罪過の代償 絶望を退ける光の盾
各地に設置された鐘が鳴りやむことがなかった。きっと誰かが死に物狂いで全員にこの緊急性を伝えてくれているのだろう。
砦の中庭には巨大な化け物が目に付く建物を破壊して回っていた。なんの目的でどうしてこんな真夜中になぜ知りもしない化け物が攻めて来たのか皆目見当もつかなかった。それでも助かるためには逃げるしかない。この命を繋ぐためには、家族たちを生き残らせるためには今はなぜより、少しでもあの化け物から家族たちを遠ざけることが先決だった。
切り立った山の斜面に建てられた砦の出口は一か所しかない。逃げる選択肢としてはそこが一番であった。
逃げられる選択肢を増やすならば、ぐるりと円周上に囲まれた壁から飛び降りるしかないのだが、夜に視界も悪く足場も悪い中壁の外の急な斜面を下るのはあまりにも選択肢としては論外だった。斜面はある一定のところまで下るとまるで急に足元がなくなったかのように垂直に落ちる断崖絶壁の場所があり、斜面を下る選択肢はあまりにも無謀だった。そして、たとえ壁の外の斜面を無事に下れたとしても、山脈の森の中で氷山熊と遭遇したら生きたまま食われるのが関の山であった。それなら、唯一の出口であるいつも通っている街道まで続く山道へと逃げるルートへ進む方が賢明であった。
オーセントたちは、現在、円形状の砦の十二時の方向にあるみんなが寝泊りする部屋や先ほど行った地下には会議室があるみんなの活動場所となる本館にいた。
バロリー砦の円周は砦内をぐるりと一周できるような通路となっており、通路を通って化け物に見つからず進むことができた。
オーセントはさっそく妻と娘を連れてその通路から時計周りに六時の方向にあった出口の門へと進むことを決める。現在いる地点からだと時計回りに進めば最短で門を目指すことができた。
「よし、こっちから……」
しかし、そこでオーセントの頭にはふとあることを思い出していた。
『いや、待てよ、さっきの化け物、左腕が無いように見えたが……?』
現在化け物は砦の本館に正面を向いて立っていた。先ほどの横の薙ぎ払いはその右腕を駆使して建物に振るわれた一撃だった。
「違う、こっちだ、ついてきなさい」
数秒ほど考えた後オーセントは、最短の道を諦めて反時計回りに家族を連れて走り出した。時計回りに回ると、もしかすると化け物が立っている位置のちょうど右手がある部分に来るそうなると意識的に被害は、東側の通路の方が被害が出ることが予測できた。
三人で懸命に走っていると、次第に狼狽えているメイドや部下たちと出くわした。
「お前たち、何をしてる!!さっさと逃げろ!!」
「どこに逃げればいいか…そとには化け物が……」
「ならば私についてこい!!」
散り散りになった者たちを集めて、三階の通路へと走る。その間も何度も爆音の破壊音が地響きと共に鳴り止むことがなかった。外では兵士たちが戦闘中なのかそれとも逃げまどう人々が虐殺に会っているのか、外の様子が見えない室内からでは状況判断ができなかった。
戦闘経験の無いオーセントにはどちらにしろみんなと一緒に逃げ回ることしかできなかった。
ちょうど本館を抜け西側の通路へと差し掛かったところで、ザハンと出くわした。
「オーセント生きていたんですね、良かった、お怪我は?」
「奇跡的に無い、それよりお前の方は無事か?」
「私も、無事です仲間たちに命を救って、もらいました……」
悔しそうな顔から彼の部下たちはザハンを救うために特攻したことが見るからに分かることだった。
「外はどうなってる?」
「私の部下が時間稼ぎをしてくれていますが、あの化け物には持って数分です。だから今は話すより逃げることに専念しましょう。彼等は現在東側の通路で戦闘しています。こっちの通路はまだ生きています。急ぎましょう」
ザハンとその部下たちが負傷していた者たちを背負って走り出す。オーセントも娘を力のあるザハンに担いでもらい、走りやすくなった。
西通路には他にも逃げる兵士たちがいたが、みんなオーセントやザハンを見ると後ろめたい顔をしていた。けれど二人の逃げろという言葉と共に彼らはその後ろめたさを忘れて、オーセントたちの集団の護衛につき、共に西側通路を駆け抜けた。
「よし、あと少しで門までつくぞ!!みんな全力で走れ!!!」
オーセントたちがちょうど西側の八時の方向まで走り切った時だった。
凄まじく禍々しい獣の咆哮が響き思わずみんな走るのを中断して耳を塞いでしまった。
「…ッ!!!」
その直後だった。
オーセントたちが走っていた通路の砦の内側に面する壁から突如巨大な黒い触手が至るところからまるで槍の様に突きぬけて来た。その触手は大小さまざまで三メートルから五メートルほどの大きさで、内側の壁から外側の壁に向かって一直線に通路を貫通していった。
「きゃああああああああああああああああ」
「うわああああああああああああああ」
「ひぃいいいいいいいいい」
「ああああああああ」
「たすけぇ……」
至る所で消え入るような悲鳴と悲痛な絶叫が入り混じる様にあがった。
辺りは一気に触手の槍によって血に染まり地獄に変わった。そして、それだけで終わらなかった。
外壁から突き出た触手たちが引き戻されるように外から通路に戻って来ると、そのぬらぬらとした触手の先端には口がついており、その口の中には無数の鋭い歯が備わっていた。そして、最悪なことに当然のようにその触手たちはこちらを捕食しようと襲い掛かって来た。
「クソ!!武器を持ってる者は戦え!!!」
ザハンが取り残された兵士たちを鼓舞するように怒鳴った。
触手たちがオーセントたちに襲い掛かると、兵士たちがとっさに剣を抜き斬りかかった。以外にも彼らの剣は触手の皮膚を切り裂き中の肉を露出させることができた。彼等の斬撃には効果があったのだ。
「よし!このまま斬り進むぞ!!お前たち力を合わせろ!!!出口まであと少しだぞ!!!」
ザハンがオーセントに娘を返すと彼も果敢にこの部隊の後ろに立ち迫りくる触手たちを持ち前の剣技で処理してくれていた。
オーセントとその家族と戦えない者たちは彼等に前後を守ってもらいながら進んだ。
丁寧に迫りくる触手を斬り進んで行くと通路の看板に守衛塔の文字が見えてくると、もうゴールはあと少しだった。
「いいぞ、後は門がある守衛塔まで全力で走れ!!!」
後ろからザハンの叫び声が聞こえた時だった。続けて背後から悲鳴が聞こえた。それは背後から、通路いっぱいに広がった巨大な触手が大きな口を開け、ものすごい勢いで迫って来ていた。
「隊長!!にげ……」
最後尾を守ってくれていた兵士がその巨大な触手に呑まれ一回咀嚼されるとバラバラの肉の塊になってしまっていた。どう考えても守衛塔までたどり着く前に全員後方から迫るその化け物に喰い殺される方が早かった。
「オーセント!!!」
逃げまどうなかオーセントは背後のザハンを見る。彼が荒々しくどこか吹っ切れた口調で最後の言葉を告げるように言った。
「やっぱり、お前がバロリダの頭を続けろ!!!」
そう言うとザハンだけ、オーセントたちとは反対方向に走り出した。
「お前、何してる!戻って…」
「立ち止まるなぁ!!!」
ザハンが遮るように叫んだ。
「必ず奥さんと娘さんを助けてやれ、いいな!!!」
「ザハン!!!」
オーセントは足を止めることができなかった。それは何より娘をその手に抱いていたからだった。
「頼むぜ、みんなが逃げ切るまで持ってくれよ…」
震える足をザハンはそれでも一歩前に踏み出して唱えた。
「特殊魔法〈守護〉」
ザハンが翳した両手の前に通路一杯に光の盾が展開された。
その光の盾は凄まじい光を放って暗闇広がる夜を昼間のように照らし出した。
通路を破壊しながら猛スピードで接近して来た触手がその光の盾に衝突すると、ザハンがそのあまりの衝撃に両手の骨が一気にへし折れた音がした。しかし、それでもザハンは絶対に後ろへは通さないと強い意志を持って、光の盾を展開し続けた。
「ザハン!!!」
オーセントは走りながらも彼の名前を呼ぶことしかできなかった。それが何の意味があるのかも分からずに目には涙を浮かべながら、古き友の名を呼んだ。それでもオーセントは止まれなかった。止まってはいけなかった。やがて、通路を曲がると彼の姿は見えなくなった。
*
ザハンはひとりみんなが逃げた後、光の盾の向こうにいる巨大な触手を抑え続けていた。身体からは限界を超えた身の程以上の魔法の連続使用により全身から大量に出血し始めていた。
「おい、化け物見たか?オーセントの奴必死だったな、あれが親になった人間の力だ。そしてこれが、そんな友の背中を守る信頼された盾の力だぁああああ!!!!」
ザハンの魔法はさらに輝きを増し巨大な触手を押し返し始めた。だが、そんな彼の背後から数本の触手が壁を壊して先回りして来た。前方に対して効果的な守護であったが全身を守るにはさらなる魔力が必要であり、ザハンにはそれだけの力がなかった。その結果ザハンは背後から小さなそれでも一メートルはある触手たちに嚙みつかれた。
「ガハッ…」
首、脇、足、腕に噛みつかれ鋭い無数の牙が肉に食い込んだがそれだけだった。だから、ザハンも倒れることはなかった。
それどころから、さらに光の盾に魔力を注ぎ込み、魔法の維持に徹した。
ここで命が尽きることをザハンは悟っていた。
だからこそ最後くらいは散っていた自分の部下たちの為にも立派なリーダーでいたかった。死んだ後も誇られるようなそんな男でいたかった。その手がどれだけ汚れていようと、悪人には悪人の誇りがあった。命ある限りザハンはこのみんなを守る盾に自分の全てを注ぎ込むことを止めなかった。
最後の一瞬一秒までザハンはその目を開けて目の前の触手を受け止め続けた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
しかし、やがて天井がドッと崩れると、彼は視線を上に向けた。
そこには上から巨大な拳が降って来ていた。
「あ……」
彼はそのまま三階から一階の地面までその通路ごと瓦礫と一緒に叩き潰された。
光の盾は消え去り、辺りには夜が舞い戻り、再び闇が支配した。
闇の獣の咆哮が星の無い夜を駆け巡った。
絶望の余波は留まることを知らない。