神獣襲撃 再会・警鐘・神獣
任せられたことは時間稼ぎだった。
ここはレイド王国でももっとも厳重な警備が敷かれている王城ノヴァ・グローリアの敷地内。丘の上に広がるこの広大な土地には遥か昔、神獣レイドたちが群れを成して暮らしていたとも言われていた。それくらい広い土地の全域を警備することは難しいのかもしれないが、そこは酷く均整の取れた警備体制がちょっとした異変もキャッチできるように、しっかりと警備ルートがカバーされており、ノヴァ・グローリアの城壁内には常に監視の目が張り巡らされていた。
だからこそ、大きな結界を張ったことはまずかった。怪しんだ巡回中の騎士がすぐにその異変に気付いて城の方に走っていくのを何人か見た。
それでも、このザイード卿の指示で張られた結界の内側では、耳をつんざくような警鐘の鐘が鳴っていることを考えると、正解ではあった。もしも、この警鐘が城の全域に広がれば、ライラ騎士団並びに他のアリア騎士団などがすっ飛んでくることは目に見えていた。
ハルは結界の外で中に誰も入らないように、結界の周辺をうろうろしながら目を見張らせていた。
別に城に走っていった騎士たちを阻止するつもりもなかった。この結界内に入れさせなければ、ハルの役目はそれで終わりだった。あとは、ザイード卿が目的の人物を捉えたら、彼をホーテン家まで護衛するという流れで、任されていたハルの任務は終了で、それにハルの本命は他のホーテン家の隊員たちでは防ぎきれない、レイドの剣聖の足止めにあった。
「そろそろ、来るかな?たぶんカイなら気づいたと思うんだけど」
カイ・オルフェリア・レイ。
ハルとカイは王都にいた頃の同僚であった。同じアリア騎士団に所属していた頃があった。その頃から、彼とはよく衝突するというよりかは、こっちが彼に迷惑をかけていたという方が言い方は正しかったかもしれない。そんなん、だから、あんまり彼には好かれていなかったと言える。けれど、ハルは彼のことを友人だと思っていた。
カイの根が優しいのは彼と共にいた時間が長くなればなるほど、分かって来る。彼がどんなに酷い言葉を吐いて拒絶しても、困った時は必ず最後には手を貸してくれた。それにカイのことは、彼の奥さんを見れば一目でわかった。カイの妻であるアーリは常に彼の話をよくする。不愛想な彼とは違い、表情豊かで元気いっぱいの彼女が非常に彼を良き夫だと話すのは、彼の人前ではあまり見せない人への愛情がちゃんとある証拠だった。
「お、来たか…」
ハルは遠方の空に黒い人影を見ると準備を始めた。
黒衣の中から這いあがってきた黒い触手がハルの顔を隠し、二メートルはある大太刀『皮剝ぎ』を構えた。
直後、その空に浮いていた人影の姿が消える。
数秒後。
突然、ハルの目前に片手剣を振るって突っ込んで来た騎士の姿があった。
現れたのは剣聖カイ・オルフェリア・レイ。
並みの騎士ではまず手も足も出ない、レイド王国の剣聖の名に相応しい実力の持ち主。
表舞台の最高戦力。
ハルはいまそんな彼と剣を交えていた。
「貴様、俺の一撃を防ぐのか?何者だ?」
カイの灰色の髪の奥の瞳には凄まじい闘志が宿っていた。彼から迸るその闘志はもはや神威の域にまで達しており、ハルがわずかながら飛ばしていたか細い神威など、一瞬で消し飛んでしまうほどの圧があった。
「答えろ!!!」
鍔迫り合いの中カイが怒鳴る。
それもそのはず、王城の敷地内で騒ぎが起きているこれは王族の危険を脅かすものであり、王族の危機は国の危機、剣聖の出番で間違いなかった。
「答えるまでもない」
ハルは片手で大太刀を振るうと、カイを軽々と後方に後退させた。
「なんて、力……」
カイがすぐさまハルのことを危険人物だと判断すると、すぐに剣を鞘にしまい。片手をハルに向かって翳した。
『撥か?』
ハルはとっさに目の前に触手で壁を創りその中に閉じこもった。
【撥】。カイの天性魔法で、対象を見えない力で押しつぶすその威力は神獣を一撃で沈めるほどの威力があり、まず人間に放っていいわざとはとても思えなかったが、彼は一切躊躇することなく、その手をハルに向けていた。
『殺す気満々だな、いや、でもカイならそれが正解か…』
悪に対して容赦しない、民衆や善意の味方である彼が、敵に慈悲を与える分けがない。それに慈悲を与えることができるのはいつだって実力差の離れた勝者だけ、カイは目の前のハルという脅威を全力で排除するつもりでいた。
突如、ハルの触手に濃密な衝撃が着弾した。
撥の衝撃を触手がそのみを崩壊させながら受け止める。
そして、ハルは破壊された触手を次から次へと再生させ、その衝撃を受けきる。
触手の壁を解除すると、そこにはもうカイの姿はなかった。
そして、突如、ハルは頭上からひりついた殺気を感じ取り、頭上を見上げると、すでに二発目の撥が発射されていた。
触手を解除してしまったハルはもう回避するしか選択肢が無く、その撥をサイドステップで、左に交わした。
すると今度はそのかわした方向から三発目の撥が飛んできており、ハルは小さく笑った。
「いいね…」
ハルはその左からせまった撥を受け止めることはせずに刀を降ろしてすべてを受け入れるように直撃を受けた。
ハルの身体がその左から来た撥とは反対方向に吹き飛ぶと、元いた位置に押し返された。
すると当然、二発目の真上から放たれていた撥にも直撃する。
ハルはその撥も受けることなく生身で受けると、その場に膝をつくと地面に倒れ込んだ。
そして、倒れたハルの前に目にも止まらぬ速さでカイが現れると容赦なく片手剣を両手で握りこみ、ハルの心臓めがけて突き立てた。
その一連の連撃には、一切の間がなかった。
「最後に名を名乗れ、貴様は何者だ?」
「知っているはずだ、カイ…きみなら俺のことを……」
口の中に血が溢れてとても喋りづらかった。
「なんだと?お前のような奴は……」
その時だった。カイはそこであるものに目がいった。人が振るうにはあまりにも規格外の刀。それにカイは見覚えがあった。
「その刀……おまえ…まさか……」
カイが剣を抜き取ると、ハルの身体に開いた風穴から大量の血が溢れた。
「久しぶり、カイ、強くなったね、これが剣聖の責務の力ってやつなのかな?」
「おまえ、ハルか?」
悲壮な顔をしているカイが倒れていたハルから一歩後ずさる。
「そうだよ、アーリは元気?相変わらず仲良くやってる?」
ハルは胸から大量の血を流しながら、立ち上がる。心臓はしっかり潰れているにも関わらず、ハルは平然と彼に話しかける。
「なんで…おまえがここに、いや、それより……おまえ血が………」
信じられないものを見ている目で、カイは今だその血だらけで地面に倒れ伏せる人間をハルと認められずにいた。しかし、その口からカイは自分の妻の名前が出てくると信じないわけにもいかなかった。この黒衣を纏い頭を触手で覆われた男が、あのハル・シアード・レイなのであると、カイが疑っても現実はそこにあった。
「ああ、これは別に気にしなくていいよ」
ハルがそう言うとぽっかりと開いた胸の奥で黒い泥のような脂肪のような、黒い肉が蠢きまわっていた。そして、垂れていた赤い血も気が付けば徐々に黒く染まり、みるみるうちにハルの大怪我が治ていった。
「凄いでしょ?まあ、やりすぎると、多分よくないんだろうけど、それより、カイ、今ここで起こっていることは静観していて欲しい。ちょっと、複雑な事情でこの中に人を入れないように言われているんだ」
ハルがそう説明するが、カイはそんなこと無視してハルに掴みかかった。
「お前、今までどこに行ってた?この状況はどういうことだ!?」
「あ、えっと、だから、今、レイド内の裏切り者を…」
「そんなことはどうでもいい!!!」
それは剣聖の発言としてはいかがなものかと思ったハルだったが、カイの目は本気だった。
「それより、なんで周りの人間がみんなお前のことを知らないことになってるんだ!!」
「あぁ、それにも深いわけが……」
ハルの言葉をカイは容易く遮る。
「世間では俺が白虎を討伐した英雄だとはやし立ててる。信じられるか?俺が白虎を討伐した?ふざけるな。俺はあの時だってお前のおこぼれを処理するだけで精一杯だった。なのにお前が消えて俺は英雄扱いされる。何が何だかさっぱり分からない。それに、陛下もあのキャミル王女まで、お前のことを知らないと言った。あれほど、親しくしていた者たちがこぞってハル・シアード・レイのことを忘れている。こんなことがあっていいのか?なあ、こんな仕打ちがお前がこの大陸を守った報酬なのかよ!!!」
カイは眉間にしわを寄せて俯き怒りの限り叫んでいた。
そんな彼を見て、ハルも謝らなければならなかった。彼には迷惑をかけてばかりだった。
「カイ、悪いのは全部俺なんだ…」
「悪いだと?白虎と黒龍を討伐したお前のどこが悪いんだ?世間はお前を忘れようとして、あの救済に対する礼をチャラにしようとしてるんだぞ!!」
「違う、みんなの記憶がないのは多分、俺のせいで、全部自業自得なんだ…」
「記憶を操作する能力でもあるのか?お前にそんな力があるとは聞いてなかったぞ!!」
カイがまくしたてるように言う。
ハルは冷静にありのままを説明した。
「俺は黒龍を討伐するとき、どうしても力が必要だった。だから、自分がまだ抑えていた部分の力まで引っ張りだしたんだ。だけど、その引き出した力に逆に飲み込まれて制御不能になって、それで俺はその力を鎮めるために、努力したんだ。そして、自分の中の自我を崩壊させれば、その力を抑え込めるって分かって実行したんだ。その結果、目が覚めた時には俺も分からないけど、どうやら世界は俺のことをなかったことにしてたんだよ。これが俺が言えるすべてだ」
ざっと黒龍討伐後からハルの消失の経緯を語ってみたが、相変わらず、自分でも訳の分からないことが多かった。ひとついえることは、この現象に神威という力が大きく関わっていることぐらいは、ハルも頭の片隅におさえていたが、それにしても、ハルだってどうしてこなったと叫びたい気持ちではあった。
親しく愛すべき隣人たちから忘れられる。
それを悲しいと言わずなんといえばよいのか?
ハルの心をしっかりと削っていたことに違いはなかった。
ただ、カイの反応はというと。
「そんな、おとぎ話みたいな話聞いて、はいそうですかって、俺が納得できるとおもっているのか!!」
ですよね、とハルは言いたくなったが、彼はいま興奮状態でハルの話を聞く余裕がないことは外から見ていても分かった。明らかに正気ではなく、この現状にどうすればいいのか、戸惑っているというよりかは、溜まっていた怒りを吐き出しているそんな感じだった。
「じゃあ、信じなくてもいいよ、カイはそのまま剣聖を続けてよ」
「あ?」
「この国を守ってくれれば俺としてはそれで何もかまわないんだから、後、白虎を倒した功績も全部譲るよ、なんだったら、黒龍もカイが倒したことにすればいい、俺はそういうのもうどうでもいい立場にいるからさ」
「お前、俺に喧嘩売ってるのか?」
怒りでカイが剣を抜くが、剣よりも撥の方が圧倒的に殺傷能力が高いのにそれをしないということは、明らかにもう彼に戦う意思がないことが見て取れた。
「喧嘩は売ってない、ただ、それでカイの剣聖の地位が揺るがないものになればいいと思ったんだ。さっきも俺のことを躊躇なく殺そうとした。それは前の俺にはできなかったことだ。そして、これからの剣聖に必要なことだ」
「何を言ってる?」
「俺たちはあまりにも裏にいる人たちにおんぶにだっこだったってこと、これからはそうはいかない。獣の時代は終わって、今度は本当の意味で人々の時代がやってくるのかもしれないからね」
この大陸の最大となって居た四大神獣の脅威はすでにもう去ったと言っても良かった。共通の敵が消滅したことで、争いの火種となるのはやはり、人間同士になることは間違いなかった。
平和を追い求めていたハルが見た先には新たな地獄が広がっていた。つまり、恐ろしい獣たちの背後には、雑多な正義を掲げた人間が立っていたのだ。
「俺は最悪の時代を築いてしまったのかもしれない…」
今に思えば、人を助けることすら、正しいことだったのか、ハルにはもう分からなくなっていた。それでも助けるべき人を助けていたのは、ハルがしっかりとこの世界で生きてきてしみついた人への愛着だったのかもしれない。
愛を知ってしまったから、優しくして心を通わせることの素晴らしさが何にも代えがたいものだと、教わったから、ハルは道を踏み外しても、振り切らないでいられたのかもしれない。
「なあ、ハル………」
ようやく、落ち着きを取り戻したカイがハルに改めて声を掛けたときだった。
カイの目にはとんでもないものが映っていた。
「なんだあれは!?」
驚くカイに、ハルも後ろを振り向く。
すると、そこには。
結界の中の屋敷の天井を貫いて、とてつもなく大きな肉の塊が空へと木の幹のように真っすぐ伸びては、肉の柱を形成していた。
「何が起きてる、ハルはあれはお前たちがやったのか?」
「違う、あんなことをするなんて聞いて……」
そう呟いていた時だった。
カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン。
突如、周辺からありったけの力で鳴らされた警鐘が聞こえて来た。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
それはまるで王都中の警鐘が鳴っているような。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
誰かの救いを必死に必要としているような。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
カンカンカン。
未曾有の危機が迫っている。
そんな鐘の音。
「おい、これ、まさか……あの時と同じ………」
その異常な量の警鐘にカイが思わずそう零していた。
「…………」
沈黙していたハルの額に嫌な汗が流れる。なぜなら、この街中の警鐘が鳴り響くような激しい警鐘の音には聞き覚えがあった。
それは今からおよそ二年前と五年前の二度に渡って。
脳裏によぎる凄惨な光景。
ありふれた日常が破壊される音。
神の獣たちに蹂躙される街。
ハルがふと空をみあげると、何かが雲の上でのたうちまわっているのが見えた。
それは戦闘の火蓋が切って落とされた合図だった。
疑いは確信に変わる。
「おいおい、まさか、あれ、龍か……」
ハルにつられたカイが空を見上げてそう呟く。
ならば空を舞っているあれは龍なのだろう。
「カイ、お前はこの城を守れ、外のはすべて俺がやる」
ハルはひとことカイにそう言うと、刀を力強く握りしめ深く屈みこみ体勢を低くすると、地面を蹴り飛ばし空へと跳ねあがった。
あっという間にハルの身体は雲の上へと突き抜け、見えなくなった。
あっけに取られていたカイだったが、急いで肉の柱が立ち昇る屋敷へ駆け出し、やがてカイは自身の天性魔法である【弓】で加速して先を急いだ。
***
王都スタルシアにあるすべての警鐘の音が鳴りやまない。
その音が人々を不安に駆り立てると同時に危機を知らせていた。
街に築かれた二十メートルを超える壁の上にいた騎士は必死に鐘の音を鳴らし、この異常事態を遥か遠くにある城に届くように、最初の種火となるため、打ち鳴らされていた。
しかし、その警鐘を鳴らし続ける騎士の目の前には、あまりにも現実離れした絶望が広がっていた。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああ」
絶叫と共にそれでも彼は鐘を鳴らし続ける。
壁の中にいる人々を守るため。
彼は鐘を鳴らすのを止めない。
彼が鳴らした鐘の音が起点となって、街中に広がっていく。
みんなに危機が訪れていることを知らせる。
それでも目の前に突如現れた厄災に呑まれるくらいだったら、鐘の音を鳴らすのを止めて、壁から飛び降りる方がはるかにマシなように思えた。
それでも、その鐘を鳴らす男はその手を止めない。
壁の中には彼の家族も友人もみんないた。
祈る。
彼は頭の中で祈った。
祈り、祈って、救いを待った。
それしか、王都の人々に残された選択肢はもはやなかった。
壁の上にいた彼の遥か先の景色にはこちらに向かってくる神獣の群れたちの姿があった。
神獣王獅子、神獣暴風馬、神獣永劫麒麟、神獣古牛、神獣大山羊、神獣千寿像、神獣泥鰐、神獣天猿、神獣大氷山熊、神獣金剛犀、神獣戦火猪、神獣死狼、神獣白虎。
それも多種多様でお互い争うこともなく真っすぐまるで人間だけを狙うかのように、その神獣たちはまっすぐと王都スタルシアの壁に歩み寄っていた。
「神様……どうか、お助けください、どうか………」
男が鳴らした鐘の音がやがて街中に伝播しきる。
「眩し…なんだ………」
神獣たちの群れの中に一体の神獣が大きく口を開き、その口の中には大量に蓄電された球状の白雷があり、バチバチと放電していた。
しかし、その光り輝く白い球体を男が目にしたときには何もかもが遅かった。
神獣白虎による白い閃光。
その男がいた壁にめがけて放たれていた白い光線は、分厚い壁もろとも男を一瞬で熱で溶かし骨も残さないほど蒸発させていた。
グオオオオオォォォ!!!
神獣白虎の咆哮ひとつで周りの他の神獣たちの群れが、一気に王都に押し寄せる。
レイド王国王都スタルシアに三度目の危機が訪れる。
救いを求める声が悲鳴でかき消されないように。
死を拒む人々は祈るだろう。
救世主の誕生を。
人々は祈る。
救いを。
死。




