雨の日 雨夜の訪問者
その日の真夜中、ハルは寝る前にベットに座って本を読んでいた。みんなが寝静まり、小さな雨の音だけが聞こえてくる。その雨は、読書の邪魔にならないほど弱い雨だった。
そんな中、ハルの部屋にノックの音が響き渡った。
トントン!
「はい、どうぞ」
ハルが本から顔を上げて扉の方を向いて言った。
『こんな時間に誰だろう?』
「失礼します…」
そこに小さな影がゆっくり入ってきた。
「あれ、ビナ!」
扉から現れたのは元気そうなビナの姿だった。
ハルは本を閉じてベットの横にある小さなテーブルに置くとビナのもとに駆け寄った。
「すみません、こんな夜遅くに…」
「構わないよ、それよりもういいの?」
「は、はい、おかげさまですっかり元気になりました」
「それはよかった…」
ハルのホッと安心した微笑にビナはついつい見惚れてボーっとしてしまう。
「それでどうしたの?」
「え!あ、その、さっき目が覚めたばっかで眠れないし…それにいろいろ話したいことがあって…」
ハッと我に返ったビナはオドオドしながら言った。
「それもそうか、立ち話もなんだし、そこに座って」
「い、いいんですか!?」
「もちろん、いいよ」
ハルは笑顔でビナを迎えた。
ビナはとても緊張した様子で身体がカチコチに固まりながら入ってきた。
『お、男の人の部屋に入ったの初めてだ…すごい綺麗!というかものが少ない?』
ビナが辺りを見渡していると、ハルがテーブルの前にある椅子を引いて呼びかけてくれた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ビナはそこに座るだけで満足し、いっぱい、いっぱいになってしまった。
「そうだ、紅茶用意してくるから少し待っててくれる?」
「え!申し訳ないです…」
「俺が飲みたくなっちゃってさ、いい?」
「は、はい、それじゃあお願いします!」
「了解、待っててね」
ハルが部屋から出ていくと、ハルの部屋にビナが一人になった。
ビナが落ち着かずに、キョロキョロ辺りを見回していると、ベットの横にある小さなテーブルに一冊の本がおいてあった。
『あ、ハル団長の読んでた本かな?どんなもの読んでたんだろう』
ビナは本の表紙を確認するために席から立ち上がり、その本の置かれている小さなテーブルに近づいた。
『表紙見るだけならいいよね…』
ビナが本の表紙を覗き込むとそこには『七王国物語』と書いてあった。
「これ…私も好きな作家さんの本…」
しばらくいろいろ考えていると部屋の扉が開いた。
ガチャ
「あれ、ビナ?」
ハルが、ビナの座っていた椅子を見るとそこには誰もいなかった。そこで横を見るとビナがベットの近くで本の表紙をジッと見つめていた。
「ビナ?」
「ほあ!ご、ご、ごめんなさい、決して、その勝手に部屋をさぐってたとかじゃなく、ほ、本があ、あったので!!」
ビナが想像以上の慌てっぷりを見せると、ハルはおかしそうに笑った。
「アハハハ、いいよ別に、自由にしてよ」
ビナはほっとした表情をして、ハルに尋ねた。
「ハル団長この本…」
「ああ、それね、俺の好きな作家さんの本なんだ、何回も繰り返し読みたくなっちゃってね、自分用に買ったんだ」
「私もこの【ジョン・ゼルド】さんの作品大好きでたくさん読みました!」
「本当!それは気が合うね!」
二人はしばらく本の話題で盛り上がると、ビナがあることに気づいた。
「そういえばハル団長、お茶はよかったんですか?」
戻ってきたとき、ハルは何も持ってはいなかった。
「ああ、それね、キッチンに行く途中でさ、まだ起きてた使用人さんにばったり会って、お茶入れに行くって言ったら、私が入れますって聞かなくてさ、お願いしちゃったんだ」
「なるほど…」
トントン!
「お、噂をすればかな」
ハルが扉を開けると使用人が二人分のカップと紅茶の入ったガラスのポットを持ってきてくれた。
「失礼します、ハルさん」
「わざわざ、ありがとう」
「いえ、構いません、席にお着きください、私が入れます」
二人が席に着くと使用人の彼女が紅茶を注いでくれた。
「もしよかったお菓子もありますが」
「え、食べたいです」
「あ、俺の分もいい?」
そう言うと使用人は、紅茶を運んできた手押し車についている小さな扉を開け、二人分の焼き菓子を取り出して二人の前に置いた。
「それではこれで失礼します、食べ終わったものは、ハルさんの部屋の前にこの手押し車を置いておくので、この上に置いてください、あとで私が片づけておきます」
「なにからなにまでありがとう」
「あ、ありがとうございます」
「いえ、それではごゆっくり」
二人が礼を言うとその使用人はすぐに部屋を出て行った。
しばらく二人でお菓子と紅茶を楽しんだ。
ザアアアアアアア!
雨の音が一気に強まった音がして、ビナがハルの後ろにある窓を見た。
「…雨やみませんね」
ハルも後ろを振り向いて窓の外を見た。
「そうだね、数日は降り続けそうだ、当日は晴れるといいんだけど…」
その当日は、神獣討伐の作戦のことだとビナも理解した。
「そうですね…」
二人の眺める窓の外は真っ暗で、強くなった雨の音だけが聞こえてきた。
「あ、そうだ!」
ビナの突然のその言葉にハルがゆっくり向き直ると彼女が尋ねた。
「そういえば、試合の結果はどうなったんですか?」
「…ああ、帝国の勝ちで終わったよ」
「そうでしたか…」
ビナはがっかりした様子で俯いた。
そんなビナを見たハルも、しばらく彼女になんと声をかけていいか分からなかった。
『そうだよな、全力だったもんな…』
ハルは軽い言葉になってしまうと分かっていたがそれでもビナに語り掛けた。
「ビナの最後まであきらめない姿勢とても立派だったよ」
ビナが顔を上げると、明らかにハルも戸惑った表情で、いろいろ考えながら言葉を繋いでいるのが分かった。
「えっと、俺が言うとなんか嫌味って思われるかもしれないけど、正直な気持ちを言うと」
ビナは静かに彼の次の言葉を待った。
「あのとき、ビナはちゃんと騎士だったよ、どんな困難にも屈せずに折れない姿は、俺も見惚れるほどの立派な騎士だった…」
ハルは、照れくさくなって、いつもより不格好な笑顔をで笑って恥ずかしさをごまかした。
「…………」
ビナは、ただ、ハルの顔を見つめていた。
「ハハ、でも俺さ、二人を途中で止めようか…どう…か………な…や…」
ビナの中でハルの声がどんどん遠くなっていき、彼女の心の中に温かいものが流れ込んできた。あの日、剣聖ハルに救われてからビナはずっと彼に憧れて努力を続けてきた。
そして、今、たとえその言葉が冗談や嘘だったとしても、憧れの人からそう言われたことが、ビナにはとても嬉しかった。
『無駄じゃなかったんだ…』
「あれ、ビナ?大丈夫?」
ハルが固まっているビナの顔色を覗った。
「…ハル団長」
「ん?」
「ハル団長は覚えていますか?五年前にあった最初の神獣レイド襲撃事件のこと…」