失われる罪命
夜天に逆さに立つ首なしの化け物の首の根元にある大きな口がにやりと笑う。
するとぽつぽつと空から口の生えたワームのような触手が落ちてくると、砦の魔法障壁が発動し、その悪意ある触手を弾き始めた。
砦の結界はしっかりと機能している証拠だった。
砦内はその化け物を見ると早速緊急事態の鐘がなり、宴をしていた者たちが武器を取りに近くの建物に走り出していた。
しかし、気付いた時には何もかもが遅く、首なしの化け物の足元つまり夜空から大量の触手が集まり絡まり合うと、その首なしの化け物を飲み込むように地上に闇の奔流となって流れ出した。
その光景はまさに一本の黒い龍が地上に一直線に降りて来るようであり、絶望以外の何者でもなかった。
そして、その禍々しい触手の奔流が砦の防壁をいともたやすく破ると、砦の中央広場にたっぷりの触手と共に首なしの化け物のが降臨した。
首なしの化け物は、頭部が無いことはもちろん代わりに首の根元に大きな口が付いており、さらに体中には黒い触手をローブのように着こみ、無い左腕と代わりの右腕は剛腕であった。
化け物が着地した衝撃は砦のがけっぷちの地面には厳しかったのか着地と共に砦の四分の一が崩れ崖下の底に崩れ落ちていった。
やがて天から降り注いでいた黒い奔流が途切れると、首なしの化け物が大口を開いた。
ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォ!!!
ビリビリと大気を震わすその絶叫は、戦う戦意を失わせるには十分すぎるほどの咆哮だった。
「ハハッ、なんだよ、これ…」
この状況で正気でいられる奴の方が狂っているという異常な事態に、モス盗賊団の首領であったドーゴ・モスの足はすくみ目の前の現実を受け入れられずにいた。
「化け物だ、化け物じゃないか!?なんで化け物がここに…?」
西部がこれほどまで狂った場所だと知っていたのなら足を踏み入れることはなかった。こんな山奥にこんな化け物が?いつから?なんのために?どうして?考えるだけ無駄なことは分かっていた。
しかし、それでも思考してしまう。こんな惨状が目の前で起こってしまっていることに、誰かのせいにしてしまいたかった。
「騙されたのか…」
嵌められた?この化け物をおびき寄せるか?あるいは、自分たちを腹の足しにするのか?すべてはあの【ラース】という男のせいだった。
「くそ、あの野郎…よくも騙したなぁ!!!!」
怒りのおかげでドーゴの思考は徐々にこの事態を受け入れることができ、何をしなければならないか首領としての頭がきっちりと回り始めた。
「全員逃がさねぇと」
ドーゴが屋上から二階のバルコニーに飛び降りる。祝杯を挙げていた酒と料理が並んでいた豪華なテーブルにドーゴが着地する。そこで絶望の顔色に染まっていた仲間たちが、ドーゴを一斉に注目した。
そこには、ビース、チェドル、オーモンド、ミモリカ、エキナ、モウゼンスと盗賊団の幹部、そして、ジェイミーがいた。
「お前ら何してんだ!!!!」
固まっていた仲間たちが怒鳴られたことでビクッと反応する。
「早く逃げろ!!!」
ドーゴの怒声で仲間たちが一斉にその場からバルコニーの左右に分かれて建物の背後に回る様に逃げ出した。
右に向かったのはビース、チェドル、オーモンド、ミモリカ、の四人。
左に向かったのは、ドーゴ、ジェイミー、エキナ、モウゼンスの四人、
盗賊は逃げることに関しては誰しもプロだった。それが他の誰のことも考えないならどこまでも逃げ切る自信がある者たちばかりだった。
逃げるドーゴが無事に逃げているか後ろを振り返った時だった。
首なしの化け物の右の拳が右に向かったビース、チェルド、オーモンド、ミモリカの四人めがけて振るわれていた。
ビース、チェルドがどう見ても助からない位置にいることがどれほどドーゴの目に絶望的に映ったのかは言わずもがなだった。
巨大な拳が建物の壁を貫き、二人を巻き込んで振りぬかれた。右に行く道に大穴が開くと、オーモンドとミモリカが切り返して、こちらに向かって全速力で戻って来ていた。
幸いなことに化け物の腕は一本しかなく、攻撃の回数はそれほど多くない。しかし、その力が異常なことは見るまでもない。城壁など紙きれ同然に拳でぶち抜いてきた。
「こっちだ!!早く!!!」
ゴードが走りながら後ろの二人に声を掛ける。
恐怖で息を切らしていた彼らの動きがぎこちないことは見てわかった。仲間が二人目の前で即死したのだ。
それでも生きるためには彼らを走らせなければならなかった。
「走れ!!」
しかし、そこで最悪なことが起こった。
「きゃつ」
ミモリカが飛び散った瓦礫に足を躓き転んでしまった。
「ミモリカ…」
それを見たオーモンドが振り返り立ち止まる。
「おい、オーモンド、止まるな!!!」
ゴードが彼に生き残るために彼女を見切りをつけるように促すが、それでも長年連れ添った者たち同士なこともあり、それは悲劇でもあり、避けられない運命でもあった。
ゴードだって知っていた。
彼が恋人同士であることくらい。
「オーモンド!!!ミモリカ!!!」
オーモンドが彼女の元に駆け寄り立ち上がらせようと手を取る。だが次の瞬間には化け物の振り下ろされた巨大な拳の下敷きになり、彼らの姿は一瞬でゴードたちの前から消えてしまった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ゴードが絶叫するが状況は何も変わらない。
それどころか事態はさらに悪化することになった。
建物の側面に回り込み化け物の姿が見えなくなったことで、いくらか恐怖は和らいだが気を抜かずに残されたドーゴ、ジェイミー、エキナ、モウゼンスの四人は走り続けた。
「お前ら走り続けろ、あの化け物の前じゃ壁はあってないようなものだぞ!!!」
仲間が拳に潰されていくのを見ていたドーゴは何としてでもこの四人だけは逃がさなければならないと、息まいて走り続ける中思っていたが、それも叶わぬ願いだった。
「きゃあああああああああああああああああああ!!!!!」
必至に走っていたドーゴのすぐ傍で悲鳴が上がった。
「どうした…!?」
すぐ横を見るとそこには黒い触手に丸吞みにされているエキナの姿があった。気が付けば空にはまるで龍のように黒い触手が逃げまどう人間たちを捕食するように動き回っていた。
「おい、エキナ、クソッ、この触手野郎!!!」
護身のため常に懐に忍ばせていたナイフを突き立てて引いてみたが、想像以上にその触手の外皮は分厚く、小さなナイフ程度ではブヨブヨの肉を奥まで切り裂くことができなかった。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
しかし、焦るドーゴ以上に錯乱していたのはモウゼンスだった。
彼はその触手めがけて炎の魔法を連続で発射していた。
「俺のエキナに触れるな!!!」
モウゼンスが乱れうちした炎に触手の外皮が焼け爛れるが、その触手は動じることなく彼女を完全に嚙み千切ると、次はモウゼンスに向かって、その触手の先端についた無数の牙をもつ口で襲い掛かった。
あっという間にモウゼンスの身体の右腕から胴体の半分が食い破られ、彼は去り際の言葉も残すことなく絶命した。
「おい、モウゼンスぅ…」
その光景にドーゴも膝をついてしまいそうだったが、その時ジェイミーが手を握って引っ張ってくれたおかげで何とか駆け出すことができた。
「もう死んでる、行くよ!!」
「あぁ…」
もう何がなんだかわけが分からなかった。砦の中はどこを見渡しても地獄絵図だった。触手に立ち向かうものもその圧倒的な数の多さになすすべもなく、ドーゴの部下たちはその数を減らし続けていた。
そんなみんなが逃げ伸びるために必死にあちらこちらに散っていた。砦のひとつしか無い出口を目指す者、建物の中に避難するもの、城壁の上を逃げまどうもの、断崖から飛び降りる者までドーゴは目撃していた。
ドーゴとジェイミーが建物の裏に辿り着くと息を整えた。
「ジェイミー、どこに逃げるというんだ?」
「分からないけど、とにかくあの化け物から離れる、それしかない、助けは来ないと思うけど、沢山人を食べればあの化け物も満足して去るかもしれない…」
「団員たちを犠牲にしろっていうのか?」
「言っておくけど私も何がなんだかわけが分からないの、それでも必死にあなたと生き残るために考えてる、いいか、はっきり言っておくけど、もう、モス盗賊団は終わったんだ分かるか?」
「そうか…そうだな……」
ドーゴは頭を抱えてその場に崩れそうになるのを、ジェイミーに支えられた。
「だから、ドーゴ、あんたの知恵を貸してくれ、今の私にはあんたが必要なんだ」
ジェイミーの瞳と目があったドーゴはそこで何とか踏ん張ることができた。大切な女ひとり守れないで、何が恋人か、ドーゴは落ち着いてこれからのことを考えることにした。するとすんなりと生き残るためにはどんな手段を取ればよいかが見えて来た。
「いいか、さっきの触手は俺のナイフでも刃が通った、ちゃんとした武器があればあの触手だけなら戦えるはずだ」
「うん」
ジェイミーも冷静に状況を分析し始めたドーゴを頼りにした目で見つめる。
「まずは武器庫にいく、この前盗んで来た盗品の武器が山ほどあるはずだ。それにあっちは首なしの化け物からは離れた場所にある」
「よし、じゃあ、武器庫に向かおう!」
ドーゴとジェイミーは触手が手薄になるタイミングを見計らって建物の裏から飛び出し、首なしの本体が暴れている場所とは正反対の位置にあった武器庫に向かった。