雨の日 別れ リーナ
次の日の早朝、城の噴水広場の前に、多くの人が集まっていた。
空からは、まだ、パラパラと雨が降っていたが、もう、水魔法を使わなくてもいいほど、とても弱い小雨になっており、遠くの空では、青空が見えていた。
「リーナ、もう行くんですね…」
ライキルが、使役魔獣に乗っているリーナに言った。
その使役魔獣は、馬の姿をしていたが、普通の馬や魔獣との混血した馬よりも、さらに大きく、筋肉質で、立派な体を持っていた。そして、黒色の毛並みに美しい青い瞳を輝かせ、鼻を鳴らして、おとなしくその場に佇んでいた。
リーナの後ろには、彼女が連れていた補給部隊の人たちも同じ使役魔獣に乗っていた。
荷馬車のようなものは誰も引いていなかった。
「ああ、そろそろ、行くよ」
リーナは、早朝にも関わらず自分たちの見送りに来てくれた人たちを見回した。
そこには、ライキルはもちろん、ハル、エウス、ビナ、ガルナ、デイラス、そして、エリザ騎士団の騎士たちや、使用人さん、多くの人がいた。
「………」
リーナは、昨晩、城に帰る途中の庭園を歩いているときに、みんなにあることを伝えた。
それは、自分が明日の早朝に、この街を離れなけらばならないことだった。
みんながなぜかと理由を聞くと、リーナは正直に話した。
『すまない、私は、実はまだ大事な任務の途中なんだ。だから、それを終わらせないといけない』
彼女はそう言った。
その任務は、六大国の一つ『シフィアム』に手紙を届けることだった。
その手紙は、レイドの国王ダリアス・ハド―・レイド直筆の手紙で、伝鳥ではなく直接渡して欲しいと王からの直接の命令だった。
多くの騎士団が、今回の神獣討伐の作戦で、国から離れるわけにはいかなかったため、比較的自由のきく補給部隊に、この任務が回ってきた。
それに、リーナは補給部隊の隊長でもあったが、腕の立つ精鋭騎士でもあったため、今回の任務に適役だと任された。
そのようなことを、昨日、リーナはみんなに打ち明けていた。
「みなさん、私たちの見送りのために、こんなに朝早くからありがとうございます」
リーナは補給部隊を代表して言った。
その答えに周りのみんなは、別れのあいさつや声援を送っていた。
「リーナ隊長、それに補給部隊の皆様、どうか道中、お気を付けください」
デイラスが彼女たちの無事を祈りながら言った。
「はい、デイラスさん、短い間でしたがお世話になりました」
デイラスは彼女の言葉に深く頷いた。
そこに、ガルナ、ビナの二人が前に出てきた。
「リ、リーナさん、あまりしゃべれませんでしたけど…また、会ったとき、私とたくさん、お、おしゃべりしてください!」
ビナは緊張しながらも精一杯伝えた。
「リーナ、私からもだ!今度会ったとき、私と手合わせしてくれ!」
ガルナが無邪気に笑う。
リーナは、この二人とあまり関われなかったことを、今、深く後悔した。
『ああ、もっと、この二人とも話しておけば良かった………』
次、いつ、みんなに会えるかどうか、分からなかった。分かるはずもなかった。
リーナは、補給部隊の仕事もあるため、みんなとはいられない。
そして、彼女は、補給部隊として、安全な道を通って、確実に任務をこなすだけだが、彼らは違う。
彼らは、数週間後、霧の森という危険な場所で、命を懸けて、獣を狩るのだ。
ここにいるみんなが、絶対に死なないとは、誰も保障してくれないのだ。
リーナが、ビナとガルナに無事でいるように伝えて、また必ず会おうと、約束した。そのあと、ハルとエウスが入れ替わるように前に出てきた。
「リーナ、気をつけろよ、最近、変な場所で魔獣が出るからな」
「ああ、気をつけるよ」
『やはり憎めない奴だな…』
リーナは、心の中で少し笑いながらエウスの言葉をしっかり受け止めた。いつもは失礼で軽薄でお調子者だと思っているが、彼が、しっかり場をわきまえる男だということも、リーナはちゃんと知っていた。
「リーナさん、どうかご無事で…」
ハルが言った。
リーナは、ハルの顔を見ると、その表情から寂しさというよりは、悲しそうな印象を受けた。
「ありがとう、ハル団長…」
リーナは少し彼のことが気になり、使役魔獣から降りて声をかけた。
「大丈夫ですか?何かありましたか?」
「あ、いえ、ごめんなさい、なんでもありません、旅の無事を祈ります!」
ハルは彼女に小さく笑って見せた。
「そうですか…」
少しリーナは、彼のことが気にかかったが…。
ドン!
そこにリーナの身体にライキルが飛びついてきた。
「リーナまた会いましょう」
「ライキル…」
リーナはライキルを優しく抱きしめ返すとふと思った。
『もしかしたら、今、目の前にいる、この三人も作戦で死んでしまうかもしれない、それだけじゃない、周りのみんなだって…』
作戦中は何が起こるか誰にも分からない。
リーナは、このような場面に遭遇するのは多くは無いが、それなりに経験してきて、覚悟もあった。
それでも。
『嫌だ…』
彼女の心の中で小さな感情が芽生える。
『嫌だ…嫌だ……嫌だよ…』
リーナのライキルを抱きしめる強さが強まった。
『もう、誰も失いたくない…誰も…』
そう、リーナが深い絶望に足をすくわれそうになったとき。
「大丈夫だ!リーナ!」
意外な人物から声が上がった。
リーナが、ライキルの肩から顔を上げて、その声の方を向くと、そこにはエウスがいた。
「そんなに悲しむ必要なんてない!みんなまた必ず会える、なあ、そうだよな、みんな!」
エウスが周りに呼びかけると、周りにいた騎士や使用人たちが、エウスの言葉にうなずき、励ましの声を上げた。
「リーナ、心配するな、こっちには、ハルだっているんだ、誰も死にはしないそうだよな?」
エウスが隣にいるハルに向けて言った。
「みんなのことは俺が必ず守る、それだけは絶対約束する、これは俺が始めたことだ」
ハルは力強く言った。
『それは…』
今回の作戦で犠牲を出さないなど無理に決まっていた。
そんなの、今この場にいる誰もが、そう思ったことだろう。
誰かは失ってしまうと…。
約束は破られると…。
だが、リーナは、あの夜のハルの言葉を思い出しながら、彼を見た。
『そう、ハルは神獣には殺されない…絶対に、そう絶対に!』
リーナの目の前にいるのは、もう、悲しそうな青年などには見えなかった。
そこにいたのは、歴代最強と言われた元剣聖で、レイド王国の救世主ハル・シアード・レイの姿があった。
リーナは、ライキルから少し手を離すと、両手でハルとエウスを掴んで引き寄せ抱きしめた。
「必ず生きて帰ってきてくれ、みんなで…」
「もちろんだ…」
ハルが呟いた…。
それからリーナは、使役魔獣に再び乗って、みんなに最後の挨拶をした。
「みなさん、また、必ずお会いしましょう!それでは!」
リーナは、使役魔獣の手綱を持って、足で合図を送ると使役魔獣はゆっくり歩き始めて正門に向かった。他の補給部隊の人たちもみんなに挨拶をしてリーナの後を追従した。
リーナがゆっくり城の正門までたどり着くと、門番が鉄の門を開けた。
そこから、リーナたちが街の公道に出ると、使役魔獣の速度が一気に跳ね上がって、すぐに彼女たちは遠くなって見えなくなった。
みんなが見送りを終えるとそれぞれの場所に帰って行った。
その場に最後までいたのは、ハルとライキルだけだった。
「行ってしまいましたね」
ライキルが言った。
「大丈夫、みんな、また会えるさ…」
ハルが、リーナたちが駆け抜けていった後を見つめていた。
ライキルがハルの横顔を見ると、彼は少し悲しそうな顔をしていた。
リーナたちが向かう先の空は晴れて青空が見えていたが、ハルとライキルのいる、この古城アイビーの上空にはまだ、大きな雨雲の塊があり、その雨雲からこの日最後の雨が降ってきた。