せですから」


「ライキル…」


 ライキルがにっこりと笑っていた。そこにはただ穏やかに幸せそうに笑う彼女がいた。



 後日、ハルは自室にライキル、ビナ、ガルナだけをおいて、ルナ、エレメイ、アシュカには別の部屋を用意させた。そのことに誰も文句は言わなかった。部屋を別にされたところで、みんなハルが自分のところに来てくれることは分かっていたからだ。むしろ、その三人は、その間ハルを独り占めできるとすら思っていた。


 だが、そんな甘い生活が訪れる前に、ハルのもとにひとつの命令が下る。


 ドミナスの兵士がハルの部屋を訪ねて来ると短く言った。


「シアード様、招集が掛かりました。すぐに出発のご準備を」


 平穏な日々が終わりを告げた。


「わかりました。すぐに行きます」


 親友を失いそれでもハルは前へと進むのだった。

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