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罪過の代償 目の前の小さな幸せ

 豪華な調度品に彩られた部屋の中にひとりの男がいた。

 机の椅子に座り、静かに帳簿を眺めていた。

 その帳簿の中には今年自分たちの組織『バロリダ』が生み出した利益が載っていた。

 男はその帳簿の金額を見て、満足した様子で自分の机の引き出しにその帳簿をしまった。


「去年はだいぶ稼がせてもらったからな…今年の冬はだいぶ余裕がある、余裕があるということはいいことだ…」


 冬という季節が特別厳しいということは誰もが知っていることだが、しっかりと一年を通してこの季節が来ることを春も夏も秋も通して覚えてさえいれば、どうということはない。

 だからこそ、たっぷりと冬を越せるほどの食料が食糧庫の中に詰まってさえいれば、作物が実らない冬に飢えるということもない。


 男はとても先々を考えてから行動する部類の人間だった。そのため、コツコツと積み上げて来たものが次第に彼の足元で成長していくと、それは彼を一気に押し上げてこの『バロリダ』という組織のトップへと導いた。


 コンコン。


 部屋のノックが成ると、男は扉の前にいる者に入る様に許可を出した。


「失礼します、旦那様、お客様がお見えです」


「こんな夜にか?」


「はい」


 メイドがいつも以上にニコニコしていたので、悪いお客ではないことがわかった。


「通せ」


 するとメイドの後ろから幼い女の子と綺麗な女性が部屋の中に入って来た。


「パパ!!」


「おお、ソヴィア!!」


「あなた」


「アンヌまでどうしてここに…」


 そこにいたのは男の愛する家族たちだった。男がいたこのスターダスト山脈に構えた砦から、二日ほどかかる中央部の小国ディーゼの街にいるはずの二人がいま目の前にいた。


「中央部の豪雪が来る前に避難して来たの、今東部寄りにある中央部の街はどこも大雪で大変なことになっているんだから、あなた知ってました?」


「いや、知らなかった…」


 砦に籠っていると実感がわかないものだった。そもそも、このスターダスト山脈も雪は降るがエルフの森から広がる温風に晒されて、そこまで酷い雪が降ることはない特殊な山脈で他の山々に比べたら比較的、人間が生存する上では優しい気候をこの山脈は備えていた。


 だからといって山脈を開拓し街を築くには気候や環境は厳しく、交通の便も悪かったのだが、強固な砦あるいは隠れ家のような拠点を築くためならばスターダスト山脈は最高の条件を兼ね備えた山脈といえた。

 大陸の中央部と西部のレイド王国どちらにも南北にまたがっており、ルート次第では現在霧の森を通って、南部まで下る道もレイド王国が建設中とのことで、このスターダスト山脈に蔓延る、いわゆる我々のような表ではあまり公にできないような商売をしている者たちにはぴったりの場所ではあった。


「でも、急に押しかけて来てごめんなさい、もし、邪魔でしたら明日近くの街の宿にでも泊まります」


「いや、いいよ、ここに居てくれ、部屋は…」


「使っていない空き部屋がございます」


 男がそこで言いかけるとメイドがてきぱきと端的に答えた。


「そうかならば、妻と娘をその部屋に頼む、みんなにも伝えておいてくれ」


「かしこまりました」


 メイドが軽く頭を下げる。


「あなたはどこで寝るの?久しぶりに会ったのだから、お休みの時くらい家族だけですごしたいわ」


「ハハッ、それもそうだな、じゃあ、妻と娘の荷物を私の寝室に頼むよ」


「かしこまりました」


 メイドが丁寧に返事をすると後ろに下がった。


「それにしても二人ともよく来てくれた、夜も遅いのに大変だったろ?」


「それなら、バージが魔法で道を照らしながら馬車を走らせてくれたから大丈夫よ」


 バージとは男が妻と娘の護衛につかせている凄腕の用心棒だった。なんでももとはとある小国の裏の特殊部隊に入隊していたとのことで、腕の立つ女性であった。

 彼女はもともと敵対していた組織の雇われだったが、我がバロリダの精鋭部隊と抗争し敗北したところを男が彼女だけは傭兵だったということもあり命を生かしたところで、彼女の方から『貴方の元で我が剣を振るいたい』と申し出て来たところで、彼女に金を払い今では男の家族の護衛として毎日幸せな日々を送っているようだった。


「そういうバージはどこにいったんだい?」


「それがあの子ここの砦に着いた時から、何かおかしいって言ってどっかに行っちゃったのよ、だけど多分あなたにも顔を見せに来るとおもうわ、彼女もあなたに会うの楽しみにしてたみたいよ」


 妻に肘で胸をつつかれるが、それは妻としてどうなのかと問いただしたくなるものだったが、バージもすでに、男の大切な家族の一員ではあった。


「パパ、明日、レイドの街に行きたい、そこでお姫様みたい!!」


「え、ああ、明日?明日か…」


 明日は大事な来客の予定があった。この砦の点検をしに来る魔導士たちと会う予定があった。彼等には毎年この砦に張ってある魔法障壁の張替えをしてもらっていた。部下たちに任せてもいいのだが、明日来る者たちは、この砦を非常にお手頃な価格で売ってくれた大事なビジネスパートナーの組織の人たちということもあって、ぞんざいな扱いをするわけにもいかなかった。


「こら、ソヴィア、パパはここではとても忙しいのだから邪魔しないって、ママと約束したでしょ?」


「でも、私、お姫様見てみたい…」


 娘のソヴィアがむくれた顔で、男の足に抱き着き、妻とにらみ合う。


「よし、わかったいいだろう。明日、王都スタルシアに行こう、お姫様には会えないと思うけど、下町を見て回ろう」


「あなた、いいんですか、そのお仕事の方は…」


「大丈夫、冬には大事な予定を入れてないんだ。明日も私以外の者でも対応できることだから、部下には申し訳ないが休暇をもらおう」


 頼れる部下は沢山いた、その中でも私がトップの座から身を引いた時にこのバロリダを任せられる者もすでに、先を見越して育ててあった。だから、明日の対応も自分がいなくても問題はなかった。


「じゃあ、明日、パパとお姫様に会いに行けるのね!!」


「ああ、そうしよう」


 無邪気にはしゃぐ娘を抱きかかえる。


「わーいやったー!!!パパ大好き!!」


 すると彼女がほっぺたにキスをしてくれたので、男もお返しに小さな頬にキスをした。妻がほほえましい笑顔で笑っていた。


 するとそこに再びノックの音がしたのでメイドが扉を開けにいった。男はバージが扉の前にいるのかと思ったが、現れたのは屈強な男の部下のドゥースカだった。


「あ、あれ?頭の嫁さんに娘さんまでいるじゃないでッスカ!?」


「あら、ドゥースカさんこんばんは、元気でした?」


「ええ、おかげさまでこの通り元気ッス!アンヌさんもソヴィアちゃんもお元気そうで何よりッス!!」


 組織内の者たちにはみんな自分の妻と娘のことは話していた。なんだったら、結婚式も彼等を呼んで盛大にやった。それくらい組織内の繋がりは強かった。だから、みんなアンヌやソヴィアをみれば気さくに接してくれていた。


「ドゥースカ、それで?」


「ああ、ちょっと緊急で会議を開きたいとのことで、いつもの場所に頭も集合して欲しいみたいで」


「わかったすぐに行く、みんなを集めて待っていてくれ」


「了解ッス、ソヴィアちゃんまたね!」


 男に抱きかかえられていたソヴィアはそっぽを向いた。


「アハハッ、それじゃ、失礼します!」


 最後はちょっと悲しそすな笑顔でドゥースカは部屋を後にしていた。


 男は娘のソヴィアを腕から下ろすと、アンヌに向き直った。


「少し話があるみたいだから、先に私の寝室で荷下ろしをしておいてくれ」


「わかりました、それじゃあ、ソヴィア行きましょう」


「はーい」


 ソヴィアは本当にやりたいこと欲しいものがあるとき以外は素直で決して駄々をこねないいい子だった。ちょくちょく家族には顔を合わせているが、常に一緒にいる家庭と比べると一緒に居られる時間はすくなかった。


 メイドに連れられて扉から出て行く妻と娘の姿を見ると、やはり男の心には寂しさが募り、この離れ離れの生活もいつか終わらせたいとも思っていた。もっと娘の成長を傍で見ていたいという欲求があった。


「よし、私も行くか…」


 男は呼び出された会議室へと向かった。



 ***



 地下にある会議室は薄暗く、息が詰まりそうなほど重苦しい空気が漂っていた。先ほどの絵に描いたような幸せな家族との空間にいた自分がまるで嘘の見たいな気分だった。

 現実味の無い手すりを伝って高い段差の階段を降りていく。

 この地下での会議室はバロリダの中でも特に重要な決定事項を決める時に集まる場所で、男も少し緊張した様子で会議室の扉を開けた。

 中には六人ほどの人間がすでに椅子に着席しており、奥の席が男のために開けてあった。


「遅れてすまない」


 男は席に着くとみんなの顔を見た。誰も彼もがただ者ならぬ雰囲気を纏っているのは全員が、歴戦の戦士だからであり、危険が伴う裏稼業では武力というものは何よりも物を言う問題解決能力でもあった。

 そんな彼らが頭であった自分に従うのは、何よりも他のみんなより頭脳あってのことだった。彼等は力があるが少し先のことを考えられない者たちが多かった。ただ決して彼らのことを貶めた言い方をしているのではなく、適材適所、必要な場所に適した人材をと組織に当てはめていくと、武力をまったく持たないこ自分が組織の頭である方がみんなをまとめるには適していた。

 恐怖や暴力で組織をまとめるよりも彼は実績と信頼と勇気でこの厳つい六人の幹部たちの指示を得ていた。

 彼等が男にとってもかけがえのない仲間であることに間違いはなかった。


「ところでこの集会を開いたのは誰なんだい?」


「私です」


 そう手を上げたのは、上座にいた男の一番近くにいた方眼鏡をかけた男だった。彼の名はザハンと呼ばれ頭も切れるし腕も立つ将来この組織を引っ張っていく、私の後釜となる男でもあった。


「そうか、それで議題は?」


「春先からの我がバロリダの方針について話したいと思いまして」


「なるほど、もう、話し合うか、そのことを」


 冬の停滞期間はバロリダでは準備期間としてよく仲間たちで先のことを決めて話し合う会議があった。しかし、それはまだ先のことでまだ冬の真っ只中の間に開くということは珍しかった。


「今年は早い方がいいと思いまして、後、私から今年の組織の方針についてご提案がありまして」


「言ってみてくれ」


「少し活動地域を増やしてはいかがでしょう」


「と言うと?」


 男はザハンに聞くが彼が言うことは何となく予想がついていた。それはレイド王国に改めて裏稼業で参入してようという提案でほぼ間違いなかった。


「レイドに我々の本業でもう一度手を伸ばしてみてはいかがでしょう?」


 そこで男の顔に幹部たちの視線が一気に集まった。誰がもその意見に賛同しているそんな感じであった。みんなが男の答えを待ち望んでいたが、男はその質問にいい返事を返したくはなかった。

 ここ数年レイド王国での裏稼業の取り締まりは非常に厳しいというよりかは、見つかったら壊滅にまで追い込まれる異常事態が続いており、現在バロリダのような法を犯す商売にも足を突っ込んでいる組織がレイド内で違法な商売をすることは控えていた。

 なかでもレイドの秩序を破壊で維持する【デストロイヤー】という異名を持った化け物が違法な組織を壊滅させるまで追って来るぞという噂まで広まっていた。

 その噂をすべて信じてはいなかったが、ここ数年の間でレイド王国率いる影の部隊が、国内に蔓延っていた犯罪組織を潰して回っているという確かな情報は入ってきており、抗った者が皆生きて帰ってこなくなったことからも、現在レイド国内での裏稼業はどの組織も手を出せずにいた。

 だからこそ、我々バロリダも目の前の宝の山を眺めるだけというお預けをくらっていたが、それでも財宝と命を交換するくらいだったら、男は組織の仲間たち全員の命の方が大事だった。

 だから、どうしても首を縦に振ることができなかった。


「そのことか、みんなも分かっていると思うが、レイドには我々の綺麗な商売しか持ち来ない、これは徹底する」


 その発言にみんなの表情は深く落胆していた。男も自分の下した決断に残念だと思っていたが、組織の末永い繫栄とは変えられない。


「すまない、みんなの言いたい気持ちは分かる。だが、いましばらく辛抱して欲しい。レイド王国には我々のような犯罪組織を相手にして殲滅するプロがいる。そんな彼らが勢力的に活動しているのには何か分けがあるんだ。奴らの活発な動きが収まるまで待って欲しい」


「それじゃあ、他の組織に先を越されるんじゃないですか?」


 恰幅の良い男が腕組しながら意見した。


「そうだな、しかし、こうも考えられる。私たちの敵対組織がレイドの治安部隊に壊滅させられる。そうなったら私たちは無傷でその商売敵たちが得るはずだった取り分を後に誰もいなくなった大きな市場で取引することができる。いいか、早まっちゃだめなんだ。今は立ち止まることこそが、最善の手であり、力を溜めることこそ、次飛ぶときにより遠くへ飛べるんだ」


 実際にバロリダたちの商売敵はレイドに手を出し、散っていき今では指で数えられるほどになってしまった。それも長い間、男がレイドに手を出すなと口酸っぱく言ってきたおかげでもあった。実際にこうしてバロリダはレイド国内に大きな根を張ることができた。


「それでは一体いつまで待てばよろしいのでしょうか?ただ待っているばかりでは納得いかない者たちもここにはいます」


 ザハンが脳の足りない大男の代わりに声をあげた。


「そうだな、みんなの気持ちは私も分かっているだから、考えておいたのだが、噂にもなっているあのデストロイヤーという者が死んだという情報が入ってきたら動き出す準備だと思っている」


「デストロイヤーですか…それはなんというか……」


「分かっている噂をそのまま信じるほど私もバカではない、しかし、噂が流れる以上デストロイヤーと呼ばれる、我々にとっての悪魔は存在するはずなんだ。それがレイドの治安部隊だったとしても、そのデストロイヤーがレイド国内にいる内は手を出したら危険だと判断しておいてもらいたい。私からは以上だよ」


 その後、誰も男の意見に反論はしなかった。それでも煮え切らない者たちも何人かいたようで、渋い顔をしている者たちも何人かいた。


 会議は結局お開きになり、ほとんどの幹部たちは不服そうな顔で出て行ってしまった。


 男が会議室に残っていると、ザハンが話しかけて来た。


「やあ、ザハンどうした?」


「いいんですか、みんなあなたに不満を募らせて出て行ってしまいましたよ」


「いいんだ、そろそろ私がトップではみんなも退屈していただろう、潮時というやつだ」


「私は納得がいきません。貴方にはこれからもまだまだ、ここのトップとして残っていて欲しいんです。それがバロリダの為でもあることはあなたも分かっているのでしょう。それなのに私にあんなみんなから支持受けるような提案をさせるなんて…」


 どうにもならない悔しさを抱えていた部下のザハンが男に険しい顔をする。


「ザハン、お前は武力もあり知恵もある。お前さんが率いる部隊内の者たちからも深く慕われているのが外から見ていても分かる。そんなお前に私に変わってこのバロリダを引っ張っていて欲しい。私にはどうにも力不足でな」


 男は腕を曲げて力こぶを作るが、その腕はあまりにも細く簡単にへし折れてしまいそうだった。まさに皮と骨、娘を抱きかかえるのだって一苦労なありさまであった。


「あなたには素晴らしい頭脳が終わりです。その先まで見通した知恵でどうかこれからも私たちを導いてくださいよ」


 ザハンも引かなかった。其れなりに長い間苦楽を共にしてきたが、彼ほどこの組織のことを考えて行動してくれている者はいなかった。だからこそ彼にすべてを譲ってあげたかった。


「ザハン、私はアンヌと出会い家族になり、娘のソヴィアが生まれたことで変わってしまった。私にはもう違法な薬を売って金を儲けることに後ろめたさを感じるようになってしまったんだ…」


 自分がしてきたことはよくわかっていた。バロリダの裏稼業は麻薬の売買が主な収入源で、南部で秘密裏に育てた麻薬の原料を製薬し、西部や中央部に売りさばくことで莫大な利益を上げていた。

 その他、密売に関わる護送や荷運びなどに関しても手広く商売を広げ利益拡大にさらなる幅を持たせていた。


 男は自分が売った薬が人をどのように壊すのかも知っていた。

 麻薬名は『星星(きらきら)

 一度服用すれば、頭上には本人にしか見えない星が輝きその恒星が服用者に大量の幸福感をもたらし最高の瞬間を味わわせてくれる依存性の高い薬だった。

 大人が服用すれば、死ぬまでその薬に執着した。持っていた金をすべてその『星星』につぎ込み、男は何人もの貴族たちがその薬で没落していくところを見た。彼等は最後家族まで売ってその薬を手に入れようとするほど『星星』には高い依存性があった。そして、薬が切れると星の爆発したように怒りが収まらないのも厄介な症状のひとつだった。


 そして、男はその薬が若い男女の手にも渡ってしまっていることも知っていた。貧民街など情操教育の行き届いていない場所では、売人たちが大人たちに売った薬が、その子供たちにまで広まり、貧困街では麻薬が溢れているという確かな情報も入ってきていた。


 そのように服用者に偽りの幸福を与え、死ぬまで金を搾り取る麻薬をまだ薬物に染まっていないレイドの市場にばら撒けば一体どれだけの金が流れ込んでくるか試算すらできなかった。


 けれど、男は金よりも大事なものを見つけてしまった。

 それが家族の安寧と娘の成長だった。

 それに比べたら汚れた莫大な金など、手に入れたところであの天使のような娘に顔向けできなくなるだけだった。

 家族愛という美しいもので満ちた空間を手にしてしまった以上、男はもうそこから先自分の手を進んで汚すことができなかった。


「すまない、だから、君にこのバロリダのすべて任せたいんだ」


「ここまで組織を大きくしたのはあなたなんですよ?それをただ長く連れ添ったからという理由で…」


「さっきもいったが、お前は私よりも優秀だ。それに力もある分、みんなを引っ張っていける。私には度胸しかなく力が伴わなかった。お前なら私を越えてこの組織を引っ張っていける」


「ですが」


「もう、この話はここで終わりだ。お前は今年の春先からここの頭になるんだ。わかったな」


 男はそういうと席を立って、ザハンの肩を叩くと、出口へと向かった。


「あなたはここを止めてどうするんですか!」


「穏やかな小さな街に引っ越して、真っ当な商売で、余生を穏やかに過ごすよ」


 それだけ言って部屋を出た。



 ***



 その夜、男は家族と食事を取り、一家団欒で楽しく過ごした。娘のソヴィアがもうすぐ学園への入学することが決まっていたことには驚かされた。その成長の速さにやはり男は改めて引退の決意するのだった。妻と娘以外に欲しいものは何もない、二人の幸せそうな笑顔を見ているだけでもう他に何もいらなかった。

 久々の家族の団欒に気が付けば時刻は深夜を回っていた。

 娘を寝かしつけるように妻に言った後男は寝室を出て行った。

 寝床に着く前、男は軽く砦内を歩き回り、ここに来ているはずであるバージを探しまわっていた。


「どこにいったんだ?」


 彼女にも日ごろから愛する家族を護衛してもらっているお礼をいいたかったのだが、一向に姿を現さなかった。彼女もこの砦には何度も足を運んでいるため、迷うということはないはずなのだが、男は彼女を見つけることができなかった。


「仕方ない、メイドたちに彼女と会ったら部屋をひとつ用意してあげるように言っておくか…」


 男が寝室に戻るために進んでいた道から踵を返して戻ろうとした時、ふと、窓の外に目をやった。


 夜の外は暗闇の海に沈んでいた。


 男がいる砦は、スターダスト山脈の中でも山脈の中央部分の地域に属しており、その中のひとつの山の中腹の切り立った斜面にこのスモークと呼ばれていた砦は建っていた。砦はほとんど無料で手に入れたが、ここまで道を繋ぐのにはそれなりの資金を要した。

 人目につかない隠れ家がどうしても必要だったため、バロリダにとってここは絶好の場所でもあった。

 春には緑が芽生えカモフラージュになり夏にはよく霧が立ち込め人目を欺き、冬の厳しい時期に自ら進んで山脈に立ち入る者もいない。そして、ここまでの道のりはバロリダのものしかたどり着けないような複雑な道のりのため、来る者も限られており、おまけに強力な魔法障壁まで張ってある。まさに完璧な隠れ家だった。

 ここならまずアジトを突き止められるものはそうそういなかった。


「ん?」


 男はその時、窓の外の崖下で何か動いたような気がした。


「なんだ?」


 窓を開けて覗き込むようにその下を見た。


 そこにはなんの変哲もない夜の闇が広がっていた。


「気のせいか…?」


 その時男は何かその闇の奥から目が離せなくなり、何かに魅せられたかのようにがけ下を覗き込んでいた。そこにいる何かが自分を呼んでいるような気さえした。恐怖が人を引き付けてでもしたのか、男はその崖下で蠢いた正体を突き止めてみたくなっていた。


「オーセント…?」


「え?あッ!!」


 自分の名前が呼ばれてびっくりした男は手を滑らせそのまま窓の外へ落ちそうになった。

 その浮遊間に絶望し死を悟りそうになったが、男の落下は窓から腹辺りまで飛び出るとピタリと止まった。目を開けるとそこにはひとりの女性がおり襟首を掴んでくれていた。彼女に通路側に引っ張り戻されるが、まだ生きている心地がしなかった。


「はぁ、助かったよ、ありがとうバージ」


「こんなことであなたに死なれては困る」


 そこには上品な顔立ちの獣人の姿があった。彼女の名前は【バージ】。獣人族で、オーセントの家族の護衛を務めている傭兵だった。

 そして、この男の本名は【オーセント・マキシマ】は、破滅の薬『星星』を売りさばく犯罪組織バロリダのトップだった。


「探したんだぞ、どこに行ってた?」


「ずっと、砦の塔の上に居た」


 このスモーク砦、みんなは名前を変えて『バロリー』と呼んでいるが、その中で物見やぐらのような塔がひと棟立っていた。彼女はそこの屋上に居たらしい。


「どうしてそんなところに?」


「匂うんだ」


 彼女は鼻を何度も啜りながら、むずがゆそうに答えた。


「匂う?別に何も匂わないが…」


 オーセントが鼻をクンクンと辺りに向けて探ってみるが、何の匂いもしなかった。


「あなたではこの匂いを感じとることはできない。これができるのは獣人であるわたしだけだ、それにしてもこれは…」


 そういうと彼女は開いていた扉をまるで臭い匂いを断ち切るように力強く閉めた。


「今夜は何かおかしい、前に来た時はこんな異臭などしなかった…」


「なあ、その匂いっていうのはどんな匂いなんだ?」


「死臭だ」


「死臭?」


「ああ、それも尋常じゃないほどの死臭がこの山に蔓延してる。ここらへんで最近何か変わったことはなかったか?」


 思い当たるところでいえば、氷山熊たちがスターダスト山脈の麓の街に大量出没したとの報告があるからとの注意喚起の情報がひとつ入ってきているだけであった。


「もしかしたら、氷山熊の仕業かもしれないな。ここ最近奴らが暴れまわっているらしいからな」


「そうか、まあ、確かに獣の死臭ならありえるかもな、たまに突然死する動物たちも自然界ではあるからな…」


 考え込む、バージに、オーセントは彼女に労いの言葉を掛けるのを忘れていたことに気付いた。


「そうだ、そんなことより、妻と娘の護衛をありがとう、二人も君には感謝しているみたいで私からもどうか礼を言わせってくれ」


 彼女がオーセントの顔を見てすこし固まった。


「私は感謝されるようなことは何もしてない…」


 不意を突かれたのか、もともとあまり口数が多くなく感情表現も乏しく顔にもでない彼女ではあったが、その時、彼女の後ろにあった銀色の尻尾はフリフリと左右に大きく揺れていた。


「ただ金のためにお二人を守っているだけだ」


「それにしてはずいぶんとソヴィアに懐かれているみたいじゃないか、私は嬉しく思うよ」


「私はただ言われた通りあなたの妻の命令に従って、ソヴィアの相手をしてるだけだ…」


「妻も君のことになると嬉しそうに目の色を変える。私がどんなに面白い話をしても君の話題には負けるくらいにはね」


「そんな、オーセント、あなたの話がつまらないわけがない。あなたはこのバロリダをここらで一番の組織に育てた天才だ、そんな男の話がつまらないはずがない」


 彼女の真面目腐ったものいいに思わず、オーセントも微笑んでしまった。きっと彼女のどこか並外れた真面目さが、妻や娘から好感を得ている証拠なのだろう。ただ、それにしてもいささかオーセントよりも家族内で人気者のような気がして悔しい面もあったが、オーセントにとっては彼女もすでに家族同然ではあった。


「どうだい?これから私の寝室にこないか?」


「え、あぁ……え!!?」


 顔を赤らめた彼女が目を泳がせながら尻尾をちぎれんばかりの勢いで降っていた。


「だって、オーセント、あなたには妻と娘がいる、だから私は……」


「そう、だから、妻と娘それと私のことも、君が傍にいてくれないか?君が今夜異変を感じたというなら、妻と娘を傍で守ってもらいたいんだ」


 彼女はすべてを理解したのか、尻尾がしゅんとなるが、すぐにきりっとした顔つきで答えた。


「そういうことなら、分かりました。オーセント今日は私もあなたの寝室に寝床を用意させてもらいます」


「頼んだよ、それじゃあ、私はもう部屋に戻るが、バージはどうする?」


「一度自分の部屋に寄ってから行かせてもらいます」


「ああ、分かった」


 それからオーセントは、バージと一度別れてから家族が待つ寝室へと戻った。



 寝室には、すでに妻のアンヌの隣で娘のソヴィアが可愛い寝息を立てて眠っていた。


「疲れちゃったみたいで、ベットにはいったらすぐに眠ってしまったわ」


「そうか、良い夢を見ているといいな」


 オーセントは軽くソヴィアの頬を撫でた後優しくおやすみの挨拶のキスを頬にした。


「さて、私たちも寝たいが」


 オーセントが、バージが今日ここに一緒に護衛もかねて来てくれることを話そうとしたが、妻のアンヌがジッと見つめて甘い声で遮った。


「ねえ、あなた、今日はそのだめなのかしら?」


 妻に服の袖を摘ままれて、誘われる。当然男女の肉体的なことで間違いなかった。オーセントも長い間期間が開いていたし、男としてその誘いを受けたかったが、バージが来るので断らなければならなかった。


「すまないが、バージもここに呼んでしまったんだ。なんだか今日はよくないことが起こりそうだって、彼女が言ってたんだ。彼女の勘はよくあたるだろ?だから、彼女にも護衛として傍にいてもらうと思ったんだ」


「だったら、バージも一緒に誘ったらどう?」


「おいおい、アンヌなんてことを言うんだ。君が俺の妻だということを忘れてしまったのか?」


「だって、バージもあなたのこと好きよ、彼女あなたの話をするとき目の優しさが違うし、尻尾の振り方も尋常じゃないのよ?それにあなたみたいな男に妾がいないのははっきり言っておかしいわ…」


 そんなものは王族やら大貴族様たちのお話で、庶民に該当する我々がするような話の内容ではなかった。


「俺は君一筋だって結婚式の時誓っただろ?」


「じゃあ、結婚式をやり直しましょう、私とあなたとバージの三人で、ソヴィアも喜ぶと思うわ、バージが本当の意味で家族になるのだとしたらね」


 頭の中はもうごちゃごちゃだった。たしかにバージは女性としてはとても魅力的だった。獣人であるが故の銀色の毛並みあれもふさふさで大好きだし、そこらへんの男たちなんかよりも発達した鍛え抜かれた体は男としてそそられるものがあった。

 それに彼女は素直で、物事もはっきりと言うが、愛らしさも兼ね備えていた。そして、何よりオーセントが一番愛してる二人の女性に愛されている、これこそが一番何よりオーセントが彼女を気に入っていた理由でもあった。


 そんな彼女が自分の妻になることを想像することは、もしかしたら心のどこかではそうおもっていたのか、簡単にできてしまった。


 家族四人で幸せな日々を送る。


 オーセントにはそれがありありと想像できしてしまった。


「私は…」


「あなたは私とバージどっちも幸せにできると思うわ、そして、それはソヴィアの為にもなると思うわ」


 アンヌが顔を近づけて来る。


「ねえ、だって、もう私たちに彼女がいない生活はありえないでしょ?」


 オーセントの迷いが、妻アンヌの最後のその一押しの言葉で晴れていく感覚があった。

 彼女を組織で拾ってからずっと妻と娘を守らせてきた、彼女の口癖は金の為だと言うがそれが照れくささの裏返しだということはマキシマ家では誰もが知っていることだった。

 そんな彼女がいないくなったことを想像するとそれはとてもいつまでも晴れない空模様のようにくすんだ人生のように思えた。


「ああ、そうだな、アンヌ君の言う通りだ、私たちの家にバージがいないのは寂しくてしかたないな…」


「そうでしょ?」


「だけどな、アンヌ」


 そういうとオーセントは彼女の唇に深いキスをした。


「私が君のことを心から愛しているということも、忘れないでくれよ…」


 オーセントの寂しそうな声を聞いた彼女は楽しそうに笑った。


「ええ、当然よ、あなたから受け取った愛を私は一度だって見逃したことはないわ。私はあなたに深く愛されていることをよく知っている。そうじゃなきゃ、バージとあなたをくっつけようだなんて思わないわ」


「それもそうだな」


 オーセントとアンヌは再び長くて深いキスをした。


「じゃあ、決まりね、今夜は三人で楽しみましょう!!」


「そうしたいのはやまやまなんだが、明日はレイドにもいかなきゃいけない、体力は残しておきたいんだ。それにバージだって突然のことで困るだろ」


「それはどうかしら、あの子がどれだけあなたのことを想っているか一緒に暮らすようになればわかるわ」


 アンヌが悪い笑みを浮かべるが、そのことは深く聞いてやらないことにした。それはバージの名誉にかかわることのような気がしたからだ。


「まあ、今日のところは勘弁してくれないか?」


「わかったわ、だけど私たちが一緒の間に必ず、このことを彼女に話すのよ?わかった?じゃないと私がバージをお嫁さんにもらっちゃうんだから」


 彼女が無邪気に笑う。

 オーセントもつられて笑ってしまった。


 幸せな夜が更けていく、いったいこれから何度こんな甘い夜を越えていけるのか、そう思うと、オーセントは未来にとても明るい希望を抱くことができた。


『こんな幸せが訪れるなんて、何というか続けて来て良かったよ…』


 オーセントはこのバロリダという組織を愛していた。

 素敵な妻のアンヌ、愛する娘ソヴィア、そして新しい家族になるかもしれないバージ、こんな幸せな家庭を持てたのも、すべてこのバロリダという組織の中でオーセントが必死に駆け回って来た結果であることは確かだった。

 やっていることは確かに極悪非道だったかもしれない、それでも、オーセントも必死に生きてきたことに変わりはなかった。

 時には死に掛けるような無謀なことにも彼は持ち前の勇気という誰もが知っている言葉で乗り越えて来たこともあった。オーセントはここまでよくやったと思っていた。だから、これから先は幸せになることができると、そう信じることができた。


 世界に祝福されるべきなんだと、誰もがこの幸せな家族を祝ってくれるとそう思っていた。



 …ズ。



 ……ズウ。



 ……ズウン。


 ズウンン。

 ズウウウンンンンンン。

 ズンズンズン。


 やがてその地鳴りの感覚は短くなって行き、気づいた時にはその砦内を振動させる異音は鳴りやんでいた。


 不気味な静寂が砦内に流れた。


「何?」


「何の音?」


 オーセントとアンヌが得体の知れない音に恐怖しながら顔を見合わせた時だった。


 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 と耳の鼓膜を破壊するような轟音と共に砦内が凄まじい勢いで揺れ、寝室内の家具やら調度品がすべてひっくり返った。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああああ」


 アンヌの悲鳴と共にソヴィアが目を覚ます。


 一体何が起こったのかと状況を把握するために、オーセントが慌ててベット脇の窓から砦の中庭を見下ろした。


 するとそこには見るに堪えないおぞましい怪物が砦の中心に着地した後の姿があった。

 その怪物は人間の姿形をしていたが、左腕と頭の無い首なしの怪物だった。そして体からは真っ黒な無数の触手を垂れ下げており、見るだけで吐き気を催す怪物だった。全体的に薄青い肌をしており、砦内の明かりに灯るとその皮膚はぬらぬらとしていた気持ちが悪かった。


「あ、ああ…」


 言葉にならなかった。今まで生きて来てあんな化け物を見たことがなかった。


 その怪物が近くの建物に向かって右手の拳を振るい始めた。

 怪物の右腕はまるで左腕が無い分、ある方の右腕だけ異常に発達したのかと思うほど、右腕は剛腕であり筋肉で膨れ上がっていた。


 次々とその剛腕が砦内の建物を横に薙ぎ払うように破壊していくと、その破壊がこっちに来ることを知ったオーセントは急いで妻と娘を連れて部屋の外に出て反対方向に走り出した。


「ねえ、ちょっと何!?何が起こってるの!!?」


「いいから走れ!!!」


 怒鳴るオーセントに娘が泣き出すが、そんな彼女に優しい言葉を掛けている余裕はなかった。


 オーセントたちが走る背後では建物がまるで折りたたまれるような破壊の波が迫って来ていた。


「後ろを見るな!!!走れ!!!」


 そうして走り切ったオーセントたちが、月当たりの曲がり角を曲がり、そこからも全力で走り切ると、何とか怪物の横なぎの破壊から逃れることができた。


「何がどうなってるのよぉ!!」


 気が触れたように叫びたくなる気持ちも分からなくはなかったが、修羅場をいくつもくぐって来たオーセントはここでも冷静に判断することができた。


「とにかくお前たちをここから逃がすことが先決だ。さあ、立って、出口まで走るぞ!!」


 オーセントがそう妻と娘をたきつけた後、そっと破壊された通路の隙間から様子を窺った。先程まで走っていた寝室までの通路は吹き飛ばされ下の階のフロアが見えていた。そして、こっそりと砦中央の中庭にいた怪物の姿を見ると、その怪物は右手の拳を力の限り振り回して辺りの建物を破壊していた。


「とにかく、建物からでるんだ、そうじゃないと奴の破壊の下敷きになってしまう、さあ、こっちだ行こう、道は覚えてる」


 オーセントが娘を抱きかかえ、妻の手をひぱった。

 火事場の馬鹿力とでもいうのかその時娘の重さなど気にも止まらなかった。

 ただ、オーセントは大切な家族たちを逃がすことに必死だった。


『あぁ、クソ!!バージ、生きていてくれよ!!』


 生死不明となってしまったバージにオーセントは生きていてくれと願うのだった。



 カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカン。



 砦内には緊急事態の鐘が連続で鳴り、この異常事態をすべてのバロリダの者たちが知る。


 夜空では星々は姿を眩ませ、闇だけが蠢く空間が広がった。


 周囲を闇で囲われた、この砦に逃げ場はなく。


 絶対者による裁きが下る。


 今ここにあるすべての命に危機が迫っていた。

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