神獣襲撃 真名・覇光・肉柱
でっぷりとした肉を纏った禿頭の初老の男が窓の外を静かに眺めていた。
青い空には白い雲がふわふわとのんきに浮かんでいた。
誰かが張った結界が男の屋敷の結界を覆っている。
「ついにこの時が来たようだな…」
男がひとり呟く。
外では屋敷の警鐘の音で騒がしいというのに、助けは誰一人と駆け付けてこない。きっと今屋敷を覆っている結界がこの警鐘をかき消しているといったところなのだろう。
「あいつらしい、用意周到というか…なんというか……」
ポケットから煙草を取り出すと指先の炎で煙草に火を付けた。
「まあ、長かったというべきだな…」
煙を吐くと窓に煙が当たって跳ね返ってきた。
その窓には男の自身の姿が映っていた。
彼の名は【ジェイラス・ゾーン・シルド】。
レイド王国の三大貴族にして国一の土地持ちでもあった。ジェイラスは、三大貴族の中で主にレイド王国の食に関することなら右に出るものはいなかった。古くからゾーン家はレイドの土地を買い占めることで、領土を広げていた。そして、その広大な土地はジェイラスの手によって目覚ましい発展を遂げた。
それは時代が平和で他国との交易が盛んに開かれたことも彼の成功を加速させた要因のひとつだったのだろう。南部や東部あるいは海外の国からも、多種多様な野菜や果物の種がレイドに入って来ては、所持していた土地を農民たちに低額で貸し出しては、それらの野菜や果物を作らせて市場に出回らせた。レイドの食文化を大きく発展させたのは彼の功績だと言っても良かった。
広大な土地を生かした食料の大量生産を元に、育てた作物を販売する経路まで、ジェイラス自らがすべて手掛け整備したことで、彼の代でゾーン家には莫大な金が入ってくるようになった。
そして、商売で成功した彼は、貴族たちの人望まで集めることにも成功していた。各地の貴族たちに金をばら撒いては支持を集め、信頼を買い、王都での発言権を高めてやがて三大貴族にまで上り詰め、彼は今の地位にいた。彼の信頼の集め方は徹底しており没落した貴族たちにも恩を与えるため金をばら撒きあろうことか、彼等に食を生産する土地の管理までまかせ、次々と落ちていった貴族たちを復興させ支持を集めていた。
彼はどこまでいってもレイドを大きくしたうちのひとりで、歴史書にすら名が乗る偉大な男でもあった。
しかし、ジェイラスはそれではダメだった。
そう彼がいるこのレイド王国。
この国がある限り、ジェイラスが望む未来が来ることは決してなかった。
ジェイラスが窓の外をぼんやりと物思いに更けながら眺めていると、突然、部屋の扉が勢いよく開かれ、ぞろぞろと武装した白いローブを着た人たちが入って来た。
「ジェイラス」
「ザイード」
三大貴族の二人が顔を合わせる。
対立。
二人の間には埋まらない溝があった。
もう戻れない選択で分かたれたかつて友だった男が互いの前にいる。
「どうした?そんな怖い顔をして、久々にお前の方から来たんだ、茶でも出すぞ」
「ジェイラス、お前も気づいていたんだろ?」
「何を?」
「私がいつかこうしてお前の罪の償いをさせる時を」
ザイードが持っていた剣をジェイラスに向けた。
「罪か、いったい私がどんな罪を犯したというんだ?」
「証拠はある。八年前にレイドの宮廷料理人として雇われたダスマという男の後をずっとたどって来た」
「ほう、そいつが私とどう関係が?」
「そいつは積み重ねられた犯罪の土壌の上澄みに過ぎなかった。穢れた真実はもっと深いところに沈んでいた、お前はその一番奥底の泥だった」
ザイードが次にずらずらとジェイラスもよく知る組織を羅列した。
「ゾーン商会、アプカル商会、カルト教団リフシア、犯罪組織オルゼンテ、化学会エフミト、魔術工房セーレー、死の商人ナセト、武装集団グスタール、リアオーレ家」
「それが?」
「金の流れだ。お前の商会が流した金は最終的にリアオーレ家という一家の元に流れている」
そこでザイードが剣をおろし、重たい雰囲気をため込んだ表情で続けた。
「リアオーレ家は、失われた大国セウス王国の王族の家名だ……」
「………」
ジェイラスは、ゆっくりとザイードたちに背を向けて再び視線を窓の外にやった。
「お前はリアオーレ家と何の関係がある。遥か昔に滅びた大国の王族となんの関係があって、こんな…」
いつもなら嘲笑と侮蔑と皮肉めいた言葉で嘘を返すはずの汚れた口は、この時は性に合わずに真実を語ろうとしていた。ずっと秘密にしなくてはならなかった真実をジェイラスが祖先たちに変わって白日の下にさらす時が来たのだ。ゾーン家が背負って来た一族の秘密を、今日ここで。
「ひとつおまえに言い忘れていたことがあった」
振り返る先にはザイードがいる。
「なんだ?」
「長い間、一緒にいたお前にも言えなかったことだ。お前の方から私を嫌悪するようになってから、ずっと打ち明けられなかったことだ」
「もったいぶらずに言え、なんだ?」
「私にはもう一つの名がある」
「名だと……お前、まさか…」
「【ジェイラス・リアオーレ・セウス】」
「………」
「それが私のもう一つの名だ」
ザイード卿の反応は声にもならない驚きと共に固まっていた。信じられないといった表情がジェイラスには滑稽に見えていた。
「ゾーン家は偽りの名、我が一族が生き残るために与えられた名だ。本当の名はリアオーレだ」
「嘘だ…」
「この期に及んでこんな嘘をつく奴がいるか、これは紛れもない真実だ」
戸惑いはザイードだけではなく、後ろにいた彼の兵士たちにも広がっていた。
「お前たちが隅に追いやった我々が長い歳月をかけて忘れさせた名だ。覚えているはずもない」
「ならば、お前の動機は復讐なのか…このレイドへの……」
「復讐だと?」
復讐というあまりにも単純で分かりやすい一言でまとめられるには、ジェイラスの、リアオーレ家が紡いで来た怒りと憎悪は計り知れなかった。
「ハハッ、ふざけるな。これは我々リアオーレ家の正当な権利だ。レイドが踏みにじったセウスを、自国を、取り戻そうとすることに異議があるのか?ないはずだ。なぜなら、それはお前たちもやっていることだからだ。国を守り家族を守る。それは我々もまた同じだ、分かるか?ザイード、国を失い奪われた者たちの嘆きと悲しみが…」
しかし、そこでザイードも引かなかった。その意見を受け入れるわけにはいかないと困惑する中それでも声をあげる。
「だが、レイドは滅亡寸前だったセウスを保護したはずだ…なのにお前のやってることは……」
「正気か?」
「事実、歴史書にはそう書いてある」
愚かしいザイードの発言に、怒りを抑えつけていた蓋が外れたような気がした。
「ふざけるな!!!貴様はそんな薄っぺらな都合のいい紙くずに書かれた文字の羅列を信じたのか?浅い、浅いぞ、そんな考え方ではお前は私に追いつくことはおろか目の前に立ちはだかることすら不適切で、愚かだ!!」
歴史は紙に綴られた文字じゃない。歴史とは世界に自分の生きた証を刻むこと。ジェイラスは過去の祖先たちが刻んで来たリアオーレ家たちの悲しみや屈辱をすべて背負って今ここに立っている。
親父が教えてくれた。『お前はセウスの王だ』という言葉。これは代々ゾーン家の主たちが子に残す言葉であった。セウス王国が滅んでからこの伝承はずっと受け継がれて来た。
忘れてはならないかつて、我々が大国の王として君臨していたことを、そして、再び返り咲くために、努力を惜しんではならないこと、その時が来るまで命を繋ぐこと、姿を偽り、隠れ、耐え凌ぐこと。
『今、その時が来たんです。父上、私は祖国を奪還します』
ジェイラスはこの日の為に、すべてを捧げて来た。自分の代ですべてに決着を着けるため、祖先たちの屈辱を晴らすために、今、ここに立っていた。
「ザイード、もはやお前と言葉を交わすことの無意味さを痛感した。お前たちはここで最初のセウス再興の礎になれよ!!!」
覇気を増していくジェイラスとは反対に、戸惑っていたザイードが酷く冷静になっていた。
「そうか、いや、それで良かったのだな…最初から言葉なんかより、そう、剣だ。我々の間にはもう剣があれば良かったんだな」
「優勢でいるつもりか?数で勝っているつもりなのだろうが、私は…」
そこでジェイラスが気持ちよく自身の授かった力を語ってやろうとしたが、その語りはザイードに遮られてしまった。
「ひとつだけ教えてくれないか?」
「なんだ?」
「お前がジュリカ様を死に追いやったんだな?」
「つまらん質問をするな、お前はそんなことを聞くために……」
だがそこでジェイラスは思いとどまりその質問に答えてやることにした。八年も彼はこのくだらない事件に固執していたのだから、ここではっきりと真実を明かすことで、彼が費やした八年を無駄にさせることにした。しかし、たったひとりの男の八年だけでは、リアオーレ家が受けた屈辱を晴らすには足りないにもほどがあった。
「いや、そうだな。ああ、そうだ、私がジェリカ・ハドー・レイドの直接的な死因といっていいだろう」
「…どうして殺した?」
「どうしてだと?おい、さっきからザイード貴様は正気なのか?あの貴族の出でもない女が国を統べる王族に属していることが許されるとでも思っているのか?ありえないことだ。あんな女死んで当然だ、彼女に毒を盛らせるようにダスマを送り込んだのも私だ。いいか、なんなら、レイドに二度にわたり神獣を呼び寄せたのも、この私といっていい。そうだ、レイドにとってのあらゆる不幸はこの私が引き起こしたことにしてもいいぞ!!」
罪など今となってはどうでもよかった。国や社会が決めたルールに縛られなくなった力を授かった時から、そんなもの怖くもなんともなかった。
「この破滅を願う私の魂の叫びが…………」
強い衝撃が、顔の中心に割れるような痛みが、走る。
その強い衝撃は、顔を破裂させ、ジェイラスの後頭部から脳みそを吹き飛ばすほどの破壊力があった。
ジェイラスの床に転がった眼球が、頭が吹き飛んだ自分が立っている姿を見る。
そこには自分の他に【覇光】を纏い立ち昇らせたザイードの姿があった。
彼が突き出した拳が、ジェイラスの頭部を粉々に破壊し尽くしていた。
ジェイラスの夢はここで潰えた。
はずだった。
『始めようか、セウス王国の再興を』
合図はただひたすらに空を目指す肉の柱だった。
***
ザイードの振るった拳の一撃は、ジェイラスの頭部を破壊し、豪華な部屋の中に彼の肉片をまき散らしていた。
全てが終わったことに安堵していると途端に身体に負荷がかかり、ザイードが膝をついて倒れた。
「ザイード様!!」
駆け寄ったスワンとクロウがザイードの両肩を持つ。
「覇人化なんて、無茶しないでください。お体に障ります……」
クロウが心配そうな顔で言った。
「ああ、すまない、だがこれでいい、これですべてに決着が着いたんだ…」
今に思えば最初からこうしていれば良かったのかもしれない。だが、それができなかったのも自分の弱さが招いた迷いでもあった。ジェイラスとザイードはある時期までは共にこの国を導いていく同士であり友人でもあった。子供の頃から貴族同士の付き合いで交流もあり、長い間、お互いのことをよく知っていた。
そう、だからこそ、それだからこそ、ジェイラスの放った真実とも受け取りがたい告白には、戸惑いしかなかった。
「撤収する、外に出たら、白い煙弾を空に複数放て、それが屋敷の周辺にいる者たちの撤退する合図となる。それと白いローブはもう脱げ目的は成し遂げたのだ。あとはひとまずシャーリー家に帰ろう、すべての後始末はそれからだ」
ザイードは兵士たちに撤退の命令を出した。作戦は成功。ザイードもこれが自身が出撃する最後の任務となった。
皆が部屋から撤退する中、ザイードは最後に肉片となって散らばった友に別れを告げるために振り返った。
そこには死後硬直して立ち尽くしたままの後頭部の無いジェイラスの死体があった。
「友よ、お別れだ、今度会う時はもっと別の形で会おう…」
背を向けようとしたその時だった。
「よかろう、ならば、これはどうだ?」
声がしたのはジェイラスの死体があるほうからだった。
そして、ザイードが再び振り返ろうとした時だった。
ザイードの前にスワンが飛び出し、ザイードたちを囲うように透明な壁を展開した。
するとその透明な壁は一瞬にして、大量の肉に埋め尽くされたかのように赤一色に染まった。
「な、なんだ……」
スワンが展開する透明な壁の外では、その肉の濁流が意思を持って動いているように、常に流動してはこちらを狙っていた。
「囲まれた、どうするスワン?」
クロウがザイードに肩を貸しながら彼女に次の行動を尋ねる。
完全に肉の中に閉じ込められたザイードたちが取るべき行動はひとつしかなかった。
「誰でもいい、この私たちがいる床を貫いて、ここは二階だから一階の部屋に移動して外に出る」
スワンの意見を聞いた兵士がすぐに床に剣を走らせるとあっという間に、床が円形状に切り取られ、下へと続く通路が完成した。
ザイードを連れたクロウを先頭に、二十人弱いた兵士たちが彼に続き最後に透明な壁を展開していたスワンが降りて、全員無事に肉の牢獄から脱出することができた。
屋敷の外に出たザイードたちはすぐに乗って来た馬を捕まえて、脱出を試みていた。
「しかし、さっきの声…」
突然の出来事に状況把握が追いつかなかったが、ザイードは確かにあの肉だらけとなった壁の奥から、ジェイラスの声を聞いていた。
「もしかしたら、奴はまだ生きているかもしれん」
「そんな冗談ですよね、だってさっきザイード様が頭ぶち抜いてたじゃないですか…」
確かにザイードも自身の拳でジェイラスの頭部を破壊したのをこの目でしっかりと見ていた。
しかし、それでもジェイラスの声を聞いたのもまた確かであった。
「勘違いであってくれればいいのだが、そうなるとあの肉のようなものはなんだったんだ…」
「鐘の音が止んでる…」
スワンがそう言った。ジェイラスの屋敷の四つあった警鐘はすでに鳴り終えていた。
辺りが嫌に静けさを帯びていた。
「誰か、白い煙を打ち上げてくれないか」
すると一人の兵士が指を空に向かって掲げ魔法を放とうとした。
その瞬間。
屋敷の屋根が吹き飛び、天高くそびえたつ肉の柱がそこにはあった。大量の臓器のような器官をとりつけて混ざ合わせたような肉の柱だった。その不気味な肉柱はどんどんと空間を貪るように上へ上へと伸びていくとやがて、この屋敷一帯を囲っていたミリアム・ボーンズたちが張った結界を突き破ってしまう。
すると次にザイードたちに襲い掛かって来たのは、街中を飲みこむような警鐘の音だけだった。
「何だ、何が起こっているんだ…」
「見てください、ザイード様、空を、あの空を……」
ザイードが顔を上げると、空には複数体の邪悪な影が雲の中を泳いでいた。
「あれは、そんな嘘だ…」
ザイードたちはそこで人類の脅威を目撃する。
「黒龍だ、それも一匹や二匹じゃない、あれは黒龍の群れ、黒点だ、黒点が形成されてる…待て、ひとつ、ふたつ、みっつ…待ってくれ、何個あるんだ……」
兵士が空を指差し恐怖で声が震えていた。
黒龍が群れを成し空に大きな黒い瞳に見えることから人々はそれを【黒点】と呼ぶことがあった。
黒点が発見された空の下はまず火の海になることが決まっており、空に黒い点を見かけたらまずその場から一刻も早く立ち去ることが昔から生き延びるための知恵でもあった。
そして、その黒点が今レイドの王城ノヴァ・グローリアの上に複数の点が形成されていることは何かの間違いだと思いたかった。
「………」
言葉にならない状況に、完全に兵士たちの思考が停止する。
空には地獄の黒点が広がり、屋敷には臓器の集合物のような肉の柱に、そして、けたたましく鳴り響く危険を知らせる鐘の音が、不安を掻き立て続ける。
混乱が混乱を呼んでいる。
「これはさすがにもう何がなんだか…」
訳の分からない状況に加え、最悪の景色に圧倒されるザイードが空を見上げながら絶望する。
「どうすればいいのだ……」
しかし、そんな絶望の最中、希望を失わない者が一人だけこの場にいた。
「大丈夫です、きっと何とかなります」
スワンだけが唯一絶望的な空を見上げてもなお希望を持っていた。
「スワン、なぜそんなことがいえるのだ…こんなあれはどう見ても黒龍だ、黒龍の黒点があんなにたくさん…」
「あんな龍の群れじゃ、この街は落とせませんよ…」
広がる絶望にそれでも彼女は自信たっぷりに言う。
「だって、ここにはあのレイドの英雄、ハル・シアード・レイがいるんですから…」
「レイドの英雄?」
ザイードはそんな聞き慣れない言葉に首をかしげていた。
「ええ、レイドの元剣聖にして英雄」
覚えている人は決して忘れられない存在。
それが、ハル・シアード・レイ。
「彼は人類の希望です」
スワンが見上げる空に、今、ひとりの希望が空へと飛び立った。
闇を孕む天界に激戦の予感。




