婚儀乱戦 未来は確かにここに
ハルが少女の元に戻る。周りは紅い海でハルの天性魔法で覆った黒い球体だけがひとつぽつりと浮いていた。
ハルが手を横に振りかざすと、その黒い球体のつぼみは、ゆっくりと花びらが咲くように天井から開いた。
その中で眠っていた少女が姿を現す。
赤いくせ毛の髪で、彼女の身体はハルの天性魔法の闇で傷口を埋められ身体の至るところが闇で補われていた。
横たわる彼女の傍に行くと、彼女が目を覚ました。
「あれ、ここは、私、死んだの…」
「死んでない」
彼女がハルの顔を見ると、ゆっくりと上体を起こして言った。
「あなた誰?」
「ハルだ、忘れたのか?」
「ハル……え!?あのハル・シアード・レイ!?」
記憶が混濁しているのか、先ほどあった時と同じことを言っていた。
ハルは再び彼女に事情を説明した。
「そっか、そうだよね、ここはアシュカの世界で、私たちは閉じ込められたってわけか…」
彼女はすぐに状況を飲み込み納得した。彼女もアシュカにこの世界に引きずり込まれた被害者のようだった。
「それにしても、ハルが本当に実在していたなんて、私、驚いたわ」
少女がまじまじとハルの顔を見る。
「レキから聞いたと言っていたが?」
お互いに認識しているレキが同一人物なのか気になっていた。
「あなた、レキを知っているの?」
「最近知り合ったエルフがそう言う名前だった」
「そう、まあ、彼、たまにふらっといなくなるから、あなたのような友人に会いに行っていたのかもね、まあ、いいわ、彼のハルの話しが嘘つきじゃないって、帰ったらみんなに言えるし、あなたに会えて良かった」
「そうか…」
レキから聞いた。どこかその彼女の言葉には違和感があった。いや、それ以上にこんな状況で彼女の様子があまりにも普通であることが何か、ズレているような気がしてならなかった。こんな狂った紅い世界の終りのような場所で、彼女は普通すぎた。その普通がこの場ではあまりにも異質だった。何かがおかしかった。彼女がレキと知り合いという以上に、何かが引っ掛かり続けていた。
そして、それは、ハルとその少女が話している途中に割り込んで来た者によって明らかになった。
「みんなあなたのことを作り話だと思ってたのよ、別にレキに信用がなかったわけじゃなくて、あまりにもほらあなたの伝説が突拍子もないし、それに何よりも、なんていうかそもそも四大神獣はまだ健在だし…あ、でもね、わかるのレキはそれくらいあなたのことが凄いから四大神獣を討伐した英雄ってことで話しをしてくれたんだってことも、それくらいあなたは強いってね」
話しが何か噛み合っていなかった。ハルが世界に与えたハル・シアード・レイに関する記憶消滅の影響があるようにも見えたがそれでは、なぜ彼女は四大神獣が討伐されていることを知らないのか?山にこもっていた?それにしては立派な服装をしているし、世間と関わりが無かったように見えなかった。
何か彼女にはズレが、おそらくそれは決定的なズレ。しかし、ハルにはそのズレが何なのか分からなかった。
そして。
「ねえ、ねえ、あなたがレキの言った通りの強さか見せて欲しいんだけど、いいかな?ちゃんとこの目で見ておかないと帰った時、みんなにその凄さを伝えられないからさ」
「………」
そこである違和感をひとつ見つけた。彼女をよく見れば、瞳孔が開きっぱなしだった。うまく隠しているようだが、緊張を打ち消す興奮状態といったものを普通を装って隠していた。
「そうだな、まずは私と手合わせなんてしてみる?私こう見えても結構強いんだよ、あ、もちろん、手加減してよ、あなたが相当強いってことはレキからさんざん聞かされているからさ」
彼女が立ちあがって得意げに構える。
「怖いか?」
「え?」
「手が震えてる」
彼女が自分自身の手に目をやると、手だけが小刻みに震えていた。彼女はすぐに手を隠すと恥ずかしそうに笑った。
「あはは…なんだろうね。でも、たぶん、さっきまで戦ってたからどこか怪我してその影響かな?って、あれ、私、元気になってる!?」
彼女が上着を脱いで身体の傷口に目をやった。
「あれ、なにこれ…」
そこでようやく彼女がハルの天性魔法の闇で身体の傷を補われていたことに気付いた。
「わ、私の身体が…く、腐ってる…」
「違う、それはあなたの身体の傷を塞いでいるだけだ」
「ハルがやってくれたの?」
「そうだ、主導権はすでにあなたに渡してる。傷が癒えたら身体から追い出せるそれまでは身に着けておけ、そうじゃないと、また傷口が開くからな」
彼女が身体についたハルの闇に恐る恐る触って感触を確かめていた。
「ありがとう、なんだか、これ、とっても安心する…」
彼女は自分自身の身体を自分で抱きしめていた。
「そうだ、それで、話しの続きなんだけど、あなたの実力を…」
言葉の途中で、紅い海が荒ぶる。
高波が起こった。
三十メートルはあった。
「うそ、早くここから、逃げなきゃ…」
絶望に染まった顔で彼女が、その場から逃げようとハルの手を引こうとするが、それには及ばなかった。
ハルは軽く指先で空間に横に線を引いてやった。
突如、その紅い津波は一瞬にして、横に割れて勢いを失うどころか押し返されるように反対側に流れていった。
「………」
言葉を失った彼女がその場で立ち尽くしていると、ハルと彼女がいた黒い闇の大地に新たな訪問者が現れた。
「さすがに、あなたの強さには理解が追い付かない…」
黒い大地に足を踏み入れた訪問者は、アシュカだった。化け物のように紅い海から這い上がって来た。
「そして、この異常な状況にも理解が追い付かないが、今の私なら納得はできる」
「おまえ………」
そこで、彼女の雰囲気が一気に変わった。目は血走り、歯ぎしりが止まない。握りしめた拳からは血が溢れている。
「アシュカあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
腹の底からひねり出された咆哮と共に、彼女の背中から赤い翼が生えた。
「赤い翼…」
腑に落ちない光景。
何かがおかしい。
この状況何かが決定的にズレていた。
それが何なのか、あと少しで掴めそうだった。
突如、現れた少女。
彼女とアシュカ。二人の間にある因縁。
「なにか…」
赤い翼を生やした彼女がアシュカに突撃していく。
エレメイと交わした言葉が蘇る。
『【レッドウィング】よ、【アカバネ】っていったら彼女怒るのよ。でも、レッドウィングもそこまでかっこよくないのよね』
ハルの中で渦巻いていた疑念が晴れ、確かな繋がりを見せた。
「そうか…」
「はああああああああああああああああああああ!!!」
彼女が腰にあった刀の柄に手を掛ける。
抜刀の姿勢で突っ込む。
しかし。
「忘れたのか?その刀はすでに折れてる」
アシュカが指摘し、彼女が鞘から刀を抜くと、本当に刀身が折れていた。
「ここでお前を殺せばどうなるかな?」
アシュカの手に一瞬で紅い剣が召喚されると、それを少女めがけて振り下ろされた。それが致命的な一撃になることは誰から見ても明白だった。治りかけで馴染まないハルが施した闇もあって、少女の方は動きが鈍っていた。
だから、ハルが二人の間に割って入り、少女の折れた刀を素手で、アシュカの剣を天性魔法で創り出した闇の剣で受け止めた。
「なにすんだぁ!!!」
怒りに身を任せて叫ぶ少女。
「やはり、出てくるのだな、ハル・シアード・レイ!」
ハルはそこで二人の反応を越えた速度の打撃をアシュカだけに一発お見舞いすると、彼女は紅い海に吹き飛び逆戻りした。
少女の方から見れば、ハルの動きが見切れず、アシュカが忽然と姿を消したように見えていたのだろう、何が起きたか分からず一瞬固まっていた。
「どこに行ったぁあああ!!!」
目を血走らせながら、彼女が周囲に目を見張らせていた。
そんな怒り狂っている彼女に対してハルが、彼女の名前を呼んだ。確信があった。自分は彼女のことをすでに知っていた。
「【ルジャルカ】」
「なんだ?」
苛立ち気にそれでもさも当たり前のように、自分の名前を呼ばれて返事をした彼女はやはり『赤翼の団』の団長ルジャルカだった。それなら彼女がアシュカを憎んでいることにも納得がいった。
しかし、それ以上に、ありえないことがここでは起きていた。それはどうして、彼女がここに居るのかで、エレメイの話しではもうとっくの昔に彼女は死んでいた。奇跡的に生きていたなどということはまずありえない。それは時の流れが証明していた。彼女は300年前の人間なのである。戦争で生き残っていた以前に寿命がどう考えても足りない。そして、彼女はエルフでもない。普通の人族の女性だった。
「ここは私に任せてもらいたい」
「ダメだ、私があいつを殺すんだ。そうじゃなきゃ、意味がない、どけ!!!」
ルジャルカが、ハルの胸を押して、道を開けさせようとした。ハルは彼女の腕を掴んだ。
「ルジャルカ」
「なんだ!!?邪魔をするとお前まで容赦しないぞ!!!」
「エレメイに会った」
「………」
そこで彼女のすべてがまるで凍り付いたかのように止まった。
「どうして、エレメイは逃がしたはずよ、まさか、お前、エレメイを殺したのか…おまえもあいつらの仲間なの…」
「違う、エレメイは無事だ。そうじゃなく、彼女からルジャルカ、あなたの話しを聞いた。赤翼の団という立派な仲間たちがいたということを」
そこでルジャルカが顔を歪めた。
「はぁ?あいつ、あなたに会ってたの!?だったら私にもいいなさいよ、あいつ…」
「そうじゃない」
「え?何が…」
そこでハルは自己紹介をやり直すことにした。
「改めて言うが、私はハル・シアード・レイ。レイド王国の元剣聖にして、ルジャルカ、あなたが生きた時代の三百年後の未来から来た」
「………三百年後?」
一瞬言葉を失った後、困惑した表情のルジャルカ。理解が追い付かないっといった様子であった。ハルでさえもどうしてここに、エレメイが語った過去の英雄であるルジャルカがいるのかは、分からなかった。
ここには三百年という時を超えた二人が存在していた。
「ここは時間的概念が外とは違うのかもしれない」
「待って、それなら、エレメイと会ったと言ったけれど」
「三百年後の未来でも彼女は生きている」
「…………」
目を見開いて驚いたルジャルカの瞳からは静かに涙が零れていた。
「私、あいつに託したの…あいつはエルフだから、長生きするから、あいつさえ生きていれば私たちは勝ちだって、赤翼の団は不滅だって…」
それは彼女の歴史を知るハルにもよくわかっていた。みんなには誰一人欠けることなく生きて欲しかった。そんな強い思いが彼女にはあった。それでもすでに過ぎ去った過去で、結末は決まっていた。
「彼女はまだ今でも君たちのことを覚えていた。だから、彼女はまだドミナスと戦っていた」
「うそ…なんで……あいつ……バカ、そんなこと忘れて、幸せになれって言ったのに………」
ルジャルカがその場に力なく崩れ落ちる。涙が止まらなかった。そんな彼女にハルはそっと彼女が脱いだ上着を掛けてやった。
「ルジャルカ、ここは君にとっては三百年後の未来だ。あなたは自分の元居た場所に戻らなくちゃいけない。それはできるか?」
「待って、私、まだ、もっとあなたと話したいことがたくさんあるの…エレメイのことも…」
それはハルもしたかったが、時間がなかった。
「時間がない。もしかしたら、この外の世界で私の仲間たちとエレメイが殺し合いをしているかもしれない。それだけじゃない、外にはドミナスの連中もいた、それに魔女と呼ばれるエルフもだ」
「魔女、エンキウか…いや、ドロシーか……」
深く考え込む彼女にハルは言った。
「とにかく、あなたにはこの世界から、元居た三百年前の世界に戻って欲しいんだ、それも今すぐにだ」
ハルが戦う以上、彼女がここにいれば巻き込まれることだけは確かだった。
「私も一緒に戦う。ハルのおかげで身体もだいぶ治ったし、こう見えても私も…」
加勢はいらなかった。剣聖もそうだが、強者はひとりの時の方が圧倒的に強い。近くに仲間がいればいるだけ戦いづらく、力の影響が他の仲間に危害を加えることを考えれば、考えるだけ弱体化につながった。
「レキから私の話しを聞いていたんじゃないのか?」
「じゃあ、あの話も全部本当なの?」
レキがどこまで自分のことを話したかは分からない。それでも、四大神獣を倒したところまで伝えて貰えれば、それだけでハルという人間がどれだけ規格外かは、伝わっているはずだった。
「四大神獣は三百年後の未来にはもういない」
「!!?」
言葉にもならない驚愕がルジャルカを襲っていた。
そして、その事実を知った彼女は刀を鞘に納めてくれた。
それから、ルジャルカは自分がどうやってここに来たのかをハルに伝えた。
「私は、アシュカに負けそうになって、最後に捨て身で突進しようとしたら、ハルのいたこの場所にいつのまにかいたの、それと同じ方法でやれば、元の世界に戻れるかも…」
「具体的にはどうするんだ?」
「時間を稼いでくれれば、その間に私は力を溜める。後は飛ぶだけ、飛んだら多分だけど、元の世界かそれか別の場所に飛べると思う」
「わかった、それでいこう。それじゃあ、すぐに始めてくれ」
ハルがすぐに辺りを警戒した。アシュカの気配が先程からそこら中から漂っていた。やつも力を溜めているのかもしれなかった。
「ねえ、ハル…」
「なんだ?」
「また会えるかな?」
ハルはルジャルカに向かって優しい笑顔を浮かべて言った。
「またどこかで会えるさ、きっと」
紅い海から、招かれざる客、宿敵が現れる。アシュカが再び、ハルの黒い大地に上陸した。
「素晴らしい、一撃だった。もっと、ハルあなたの力を知りたい。相手してくれるよね?」
「時間がない、ルジャルカが帰り次第、お前との戦いも終わりだ」
「そう、じゃあ、邪魔するしかないよね?」
その時、ハルの背後から、もうひとりのアシュカが現れると、力を溜めていたルジャルカに襲い掛かっていた。
ルジャルカが力を解いて応戦しようとしたが、ハルがすぐにルジャルカとその背後から現れたアシュカの間に入って、拳一つで撃退した。
「あなたは力を溜めることだけに集中してればいい、時間稼ぎはすべて私に任せろ」
「ハル…」
「元居た世界で、自分の役目を果たせ、ルジャルカ…」
「………うん、そうだね」
その時、ハルの見えない感情が、ルジャルカにも伝わってしまったのか、彼女は寂しそうに笑った。
「フフッ、やはり、面白いなこの状況。いいね、それじゃあ…」
嬉しそうに笑ったアシュカが両手を広げると、背後の遠い海から、紅い龍が現れた。それだけじゃない遠くの海には巨大な紅い虎、紅い怪鳥、紅い蛇まで現れると、一斉にハルたちのいる黒い小島に向かって襲い掛かって来た。
「最終決戦と行こうか?」