正体
見渡す限りハルの周りは降り注ぐ巨岩に埋め尽くされていた。砕いても、砕いても空から無限に岩が生まれた。ハルは休むことなく黙々と一番落下位置が低い岩から順番に破壊し、絶対に街への影響がないように、常に周囲に気を配っていた。すでに辺りには夜が訪れていたが、ハルが降り注ぐ巨岩たちの破壊を止めることはなかった。一個でも地上に空から降る巨岩が落ちれば、下は即座に何もかも消し飛ぶ、衝撃に襲われるだろう。下にはライキルたちもいる。何としてでもひとつも漏らすことなく、破壊しなければならなかった。
空の上の宇宙から来ているのかと思うほど、高く、高くから、巨岩たちは降って来ている。
『なぜ?』
ハルは岩を砕きながらも、この現象がただの天災にしては、あまりにも局所的で何かの意図があるかのように見えた。誰かが裏で糸を引いている。そんな気がした。
『だけど、エルノクスさんたちじゃないとなると、他に誰が…』
ドミナスという組織が、この大陸を裏で操っているということは十分に分かった。しかし、そんなドミナスもアシュカを迎え入れたことで身内になってしまった。そして、そのドミナスを統べる王であるエルノクスでさえ、この状況を飲み込めていない様子に、この規格外の脅威を振りまいているのは誰なのか?
夜通し、宙から降る岩を砕き続けたが、朝が来ても、答えはでなかった。そして、巨岩の雨が降り止むこともなかった。
イゼキア王国の王都シーウェーブの上空で、ひとり終わりの見えない戦いをハルは続けなければならなかった。
手は止めない。できる限りすべてを巻き込んで破壊する。
たった一発の拳を振るっただけで、数十の巨岩が粉々に砕けていく。そこから、さらに打撃を放ち、その衝撃で砕けた巨岩の破片も街に害が無くなる程度にまで小さくする。そんな作業を永遠と繰り返す。
宙からは、まだまだ、大量に、千はくだらない量の巨岩が空に待機していた。それらすべてを一度に破壊すると、被害はこの街をとどまらず、国外にまで波及しそうで、あくまでハルは力を抑えていた。
被害は最小限になるように、一つずつ丁寧に塵にする。
朝焼けがハルを照らす。
***
ライキルは、瓦礫の山の上で、夜通し足場が悪い中、正座をし手を合わせて祈っていた。
朝焼けの光がライキルの頬を温める。
「ハル…」
祈ることで何かの力になるなんて、思ってはいなかった。それでも、祈らずにはいられなかった。戦うことも、逃げることもできない、無力で待つばかりの自分にはただ、彼のことを想って祈ることしかできなかった。
ハルの巨岩砕きは、すでに人の域を出ているため、手を出すことはできず、嵐が過ぎ去るのを待つように事象を見守ることしかできなかった。
見あげる空には無数に降り注ぐ巨岩。それが凄まじいスピードで塵になっていく。ハルの姿はもはや肉眼では捉えられない速度で移動しているらしく、彼の姿を地上から見ることはできなかった。それでも、彼がこの災害を食い止めているのは確かで、ハルがいなければここら一帯は、落ちた巨岩の下敷きになっていた。これは、ハルにしかできない人類救済だった。
瓦礫の山にもうひとり誰かが上がって来る。気が付けばその人は祈るライキルの隣にいた。
ライキルが顔を上げる。
そこには、顔を上げても顔が見えないほど高い超高身長のエルフがいた。
「無事を祈っているのですか?」
彼がしゃがんで、隣に座った。すると、彼の顔が見えた。
朝が来ていることも忘れてしまうほど、黒い瞳は前のハルを彷彿とさせた。それはまるで瞳に夜をしまい込んでしまったかのような、純粋な闇だった。つややかな黒髪もまた、そんな夜の瞳をもつ彼にはとても似合っていた。
「えっと、あなたは確か…」
偉い人だという認識はあった。それ以外はよく分からなかったけど、みんなが彼を見ると深々と頭を下げるのを見て、ライキルもそういう認識をしていた。
「エルノクスと申します」
「エルノクス…」
ライキルが彼の名前を復唱した。確か、この場の指揮を執っていた人だったと、ライキルはうっすらと思い出す。
ライキルは彼に向き直って深々お辞儀をすると名乗った。
「ライキル・ストライクです。どうぞお見知りおきを」
ライキル・シアードと名乗りたかったが、まだ、正式に婚約したわけではないので、ここはぐっと我慢した。
「あなたのことは存じております」
「え?」
「アシュカとエンキウから聞いています」
「ああ…」
なぜ自分のことを知っているのか不思議に思ったが、二人から聞いたのなら納得がいく。
「あなたがハルさんのことを一番理解していると伺いましたが、違いますか?」
エルノクスが穏やかな笑顔をでそう言った。夜のように深く冷たい瞳をしているのに、彼からは一切そのような冷え切ったイメージは無く、むしろ、温かい人という印象があった。
「そうです。私がハルの一番の理解者です!」
興奮気味に前のめりになってしまったことに気付くと、ライキルは我に返って、少し恥ずかしそうにかしこまったように俯いた。初対面の人に、こんな態度では程度が知れてしまう。これではハルの品格すら疑われてしまう。
ライキルは恥ずかしそうに言い直した。
「えっと、すみません、つい勢いづいてしまって、ですが、確かに私は、ハルの隅々まで知っています」
なんだかこの言い方は逆に気持ち悪かったかもしれない。誤解されないか心配になった。隅々までは要らなかったと後悔したが、口に出してしまった言葉が戻って来ることはなかった。
「やっぱり、それなら、お聞きしたいことがあったんです」
「なんでしょうか?」
何でも聞いてくれと思った。ハルのことなら何から何まで知っていた。子供の頃から常にハルの傍にいた自分に知らないことなど無いと、無敵の気分だった。
「ハルさんが、生まれた場所は、どこか知っていますか?」
「えっと………」
ライキルは、言葉に詰まった。そんなの知らなかった。というより、それはハル自身知らないため、ライキルも知りようがなかった。
「確か、本人に記憶が無くて、目が覚めたら、レイドの東の森にいたとかで、生まれた場所とかは私も多分、本人も知りません」
「記憶がない?」
「はい、記憶がはっきりしてるのは、確か十歳のころからで、それから前のことは何も覚えていないって、本人が言ってました」
「そうですか…」
エルノクスが何かを考えるように、空を見上げていた。彼の考えている顔は真剣そのものだった。
ライキルも、彼と同じように空を見上げた。そこには、相変わらず絶望的な光景が広がっていた。一面に広がる巨岩の雨。街一つ簡単に吹き飛ばすほどの質量の巨岩が降ってきているのにも関わらず、ひとつとして地上に落ちてこない。
何が起こっているのか、人の思考では計り知れない現象を、凡人であるライキルは、流れに身を任せるしかないが、ハルを信じることで正気を保っていた。
「あの、いいですか?」
「なんでしょう?」
「どうしてそんなことを聞くんですか?ハルのことを知ってどうするんですか?」
その質問に、思考していたエルノクスがハッと我に返ったかのようにすると、ライキルの方を向いて小さく笑った。
「すみません、ただ知りたいと思ったので、彼のことを特に知ってどうこうということは…」
「だから、知ってどうするんですか?」
「あぁ、いや、私は昔から未知のことに惹かれてしまうたちで、理解できないといったことがあると、とことん探究して理解しようとしてしまう癖があるんです。これは悪い癖です」
エルノクスが、ライキルの目の色が変わったことに気付いたのか、すこし焦った口調で答えた。
不快。
ライキルは、彼が何か裏があって自分に近づいたことは見るまでもなく分かっていた。そういう目をしていた。
「それだけですか?」
「ええ、ハルさんのことをこの目で実際に見て驚かされました。彼は私の想像を遥かに超えていました…」
エルノクスが再び空を見上げた。
「彼は、私たちとは違う生き物なんじゃないかと思いましてね」
そう言った時だけはどこか、嘘偽りなく、本心を言っているんじゃないかと思うほど、彼は悟った顔をしていた。
「失礼ですね、ハルは人間ですよ?」
「本当ですか?なら、あれはなんですか?」
エルノクスが指さす方では、凄まじい勢いで巨岩が塵になって行くのが見えた。ハルの姿は見えない。空に破壊だけが広がり続けている。
「あれは人の域を出ている。かといって彼は神ですらない。もっと何か別の何か…。なら、彼はいったいなんなのか?説明して欲しいですね。あなたがハルを一番よく理解しているなら、彼が人であり、バケモノではないということをここで証明できますか?」
エルノクスはいたって真面目だった。
だから、ライキルも大真面目に答えた。
「ハルは人間です。あなたのような人がどれだけハルをバケモノ呼ばわりしても、ハルは人です」
「その根拠は?」
「私たちと同じように、いつも、誰かの幸せを願っているし、悲しみを背負い込んで潰れそうになることだってありました。ハルがどれだけ他の人と違う部分があっても、彼にもちゃんと人としての心があります」
ライキルは立って、空に向かって祈った。願いが届くように、そうなんでしょ?と空にいるハルに尋ねるように、間違ってないでしょ?これがあなたの答えなんでしょ?と問う。
「それと何より、私がハルのことを人間だと信じているこれが何よりの証拠です」
ライキルだって知っていた。ハルが他の人とは明らかに人としての枠を超えていると、人じゃない、そう証明するのは簡単だった。その証拠があまりにもそろっていた。しかし、だからこそライキルは、戻って来てくれたハルのことを人間だと思いたかった。
「あなたが信じれば、ハルさんは人であるというんですか?」
「ええ」
無茶苦茶な理論であり、破綻しきっていたが、ライキルはハルを信じることで、人としての彼がずっと傍にいてくれるとそう思っていた。だから、ここでエルノクスに伝わらなくても、実際にそうなるとライキルは信じて疑わなかった。
「あなたが死ねば、ハルさんは化け物になるという理論であってますか?」
「そうですね、私が死ねばハルはきっと悲しんで化け物になると思います」
「じゃあ、試してみても?」
エルノクスが立ち上がり不敵に笑った。手には黒い小さな刃が握られていた。
「無駄だと思いますよ、ハル、私のこと大好きですから…」
ライキルはエルノクスを嘲笑するように真っすぐ見返した。
「ハルのダメなところはたとえ世界の危機でも、私のピンチには必ず現れてくれるところです」
「この状況でも?そう言えますか?」
エルノクスがライキルに刃を向けようとした時だった。
「ちょっと休憩」
気が付くと、ライキルの背後には、ハルが立っていた。
さすがのエルノクスも、その光景に驚く。だが、あまりのタイミングの良さに笑いが込み上げるように笑顔が広がっていた。黒い刃はすでに手元から消えていた。
「ハル、お疲れ様です」
「ライキル、こんなところで何してたんだ?」
「ハルの為に祈ってました」
「え、いつから?」
「昨日の夜からずっとです。何も力になってあげられない私が少しでも、力になりたくて祈ってました」
「そうだったんだ、ありがとう。だけど、身体壊さないようにだけは気を付けて、俺はそっちの方が心配だからさ」
「でも、ハルの方がずっと大変で…」
「ううん、こっちはまだまだ余裕で何とかなりそうだから、大丈夫だよ」
そこで、ハルがエルノクスの存在に気付く。
「あ、エルノクスさんちょうどいいところに、少しいいですか?」
「何でしょうか?」
「あの、俺がしばらくの間、この空の岩たちを食い止めておくので、ドミナスの力を使って、原因究明の方を急いでもらってもいいですか?この岩が誰の仕業なのか、きっとエルノクスさんの組織ならできると思うんですが、どうですか?」
「構いませんよ」
「本当ですか!?良かった、たぶん、この調子で降ってくれれば結構長く持たせることができるので、その間に…」
「ちなみに猶予はどれくらいなのでしょうか?」
「一週間?いや、一か月?頑張ればもっと耐えられると思います」
ハルの言っていることはまず、常人なら理解を越えていたが、エルノクスも適用しつつあったのか、ハルの言うことは本当なんだと、信じていた。その根拠に、現時点でひとつも地上に岩を落としていないことを考えても、その信頼感は絶大だった。
「わかりました。それなら、我々ドミナスがこの空から巨岩を降らせる正体を必ずや突き止めて見せます」
「是非ともよろしくお願いします」
「神獣です」
ふいに放たれた言葉だった。
「え?」
「この巨岩の雨を降らしているのは神獣の仕業です」
ハルもライキルも、エルノクスの放った言葉に目を丸くしていた。
「ハルさん、私から、神獣討伐の依頼をあなたに頼みたいのです」
「神獣討伐?」
「ええ、その神獣の名は、【世界亀】この大陸の原初にして最古の神獣です」
ハルの青い瞳には、エルノクスの真っ黒な瞳が映っていた。
「そして、ハルさん、それは、あなたが討伐すべき最後の四大神獣でもあります」
「………」
ハルとライキルは、その衝撃の事実にエルノクスの前で呆然と立ち尽くしていた。
ハルの頭上には、朝焼けに照らし出された深い空から巨岩が迫っていた。
「やってくれますよね?」
エルノクスがにっこりと微笑んでいた。