歪んだ魔女たち
イゼキア王国王都シーウェーブ上空に突如現れた四つの巨岩。そのうちのひとつでも地上に落ちれば街一つ消滅することは必至。誰が何のために、こんな災いを引き起こしたのかも不明。
ただ、ひとつ、危機がこのイゼキアの街に迫っていることだけは確かだった。
悠長に構えている暇はなかった。
ハルは真っ先にエルノクスの元に向かった。
「エルノクスさん、お願いしたいことがあります」
「私で良ければいくらでも、ハルさんのお力になりましょう、それで何を?」
「この場の指揮を執っていただきたい。指揮する能力が一番高いのはあなただと思ったので…」
「ふむ、それは構いませんが、ハルさんは何を?」
すでに知っているような表情をエルノクスはしていた。あえて聞いて来たといった感じだった。
「あの巨石を破壊します」
「できるのですか?」
「余裕です」
「でしょうね、あなたにしかできないことだ」
エルノクスが、空を見上げた。ゆっくりとしかし徐々に速度を上げて落ちてきている四つの巨岩。それが今自分たちの上に落ちてこようとしていた。
「あの巨岩を破壊するとなると、余波で街に酷い被害が出そうですね。まあ、落ちて来たらそもそも消し飛ぶのでそんなこと言ってられないのですが」
「すみません、そこは俺の力不足です…」
巨岩を破壊できる自信はあった。ただ、その後破壊して呼び散った破片を全て取り除くのはいくらハルでも不可能に近かった。それも四つの巨岩はそれぞれバラバラの方向に落下を始めていた。ひとつの巨岩に掛けられる時間は限られていた。
本気を出しても良かったが、ここは龍の山脈の時のように好き勝手に力を解放して暴れていいような場所ではない。ハルの力は強大ではあるがそれだけ周りを巻き込む力があるのだ。
「力不足ですか?まさか、あの巨岩は我々常人ではまず砕くことすらできません、あれはただの岩ではない。今はまだ遠くからで見えないと思いますが、あの巨岩には多重の結界が張られています。その中には、魔力を遮断する結界もありますね」
ハルも巨岩を見上げたが、エルノクスが気づいたような結界はまだ確認できなかった。恐るべきことにエルノクスはすでにその遥か先にある結界を解析したかのように語っていた。
「ならば、外部からの物理的に大きな力で破壊する。しかし、あんな街丸ごとのみ込むほどの巨岩を、エンキウの本気の爆発ですら、おそらく砕くことはできない。私の斬撃もまたしかりです。だから、ハルさんあなたが砕くしかない。これはあなたにしかできないことだ」
エルノクスが余裕の表情でハルを見つめた。まるで今起こっていることがたいしたことじゃないみたいに、彼は冷静だった。彼にとってこの街が消し飛ぼうがどうでもいいと思っているからなのかは分からない。それでも、ハルも彼の落ち着きぶりは見習いたいと思った。
「それと、街の方はお任せください、我々、ドミナスの魔法使いが防御結界を張ります。それで降って来る岩くらいなら受け止められるでしょう」
「街全体に結界を張るのですか?今からですか?」
「ええ、それくらい、ドミナスの魔法使いたちならできます。すぐに彼らを招集しますので、ハルさんは岩を砕く準備をしていてください」
「しかし、今から招集して、間に合うのですか?」
「それこそ、ドミナスが得意とすることのひとつ、神出鬼没とでもいいましょうか?」
「しんしゅつきぼつ?」
「東洋の、いえ、ここから見れば西洋の島国ですね、そこの国の言葉です。どこにでも現れるといった意味です」
エルノクスは大陸外の言葉をそうやって楽しそうに語っていた。
「どこにでも?」
「我々はそういう組織なんです」
それから、エルノクスの指揮下の元、王城フエンテには即席の拠点が設けられていた。そこでは誰もが慌ただしく、空の巨岩に怯えながら、自分の役割を果たしていた。
ここは巨岩の対策本部といっても良かった。しかし、こんな本部が設置されたところで、街はすでに大混乱状態であり、城の周囲はとても騒がしかった。きっと逃げる準備に忙しいのだろう。
そんな、みんなが空から降り注ぐ巨岩に対して避難の準備を始めている頃、時間ができたハルは、エルノクスの準備が整うまで、近くの瓦礫の山をかき分け、ケガ人を救助し続けていた。多くの死体を見るたびに、ハルは少しばかりの不安に襲われていた。
それは、教会にいたルナとフレイが近くにいたはずだった。気を失っていた彼女たちが助かった可能性は限りなく低いと思っていた。
『せめて、死体だけでも見つけてやらないと………』
だが、爆破後の瓦礫の山で救助中、妙なことがあった。瓦礫の山の中にはときおり小さな空間があり、そこに無傷の人々が閉じ込められていたという場所が、何か所か見つけることができた。そして、閉じ込められているのが、決まって子供と女であった。そんな、まるで意図的に爆破を回避したような場所にいた女性や子供たちは、みんな綺麗で、可愛らしい容姿をしていたのは、気のせいにしてはあまりにもそのような比率が高かった。まるでこの王城フエンテで起こった爆発には意思があったかのように、助かった人々にはそのような特徴があった。ただ、それも偶然だったと思うしかなく、やはり、どうしても、ルナたちを一刻も早く見つけてやりたい気持ちでいっぱいだった。
そして、ハルが、めげずに瓦礫の山を崩している時だった。瓦礫の山にちょっとした空間があり、そこで、二人の女性が座って休憩を取っていた。そして、それはどちらも見覚えのある顔だった。
「あぁ、ルナ…フレイ…」
そこには、瓦礫の隙間の小さな空間にフレイと一緒にいたルナの姿があった。二人ともその小さな空間に横たわっていた。
ハルはすぐに二人の元に駆け寄り、心臓の音を聞いた。どちらも正常に機能しており、眠っているだけであった。
「奇跡だ…あぁ……良かった……」
ハルは二人を抱きかかえると、すぐに、医療班の元に連れていった。医療テントの外のシートに二人は寝かされ安静にされていた。テント内には入れてもらえなかった。テント内はもっと重症の者たちが今も治療を受けていた。
二人には爆破による怪我はないとのことだった。
医療班たちはドミナスが揃えた白魔導士たちで、全員がとても練度の高い白魔法を行使し当然のことながら、身体のことを知り尽くし医学にも深い知見があった。
ハルが倒れている二人を見守っていると、背後から声が掛かった。
「お連れですか?」
振り向くとそこにはエンキウがいた。今回の爆破は彼女がやったと聞かされていた。だからといってい、恨むつもりもない。ルナとフレイが爆破で死んでいたら、思うところはあったかもしれない。だが、手出しはできないことに変わりはなかっただろう。彼女はハルとエルノクスの間で交わされた契約で守られていた。
「ああ、奇跡的に爆発からは無事だったみたいだ」
皮肉めいていたかもしれない。
「奇跡ではありません、奇跡はもっと尊いものです」
「じゃあ、どうして二人は無事だったんだろう?」
「私の爆発のせいでしょうね」
ハルが彼女の発言に頭をひねる。爆発が人を傷つけることはあっても、人を助けるなど聞いたことがない。
「どういうことでしょうか?」
「二人はとっても私好みの美があるわ。とくにそっちの黒髪の子、とっても綺麗。手元に置いておきたいくらいだわ。だから、無意識のうちに彼女たちを傷つけないように私の爆発が彼女たちを避けたんでしょうね」
彼女の答えを聞いてもハルには理解できなかった。
「爆発が避けた?」
「私の爆発には意思が宿っているの。だから、爆発に巻き込むか、巻き込まないか選択できる。例えばこんな感じよ」
エンキウが近くにあった今にも折れそうな石の柱に手を翳した。直後、強力な爆発が石柱を包み込んだ。しかし、石柱は折れることなく、その場に傷一つ無く佇んでいた。
「驚いた」
「凄いでしょ?」
喜ぶエンキウに、だが、ハルはすぐに顔を歪める。
「なら、犠牲を出さないことだってあなたにならできたのでは?」
「そうね、でも、今回のは無意識だった。今やってみたみたいに意識的に爆発に巻き込む対象を選択することもあれば、今回みたいに無意識に爆発から私の意思を汲み取って、私の爆発が対象を守ることもある。私、今回の爆発で全員死んでも構わないと思ってたんだけどね…天性魔法って、不思議ね」
邪悪。純粋さの中にきわめて無垢な邪悪が彼女の中にはあった。本人は無自覚のようだが底知れない残虐性が彼女にはあるようだった。
「ハルさん、あなた、これから、あの岩を砕くんですってね」
「ええ」
「凄いわ、頑張ってね」
「ありがとうございます」
エンキウは、医療班のテントを練り歩いては、助かった子供や女性を見定めるように見て回るだけだった。
ハルが途方に暮れて眠っている二人を見守っていると、そこに、突然後ろから誰かに抱き着かれた。
「ハル、あいつと何を話してたんだ?」
アシュカだった。紅い髪を垂らす彼女はとても中性的な見た目で男にも女にも見えた。エルフであるためハルよりも背が高く、彼女は屈むようにしてハルに抱き着いていた。
「別にただ、彼女の爆発には意思があるって」
「確かにエンキウの爆破は卓越した天性魔法だから生き物みたいなんだよね」
アシュカの唇がハルの頬に触れる。ハルはさして気にする様子もなく、眠っているルナとフレイを見つめていた。
「この二人は?」
「こっちは俺の妻のひとりで、こっちは部下だ」
「ふーん」
アシュカが冷めた目でルナを見ていた。
「ハルはやっぱりこういう小さい子の方が好きか?私のようなでかい女は嫌いか?それに、彼女はとても女性らしいが、私は自分でも分かるがちょっと女の子ぽくも無い中性的な見た目だ…ハルは、私みたいな女は嫌か?」
明らかに妬いていた。大人っぽく見える彼女だが、どこか、幼さのようなものがあった。雑に構っても良かったが、彼女はとても真面目な表情で心配していたので、しっかりと答えを出してあげることにした。
「アシュカ」
真横にいたアシュカの頬に軽く口づけをした。そこで強張っていた顔が緩んだアシュカに言った。
「アシュカと俺は、まだこれからお互いのことをよく知って行く準備段階だと思うんだ。だから、焦らなくてもいいよ、それに俺は見た目に関係なくアシュカのこともちゃんと好きになるし、それに、背の高い女性も好きだ」
アシュカは黙って耳を傾けていた。どちらかというとハルの言葉を聞き逃さないように全神経を集中させているようだった。
「アシュカが自分が愛されてるんだって思ってもらえるように、俺もこれから時間を掛けて愛してあげるから、アシュカも俺のことを知っていって欲しい、お互いきっと近々結婚するけど、俺はそれからが大事だと思ってるからさ…」
一通り喋り終わると、アシュカがとろんとしたような目でハルを見つめていった。
「ハルが私の息子で本当に良かった。一生尽くして添い遂げます」
「…息子って、なんていうか、その違うと思うんだけど、夫とかの方が…」
「ハルは私の息子で夫。フフッ、私に愛を教えてくれる人だ」
ハルは当然アシュカの息子ではない。彼女の妄言である。しかし、ハルがアシュカの臨界魔法から出て来る時、彼女の腹から体内から出て来たことに違いは無い。だが、それだけで息子と言われるのは、違うと思った。だが、これからアシュカを知っていくと言った以上、頭ごなしに否定するわけにもいかない。それに彼女がそれで幸せならそれで良かった。
それから少しだけアシュカと二人で、ルナとフレイの容態を見守っていたが、とても安定していたので、ハルも救助の続きを始めることにした。
「さて、時間まで俺も再開するかな」
「救助活動?」
「ああ、他のみんなも頑張ってくれているからな、こんな状況の中でも」
巨岩が降って来ており、すべてが無に還ろうとしているのにも関わらず、みんな他人のことを優先していた。当然、逃げ出した者も大勢いた。その中にはイゼキアの騎士たちが大半であった。残っていたのはハルたちと少人数のイゼキアの騎士と、ドミナスの隊員たちだけだった。だが、それは当たり前だった。街ほどの大きさの巨岩が四つも落ちてこようとしているのに、その下で悠長人助けなど愚の骨頂としか言えない。
それでも、今、救助活動を続けている人々はみんな、信じるものがあったからかもしれない。ライキルたちはハルのことを、イゼキアの騎士たちはできる限り人々を避難させるように努力を、ドミナスの者たちは当然、エルノクスのことを、みんな自分の主や国への忠誠心を信じていたからこそ、この場に残っていた。
「なら、ここら一帯にはもういないね」
「そうだな、今度はもうちょっと外周を見て回ることにする。アシュカも手伝ってくれる?」
「もちろん、ハルの頼みなら何でもするよ」
ハルは、アシュカと共に城の外周を中心に救助活動を始めた。
その間にも、王都シーウェーブのあちらこちらには、大陸中にいたドミナスの魔法使いたちが、エルノクス直々の命令で集結し始めていた。