罪過の代償 ちゃんと見つけられたから
バロリー砦の門を守る守衛塔。西側の通路から死に物狂いで走ってきたオーセントたちは、その三階の広間にたどり着くと、一度息を整えるためにその場に留まった。入って来た場所とは反対にある広間の先には、東側へと続く通路があるはずなのだが、その入り口は天井が崩れた後で、その瓦礫ですでに埋まっていた。
地響きがこの守衛塔にも響き渡ると、天井からぼろぼろと屑が落ちて来た。
全員がその揺れに不安を抱くと突き動かされるように、広間にあった二階へと続く階段を使って下のフロアに下っていった。二階を見ることなく一気に一階への階段を下ると、そこには三階と同じような広間が広がっていた。
オーセントはまず銀髪の獣人がいないか辺りを見渡したが、ここに来られた人間がそもそも少なく、入って来た時にはすでにもともとこの守衛塔にいた門番たち数人しかおらず、あとの者たちはまだこの唯一の門がある守衛塔にまでたどり着けていなかった。
『バージ、まだ、砦の中にいるのか……』
後戻りできないこの状況で広間に彼女がいないことが何より嘆かわしかった。
しかし、ここは始まりに過ぎずここからが正念場だということを忘れてはいけない。ここがまだ安全地帯ではないということは、地鳴りや触手が壁を伝う音などからも容易に察することができた。
「みんな、ここまでよく頑張った。だがこれからだ。今から門を開けて外に逃げなくてはならない。だが、よく聞いて欲しい、厩舎に行って馬を拾ってくるのも無理だ」
馬がいればそれらを使って逃げたかったが、中庭から厩舎への道は塞がっていた。それは守衛塔から中央の中庭へと向かう扉がすでに破壊されなだれ込んだ瓦礫で塞がっていたからであり、助かる確率が上がる馬での逃走は望めなかった。
「だから、ここから先はみんなさっきよりも早く死に物狂いで走るしかない、番兵たちももうここを守らなくてもいい、門を開けて一緒に逃げるんだ」
『ですが、ここには…』ともったいぶるように呟く番兵がいた。彼の言いたいことも分かり、オーセントも同じ気持ちであった。せっかく築いて来たみんなの砦、それに蓄えた富をみすみす手放すという行為も愚かではあったが、それも命あってのことだということを、オーセントはもうアンヌやソヴィアという家族から教わっていた。
「いいか、もう、誰も死ぬな、生きていればまたやり直せる。それに私たちを生かすために死んでいった者たちも大勢る、だから私たちは彼等の分まで生きなくてはならいないんだ。そのことを忘れるな、さあ、門を開いてくれ」
オーセントの呼びかけで門番たちは重たい歯車を回して門を開門させた。
「さあ、走れ!!!」
広間にいた者たちが一斉に門に向かって我先にと走り出した。
オーセントも娘を抱きかかえ妻の手を離さないように握って彼らの後に続いた。
だが、外に出た瞬間その悲劇は起こった。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ」
門が開かれ外に出ると、真上から大量の黒い触手が滝のように降って来ると、オーセントたちよりも前にいた、者たちがみな一瞬で食いちぎられて肉塊に変わってしまった。
オーセントは一瞬あまりの衝撃に固まるが、足元にまで広がった赤い血を見てすぐに正気に戻り、家族たちを守るために行動する。
希望の扉は一瞬にして絶望に変わり、オーセントたちは唯一の逃げ場であった西側の通路へと引き返すように走りだした。
もう、残っているのはオーセントとソヴィア、アンヌのマキシマ家のものと、生き残った兵士たちがいたが、すでに絶望に呑まれてしまったのか、逃げ出すことなく門から入ってきた触手たちに食い散らかされてしまった。
『せめて、せめて、私の家族だけはどこか安全な場所に…』
迫る触手に追われながら、広間から一階の西側の通路に向かおうとした時だった。
通路の奥から誰かの人影を見た。
一瞬、ザハンかと思ったが、彼がいたのは三階の西の通路で最後に別れた為、別のものだと頭を切り替えた。
そしてなぜか、逃げ切った際に背中をさすったあの最後の光のあと、彼は何となくもうこの世にはいないものなのだと頭が勝手に決めつけていた。
「誰かいるのか!?頼む、助けてくれ、妻と娘を!!!」
するとその声に反応したのか通路の奥からその影が駆け出してくると、それは一瞬だった。
目で捉えられたのはその影から流れるように伸びた銀色の長髪だけで、その影が一瞬でオーセントたちの背後に移動する。
オーセントたちが振り向く前に、その影から言葉が降って来た。
「無事で良かった」
そこには襲い掛かる闇の触手を、青い刀が切り裂いている真っ只中だった。
青き刃を持った銀の獣がそこにはいた。
「バージ!!!」
生きていてくれて良かったと安堵が勝り、一瞬自分たちがまだ危機的状況から脱せられていないことを忘れてしまうほどだった。
「ついて来て!!」
しかし、彼女の端的で力強い指示にオーセントたちもすぐに我に返り、彼女の指示下に入り、彼女の背中を追う。
銀髪の獣人バージの目の前の触手たちが、次から次へと的確で美麗な線を描いて振るわれた青い刀に斬り捨てられ、黒い液体を飛び散らせていた。
彼女が扱う大剣それはすべて一から魔法で創られた刀であった。
そのため、鍛冶屋が鉄を打って作ったとは思えない精巧な造りをしており現実離れしたできに仕上がっていた。まるで夜に輝く青い星を溶かして固めて鍛錬されたような刀身から柄まですべて青くほんのりと輝いていた。
武器を作成する魔法は多々あったが、その中でも彼女の扱っている魔法は【結晶魔法】という極めて珍しいもので、扱える者がごくわずかの希少な魔法だと彼女から聞かされていた。
結晶魔法の主な使い道は、魔法で生み出した結晶を武器や防具にすることで戦いを有利に進めるというもので、常に魔力を流し込んでおかなければ結晶は消滅してしまうため、扱うには非常に高い魔力とそれを使いこなす魔法的な技量が必要だった。
だが、結晶魔法の便利な点は、この魔力の出し入れの流動的なものにあると彼女は言っていた。
「はあああ!!」
門に溢れかえっていた触手たちを斬り刻み、バージが門の奪還と突破を図る。だが、その数は予想以上に多く、次から次へと門の出口から触手が伸びて来ては、バージが触手を処理する速度と引けを取らなくなってきた。
刀で斬り進むには限界があった。
「きりがない、なら…」
だが、そこで結晶魔法の本領が発揮される。
バージが刀を扱う動作とは思えないほど、後ろに振りかぶる姿勢をとった。
「はあああああああああああああああああああああああ!!!!」
バージが無謀にも門の前で無数に蠢いては固まっていた触手たちの塊に向かって飛び込んでいった。
「バージ!!」
気でも触れたのかと思った。岩をナイフで切るような行為に止めに入ろうとすらしたが、抱えた娘がいる中それはできず彼女の名を叫ぶことしかできなかった。
しかし、そんなオーセントのことなど気にも留めずバージが刀を振りかざすその時だった。振りかざされている刀が形を変えてみるみるうちに、巨大な刃を持った大剣へと形を変えた。
そして、大きな塊りとなっていた触手たちが一刀両断されると、門への活路が切り開かれた。
「三人は急いでここから、何が何でも必死に走って、それとこの結晶を渡す」
オーセントに抱えられていたソヴィアと、アンヌの二人に青い手のひらサイズの結晶を渡した。
「足元を照らすほどには光るからそれを持って逃げて、殿は私が務める」
開かれた門に残るように、バージが三人を送り出すようなしぐさを見せる。
「殿って、バージ、君も一緒に来るんだ」
「ダメだ、あの化け物を止められるものはここにはいない。今も砦の中ではあんたの部下が必死に逃げられる者たちを逃がすために時間を稼いでくれている、私も彼等と共に戦うその力が私には残ってる」
まだ生き残りがいるのかと思ったが、それもそのはずだった。どおりで地鳴りだけが響き、触手たちが襲ってくるばかりで、あの化け物がこっちにまで向かってこないのか納得がいった。そんな彼らの命を消費してここに居るということをオーセントは改めて思い知った。
だが、それでもオーセントは彼女にもここを共に逃げ出して欲しかった。
戦って欲しくなかった。
「ダ……」
「ダメよ!!!」
オーセントの声がかき消されるようにアンヌが絶叫した。
「バージは私たちと一緒に逃げるの、それでここを離れて一緒に家族になるのよ!!!」
「…家族」
バージの瞳に揺らぎがあった。
「私たちには貴方が必要なの、ねえ、オーセント、ソヴィア、そうでしょ?私たちはバージ、貴方が大好きなの、分かるでしょ、これから私たちは家族になるのよ!!」
アンヌの心からの叫びにバージは目を見開いて動揺していた。
「ああ、そうだ、バージみんなで一緒に行こう、我々はもう家族なんだ見捨てられない」
彼女の瞳が、オーセントを捉える。
「バージお姉ちゃん…」
ソヴィアが名を呼んでくれる。
そこには家族があった。
***
家族。
その言葉がどれだけ私にとって希望であり救いであったかは、きっと、オーセントやアンヌ、ソヴィア、彼等には想像もつかないのだろう。
この辛い現実を生き残るために必要なものが力以外無いと思っていた。
他者よりも強くより強固にそしてその力を手に入れるためにはより過酷な環境に自身の身を晒す必要があった。
軍事国家【バルバロイド】。
小さなそれでも十分に力を持っていた国に特殊部隊【カリタス】の隊員として仕えていた私が彼に会うまでは、力はありとあらゆる困難を解決する手段だと思っていた。
『逃げちまおうぜ』
かつて共に戦った仲間でどんな任務にも忠実だった男が放った衝撃的なひとことだった。逃げるなどという選択肢が無かった私に、新たな世界をみせてくれた、平凡でありきたりな言葉。
私は彼のその言葉に生かされてここにいた。
きっと彼がそこで逃げるなどという言葉を口にしなければ、我々の部隊は最後の任務で全滅していた。
彼はカリタス部隊の別れ際に言った。
『ここで逃げれば俺たちは死なずに済む、先に裏切ったのはあっちで俺たちに非は無い、むしろ国のために尽くした結果がこんなむごい仕打ちなら、俺はお前たち全員とここを逃げた方がいいと思ってる。それで俺たちはきっとバラバラになると思うが、その逃げた先で、友とか恋人とか家族とかつくって幸せに暮らすんだ。もちろん、またどこかの国に仕えてみたっていい、お前たちの腕ならどこだって雇ってくれるさ、だけどな、ここにいる俺たちはこれだけは約束しようぜ、またどこかで顔を合わせても絶対にお互い殺し合わないこと、だってそうだろ?せっかく今ここで逃げ出して助かっても、別の場所で仲間に殺されたんじゃ、ここで逃げた意味が無いだろ?なあ、だから、俺たちカリタス隊はお互いこれから先の人生自分たちの為だけに生きてみようぜ?』
彼は冗談ぽく笑って最後にこう言った。
『案外、俺たちのような、はみ出者の方が幸せってやつを見つけられるかもしれないぜ?』
皆を生かした彼は今もどこかで幸せというものを手にしているのだろうか?
戦うことしか知らなかった私たちに新しい道を示した彼も幸せを見つけてくれていたらと思う。
私はちゃんと見つけられたから。
何から何まで私に普通という生き方を教えてくれたアンヌ。
彼女がいなければ私は女性として生きるということも知らずに死ぬところだった。彼女の包み込むような優しさに甘えてばかりの私にとって彼女は尊敬すべき憧れの女性で、私の家族だった。
いつも変わらぬ明るい笑顔で照らしてくれたソヴィア。
無表情でつまらない死んだ表情の私に、感情と笑顔を取り戻してくれた大切な存在。
彼女と遊んでいる時間はまるで子供の頃に戻ったようで、彼女のような友達がいれば、私が力に溺れることもなかったのかもしれない。そんな明るく元気で賢い彼女は、私の家族だった。
そして、最後、私の命を拾ってくれたオーセント。
拾ってくれた当初、ずっと私という存在を理解しようと努め、寄り添ってくれた人。牙を剝いても彼は最後まで私から目を背けなかった人。あなたにしか抱けない特別な感情が芽生えてからはきっと、私はずっと貴方を目で追っていた。それをごく一般的には好きというのだろうが、きっとこれはもっと深く言葉で言い表すにはあまりにも陳腐だけれどそれでもあえて言葉で表すならばきっとこれはやっぱり愛だった。そんな私の愛する彼は私の家族だった。
ああ、私はきっと幸せというものを見つけられた。
こんな素敵な人たちに出会えて私は幸運だった。
だからこそこの幸せを全力で守りたいと思った。
それが逃げ出した私の最後の願いだった。
『私が絶対にみんなを守るから』
その決意を胸に私は家族にこう切り出すのだった。
***
「ごめんなさい、やっぱり、私は一緒には行けない…」
「どうして……」
アンヌの消え入りそうな悲痛な叫びに、バージも奥歯を噛みしめて堪える。一緒にいけないのには理由があった。それは最後の最後で彼女らしいものとなった。
「最後はここにいる家族のために戦いたい、私を救ってくれた人のため、私をちゃんとした人間にしてくれた人のため、私に笑い方を教えてくれた人のために、私はこの命を使いたい、だから、オーセント」
オーセントは不意に自分の名前を呼ばれると凍り付いていた。怖かったのだ。そこから先の彼女の言葉を聞くのが、彼女はもうずっと覚悟を決めた顔をしていたから、それが避けられないものだとオーセントには先が見えてしまっていた。
「命じてくれ、私に、あの化け物を倒せと、家族を守るためにこのバージ・マキシマに剣を持ち戦えと命じてくれ!!」
「私は…」
そこでオーセントの脳裏に突如鮮明に見たことも無い景色が映し出された。その光景はオーセントが一番見たくない彼女の未来だった。
思わず口に手を当てその場に倒れて吐きそうになったが、必死に不屈の精神力で耐えて、改めてバージの目を見た。
彼女の瞳はどこまで澄んでいたが、その奥に秘めた荒々しさそれはまさしく戦士の目だった。彼女の中に潜む凶暴性が生み出す未来がオーセントがこれから下す決断で訪れてしまうのならば、こう言うしかなかった。
「バージ、命令だ」
「あぁ」
「奴を殺して来てくれ…」
「ああ!!」
彼女はとても満足気に返事をした。これから犠牲になって死ぬかもしれないのに、彼女はここに来て一番の笑顔を見せつけてくれた。
オーセントにはそれがとても悲しくてたまらなかった。
「あなた、なんてことを…」
絶句するアンヌに、バージがすかさず言った。
「アンヌ、違うんだ。私はきっとオーセントにどんな命令をされても結局一緒にはいかなかった。だけど、そう、オーセントに背中を押してもらえて、ああ、そう、ありがとうオーセント、私はたぶんだが、きっといや絶対、あなたのことを愛してた」
「…………」
オーセントは娘を抱きかかえながら泣くことしかできなかった。
その時、ひときわ大きい地鳴りと破壊音がすると、一部後ろの広間の天井が雪崩のように落ちていた。
「ありがとう、マキシマ家のみんな、もう、行かなくちゃいけない」
バージの周りに青い冷気が漂い始める。そして、その冷気の中にはキラキラと青い光が輝き始めていた。
「さあ、行って」
マキシマ家の目の前には街道へと繋がる暗い一本道が続いていた。
オーセントがバージに背を向けて歩き出すと、アンヌが先を行く夫と残るバージを交互に見る。
「ねえ、あなた、本当に…」
「アンヌ、行くぞ、みんなの犠牲を無駄にする気か…」
オーセントの声は震えていた。
「だって、そんなの」
アンヌもボロボロと大粒の涙を流していた。
「アンヌ、行って、時間がない」
「だって!?」
するとそこで再び大きな地鳴りがした。そして、ズゥン、ズゥンと巨大な音がこちらに近づいて来る気配があった。
「アンヌ!!!」
オーセントの怒鳴り声で、アンヌがバージに背を向けて走り出した。
遠ざかっていく、マキシマ家、バージは抱きかかえられたソヴィアに最後に手を振った。
「バイバイ、私の愛する人たち…」
バージはひとり守衛塔の広間に戻った。そして、中に入ると魔法で生み出した大剣を門の扉に向かって投げつけると、門とその天井部分を破壊し瓦礫にして強制的に閉めると退路を自ら断って、砦の中心にある広場に向かって歩き出した。
守衛塔から砦の中央広場までの扉は瓦礫で塞がっていたが、バージが持っていた結晶の青い大剣を一振りすると、一瞬で瓦礫たちは外側に向かって吹き飛び、バージは中央広場に出た。
そこには青白い手足で闇に染まった触手に包まれる不気味な巨人の姿があった。砦はすでに至るところが破壊し尽くされており、辺りは凄惨な光景が広がっていた。
バージの周りに漂っていた冷気が青白い結晶をバチバチと生み出しては消しを繰り返す。そして、その手に青く発光した刀を手に取った。
その巨人がバージの存在に気付くと、右腕の剛腕を振り上げた。
「なあ、やっぱり、私もみんなと一緒に逃げればよかったか?どうなんだ……」
バージはそうひとり呟いてみた。きっとそれは元いたカリタス部隊のあの男に語り掛けていたのだろう。バージはそこでふと彼の名前を思い出して、その男の名を口にしていた。
「クレマン」
バージが青い刀を構えると巨人に斬りかかっていった。