這い上がる絶望
助かった。それだけがジェイミーが抱く今の感想だった。彼の死。その絶望がまだ尾を引いていたが、何よりも命がここにあるそれがどれほど素晴らしいことか、心臓の鼓動が成り続けるたびに安堵が全身に広がって行くのを感じていた。
周りを見渡せば砦の外の道に見慣れない兵士たちのような黒いローブの集団が、拠点のようなものを築き、砦から逃げ出して来た者たちを治療していた。
孤独ではない。それだけがジェイミーの心まで癒しを与えていた。みんな死んでいなくなってしまったこの世界に独りぼっちいったいこれから何を目的に生きて行けばいいのか?
「ドーゴ…みんな……」
酷く深い暗闇に放りだされたような、積み重ねて来たものが一瞬で崩れてしまった。そんな感傷に浸っていると、目の前に一人の男が立ち止まった。
「どこか怪我はありませんか?」
膝をついて顔を覗き込んで来たのは感じの良さそうな黒髪で黄色の瞳を持つ好青年だった。
「いや、私はかすり傷だけだから…」
「辛かったでしょうね、今、治します」
彼が擦り傷を負っていた腕を取ってあろうことか白魔法を掛けてくれた。軽傷はみるみるうちに傷がふさがり元の傷一つ無い綺麗な腕がそこにはあった。
「ありがとう…」
感謝の気持ちを伝えると彼はこちらを安心させるように微笑んでくれた。患者の扱いを心得ているようだった。
「横になって居てください、副作用で眠くなるかもしれませんから」
それだけ言うと彼は立ち上がって次の患者の元へ行ってしまった。
ジェイミーは突然現れた兵士たちが即席で築きあげられた仮拠点にいた。スモーク砦の目の前の一本道にその拠点はあった。ただ、仮拠点といっても本当に患者が寝る布が地面に敷かれただけの粗末なものであった。それでも何もない一本道の山道の雪が地面に染みこみ泥道となった地面に寝転ぶよりははるかにマシだった。
拠点内では、慌ただしく動き回る兵士たちとは対照的に、ジッとその場に生き残った者たち同士で集まり、被害者となったモス盗賊団の者たちが、仲間の死や自分の哀れさに悲しんだり、苦しんだりしていた。
それでもジェイミーの傍にはもう、寄り添ってくれるものはひとりもいなかった。
どうして自分たちがこんな目に遭わないといけないのか?
誰にこの怒りや疑問を訴えかければいいのか分からず怒るものもいれば悲しむ者、塞ぎこむ者様々だった。
しばらくすると何度も地鳴りのような轟音が砦内から響き渡ると、被害者たちはトラウマのように身をすくませて怯えていた。
そんな破壊音が何度も鳴るのを耐えなければいけないのは苦痛でしかなかった。いつあんな化け物がすべてをめちゃくちゃにして、不幸のどん底にみんなを叩き落すか、ジェイミーも砦から目が離せなかった。
こちらにさっきの首なしの化け物が飛んで来たら、どうしようか、その時は死ぬしかないのか、轟音が響き渡るたびに、そんなことを思っていた。
『怖い…』
人生でこれほど怖い経験をしたことはそうそうなかった。いつだって自分の力で乗り越えられる程度の壁が立ちはだかり、深く考え、慎重に選択していれば、死だって自分とは程遠いところにあった。
それがここに来て一気に人生観を狂わされるほどの体験をすると、もはや影の道を歩くような生き方は今日限りで止めてしまおうと思うしかない。それがこれまで自分が盗賊として生きることへの贖罪にもなると確信さえしていた。
シスターにでもなろうかと思うほど今日の出来事は、心を清らかに浄化し続けていた。
『神様…どうか私たちをお助け下さい…』
祈るしかなかった。
ジェイミーは轟音が鳴りやむまで必死に神様に祈った。
聞き届けられているだろうかと不安になりながら、必死に祈るのだった。
それから星一つ無い空に、一度青い光が光ったと思ったら、ジェイミーたちのところまで伝わって来た地響きと激しい揺れに、拠点内は悲鳴に包まれみんながパニックに陥っていた。
だが、ジェイミーは次の光景に目を疑った。
砦の真上に小さな星のような光が一瞬光ったと思ったらすぐに消え、その直後、砦を囲っていた壁が吹き飛び、砦全体が傾いたかよ思うと、そのまま、砦が地面ごと山の斜面に沿うように、滑り落ち始めていた。
ジェイミーたちの前から砦が地に沈み込むように視界から消えていく。
落ち始めたらもうあとは重力に従って一定の速度まで加速して地面に叩きつけられる運命だけが待っていた。
「やった……」
砦が消えることでジェイミーが安心したのは紛れもなくそこにいたはずの化け物も一緒に落ちていったことに起因していた。
兵士たちだけが慌てるのと同時に、ジェイミー含めた盗賊団たちだけが自己の安全が確保されたことに一種の喜びを得ていた。
その対照的な光景にこれでいいのだろうか?という疑問など浮かぶわけもなく。真っ暗だった星の無い空にはいつの間にか陽の光が差しこみ、夜が明けていた。
息を呑むようなその美しい朝焼けに、失った仲間たちのことを思いジェイミーは涙を流した。
世界はこんなにも美しかったのかと、ジェイミーは自分の胸に手を当てて、神様に感謝した。
「ありがとうございます…」
しかし、そんな奇跡も崖下から這い上がって来た首なしの化け物が現れるまでだった。
*** *** ****
朝焼けが首なしの化け物を照らす。
『朝か……』
首の付け根にある大口を開く。青白い肉に埋もれたハル・シアード・レイの顔に太陽の輝きが飛び込んで来た。
『いや、それより急がないと』
やっておいて良かったと思ったのは、ホーテン家の四つの部隊のうち一番人数のすくないブレイド部隊の隊員の顔と名前を一人残らず暗記できていたことだった。
砦が傾き崩壊してから、時間をできる限り長く止めては、ありったけの触手を伸ばしては、ローブを羽織った兵士たちを中心に触手で傷をつけないように牙は出さずに飲みこみ、首なし巨人の体内の中で安全に保護していた。だいたい胃に当たる部分に気絶させた状態で集めていた。
建物の中、瓦礫の下、何から何まで隅々触手をはりめぐらせた結果、このスモーク砦に残っていた、ブレイド部隊の隊員たちをみんな救い出すことができた。
砦で走り回っている時、盗賊たちを片付けるついでに触手でさきに保護していたブレイドの隊員十一名と、今、救い出した砦の中にまだ残っていた隊員二十三名、砦の上空を飛行魔法で飛び立った六名と、この部隊隊長であるキングス。
そして、あの古城で別れてからずっと気になっていた新兵のアストルを救い出し、計四十二名を無事に落下する砦から救い出すことができた。
『戻るか』
首なしの化け物がお腹を膨らませてはそんなブレイドの隊員たちを運びながら、いまだに健在でいられるのは、当然、キングスとの戦闘で負けていなかったからであった。
彼の渾身の拳で首なしの肉が飛び散ったように見えたのは、ハルが事前に首なしの体内を自ら自壊させ爆ぜさせたことが起因していた。なぜそんな真似をしたのかというと、それは首なしの体内にはあらかじめ戦闘の途中で保護していた隊員たちが肉体の中に保管されていたからであった。もしも誤ってキングスの拳がその隊員たちを保護していた肉袋に直撃すれば、さすがに地を割る威力を外側から受けて無事ではないだろうと思い、ハルが自ら招いた自爆であった。飛び散った隊員たちを保護していた肉袋と言えばいいのか、それらの飛び散った臓器の肉袋はハルの身体から直接伸ばした触手でキャッチして事なきを得た後、再び首なしの肉体を構築する大量の闇から生まれた肉を生成し、今行った救助活動を再開したという経緯があった。
『まだ、上にも人がいたよね』
保護したみんなを引き渡すのと、生き残った盗賊たちを駆除がまだ残っていた。
落下中の砦の地面を蹴り飛ばすと、首なしの巨人は、先ほどまで砦があった山頂付近の断崖まで戻るのであった。
『残さず殺さないと…』
首なしの体内にいたハルの真っ暗闇の瞳が光を拒絶していた。
朝焼けが広がるスターダスト山脈に、絶望がせり上がる。




