婚儀乱戦 ただいま
「もういいよ」
「…………」
白き者がライキルを見つめる。その顔からあの余裕の笑みが消えていた。
天には白い光。地上には瓦礫の山が広がり、もはやだれが誰と戦っているのか分からない混戦状態にでもなっているのだろう。周囲から争いの音が絶えない。そんな戦地でここだけは全く違う空気が流れていた。それは、ハルとライキルの間にしかない、いつもの日常と変わりない平穏。だから、ライキルはまず感謝から伝えた。それはハルがしてくれたこと、間違いないとみんな言っていたことだった。
「キャミルのことありがとうございました…みんなも、キャミルが助かって、とっても喜んでました。それで、ハルが助けてくれたって、みんなすぐに分かっていました。ビナとガルナもとってもはしゃいで、エウスは影で泣いてたりなんかして、私に見つかると泣いてないって、意地張っちゃって、それでまた喧嘩なんかしちゃったり…」
「………」
冗談を交えながら続ける。そこにはなんてことないただの会話があった。
「だけど、ハルが突然結婚するって知らせが届いてみんなそれはそれで凄いびっくりして、私なんて、頭の中が真っ白になりました。でも、きっとハルに何かあったのかな?って、思ってそれでこうして結婚式に乗り込んでめちゃくちゃにしたわけで…」
ライキルが頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
白き者が一歩前に出てライキルに触れようとしたが、その手が止まる。触れてはいけなかった。触れてしまえば壊れてしまうかのように、寸前で彼の手はライキルに触れなかった。
「だけど、何も言わずに、別の人と結婚式を上げちゃうハルも少しは悪いんだけどなぁ…なんて少しは悪態ついてもいいですか……」
ハルを責めるようなことをライキル自身あまり言いたくなかった。それは嫌われたくないからという理由が大半を占めるが、それ以上にライキルは、あまりにもハルという人間に救われすぎていた。ライキルも薄々感じてはいたが自分がどれだけハルと愛し合ったところで、対等にはなれない追い付きはしない、それどころか、愛し合えば愛し合うほど、彼から与えられるものが多すぎて大きすぎて、もう返しきれないところまで来ていると自分でも思っていた。ハルの前で崩した言葉で話そうとしないのも、そういった意味が込められていたことも大きかった。
ライキルがうつむく。
「えっと、その…冗談です……ただ、本当にハルは別の人と結婚して、私たちとは別れるのかなって思って……」
結婚式を邪魔したのも、ハルの本心を聞くためだった。だから、もしもそこで本当に結婚相手を愛していれば、諦めるつもりだった。諦められるわけがなかったが、それでも、ハルの本心を聞いておきたかった。
「………」
ライキルの質問にハルは沈黙で返す。
「だけど、その…あれです…………」
白き者の手が近くにあったので、ライキルはその手を取った。その手はとても人間じゃないと思うほど冷たかった。それでも、ライキルはその手に祈るように握りながら、顔を上げてハルを見つめた。
何か答えて欲しかった。そして、違うと否定もして欲しかった。
だけど、彼の口から言葉が出てこない。
「えっと…」
そして、ライキルも言葉がもう出てこなかった。何を言っても今のハルには響かないんだって、何となくライキルはこの目の前の白き者を見て分かっていた。
神々しい姿に、彼が今、人ではない何かであると、ライキルですらそんなこと直感で捉えていた。だから、言葉が通じない。静寂が二人の間に溝をつくる。それが広がって、取り返しのつかない終わりを想像すると、もう、ライキルには手段を選んでいる場合ではなかった。それに、ハルを前にしてずっと我慢してきた、ライキルの思いは浅くないし甘くない。彼を前にした時から決意はすでに固まっていた。
「ハル、ごめんなさい。私、やっぱり、あなたじゃなきゃダメみたいなんです…」
言葉が通じないのなら最後に残された手段はただひとつだった。ハルの腕を引っ張って、頭の後ろに腕を回す。逃げないように、拒絶されないように、自分の方に引き寄せると、真っ白な彼の唇に、ライキルは自分の唇を深く重ねた。
言葉が通じないなら直接、思いを伝える。ただ、その時、何かが自分の中からハルに流れていくのをライキルはその体で感じていた。それはとても懐かしいものであり、そして、とても怖いものでもあり、そして、とても温かいものでもあった。ライキルは自分の中からその流れがすべてハルに届くまで、彼の唇を奪い続けた。
『大好き、本当に、あなたのことが、心の底から…。出会ってから、最初に私が拒絶したのに、それでも、ハルはずっと傍に居てこんな私を大切にしてくれた』
ライキルの中でハルとの思い出が蘇って行く。まだ青く熟れていない穢れを知らない人生の春真っ只中にいた、昔の自分たちがそこにはいた。もうあの頃には戻れないと分かっていても、それでも、思い出せば、思い出すほど、願ってしまう。
『戻って来て欲しい。あの頃のあなたが、ただ、傍で笑っていたあなたが、戻って来て欲しい。それ以外何もいらない。何も望まない。私のすべてはあなたと共にあった。そして、これからもそうであって欲しいから、戻って来て、ハル』
ライキルは目を閉じ愛する人に伝わるようにただひたすらに想った。
やがて、息が続かなくなると、ライキルは唇を離して、大きく息を吸った。
「ハァ…ハァ……、ハル、私、絶対に諦めないから…」
ライキルが顔を上げる。
空が青かった。
どこまでも広がる空に、吸い込まれるような深い青で満ちていた。
「あ……」
そして、ライキルの目の先には、くすんだ青髪をなびかせ、綺麗な澄んだ青い瞳と優しい笑顔が似合う、神でもなければ、悪魔でもない、どこにでもいそうな、だけど、どこにもいやしない、ただの青年が立っていた。
「あっ……あ…………」
今すぐにでもこの場でこの喜びを、この歓喜を、泣き叫んでしまいたかった。だけど、それ以上に、感情が追い付かず、けれども身体が先に反応し、ライキルの目からは自然と涙が零れていた。
ライキルの前には、ハルが立っていた。
いつものハルが立っていた。
「ライキル」
名前を呼ばれた。それだけで、ライキルの目からはもう涙が止まらなかった。
「ハル」
彼を見上げる。ライキルは満面の笑みを浮かべて言った。
「お帰りなさい」
ハルがその迎えの言葉を噛みしめるように静かに頷いたあと言った。
「ただいま」