婚儀乱戦 おひとよし
*** *** ***
私は、どうしてこんなに彼のことを好きになってしまったんだろう。
最初に会った時はよそ者がまた私の世界を壊しに来たと思った。
実際にエウスと共に現れたあなたは、道場の人たちをみんななぎ倒してしまった。
その荒々しい力が何よりも怖かった。
だけど、それから同じ屋根の下で同じご飯を食べるようになって、あなたのことが少しずつ見えてくると、わかったことがあった。彼もその力を持っている自分に苦悩していたことを、迷い、悩み、不安になって、それでも、そう彼は、ずっと優しかった。エウスに連れまわされていたけど、それでも、彼はどこまでも底抜けに、愚かなほど、優しい人なんだって知った。自分のことなんか一切顧みない、どんなに絶望的な恐怖にだって、他の人が困っていたら、立ち向かってしまう。そんなあなたは、誰よりも、人想いの人なんだって、そう思った時から、そんな彼に私は自分の弱さを見せるようになって、いつのまにか、呆れるほど好きになっていた。
恋してからはずっと夢中だった。きっと、人生でこれほど愛せる人に巡り合えたことは人生最大の幸福だった。彼のためなら、自分の命だって惜しまないくらい、心の底から愛していた。
あなたが好き。
それだけが私の取り柄だった。
だけど、あなたはどうなんだろう?
あなたは前に進めば進むほど、私の手の届かないところに行ってしまう気がして、そして、この、今、私の先で輝く白い光の向こうにいるあなたが、もう、戻ってこない気がして、それが怖くて、だけど、私じゃ、多分、もう、ダメだった。
どれだけ走っても追いつかなかった。どれだけ足掻いても身の丈には合わなかった。どれだけ泣いても、どれだけ寂しくても、どれだけ想っても、彼が今傍にいない。寄り添ってはくれるだけど、自分が彼を繋ぎ止めておくことはできなかった。
ハルは遠くに行ってしまった。
手も届かない。
声も届かない。
私は、もう…。
諦めるしかないのかな…。
『いつまで、そうやって寝ているつもりだい?』
声がした。
『そして、いつまでそうやって駄々をこねているつもりだい?』
『あなたは?』
『私?私はあなたが羨ましくて仕方ない、名も無きしがない女さ、つまりあんたは敵ってこと』
『敵?』
『………冗談だよ』
静寂が続くと声だけの彼女が言った。
『私のことどうでもいい、それより、早く、ハルのところに行ってあげてよ、ハル、凄く辛いことまたしようとしてるからさ…』
『ハルが苦しんでるの?』
『そう、ハルにはもうあんな事させないでよ。これは、ライキル、あなたの責任でもあるんだぞ』
『私の?』
『ハルは全部、あなたのためにやろうとしてることなんだ、ただ、正直スケールがデカくなりすぎて、当のあなたはまったく気づいてないみたいだけど、ハルは結局、ライキル、あんたのことしか考えてない』
『私のこと?』
『正直、そこまで愛されるあんたが、クソほど羨ましいけど、それでもさ、ハルには毎日あのクッソいい面で優しさに溢れた笑顔でいてくれるだけで、私は幸せなんだ。あんたもそう思うだろ?』
『もちろん、ハルには、ずっと笑っていてもらいたい。怖いのはもういや』
『そうだろ?だったら、さっさと目覚まして、あいつのもとに行ってやれ』
『私が行っても、たぶん、無駄だよ、ハルは別の人が好きになったかもしれないんだ…』
自信がなかった。ハルは変ってしまったから、それに、もう、誰を本当に愛してるかも、ライキルには分からなかった。
『じゃあ、奪い返せよ、たぶん、ライキル、あんたなら余裕だ』
『ハルは自分から私の元を離れたんだ』
『なんていうか、弱きだな』
『だって、ハルが他の人と結婚するって……』
鼻声で自然と涙ぐんでいた。
『おいおい、泣くなよ』
『だって、私、ハルのことすっごい好きなんだもん』
ライキルは真っ暗闇の中、ひとり、泣いていた。遠くの方でぼんやりと白い光が揺らいでいる。
『いいな、ライキルは』
『なにがよ』
『まだ、好きって伝えられることが、凄く羨ましいよ……』
とても悲しそうな声だった。誰かも分からない彼女がハルにここまで入れ込んでいることが、ライキルにも不思議だった。
『あなた誰なの?』
『私はもう誰でもないよ、ただ、そうだな、しいて言うなら、ハルのことが好きだった人かな…』
『それなら、ハルはきっとあなたのことも…』
『ライキルの悪いところはそこだ、結局、ライキル、あんたもハルと同じくらいお人好しすぎるんだ。だから、多分、ハルが一番あんたのことを愛してるんだと思う…』
すると、ライキルの前に誰かが立っていた。姿かたちは真っ暗闇で見えなかった。それでも、確かにそこには誰かが立っていた。
『手出して』
『手?』
『いいから』
ライキルが手を器のようにして前に差し出す。
『これを、ハルに返してあげてくれ』
そこに何か重たいものがのっていた。
『これは?』
『ハルの力の一部だ』
『力の一部?』
『ああ、私はハルからその力を抜けば、もう、ずっと、暴走は無いと思ってた。だけど、ハルの力は私の想像をはるかに超えていた。私、程度ではどうすることもできない、力がまだまだハルの中には眠った。ひとつじゃない、それどころかずっと底が見えなかった…』
ライキルには彼女が言っていることが少しも理解できなかった。それでも。次の言葉でライキルの目の色が変わる。
『だけど、今、預けたそれは確かにハルの一部だ。今、ハルは全く別のものに変わり果てている。だけど、その一部を返してやれば、ハルは必ず、元のハルに戻る』
『元のハルって…』
『みんなが好きな、ただのハルだよ。神でもなんでもない、ライキル、あんたが一番好きな、あのただの人間のハルだ』
ライキルがその受け取ったものを握り締めると、すぐに、淡い白い光の方に駆け出していた。それを見ていた声だけの彼女は呆れたように呟く。
『全く、どれだけ、ハルのことが好きなんだ…少し、むかつくぞ……』
『ありがとう、えっと…』
走りながらライキルは礼をする。ただ、名前が分からなかった。当然だ。名乗られていない。
『礼はいい、それよりも、ハルのこと頼んだ。彼を幸せにしてあげてくれ…』
ライキルが白い光に駆ける途中、立ち止まって振り返る。そして、叫んだ。
『あなたもハルと同じお人好しだ!だから、あなたもハルに愛されていたはず。もしも、あなたが私たちの前に現れた時、私はあなたのことだって受け入れる。ハルがそうするように!!』
『…………』
振り返る暗闇の世界から声は返ってこなかった。
ライキルは受け取ったものを握り締めて、白い光が差しこむ、外へと飛び出していった。
誰もいなくなった暗闇の中で、ぽつりとつぶやきが零れる。
『ありがとう…』
白い光が消え、完全な闇が訪れた。
*** *** ***
ライキルが目を覚ました。
そこには、エウス、ガルナ、ビナたちがおり、気絶していた。
「ここは…確か……私は……あ、ハル…」
四方を肉の壁に閉じ込められていた。その肉をライキルは近くに落ちていた自分の剣で、切り裂くと、外に出た。肉を裂いた時に、白い光にライキルは目が眩んだ。
「うっ…」
だんだんと目が外の眩い光に慣れてくると、そこには瓦礫の平原が広がっていた。
そして、その遠くには、白い姿をしたまるで天使のような姿の者がいた。だが、ライキルはすぐにそれが誰なのか見破る。姿かたちが変っても、愛する人を見間違うわけがなかった。
「ハル!」
ライキルは愛する人の名前を呼び、駆け出していた。
「ハル!!」
速く、速く、いつの間にか足を引きずって、それでも速く、息を弾ませて、死にそうな顔でも彼のもとへ。
怖いくらい空が白く輝いている。それがすべてハルがやっているんだと、何もかも、ライキルは知っていた。だから、もういいと、もう、やめてと、ライキルがハルの前にたどり着いた時、もうすでに息は上がり切っていた。
「ハル!!!」
顔をあげて、ハルを見た。真っ白なハルの姿を、変わり果てたその姿を、それでも、ライキルは諦めることはなかった。彼に戻って来てもらうんだと強い決意と共に、ライキルは言った。
「もう、いいよ」