魔女の屍
語り尽くすにはあまりにも時間がなかった。親身になって聴いてくれる利き手の彼には感謝しかなかった。こんな誰とも知らぬ魔法使いの老婆の話を心底興味を持ってくれるなんて、人生の最後にこんな新しい出会いが待っているなんて思わなかった。
しかし、話も半ばで時間は来てしまった。
「ハルさん、ごめんなさいね、話の途中なんだけれど、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
ゆっくりと身体が重くなっていくのを感じる。気を抜けば倒れてしまいそうなほど足もとは脆くふらついた。それでもなんとか杖を突き、部屋の奥にあった黒い棺までたどり着いた。
「すまないが、この棺を開けてくれないかい?」
「いいんですか?」
彼が不安そうな顔をしていた。
「開けたらレイドが吹き飛ぶなんてことないですよね…」
話も半ばだったため彼が聞かされていた国ひとつ吹き飛ばす魔法のことも話してはいなかった。きっとミリアム・ボーンズについた私の嘘をあいつはまだ信じてしまったのだろうが、私があんな奇跡を体現したような魔法を使えるはずがなく、あの魔法は彼女だからできたことだということに、ミリアムなら気づいても良さそうだったが、そんな出まかせが私と彼女の時間を築いたのならそれはそれでよかったのかもしれない。
「ないよ、そんな魔法ありはしないよ…」
ただ、あんな魔法は人生の中で何度も見るものじゃないことも確かであった。美しさはある種の鮮烈さと恐怖を孕んでいてこそ、人を虜にするものだと思った。
あれはまさに人が神という存在を信じるには十分すぎる光景だった。
私が結局生涯忘れることはなかった。
「だから開けても大丈夫、何も危険は無い、ただ、私にはも開けられる力が残ってないんだ」
「そういうことなら」と言った彼が棺の蓋を開けてくれた。
そして、その棺の中には、やっぱりいつ見ても変わらず愛おしいあなたがいた。
「これは…」
「綺麗だろ?魔法で姿も生前のままだけれど、それもこの教会に張った魔法陣の下に置いている間だけさ、外にだせば骨になる」
「この人があなたが言っていた?」
「ああ、私の大切なひとさ…」
大切な人。だけど、そう…こんなことは思いたくはないが、きっと彼女はここにいることを望んでない。
「なあ、ハルさんひとつ頼まれてくれるかい?」
手を伸ばして棺の中の彼女の顔にそっと触れる。それは冷たく血は通ってはいなかった。その頬や目を閉じている表情も、すべて骨の上に創られた幻想に過ぎなかった。
「彼女を元の場所に帰してあげて欲しいんだ。この遺体は私が勝手に盗み出して来たものだからね」
ミリアム・ボーンズと喧嘩別れしたのもそれが原因だった。彼女もこの魔女と親しい関係だったからこそ、私がした行為は何よりも許せないはずだった。だけど私がついた嘘は彼女をいつまでも足踏みさせるほど、強力な力を持っていたことは、魔女様が見せた魔法にあった。
それはまさに世界の終末のようなそんな輝きを放ち、今の今までその輝きが朽ちることはなかった。
「ハルさんにはこの遺体をもとあった場所に帰して欲しいんだ」
「ミリアムさんの元にですか?」
「いいや、違う、彼女の元じゃない、いや、彼女の元に帰してもきっとこの子が眠る場所は決まっているのだろうけれど、帰して欲しい場所は……」
私がこの魔女様が眠るべき場所を告げると、彼はとても驚いた様子でしばらく目を丸くしていた。
「知ってますよ、その場所」
「そうかい?なら良かった、それで引き受けてくれるかい?」
「引き受けますよ、もちろん」
彼は首を縦に振ると即答してくれた。
そこでようやく肩の荷が下りたのか、気持ちが楽になり、なんだか急に眠気がやってきた。
「…ありがとう、ハルさん」
「いいんです、たくさんお話して頂いたお礼もあります」
「私は…」
人生の最後。
この言葉を言えた私はきっと幸せものだったのだろう。
彼女の分まで精一杯生き抜いて知った未来にはちゃんと穏やかで幸せな日々があった。
無理やりだったかもしれないけど、あなたが傍にいてくれたから。
孤独なんかじゃなかった。
だけど私ももうここで終わるみたいだから。
最後はあなたがよく語っていたあの場所で、そして、彼女が愛していた人の場所で眠って欲しい。
悔しいけど結局私は彼女の一番にはなれなかった。
『そう…私は……彼女に愛されてはいなかった……』
気付いた時には泣いていた。
その事実が結局最後まで変わらなかったことが深く突き刺さった。
やはり人生が終わるその瞬間は、悲しみが込み上げて来るものなのだろうか?
どうしてもその事実だけが私の胸の内に残っては苦しみを生み出していた。
一方的な愛。
『それが私の人生だった』
だからきっと墓荒らしをしてまで彼女を自分のものにしてしまったのだろう。
だけど。
それでも。
私は、あなたのことが…。
「お前は馬鹿だな」
その声に顔を上げた。
すると目の前にはどうしようもなく、私の知っているあの頃と何も変わらない貴方がいた。
「…会いに来てくれたんですか!?」
「あ?んなわけねえだろ、私がそこにいるのが見えねえのか?お前の墓荒らしのせいだぞ?」
彼女は自分の死体を指さしていた。
「相変わらず、口が悪いのですね!」
「うるせえ、殺すぞ」
「私、死にましたよ」
人生の最後が悲しいものだと決まっていたのなら、その後はどうなのだろう。私はこんなにも嬉しい瞬間が訪れるなんて思ってもいなかった。それはきっと頑張って人生という長い旅路を生きて、生きて、生き抜いたご褒美だったのかもしれない。
「だってこうしてあなたと話せてるんですから…」
私がそいうと彼女は少し恥ずかしそうに顔を背けた後、けれどすぐにまっすぐ私を見直し言った。
「お疲れ…幸せに死ねて良かったな……」
そんな言葉を掛けて貰えると思っていなかったため、不安定だった心が満たされ頬には涙が伝っていた。
「はい…私、ずっと貴方に逢いたかった。私、あなたが死んでからも、私はずっと…ずっと……生きて、頑張って生きて、それでもやっぱり貴方のいない日々は……辛くって……でも、やっぱり、貴方は優しい方だから、私にも会いに来てくれた、嬉しいです……それが、嬉しくて……」
拭っても、拭っても止まらない涙。そんな私を見かねた彼女が歩み寄って優しく抱きしめたと思ったら力強く抱きしめてくれた。それは骨が折れそうなほど強い抱擁だった。だけどそれがどれだけ今の私に必要なものだったかは計り知れないものだった。
「お前の傍にだっていた、ずっとみんなを見守っていた」
「うう……は…い……、ありが…ど…う…ござ……います………」
もう泣き崩れてろくな言葉も出せなかった。
きっとこれで良かったのだと彼女のその言葉を聞いて私の孤独だった人生は一瞬で報われた。
こんな時間がずっと続けたと思った。
でも。
「お前はもう行け」
彼女が私を乱暴に突き放す。
「あなたはどうするのですか?」
「私にはまだ見守りたい奴がいる…」
「…そうですね、そうでした……」
それが誰なのか私は知っていた。
「でも、まだまだ掛かると思いますよ」
「さっさと行け」
「私は先に行って待ってますから!」
彼女はその返事に答えなかった。
彼女らしいと思った。
「さようなら、愛しい人」
私はそう言って彼女の横を通り過ぎ、何度も振り返り彼女の後ろ姿を見ながら教会の外へ向かった。
その際、彼女は一度も私に振り返ることはなかった。
「あなたらしいです…」
外に出るとそこには満天の星空が広がっていた。
宝石箱をひっくり返したような闇を照らす青い光。
その時、私はようやく星を許し、そして、美しいと思うことができた。
「やっぱり、綺麗ね……」
私はそんな美しい星を掴むために、輝きに満ちた夜空へと昇っていくのだった。