幸せを願って
「話しって言うのは特に難しいことじゃないんだ」
アシュカが残り物のティーカップの紅茶をすする。
「なんでしょうか?」
「分けるべきだと思ったんだ。表と裏を」
「分ける?」
「急にこんな話をしに来て悪いが、ライキルには伝えておこうと思って」
アシュカもライキルという存在がどのようなものなのか聡明な彼女はすでに把握していた。
「ライキルたちが、表なら、私や、エレメイ、ルナは裏側の人間だ。ここはきっちりと分けておかないと、ライキル、あなたも他のガルナ、ビナもあまり気持ちよくないだろ?」
「おっしゃっている意味が分からないのですが?」
表と裏と言われてもピンとこないライキル。表側の人間は裏側を知らないのは当然だ。しかし、ずっと日の当たらない場所で生きて来たアシュカに言わせれば、その二つが入り混じるといつも被害を被るのは、表側の人間だけだった。裏社会に無知であるゆえに、対応策を知らない。裏側の抱えている人間の闇を知らない。その闇がどれほど危険でどれほど被害をおよぼすか、その影響力も分かっていない。だから、そこはアシュカがハルの為にも、考えるべきことだと思っていた。
「要するに、私たちは同じハルという夫を共有する妻となるわけだが、その意味合いは大きくことなる。一言で行ってしまえばハルは私たちという裏側の人間を抱えたことで問題が山積みだということだ」
「問題?」
「つまり私たちが裏で抱えて来た問題にハルも巻き込まれるという意味で、それは裏社会を生きて来た私たちを受け入れるなら避けられないことなんだ」
ドミナスという裏社会最大の闇をもってしても、悪事を行うものたちはいる。それはドミナスの目の届かないところで今も力を付けているかもしれないのだ。
それでもハルの判断は賢明だった。アシュカを受け入れたことで、大陸最大の脅威でもあるドミナスを味方につけたのだから。
それがハルがアシュカを愛してくれる意味だということは明白だった。そうじゃなければ、アシュカも自分のことをこんなにも簡単に受け入れてくれるなどとは、ライキルという存在を考慮すれば考えられなかった。
ハルのライキルという女性への溺愛ぶりをみれば、自分の立場もおのずと理解できた。自分にもこんなにも尽くしてくれる。これはアシュカからしたら、思いがけない幸運だったが、ライキルからしたら、不幸で間違いない。
「私たちはそういった意味では距離を取るべきなんだと思う」
「そうやって、分けて何かいいことがあるんですか?」
「あるよ、まず、私たちのような裏側の人間といるよりかは格段に安全になる。知ってるかな?ホーテン家のルナにはデストロイヤーという異名があって、この名を憎む者はレイド周辺にいる組織には大勢いる。それにエレメイ、彼女はステラという偽名でバーストの活動をしており、この名前を聞いただけで首を刎ねようと命を狙う者は数知れない」
「………」
「そして、私はまさにリベルスという組織にいまだに命を狙われている。深い因縁があるから、彼等は私たちドミナスが滅びるまで決して許しはしない。そして、エレメイもそのひとりだ」
ことは複雑を極めていた。ハルというひとりの男性の元に集まった裏側の女性たちは誰もが厄介ごとを持っていた。それも当然、人を犠牲にしてきたのだから、恨みを買っているのだ。
だから、アシュカはその厄介ごとにライキルたちのようなハルの抱える無垢な妻たちを巻き込むのは違うと思っていた。
「まず、あなた達レイドの妻たちはハルと一緒に暮らせばいい。だけど、そこにルナやエレメイ、私たちのようなある意味では部外者だった者たちが急に押し寄せても困るだろし、それに安全の面からも、ある程度の距離が必要だと思ったんだ」
ライキルがそこで少し眉をひそめていた。
「家族は一緒にいるべきだと思うんです。だから、私はアシュカさんとも一緒に居たいと思います。それはハルも望むことでもあると思います…みんなでいること、それは日ごろからハルが大切にしていることでもありました」
それでも最近はその一緒にいるために、ハルが不在になることが多かった。それに何となくだけれど、みんなでいることの中にいつだってハルは自分の優先順位を一番下に位置しているような気さえした。
「確かにそうかも、ハルは私にも傍にいて欲しいって言ってくれた。だけど、みんなで一緒にいる必要はないとも思うんだ…」
「………」
ライキルは黙っていた。
気を悪くさせてしまったと思ったアシュカは重たい沈黙を破る。
「まあ、ライキルにも、そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、私にはまだ、その心の準備はできていないところもあると分かって欲しいのかもしれない」
「心の準備ですか?」
「ああ、それはエレメイの件もある。彼女と私は絶対に交わることのない人間なんだ。だから、家族なんてもってのほかだ」
ドミナスを討伐するために作られた組織バーストその首領がエレメイであり、ドミナスの魔女であるアシュカとは宿敵そのものであった。
「それに私自身、少し、ライキルたちが眩しいと感じてしまうところがある…目が慣れてないのかも」
ハルに受け入れらたからといって、アシュカが舞い上がるほど、周りが見えていないわけではなかった。確かに、ハルへの狂気的な愛は芽生えてしまっているが、それがライキルという前からハルを支えていた人たちをないがしろにする選択肢にはならない。いや、してもいいんだろうが、おそらくそれをするとハルに嫌われることになる。それがアシュカにとって致命的だった。彼女は今は支配の魔女ではなく、ただのハルの妻のひとりなのだから、そのグループでの空気は大事にするべきだと、立場をわきまえていた。
「アシュカさんにとって」
「アシュカでいいよ」
「アシュカにとって、ハルとはどんな存在ですか?」
彼女はちょっと恥ずかしそうに、ライキルに打ち明けた。誰かと好きな人と話をする機会なんて今までなかった。だから、恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちでアシュカの顔は酷く緩んでいた。
「私にとってハルは息子であり」
「息子???」
意外な返答にさすがのライキルも保っていた冷静さが顔から取れて動揺していた。
「あ、えっと、その、私がそのハルを取り込んだでしょ、でも、ハルは私の世界を壊して私の身体から外の世界に戻って来た。これは、ほら、もう私がママでしょ?私がハルを産み直した。だから、ハルは私の息子でもあり、夫でもある。私はそんなハルが愛しくて仕方ないんだけど…」
ガタン!!!
突如、ライキルがソファーから腰をあげて、テーブルを踏みつけてティーセットをなぎ倒し、目の前にいたアシュカに勢いよく迫った。アシュカの前に来たライキルが彼女のもっていたティーカップをその手から薙ぎ払った。
「え?えっと……ライキル……?」
「アシュカ」
「な、なに?」
アシュカは迫ってくるライキルに何もできずにいた。怒って攻撃して来るのなら無力化ぐらいしようと思ったが、それは違った。
ライキルの両手がアシュカの両手を固く握った。
「素晴らしい考えをお持ちなんですね!!」
「え…えっと……」
アシュカが引くほどライキルの目がギラギラと輝いていた。
恐怖という感情と安心感という感情が同時に押し寄せて来たアシュカは、目の前の狂人の言葉に耳を傾けていた。
「そうですか、ハルが自分の子なんて発想今までありませんでした。これは素晴らしい発明です。愛にはいろいろな形がありますが、そうか、そうでね。そっちの愛もありましたね」
「分かってくれるのか?この私の感情を…」
「私はハルを産んだことがないから分かりませんが、ぜひとも理解したい感情です。ハルが自分の息子だったら…」
「私も天性魔法でだから、あれなんだけど、我が子はこんなにも可愛いのかと思ってな、だけど、ハルは夫でもあるから、何とも複雑な気持ちだが、そこはちゃんと我が子のハルと夫のハルは分けて考えてはいる。それにハルも私の子供だといっても理解してはくれなかったから、こうして分かってくれる人がいるとなんだか、嬉しいな…」
ハルに対する狂人同士の会話はそれから惜しみなく続いた。すっかり仲良くなった二人は時間も忘れて、ハルという人間について語っていた。
そうやって数時間が経つ。
「あなたのハルへの愛は十分伝わりました。あなたはハルの妻に相応しい人です」
「ありがとう、ライキルからそうって言ってもらえると、私も彼に愛されていいんだって自信がつくよ」
そこで、寝室の方が静かになっていることに気付くと、ライキルが言った。
「じゃあ、アシュカも行って来て下さい」
「え、私は今日はもういいよ、それにライキルはまだでしょ?」
「私はいいんです。それよりも、アシュカがまた来てくれたって、きっとハルも喜びます。だから、行ってあげてください」
「でも…」
「エレメイがいるのが嫌ですか?」
「いや、私は別に構わないのだが、あっちは私を殺しに来るかもしれない…」
「大丈夫です。エレメイにはそうしないように言ってあるので、それに、アシュカもみんなを知るチャンスでもあると思いますよ」
「わかった……」
アシュカがリビングから静かになった寝室の扉をそっと開いて中に入って行く。
彼女が一度振り向く。
「本当にいい?」
アシュカがリビングにいるライキルに言った。
「しつこいですよ」
「ごめん、じゃあ、先に…」
「たくさん可愛がってもらってくださいね」
去り際アシュカが言った。
「ライキル、それでも、私はさっきの話しはよく考えた方がいいと思う。私たちはきっと交わるべきじゃないこと……」
「分かりました。考えておきます」
寝室に向かうアシュカに説得力はなかったが、確かにライキルも、無理にみんなが一緒の場所に集まらなくていいという考えもあった。けれどハルのことを考えてあげれば、みんな一緒がいいのかもしれないと、ハルの立場でものを考えると、そう思った。
「ハル、いま、幸せかな?」
ライキルはひとり、リビングで彼の幸せを考え続けていた。
みんながハルのことを愛してくれるようにと。
寝室からはほどなくして、みだらな声がずっと響いていた。