止む岩と地下施設
巨岩の雨が止んだ。それはハルが緑死の湖での作戦を終えた次の日の出来事だった。いつものように、巨岩を砕いていると、最初、砕いている内に数が減っているんじゃないかという錯覚があった。しかし、それも砕いている内に錯覚じゃないと、空を見上げると確実に数が減っていることに気付きハルはすぐにできるだけ早く、王都シーウェーブに降る巨岩をひとつも残すことなく砕ききると、作戦本部のテントまで戻った。
テントには相変わらずいつ寝ているのかも分からないエルノクスが、部下たちと共に地図を眺めて意見交換をしていた。
エルノクスの周りの部下は、彼を王と慕っているが、こうして何かについて話し合っている時はお互いに隔たりが無く熱く語り合っていた。
「エルノクスさん」
「おや、ハルさん、どうかしましたか?何か緊急のようでも?」
ハルが自らここに来ることはない。それは空に巨岩が浮いている限りは絶対だった。しかし、今、巨岩を砕き終わり、しばらく様子を見てもどこにも巨岩が見当たらないことから、ハルは本部に報告に戻っていた。
「空から巨岩が無くなったので、それを伝えに来ました」
「え?それは本当ですか?」
エルノクスが外に出て確認しに行くと、ドミナスの兵士たちも彼についていった。
「本当に、ひとつもなくなっていますね……」
「これからどうしましょうか?」
「とにかく、一度、状況を整理しましょう。部隊を分けて、この王都を中心に上空に監視網を敷いてください。巨岩を見つけたらすぐに私に報告を」
エルノクスが命令をするとドミナスの兵士の何人かがその場から一瞬にして消えた。
テントの中に入ると、エルノクスが緑死の湖でハルが倒した山蛇について語った。
「山蛇の死体はいまだに暴れています」
「まだ生きているんですか?」
「ええ、頭を失っても体内に残ったエネルギーだけで」
「大丈夫なんですか?なんだったら俺がとどめを刺してきますよ?」
「それには及びません、現在、我々で対処している最中ですから、それにハルさんにはこれからまたどこから巨岩が降って来るか分からないので、ここで待機していてもらいたいのです」
「それは構いませんが、そうだ、アシュカとエンキウさんは無事なんですよね?」
エルノクスがにっこりと微笑んだ。
「お気遣い感謝します。二人とも無事です。ただ、まだ二人とも眠っています。なにせ、魔力無しで強い衝撃をくらったようで、回復には相当時間が掛るみたいです」
「お見舞いにいっても?」
「アシュカの方ですよね?」
「ええ」
「構いませんよ、案内します」
エルノクスがハルに腕を差し出す。ハルが彼の腕を掴むと、景色が一変した。
そこは見たことも無い機械が至るところに張り巡らされた薄暗い一室だった。機械に埋め込まれたいくつもの計量器の針が小刻みに揺れている。いくつもの管が壁や地面に張り巡らされている。そして、見たことも無い筒形の透明なケースの中で、アシュカが液体に浸かって眠らされていた。
「ここは…」
「『ザ・ワン』と呼ばれるドミナスの地下施設です。ここはその緊急治療室になります」
ハルが、カプセルの中に入っているアシュカを見た。身体に傷は無く彼女は無事のようだったが。
「無事なのか…?」
判断が付かなかった。見たことも無い装置に入れられて彼女の裸体だけで判断した結果だった。
「無事ですよ、このカプセルは白魔法よりも安全に高い治癒を実現してくれるものです。マナを利用した生命維持装置です。負傷者の蘇生も可能な便利な装置です」
「これは機械ってやつですよね…」
「見るのは初めてですか?ハルさんは機械に抵抗はありませんか?ナチュラルとかに属してませんよね?」
「ええっと…」
怒涛の質問に、ハルが戸惑っていると、エルノクスは小さく微笑んだ。
「まあ、いいです。確かにここは機械に馴染みが無い人には少し刺激が強すぎたかもしれません。少し場所を移しましょう」
エルノクスが再びハルに腕を出した。
ハルが同じように掴まると一瞬にして景色が変わった。瞬間移動は実に不思議な体験だった。ハルも瞬間移動と対して変わらない速度で移動することはできるが、すべて、そこに行くまでの過程を経験しているため、本人からしたら瞬間的に移動しているという感覚はなかった。しかし、このエルノクス、ドミナスの兵士たちが扱う転移の魔法はまさに瞬間移動だった。
ハルとエルノクスは少し広い部屋に出た。窓が無く、壁も天井も真っ白な漂白されたような部屋に放り出された。
真っ白なテーブルと椅子が二つ。部屋の真ん中にあった。そして扉がどこにも見当たらなかった。
「あの、ここ出口がないんですけど…」
「ああ、心配ですか?」
「いや、まあ、そりゃあ」
「まあ、そうですよね、私はまだハルさんに完璧には信頼されていない。この部屋を選んだのは間違いだったかもしれません」
エルノクスは少し申し訳なさそうな顔をしていた。だが、彼が部屋の壁まで歩いて行き、その何もない壁の前に立つと、突然、真っ白な壁が自動的に開いた。その奥には通路が伸びていた。
「自動ドアです。マナ制御ですから、魔力を流さないと反応しませんが」
密室だと思っていた場所は、彼が見せた驚くべき部屋の仕組みで密室ではなくなった。
「なんか、もう何もかもが凄いですね…」
「機械都市マキナをご存知ですか?」
「えっと、確か、昔あったストレリチアって国の都市でしたっけ?」
ハルは結構他国の地名をしっていた。昔は六大国との縛りでレイドから出られないため、その反動で地理には詳しかった。
「よくご存じで、その通り、連合都市国家のストレリチアを構成する都市のひとつ機械都市マキナは、世界屈指の機械化文明の先触れでした。アシュカを治療していた機械もその都市が残した遺産で、我々が現代風に改良したものです。前まではエーテルで動いていたのですが、今では跡形もなく消えてしまいましたからね…」
エルノクスが別の壁に近寄ると、壁からキッチンが出てきた。ハルはその光景に驚きをかくせなかったが、彼が普通に飲み物を準備してくれていたので、そのことに深くは追及しなかった。いちいち驚かれても彼もうんざりするだろうと思った。
出された飲みものは、緑の温かい飲み物だった。
「緑茶です。葉をこしたもので、西の国では一般的な飲み物です。私もあっちにいくまでは紅茶ばかり飲んでいましたが、この緑茶もなかなか美味しいものですよ」
容器に入った液体は緑色で濁っていた。ハルは何のためらいもなく飲んだ。
「美味しいです」
「たまには紅茶以外の飲み物もいいですよね」
エルノクスも自分の緑茶飲んではほっと一息ついていた。
それからハルとエルノクスはちょっとした雑談をした。本当にただの世間話だった。距離も縮まることのないありきたりな会話。しかし、そんなほのぼのとした時間もやがて終わりを告げた。
「ハルさん、ここらで少し本題に入りましょうか」
「あ、はい」
エルノクスもハルもコップの中身が空になっていた。
「ハルさんにつかせていたドミナスの兵士からあの話は聞きました」
「巨岩の仮説のことですか?」
「はい、彼の言っていることが本当なら、どこかで巨大なマナ場の乱れがあってもおかしくはないという結論に我々も意見を一致させました。神獣といえど、あれほど強固で大規模な魔法を、何の助けも無しで発動し続けるのは不可能に近いですからね。ただ、あらかじめ用意されていた巨岩を転移で飛ばして、そこに結界を張るだけなら、ぎりぎりマナ場を乱すことなく隠密で発動できるのですが、それでも前提が神獣だからできることです。人間であの規模を日夜連続行使するとなると、神性を得ていても無理があります」
やはりエルノクスには王というより、研究者という側面の方が強いような気がしてならなかった。
「それと考えられる理由として巨岩を降らせていた神獣が近くにいなければ、辻褄があわないのですが、近くにマナ場の乱れはなかった…となると、考えられるのは地下ということになるのですが…」
「えっと、それだと、この地下の施設って危ないんじゃ…」
「それが、ここらへんの地域の地下は事前に調査済みで、そのような大きな神獣が眠っている可能性はゼロなんです…もしいるとするなら、数百年前にもう、発見されているはずなんです」
数百年前からこんな地下施設があったことが驚きだが、そうなると、巨岩を降らせていた神獣はやはり、あの、緑死の湖にいた山蛇ということであっていたのだろうか?となるとハルはそのことについて尋ねてみた。
エルノクスの答えはこうだった。
「おそらく、山蛇と巨岩は別物と考えた方がいいと思います」
「でも、山蛇を倒してから巨岩が降らなくなりましたよね?」
「ええ、ですが、それなら、ハルさんが首を落とした時点で、岩そのものが消えるはずなんです。岩は魔力だけで構成されていたのですから、術者である山蛇から魔力の供給がなくなればその場で潰えるはずなんです。それに、山蛇が頭を飛ばされて、あの規模の巨岩を今日の朝まで維持できるとは思えない。だから、あの巨岩はまた別の神獣によって引き起こされていたそう考えると、やはり、私はまだどこかに世界亀が眠っているような気がするんです。それがどこだかは現在調査中ですが」
「エルノクスさんは、今回の緑死の湖にいた山蛇の討伐で終わったと思ってはいないのですね?」
「ええ、当然。まだどこかに今回の黒幕が潜んでいるはずです。我々はまだその尻尾すらつかめていない。ただ、手掛かりとなるのはやはり山蛇だとも思っています」
それからも続いたエルノクスの考察をハルは真剣に耳を傾けた。
話しも終盤に差し掛かったところで、ハルはそこでふとあることを尋ねてみたくなった。
「どうしてそこまでエルノクスさんたちはこの神獣討伐に協力してくれるんですか?」
山蛇の謎に頭を使っていたエルノクスが、その黒い瞳でハルを見た。超高身長の彼からハルはいつも見下ろされていたが、そこで彼が腰を曲げて前かがみになるとハルの前に顔を持ってきた。
「勘違いしないで欲しいのですが、我々はハルさん、あなたに協力しているんです。ハルさんがやると決めたなら我々もそれに従います」
「俺はそこまで偉くなった覚えはありませんが…」
「私たちはもう切っても切れない関係で結ばれてしまったのですから、困ったことがあればお互い様です。お互いに助け合っていきましょう」
エルノクスが姿勢を戻すと、ニコニコと隙の無い笑みを浮かべていた。
「それなら、変にこっちを試そうとしないでくださいよ?」
「というと?」
「エルノクスさん、ライキルと一緒にいた時、殺気放ったことありましたよね」
「ああ、あれは彼女の言ったことが本当かどうか試しただけです。本気で危害を加える気なんてありませんでしたよ」
「そのライキルや他の人たちのことでそういうこと今後しないで欲しいです。多分、俺も我慢できなくなったら、どうなるか分からないんで…」
空気がひりついた。エルノクスが持っていたカップに勝手にひびが入った。一瞬の静寂があった。その静寂を破ったのはエルノクスだった。
「この際はっきり言わせてもらいますが、やっぱり、ハルさん。あなたは危険なんです」
「危険ですか…」
「ええ、個人であるあなたが持っている力があまりにも大きすぎる…」
エルノクスに可哀そうな目で見られるが、ハルはそんな彼に怒りも露わにすることなく俯いていた。
「その力は大きすぎるが故に、いつか必ず暴走を引き起こすと思います。それはきっと私たちが関係していなくても、あなた自身によって何かをきっかけにです…」
「………」
この力が無ければと考えたこともあった。それは悪い方向で力を振るった時など特にそう思うことがあった。
「ハルさん、ひとつアドバイスをしておきます」
「なんでしょうか…」
「何があってもすべてを諦めてなげうってはいけません。力を持つ者は、その力に対して最後まで責任を持たなければなりません。そうじゃなければ、より多くの人が犠牲になるでしょう。力とはそういうものです。振るえるだけじゃだめなんです。己が裁量で支配できなければ、力を持っていないも同然です」
エルノクスが席を立った。
「ハルさんにならそれができると私も信じていますし、きっと、今までもそうして来たのでしょう。ですが、改めて心に刻んでいただきたい。ハル・シアード・レイという人物がどれほどこの世に影響を与えられる人間なのか、あなたは、この有史以来きっともう二度と現れない存在なんですから」
ハルがそこで顔を上げて少しばかり反論した。
「みんなそうですよ、きっと」
「たしかに…」
エルノクスは自分でも笑っていた。
それなりに会話を重ねたがやはりエルノクスという人物についてハルはあまり知ることができなかったと思った。
彼は話の終わりに、ハルを一度みんなのところに送ってくれることになったが、断りを入れた。
「どうして、会いたいくないんですか?」
「みんなには会いたいです。ですが、それよりも今はアシュカの傍にいてやりたいんです。彼女身体を張って頑張ってくれたので、目が覚めた時に傍にいてあげたいんです…」
エルノクスは少しだけ寂しそうに微笑むと、ゆっくりと頷いた。
「分かりました。それなら、傍に居られるように手配します。きっと彼女も喜びます」
「ありがとうございます」
そういうと、ハルはエルノクスが伸ばした腕に掴まった。
二人は真っ白な部屋から消えるのだった。