親友
空はすっかり夜に星が輝いている。ハルとエウスは、ドミナスの地下施設から、王都シーウェーブの海岸沿いの砂浜に来ていた。
夜の海が穏やかに揺れている。
二人は浜辺の近くに腰を下ろして、夜の海を前にしていた。
「俺はハルに恩を感じてるし、感謝しかしてない。王になれたのも、俺が商人として、ここまでこれたのも、ハルお前がいたからだってことはよく分かってる。だから、俺がハルに何か言える立場じゃないってことは、重々承知している。だが、あえて言わせてもらうぜ…、ハル、エレメイだけはやめておけ…」
エウスはまっすぐ夜の海を見つめていた。
「あいつはどう考えても俺たちとは相反する存在だろ?絶対に一緒にはいられない悪人なんだぞ?そいつを身内にするってことは、レイドへの裏切りにも繋がるんじゃないのか…」
エレメイはレイド王国への襲撃を三度も行っている。その被害や犠牲者は間違いなく悲惨なもので、到底許されていいものではなかった。
「俺の商会の奴も二度目の襲撃時には大勢死んだし、大きな損害も受けた。それだけじゃない、エレメイ、あいつは、キャミルの母親の殺害にも関与してる。キャミルが塞ぎこんじまったのも全部、あいつが発端になってんだ」
キャミルの母親は酷い病に掛かって死んだ。しかし、それはエレメイの魔法によるものだったことは聞いていた。そして、それでキャミルがハルたちに会うまでずっと部屋でひとり塞ぎこんでいたというキャミルの事情も知っていた。
「あいつのことだけは俺はどうやったって許せそうにない…たとえ、ハル、お前が許したとしてもだ…俺は奴を受け入れられない……」
エウスの言っていることはすべて正しかった。彼女はそう簡単に許されていい存在ではなくなっていた。始まりはドミナスだったかもしれない。それでも彼女がドミナスを打倒しようと走った軌跡に転がった犠牲は計り知れないものとなり、今もまだバーストという組織は完璧には解体されていない。
今を生きる者たちにとってエレメイは、災害をばら撒く、この大陸の病巣でしかない。彼女は復讐の為に、犠牲をいとわなかった。
だから、彼女は悪に染まった。悪を打倒するために悪になった。
「エウス」
ハルも真っすぐ海を見据えていた。
「なんだ?」
「エウスが彼女を受け入れられないって感覚は酷く正しいよ、だけど、俺は彼女のことを受け入れた。一度受け入れたからにはもう離さない。そう俺が決めたらもう譲らない。誰かを愛するってことに関して、俺の中でそれが覆ることはない。例え、それがエウスの言葉でも」
ハルが、エレメイを引き入れたことにも理由があった。だけど、その理由があるのは愛すると決めた最初だけ、愛すると決めてからはずっと理由なくエレメイを愛していた。どれだけ、闇を纏っていようが、その手が血で汚れていようが、選んだ人たちはハルからの愛を受け取れた。
「そんなにエレメイみたいな聖女様がお好みか?」
「エレメイの聖女の姿は仮のものだ。彼女はもっと血なまぐさくて、戦乱の時代を生きて来た魔導士だよ」
「通りであいつ大量に人を殺してもなんとも思わないわけだ…」
「………」
少し間を開けてからハルはエウスの方を向いて言った。
「エウス、人をたくさん殺したのは俺も同じだ。罪の無い人たちをここでたくさん殺した」
キャミル救出の際、ハルが行ったバースト襲撃の被害は、エレメイのレイド襲撃よりも確実に被害を出していた。
「ハル、お前はそうやって自分を責めようとするが、それは絶対に違う。ハル、お前はエレメイに人殺しにされたんだ。そうだろ?」
「違うよ」
「いいや、違くない。あの時ハルはキャミルの為に、罪を背負ってくれた。キャミルの命を救うためにハルは最後まで足掻いてくれた。俺はこの恩を絶対に忘れるつもりはないと思ってる」
「エウス、それでも、俺が人を殺したって事実は変らない。どれだけ詭弁を並べても俺はエレメイと一緒で人殺しだよ」
夜のせいか、ハルの青いはずの瞳が黒く淀んで見えた。
「ハル、俺はな、それも含めてエレメイのことが許せないんだよ!」
エウスが珍しく感情を露わにしていた。彼は酷く腹立たしさに怒りを露わにしていた。
「あいつは、俺たちから、ハルを奪った。ハル、お前、レイドでは絶対に人を殺さないように言われたよな…」
「そうだね、ダリアスには、耳にたこができるまで言われて来たね」
「あれはきっとすごく大切なことだったって、何よりもハルが守らなくちゃいけないことだったんだって、今になって俺は分かったよ…」
エウスが肩落としていた。彼が落ち込む姿をハルはあまりみたくなかった。
「ハル」
「なに?」
「お前、変ったな…」
エウスからのその言葉が、ハルにはとても苦しく痛かった。いつまでも一緒だと思っていた。けれど、自分は彼の傍にいられないほど変わってしまったのだと、ハルは自覚すらできずにいた。
「変ったかな……」
「ああ、もう、昔の俺の知ってるハルじゃないって、そう感じる…」
「そっか…」
涙が溢れそうになったが、グッと堪えて海を見据えた。
ハルにとって、エウスとは人生を共に生きる唯一無二の親友で、絶対に替えの利かない存在だった。目覚めてから最初に会った人が彼で、手を差し出して世界へと連れ出してくれたのが彼だった。それからずっと、ハルはエウスと一緒に生きて来た。これから先もそうなると思っていた。
涙が零れ落ちそうなところをハルは、なんとかギリギリで、堪えて…。
「ハル…」
ふと隣を見ると、エウスの目からは大粒の涙が流れていた。
「エウス…」
ハルはそれでも泣かなかった。それよりもエウスが泣いていることにハルは大きなショックを受けていた。
「俺は、お前に助けてもらってばっかりなのに…、お前のこともエレメイのせいで許せなくなっちまった……俺はこれからもずっとお前の隣でお前を支えて行こうって、だから今もここに俺はいるのに……」
エウスがハルの胸倉を弱弱しく掴む。
「だけど、だけどよぉ、割り切れねぇんだ…俺はハルもキャミルも二人のことが大好きだから、どうしても、割り切れねぇんだ……………」
エウスがハルの前で崩れ落ちる。
「俺はハルや、あいつと一緒に居られるライキルみたいに強くない、そんなできた人間じゃない、俺は三人の中でも一番弱い。だから、許せない…俺から、ハルや、キャミルの笑顔を奪ったあいつのことが憎くてしかたない。今すぐにでも奴を殺してやりたい…………」
エウスがハルの膝の上で泣き崩れる。
「俺は弱いから……ゆるせない…………許せねぇんだよぉ!!!」
エウスは顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。泣いて叫んでいた。
「エウス………」
ハルはそこで自分がしていることが、周りの人を不幸にしていると気づいた。誰かを救うということは決して良いことだけではない。その裏側で報われない者もいる。それならハルはどうすれば良かったのか?エウスの気持ちは痛いほどよく分かる。けれど、エレメイの置かれてしまった状況も見過ごせない。
だから、ハルは選んだ。みんなの命もエレメイのことも救える選択を、けれど、それは最善のように見えて最善ではなかった。
エウスを、ハルの世界にたった一人しかいない親友を苦しめてしまった。ハルは彼から遠ざかってしまっていた。
ハルは自分が犯した選択の過ちと、泣き崩れるエウスをどうしたらいいか分からず、固まっていた。
しばらく、エウスが泣き止むと、彼は赤い目を腫らして、顔をあげる。ハルはなんと言葉を掛けたらいいか戸惑っていると、彼が言った。
「取り乱して悪かった…」
「いや、俺は…エウスのこと何も考えてなかった……俺がもっとしっかりして………」
そこでエウスがハルの言葉を遮る。
「俺はレイドに戻ろうと思う」
「え………」
「俺はいつだってお前の隣にいるべきなんだろうが…エレメイがいる以上、俺は奴を許せない。あいつは、ハルの大切な人なのに、どうしても憎しみが勝っちまう……」
エウスが立ち上がる。ハルはとっさにエウスの手を掴んでいた。
「エウス…」
今度のハルの声は震えていた。
「俺はお前と出会った時から最高の親友だった。そして、それはこれから先も絶対に変わらない」
「俺、エレメイと話し合って…もう一度どうにか……みんなが………」
ハルが彼を引き留めようと場当たり的な言葉を吐くが、彼は止まらない。
「ハル、お前は何一つ間違ってない。それを俺は分かって全部言ってる。俺はガキだ。現実を受け入れられないガキで、ハル、お前は大人になった。ハルが今も俺たちを見えない脅威や理不尽から守ってくれてるってことも知ってる」
ハルの手からほどけるようにエウスの手が逃げる。
エウスが海を背に歩いて行くと、そこにはドミナスの迎えに兵士が立っていた。
「ハル、俺は卑怯ものだ…お前に何も返せずにこうやって、お前の元から離れるんだからな……」
「エウス、ごめん、俺が悪かった…悪かったから……」
「だから、ハル、お前は何一つ悪くないし、間違ってないんだ。お前はいつだって、誰かの為に戦ってる。それを俺は知ってる」
「エウス、まだ、ここに居てくれ、俺は、エウスがいなくちゃ何もできないんだ……」
「それは俺だ、ハル…」
ハルは最強なのに、どんな化け物も神獣にも勝てるのに、今は怖くて体が動かなかった。
「待ってくれ、エウス!!!」
エウスがドミナスの兵士の元に行くと、彼に言った。
「レイドの王都スタルシアまで俺を飛ばせるか?」
ドミナスの兵士は静かに頷いた。
「ハル、何もかも勝手で悪いと思ってる。だから、すべてが終わったら、またレイドに来て一緒に酒でも飲もう…、その時は、別にエレメイがいても気にしないまで、俺も大人になってるからよ……」
エウスが最後に振り向いた。
「またな、ハル」
「待てって!!!」
ハルが手を伸ばすのと同時に、エウスはドミナスの兵士と共に瞬間移動で消えてしまった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああ………」
ハルはひとり浜辺に取り残され、喉が枯れるまで絶叫した。
そして。
結局、それから、次の日の朝、ライキルたちがいつまでも帰ってこないハルを探しに来るまで、ハルはその場から動けなかった。
*** *** ***
レイド王国。
王都スタルシア。
王城ノヴァ・グローリア。
城内のある一室の扉にノックの音が鳴る。
「はい、どなたかしら?」
「キャミル様、お客様がお見えです」
メイドの声だった。
「そう、誰なの?」
「エウス様がお見えです」
一瞬の静寂が訪れ、扉が外れんばかりの勢いで開いた。
扉の前に立っている青年に、キャミルは駆け寄って顔を確認すると思いっきり彼を抱きしめた。
「エウス!!!」
キャミルは彼の胸の中で、泣きながら、何度も彼の名前を呼んだ。
「エウス、エウス、エウス、返って来てくれたのね!!!嬉しい!!!」
「ただいま……」
「良かった、本当に、本当に良かったよぉ………」
キャミルとエウスはようやく再開することができた。
だが、エウスにとってこの選択が最善だったかどうかは、分からない。
それでも、今は、今だけは、愛する人のことだけを考えようと努めた。
いつか、みんながここに戻って来た時、最高のもてなしができるように、エウスは、彼女と共に、このレイド王国をどこよりも素晴らしい国にしようと決意する。
『ハル、俺はお前の居場所を必ずつくる。そのためにも俺は全力を尽くす、お前に負けないくらい、凄くいい王様になって……』
ハルがいつ戻って来てもいいように、次期王として、エウスは、今別れて来たばかりのハルに誓う。神にではなく、彼に。
『また、お前の隣に居られるように俺も強くなるから………』
そこで、思いつめた顔をしていたエウスにキャミルが声を掛ける。
「エウス?どうしたの?」
「ん?ああ、何でもない。それより、キャミル、これからはずっと一緒だな」
「あぁ、もう、本当に嬉しい!!絶対にもうどこにも行かないよね?私の傍にずっといてくれるよね!!?」
「傍にいる」
エウスが微笑むと、キャミルが満面の笑みを浮かべていた。
「愛してるよ、エウス」
「ああ、俺も愛してる」
二人がキスをすると、窓から夜風が吹き込んで来た。
窓の外にはキラキラと夜空に星が散らばっていた。
どこまでも美しい夜。
これはエウスが自分で選んだ夜。
そして。
親友との別れの夜だった。
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老いた体で旅に出る時、この時の後悔を決して忘れないだろう。それでも必至に彼の帰りを待っては…。ああ、麗しき若き日々よ。あなたがいた日々が、どれほど素晴らしく最高だったかなんてよくわかっていたのに、またがあると思った、愚かな若き日よ。私が与えたあなたに与えた傷はあまりに深く大きかった。それでもあなたは最後の最後に許してくれたね。だがな、私よ、忘れてくれるな。この選択はあまりにも愚かだったということを、忘れず、永遠に引きずっていくということを。それでもだ。この後悔は、お前をどこまでも正しくそして強くした。
なあ、最愛の親友よ。ありがとうと言わせてくれ。お前さんがいたから、私はこの世界で生きる意味を知った。この世界にはいつも救いがあるということを知った。あなたと過ごした日々が私の人生を前向きにした。
ありがとう。本当に、ありがとう。
私の最高の親友。
ハル・シアード・レイ。
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