神獣探索 調査継続
イゼキア王国王都シーウェーブ。
巨岩が止んでから数週間ほどが経った。街には空から降る巨岩の脅威が消えて人々が戻りつつあった。街に被害が一切ないのはひとりの英雄のおかげであったが、街の人たちはそのことを誰一人として知らない。だからこそ、街中を警備の為に歩いていたゼリセ・ガウール・ファーストが、巨岩から街を守った偉業を命一杯称えられていた。
ゼリセが騎士を連れて街の見回りをしていると、「ゼリセ様」と街中の住民たちから、歓声と尊敬のまなざしが向けられた。
その声を合図に、群衆がゼリセの周りに群がり、ゼリセたちは警備どころではなくなっていた。
「だから、俺は気乗りしないと言ったんだ」
ゼリセが不機嫌そうに、自分の従者であるレックに言った。
「仕方がないですよ、今は王不在の無政権状態。寄る辺となるのは剣聖であるゼリセ様しかいらっしゃらないのですから、少しは民衆たちを安心させるにはこうして少し顔を出すだけでも効果的なんです。今の彼らに必要なのは絶望から這い上がるための希望なんですから」
「じゃあ、その民衆の希望である王族たちを呼んで来いよ」
「そうしたのはやまやまなのですが、現在王族たちは消息不明。王立騎士団で捜索中とのことですが詳細も不明のまま」
「ロイファーも見つかっていないのか?」
「はい、現在、ロイファー様を含めた、サーペン家の人間すべて消息を絶っています」
「………」
「ですから、この王都の支えとなっているのはゼリセ様だけなんです」
ゼリセの周りには騎士たちが群がる民を阻みながら歩いていた。その民衆たちを見るとみんな熱狂的にゼリセのこと支持していた。それも本来ならば自分ではなく、この街を本当に救った彼が受けるべきものだったが、ゼリセはその本人から、ゼリセが見回りに出た方が民衆は喜ぶからと指示を受けていた。偽りの功績もその時一緒に被せられ、反対しようとしたが、民衆のためだと彼は言っていた。それにはゼリセも賛成だった。
街を見回ったが、一度空になった街が回復するまでには時間が必要で、さらに城までなくなり王様まで不在となると、民は不安で仕方がなかった。少しでも見慣れた景色があるというのは落ち着くもので、ゼリセがちょくちょく街に顔を出していた。
それでも、ゼリセの気分は決していいものじゃなかった。まだ何も現状は変っていないからだった。
『俺は偽りの偉業などで名を上げるほど愚かではないからな…ハル……』
認められたいがあくまで自力で認められたいという気持ちがゼリセにあったし、そうじゃなければ意味がなかった。
「一度警備は止めて引き返す。これでは見回りどころじゃないからな」
「承知しました。騎士の皆さん、一度本拠地へ戻ります」
ゼリセが踵を返し、まだ、瓦礫の山が広がる旧王城フエンテへと戻っていった。
***
王城フエンテ跡地。
爆発で吹き飛んだ跡地には、いくつもの簡易的な縦長のテントが張られていた。そのテントの前には神獣討伐対策本部と綴られた文字が書いてある看板が立っていた。
高い天井のテントの中には、ひとりのエルフがいた。身長が三メートルはあるエルフが、エルフ専用の椅子に座り、大きなテーブルに広がる地図を眺めていた。彼こそ、このレゾフロン大陸の裏社会を牛耳って来たドミナスの首領【エルノクス・デルトラータ】本人であった。
彼は目の前の地図の上にある駒を棒で動かしながら、周りにいた部下の知識人たちと意見交換をしていた。
「となるとやはり緑死の湖には何もいないのですね?」
「はい、緑死の湖をここ一週間くまなく捜索しましたが、世界亀らしき存在は確認できませんでした」
「なるほど、それで、あの山蛇の件はどうなっていますか?」
「その件に関しましては、調査が完了しております」
エルノクスの正面にいた部下が下がると、入れ替わるように、魔導士の格好をした部下が入って来た。
「陛下にこうしてご拝謁の機会を頂き、光栄の極みでございます」
「構いません、報告を」
「ハッ、今回の調査の結果山蛇は【召喚生物】であると魔力鑑定から断定されました」
「召喚生物ということは、すべて魔力で構成されていると?あの巨体がですか?」
「はい、ですので、一週間ほどして動きが止まると、山蛇の巨体はすべてマナへと還元されたのを我々魔法調査班が確認いたしました」
エルノクスがジッとテントの天井を見上げて何かを考えたあと、彼に視線を戻した。
「山蛇は召喚されて出て来た。となると、やはり召喚主は世界亀で間違いない…」
「我々調査団も陛下と同じ意見です。あれほどの強力で巨大な生物を召喚するとなると、人の域を超え、いや、並みの神獣ですらあれほどの召喚は無理だと思います」
「となると、このイゼキアにはまだ脅威が潜んでいるで間違いないということになりますね、これは困りましたね。何か手がかりはつかめましたか?」
「それが、大陸中のマナ場の観測を進めているのですが、どこにも乱れはないとのことで…」
世界からエーテルが失われてからおよそ二百年ほどが経っていた。空気中に満ちていたエーテルが消えたことで、世界には魔法の素となるエネルギーがマナだけになってしまっていた。そのため、マナがあるマナ場を調べることはそう難しいことではなかった。レゾフロン大陸の西部にあるマナだまりもそう多くはない。ましてや、山蛇を召喚したり巨岩を降らせたりと大掛かりな魔法を使用するとなると、必ず大きなマナ場の乱れがあってもおかしくはないはずだった。
「観測は引き続き続けてください、もしかすると、再びあの山蛇召喚するときなど、どこかで大きなマナの乱れがあるかもしれませんから」
「はい、引き続き調査を続けます」
テーブルを囲っていたもののひとりが言った。
「しかし、あれほどの巨大生物を一体いつから地下に召喚していたのでしょうか?」
そのことをエルノクスも考えていたが、その問いに関してはあらかた答えが出ていた。
「もしかすると、ずっと遥か昔、我々人類が歴史を持ち始めるずっと前から、召喚されていたという仮説を立てることはできないですか?」
エルノクスがそう言うと、部下たちは彼の発言に対して真剣に考えこんでいた。エルノクスは続けた。
「ドミナスの過去の調査で、緑死の湖の地下には確実にあの蛇が数百年間居座っていたと考えると、今から何千、何万年も前から眠っていたとしてもおかしくはない。ただ、世界亀の存在自体がまだまだ憶測の域を出ませんが、世界亀が最古の神獣と我々の間で定義づけされている以上、その亀が存在するなら、召喚生物である山蛇の存在期間もまた同じはずです」
「申し訳ございませんが、発言をよろしいでしょうか?」
「はい、自由に話してください」
「感謝いたします、陛下」
そこまで言い切ると、申し訳なさそうに部下のひとりが発言した。しかし、エルノクスと会議をするとき、そう言った控えめな姿勢は必要がなかった。どんなおかしな意見や発言をしても、みんながその発言者の言葉に対して深い洞察を持って接することを義務ずけていた。だから、どれほどバカな発言をしても誰も発言者の意見を馬鹿にすることはこの場ではない。あってもせいぜい筋の通った批判と反論だけだった。
「陛下おっしゃったことが、仮に事実だとすると、世界亀はずっと召喚生物である山蛇に魔力を供給していたことになります。あれほどの巨大な召喚生物を何百、何千と維持するとなるとさすがに緑死の湖のマナ場だけでは無理があると思います。マナは有限なのですから…」
「良い意見ですね。ですが、見落としているところがあります。あなたは人族だから馴染みが無いかもしれないが、以前この世界はエーテルという力に満ちていました」
「あ…そうか……」
そこで発言者の彼も自分の過ちに気づいたようだった。
「昔の人々はマナで魔法を使うよりもエーテルで魔法を使うことが大半でした。そこら中に漂い魔力への変換効率も良かったので、身体への負担も軽かったエーテルは魔法を使う上では優先されて消費されていました。さらに、エーテルは空気と同じようにそこら中に満ちていたからこそ、強力な魔法を使っても、マナ場のような乱れも小さかった。それは、我々が呼吸しても酸素が空気中から無くならにように、昔は世界がエーテルに包まれていたんです。だから、山蛇の召喚と維持も容易だったのでしょう。維持が厳しくなったのはおそらく、エーテルが消滅してからここ二百年の間です。ただ、それでも、維持し続けられたとなると、世界亀は相当の魔力を内包している化け物ということになりますね」
「やはり、今一度、調査と世界亀の認識を改めなくてはいけないのですね…」
テント内の全員が一斉に自分の頭の中で世界亀について考え始め、静寂に包まれていた。
世界亀がどれだけ規格外な生物であるか、この会議だけで全員が認識を一致させ、その対策を練る必要があったが、まだ何も明らかになっていない以上、対策の施しようがないのも事実だった。
『うーん、ハルさんをどう動かすかがこの神獣討伐の突破口だな…他の駒は当たり前だが、役に立たない、この私でさえも、下級兵士以下の戦力という扱いが妥当な判断だ…』
神獣討伐において、ハルの存在は絶対であった。もしも仮に、世界亀をドミナスだけで対処しようとなると、まず間違いなく、全滅か撤退かの確定した敗北を選ばされることになる。それを、殲滅という勝利という追加の選択肢を選べるようになる要因は間違いなく、ハルという人類の最終兵器だけだった。
『いや、それよりも、我々は世界亀という敵を地上に引きずり出す事の方が先決だな…』
「みんな、もっと意見を出して議論しましょう。考えられるあらゆる可能性を徹底に洗い出して、世界亀と山蛇について解き明かすのです。それが我々ドミナスの今回の任務なのですから」
議論は朝から晩まで続いた。
だが、結局、決定的な結論でなかった。唯一この議論で確定して得られた結論としては、世界亀は山蛇を召喚できる。世界亀は巨岩を降らせる魔法を扱える。居場所は不明で、唯一繋がりのある山蛇が緑死の湖で確認されているということだけだった。しかし、これだけでは全く持って何も分からないのが現状だった。
いまドミナスは常に、神獣たちの後手に回っている。智者たちよりも獣の方が一枚上手と考えると、人類の叡智の結晶でもあるドミナスとはいったい何だったのかと、エルノクスも鼻で笑いたくもなるが、そういった未知の謎を解き明かすことこそ、エルノクスがドミナスに求めているものでもあった。
だからこそ、エルノクスは今回の件、かなり意欲的でもあった。
「明日の朝、私、自ら現地に調査に行きます」
エルノクスが部下にそういうと、部下は頭を下げた。
「では、護衛はいかがいたしましょうか?」
「ハルさんに同行して欲しいと伝言をお願いします。それと私の部下からはミカヅチを連れて行きます。この三人で緑死の湖に調査に向かいたいと思います」
「承知いたしました」
部下が瞬間移動で飛び、早速、ハルの元に向かったのだろう。
「僕も連れて行ってくれないかな?」
「ん?」
声がした。しかし、その声をエルノクスがテント中を見渡しても、確認することができなかった。
「誰か、何か私にいいましたか?」
そこでテントに集まっていた部下たちはお互いを見渡していたが、誰もその時エルノクスに話しかけていたものはいなかった。
「我らが王、エルノクス。どうか、僕に汚名返上の機会を与えてはくれないか…」
気が付けばエルノクスと地図が広がるテーブルを挟んだ向かいには、大きなつばの広い黒い帽子を被った者が立っていた。背は高くない。それでも、ドミナスの兵士たちがうじゃうじゃいたこのテントに気配を察知されずに入って来る者は、並みはずれた魔法の使い手で間違いなかった。
ここら一帯のテントが張られた旧王城フエンテの跡地には、何重にも結界が張られており、ちょっとした要塞よりも防御力の観点から言えば強固なものとなっており、監視の点からも、相当な気配遮断の魔法を有した者か、結界の突破に詳しいものでない限り、結界内にある監視網を潜り抜けるのは不可能だった。そして、この本部であるテントに気配を気取られずとなると、それはもはや、数えられるほどしかいなかった。
ドミナスの兵士たちが、そのつばの広い黒い帽子の女性を黙認すると、一斉に片膝をついて、敬意を示した。
エルノクスもそこで彼女が誰なのか容易に想像できた。
「具合の方はもう大丈夫なのかい?ドロシー」
エルノクスの前には、三大魔女のひとり闇のドロシーが立っていた。
「うん、なんとか大丈夫…それよりも、僕にも今回のこの神獣討伐の件に交ぜて欲しい、エルノクス、きみの役に立ちたいんだ」
帽子を取った彼女の紫色の髪がなびく。そして、どこか自信を失った紫色の瞳がエルノクスを申し訳なさそうに見つめていた。
「嬉しいよ、ドロシー。きみがいれば心強い、ぜひ、明日の調査には同行して欲しい」
「ほんとに!?」
「君の知恵が必要だ」
「絶対、役に立つよ!!!」
ドロシーは張り切っては目を輝かせていた。エルノクスも彼女が元気を取り戻したことに笑みを浮かべていた。
それからエルノクスは、最強の護衛のハルと、心強い魔女のドロシー、部下のミカヅチを連れて、翌日の朝、緑死の湖に出発するのだった。