不埒者
王都シーウェーブを覆う防御結界の準備が整ったとハルの元に伝令が来た。救助活動は一時中断された。救える命にも限界があり、そして、これから救える命にも目を向けなければならなかった。これ以上、被害を出さないためにも、ハルはすぐに、エルノクスが待つ対策本部へと向かった。
エルノクスに会うと、防御結界の説明と魔導士たちの配置や彼らの役割を聞いた。
「思う存分、破壊して来てください、街のことは我々、ドミナスにおまかせください」
「わかった」
エルノクスの魔導士たちは、ハルが砕いた後の岩の始末をするようだった。巨岩を纏っている強力な結界は一度破壊されてしまえば、あとは無力のようで、砕いた後であれば巨岩は魔法的効果を失い、ただの岩に戻るとのことだった。だが、その最初の一撃が、まず普通の人間には不可能とのことでハルにしかできないとのことだった。
ハルは皆がここに集まるのを待った。瓦礫の海で救助活動をしていた者たちも作業の中断を余儀なくされた。これはエルノクスの指示で、懸命な判断だとハルも思っていた。今回の作戦は突発的なものでどんな不確定要素があるか分からず、最悪の場合、街を捨てるという選択肢も彼は取ると言っていた。
ハルも異論はなかった。本来ならば彼らが命を張る必要はない。この天災を前にして立ち向かうという事の方がおかしいのだ。
けれど、ハルにはやり遂げる自信があった。ただ、エルノクスの助力なしでは最低限の方法しか取れず、被害が広がることが予想されたが、今回街に落石を防ぐ防御結界を張りさらに、破片を処理する魔導士たちも準備してくれたことで、安全性は格段に上がったといえた。
ハルが待っていると、そこでひとりの顔見知りを見つけた。それはイゼキア王国の剣聖ゼリセ・ガウール・ファーストだった。外に用意されたシーツの上に横たわり、ケガの治療を受けていた。
「ゼリセ」
ゼリセが目だけをハルにやった。
「ハルか!?………その姿、戻ったのか……」
彼女はハルがもとの姿に戻っていることに驚いていた。
「いろいろあった。それより、そっちは怪我、大丈夫なのか?」
ゼリセが目を閉じ、深く息を吸った。
「身体の傷はもう治してもらった。ただ、思った以上に深手だったみたいで、今はこの通り動けない。悪いが、この街はお前に任せる。あの岩を砕くんだろ?聞いたよ」
仰向けのゼリセが目を開ける視線の先には、ゆっくりと降って来る巨大な岩があった。
「あの岩のことは俺に任せろ。この街は必ず救う」
「いつものハルだな」
ゼリセがハルの全身を見回した。
「俺は今のハルの方が好きだ」
「そう?」
「ああ、そっちの方がなんていうか迫力は無いが、とても俺好みだ」
「イゼキアの剣聖様にそう言ってもらえると光栄だね」
ハルは冗談めいて言う。
「俺は、もう剣聖じゃない…」
ゼリセの表情がそこで酷く暗くなったのをハルは見逃さなかった。冗談で言っているわけではなさそうだった。
「何かあったのか?」
ハルが膝をつきか屈み彼女に寄り添う。
「王がさっき息を引き取った」
「ヴォ―ジャス王が…」
「そう、イゼキアで王を守れなかった者に剣聖の資格は無い。だから俺はもう剣聖でもなんでもない、ただの、ゼリセ・ガウールだ。いや、ガウール家も没落するから、ただのゼリセか…ハハッ」
疲れた笑みでゼリセが笑う。
「ほら、ハル、お前も笑え、つい最近まで四大神獣討伐した英雄だったのに、今じゃ、王ひとり救えない、愚かな剣聖になり下がっちまった。おまけに、自国の城まで無くなった…ここまで何も守れない剣聖なんて大陸中見渡しても俺ぐらいだろ……」
ハルはそんな彼女を笑わずに黙って見つめていた。
「ハル、この街を救ったら、最後に俺のこと抱いてくれないか?そんで、終わったらお前の持っていたあの長い刀で俺の首、ぶった切って欲しいんだ」
ゼリセが気恥ずかしそうに笑っていた。しかし、彼女の声には虚しさが詰まっているそんな感じだった。
「場所はイゼキアの広場でいい。民の前でそれで落とし前が付くと思う。王を、国を、守れなかった愚かな剣聖としての汚名を拭いたい。それに、俺は、自分の最後はハル、お前になら捧げてもいいと思ってたんだ。俺が逆立ちしたって勝てないお前にならな…」
ゼリセがハルに見せたことのない懇願するような笑顔を見せていた。殺して欲しい、死にたい、彼女からそのような強烈な死への渇望が垣間見えていた。
きっと今回の件で、街の人たちの中には、自分たちが被った被害や不幸をゼリセにぶつける人間もいるだろう。
しかし、ハルはそれでゼリセが死ぬことを決して許しはしなかった。
「ゼリセ、そんなに死にたいなら、今ここで終わらせてやるぞ?」
「ハハッ、なら、ハル、一発だけ俺にやらせてくれよ。死にゆく者の願いだ。最後くらいいいだろ?」
「なんで俺とやりたい?」
「お前が強くていい男だからだ。一度でいいから、俺は自分より強い、お前みたいな強い男に抱かれてみたかったんだよ」
「ダメだな」
「なんでだ?」
「俺は自分の妻としか寝ない、だから、お前の要求は首を斬ってやるところまでしか呑めないな」
「…………」
ゼリセが、真剣な顔のハルを見る。
「じゃあ、妻になるから、やらせてくれよ」
「俺は自分の妻を殺さない」
そこでゼリセがハルの真意に気付いたのかとても嬉しそうに笑った。
「くどい言い回しだな、ありがとう、やっぱり、お前は優しいよ…」
彼女の顔には光が戻っていた。
「ゼリセ、お前にはまだ、大勢の人を救う力が残ってる。死んで償うのはその救える人たちを救ってからでも遅くないはずだ」
「ハル、お前もそうなのか?」
ハルはその質問に一瞬言葉を詰まらせた。自分も大勢殺した。それはキャミルを救うためだったにしても、そのやり方を選んだのはハル自身だった。そして、それは今のゼリセと同じように罪悪感を内側に抱える結果に至っていた。その内なる罪を、拭うならハルも死しかないと思っていた。死はすべての罪の浄化であり、それ以上重ねて穢れることのない救いでもあった。しかし、ハルはもう自ら死ぬことだけはしなかった。例え、罪悪感に押しつぶされようとも、生きなければならなかった。自分のためじゃない、傍にいてくれる人たちのために。そのためなら、いくらでも汚れる覚悟がハルにはもうとっくの前からついていた。
「そうだよ、だから、こうして今ものうのうと生きてる。だから、ゼリセ、お前も生きろ、生きて自分にできることをしろ」
ハルは自分に言い聞かせるように言っていた。
「それに、辛かったら、そうだな、俺がえっと、その…相手してやるからさ…あ、でも、そのちゃんと妻とかにならないとしてやらないから、それはもうライキルに言って許可を…って、何を言っているんだ、俺は……」
ハルは急に恥ずかしくなっていた。さっきまではゼリセの希死念慮を断つために必死だったが、友であった彼女にこんなに肉体的にどうこうするなど、人の心がある今のハルには少し言葉を詰まらせる問答だった。
「ハル」
「なに?」
ゼリセが身体を起こしていた。ハルの頭の後ろに物凄い速さで手を回す。それはほとんど不可避の奇襲だった。状況が状況なら、技を掛けられた人間の首は彼女の剛腕によって捻り折られていてもおかしくはなかった。
だが、ゼリセが仕掛けて来たのは、殺しの組技ではなく、相手の唇を奪うまでの完璧な組み付きだった。すべては完璧な動作で常人ならこのゼリセの俊敏なキスを避けることは不可能だった。
ゼリセがハルの唇を捉えようとした、その時だった。
「手が邪魔だ」
ゼリセとハルの唇の間には、一本の指があり、二人のキスを遮っていた。
「ダメっていったはずだけど?」
ハルがゼリセの組み付きを強引に引きはがし、再び、彼女をシーツに寝かせた。
「キスくらい挨拶だろ?それとも俺とのキスは嫌か?」
「挨拶のキスは唇にはしない」
「親しい者同士は唇にするのがイゼキアだ」
「じゃあ、文化の違いだな、レイドにそんなのはない」
「ふん、そうかよ…、ああ、クソ、眠くなってきやがった……」
ゼリセの意識がだんだんと遠のいていく、白魔法で治癒を受けたのだろう。その副作用で睡魔が彼女を眠りへと誘っていた。
「最後に、いいか?」
「なに?」
「お前とやりたいから、俺とも結婚してくれ」
「嫌だね」
ハルが優しく微笑みながら言った。
「ハハッ、たく、最高の返しをどう…も………」
ゼリセはそのまま気を失うように眠りに落ちていった。
ハルは眠った彼女の頭を優しく一度だけ撫でると言った。
「乗り越えられなくても、抱えていこう…」
奪った命。償い切れない大罪。どれもすべて抱えていく。だけど、それと同じくらい、愛する人たちが笑って生きれる明るい未来という希望。これがある限り、ハルは自らが犯した過ちを死で償おうとは思わなかった。
「最後の時まで…」
やがて、その場でしばらく立ち尽くしていると、みんなが集まって来るのだった。