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愛に堕ちる

 何かがずっと足りなかった。求めるものはあまりなかった。それでも程よく欲しいものは何でも手に入れてきた。天性魔法の紅はアシュカをどこまでも遠くへ連れていってくれた。敵なしのアシュカの前に用意されたドミナスからのご褒美は、金、男、権力など、手に入らないものはなかった。


 それでも満たされないのはなぜだろうと思うと、エルノクスとエンキウの関係がどうしても目に付いた。


 どれだけ美形の男を集めて、従わせても、心が満たされることはなかった。


 そうやって、時が流れて行く間にアシュカはすっかり刺激に飢えていた。

 満たされない心を闘争で埋めようとさえした。

 彼女の人生には少しばかりの刺激があった。


 ドミナスと敵対するリベルスとの抗争。

 赤羽の団との戦い。

 オリオンとの戦い。


 アシュカはそこで一時の退屈を凌ぐことができた。


 しかし、それもすぐに終わってしまうと、アシュカには、当たり障りのない平穏が訪れ、その余暇を持て余していた。

 たまに、エルノクスから依頼を受けて、世界中飛び回って、持っている力を振るうことはあったが、どれもリベルスと赤翼とそして、オリオンと戦った刺激を超えることはなかった。

 アシュカが戦いに身を投じるのは、刺激が欲しいからだ。退屈という生きることにとって致命的な毒を摂取し続けていればいずれ、ずっと目を閉じて現実から目を背けていた方が有意義だと悟ってしまう日が来るのもそう遠くない。

 とにかく刺激が欲しかった。自分の想像を覆してくれるような体験がしたかった。


 そしたら、どうだろう。彼がいた。噂の身体。最強などともてはやされている剣聖がいた。


 そして、実際に手合わせをした結果。


 アシュカは神を自分で産んでしまった。


 何を言っているか分からないだろうが、アシュカは実際に自身の体内に神を宿し、その神をこの現世に解き放った。これがアシュカの人生を変えないのならば、アシュカはきっと永遠に現実には戻ってこなかっただろう。目を閉じて深い眠りに着き、退屈と無価値に身を落とすことを避け、ひっそりとその人生に幕を閉じていただろう。


 しかし、疑似的ではあったかもしれないが、神を産み落としたという体験は、アシュカの長年生きて凝り固まった価値観を簡単に破壊してしまった。


 ハル・シアード・レイがアシュカに与えた影響は、ハルが思っている以上に彼女の人生観のほぼすべてを壊し新しい人間に生まれ変わらせていた。

 彼女に神の創造をさせたのだ。

 刺激どころの話ではない。


 アシュカがハルに異様に執着する理由はそこにあった。我が子と思うのも彼女は自分のことを聖母気取りでいるからなのだ。愛する我が子と錯覚したいアシュカ。それでも、そこにはあまりにも致命的な欠点があった。


 ハルはあまりにも強すぎた。それはアシュカが非力な赤子同然に扱われるほどに、生物としての格が違った。アシュカはハルのことを持ち前の母性で包み込んであげたかったが、あって話しをすれば、彼のあまりにも男としての存在感に、アシュカは自分が彼の聖母であるということを忘れて彼に夢中になっていた。


 声を掛けられれば乙女のように顔を赤らめ、彼との対話中は気持ちが上ずってしまったり、触れられればずっと触れてもらいたいくらい、ずっと彼に触れていたいくらい彼に夢中になっていた。

 この感情がアシュカから退屈を忘れさせていた。


 そして、結ばれたことで、アシュカは完全にハル・シアード・レイという男の虜になっていた。


 だから、目を閉じてなんていられない。


 夢を見ている場合ではない。


 一国でも早く目覚めて彼に会うんだ。


 そう思った時には、アシュカは目覚め見知らぬ天井を見つめていた。


「おはよう」


 アシュカがベットから上体を勢いよく起こし、声がする方を見た。


 そこには退屈を吹き飛ばしてくれた。

 愛を教えてくれた。

 アシュカにとって一番大切になった愛する人の姿があった。


「よく眠れた?」


 アシュカのベットの横でハルが嬉しそうに微笑んでいた。


 夢なら覚めてもいい、ただ、これが現実だというなら、今までの退屈はいったい何だったのかと、それくらいアシュカは目覚めたら、好きな人が傍に居てくれたという体験を上手く受け入れることができずにいた。


 それくらい長い孤独を彼女は味わってきた。


 枯れた心に注がれた濃厚な愛の液体は、アシュカを放心状態にさせるには十分すぎた。


「どうした?もしかして、まだ、どこか痛む?」


 心配そうにベットの上にまで身体を寄せて、アシュカの顔を覗き込むハルを、逃すわけがなかった。


 アシュカが両手でハルの頬を包み込むように軽く持ち上げる。


「本物?」


「もしかして寝ぼけてるの?」


 ハルが楽しそうに小さく笑う。その姿がすでにアシュカの理解を越えていた。

 口を開きっぱなしのアシュカにハルは言った。


「本物だよ」


「夢じゃない?」


「夢じゃないよ」


 ハルはそのままアシュカのことを優しくそっと抱きしめた。


「無事でよかった、心配したんだ。目覚めなかったらどうしようって…でも安心した。元気そうだね」


 そこでハルが軽くアシュカの頬にキスをした。


 アシュカは開いた口が塞がらず、しばらく、ずっと、そこにいる天使のようなハルのことを食い入るように見つめていた。でも、そう、見つめることしかその時はできなかった。この現状を上手く自分の中に落とし込むのには時間が必要だった。

 それほど、アシュカにとって、愛する人との何でもないこの目覚めの時間は至福の時だった。


 アシュカはそこでふと無意識に言葉を零していた。


「愛してる………あっ……」


 そんな言葉昔の自分なら誰かに使うことなんてずっとないと思っていたが、アシュカは無性に目の前にいる、ハルに自分の気持ちを伝えたくなっていた。だから、つい言葉に出してしまっていた。


「え、本当?嬉しい…ありがとう、俺も愛してるよ」


 彼の笑顔で失明しそうになった。

 本当に眼球がその眩しい笑顔で焼かれたような錯覚に落ちる。世界の裏側にいた時間が長かったからだろうか?血を求めて争う時間が長かったからだろうか?アシュカにはハルのそんな甘い言葉と笑顔は、魂が抜けてしまうほど嬉しかった。


 アシュカはその後も、目覚めた直後から夢みたいな時間をハルと過ごした。アシュカにとってそのハルとの時間は何物にも変えられないかけがえのない時間となった。


 アシュカは落ちていく。


 どこまでも底のない愛の沼へと落ちていく。


 どこまでも彼の色に染まっていく。


 ハルの思惑を知りもせず。


 ただ、ひたすらにアシュカは愛に堕ちていく。

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