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いずれ失う日々に怯えてる

 資料だらけの部屋。

 部屋の真ん中にあったテーブルには、大きな地図が広げられていた。

 それはレイド王国全域が載った詳細な地図だった。

 そこでハルとワイトが向かい合うように、地図の上にあった鉄の模型を動かしながら話し合っていた。


「それじゃあ、スターダスト山脈にホーテン家が構えてる拠点はこの三つだけってこと?」


 ハルが地図に置かれた砦の模型を見ながら言った。


「ああ、それとここにも一個拠点がありました」


 ワイトが余っていた模型を手に取ると、スターダスト山脈が記された場所の真ん中に追加で置いた。


「これで全部です」


 地図の上にはレイド王国の東部を南北に連なるスターダスト山脈があり、その山脈の麓に等間隔で三つの拠点があった。そして、山脈の中に最後の四つ目の拠点があり、どれもホーテン家が所有する連絡用の拠点のようだった。


「この三つの拠点は情報を伝達するためだけに用意された拠点です。それぞれ大陸の中央部から入って来る情報をホーテン家に届けるために機能しています」


「この山脈の中にある拠点もそうなの?」


 最後にスターダスト山脈の真ん中に置かれた砦の模型を指さした。


「そこはスターダスト山脈を専門に調査している拠点ですね。彼等は山のスペシャリストで、山で起こった事件や異変を主に扱ってます」


「なるほど、ということは山の中で活動しているのは彼らだけってことだね?」


 ハルがその拠点を人差し指で何度も確かめるように位置を調整していた。


「まあ、そうなりますね、山の中を歩き回っているのは彼らくらいで他の拠点の者たちも整備された主要な道しか使わないと思います」


「そうか、それで、正確な位置はここで合ってるの?」


「ええ、地図に置いたところで間違いないです」


「ありがとう、わかった、じゃあ次は【レズール大森林】の方にあるホーテン家の拠点を教えてもらっていいかな?」


 ハルがスターダスト山脈にあった模型たちをまとめて手に取ると彼に渡した。


「ええ、構いませんが、ハルさんひとつ聞いてもいいですか?」


「なに?」


「そのなんていうか、何のためにこんなことを?」


「それはなんで拠点のことを聞いているかってこと?」


「はい…」


 ワイトが聞いてはいけないようなことを聞いてしまったという顔をする。しかし、探求心もあるようで彼が顔を背けることはなかった。


「あらかじめこういった基本的なことを知っておけば、対応できることが増えるからね、もう、何も知らないままでいたくないんだ」


「それは殊勝な心掛けですね」


「そうだよ、だから、とりあえずレイド国内でホーテン家の所有している拠点を全部教えてちょうだい」


「承知しましたよ、ハルさん」


 それからハルは、ワイトから一日かけてレイド国内にある全てのホーテン家が所有している拠点を教えてもらった。


 昼食も取らず資料室にずっと籠っていたハルが本館の外に出た時にはすでに外は真っ暗に、空には星が輝いていた。


『そうだ、ルナが家で待ってるんだった、早く戻らないと』


 ハルは足早にルナが待っている借宿へと戻った。



 *** *** ***



 食糧庫から特上の食材を選び、酒蔵から極上の酒を手にする。昼間は部屋の飾りつけをして、できる限り隅々まで掃除をして綺麗にしておく、食器を磨き、夜のための御馳走の準備をした。夜が近づいて来ると先に風呂に入り身体を清め、化粧をして美しさに磨きをかける。黒と赤の上品なドレスで着飾り、ネックレスにピアスと宝石をちりばめ高級感を上げる。テーブルに食器を並べ、フォーク、ナイフ、スプーンを並べてあとはできた料理を盛り付けるだけにすれば、後は彼がくればすべてが完璧だった。

 彼を出迎える準備が整うと、ルナはただひたすら扉の前でそわそわしながら待ち続けた。料理の味は昼から準備しただけあって、自分で味見してみても美味しかった。頭の中に今日のディナーの進行もしっかり入っており、彼を楽しませるための準備もできていた。

 そして、食後のお酒を楽しむ時間を設け、そこですべての決着を着けるつもりでいた。


「まだかな、まだかな…」


 かれこれ扉の前で二時間ほど待っていると、その扉は開かれるのだった。



 **** **** ***



「ただいま」


「おかえりなさい、あなた」


 目の前の光景に思わず息を呑んでしまった。

 ルナと一緒に居るはずのお屋敷に見慣れない美しい女性が自分の帰りを待ってくれていた。


「えっと、どちら様?」


 ひとつ冗談をかましてみると、彼女は少し恥ずかしそうに顔を赤らめてくれた。


「あなたの妻のルナですよ」


「知ってる、だけどあまりにも綺麗だったからつい見惚れてしまっただけ」


「それ本気で言ってる?」


「その姿なら俺じゃなくてもみんなそう言うよ」


 まさに夜に輝く一番星のように彼女は明かりの下で輝いていた。


「ねえ、早く上がってディナーにしましょう?」


 ルナがハルの手を取ると料理が並べられたリビングへと連れ出していった。


 ハルとルナはそれから豪華なディナーを楽しんだ。

 皿に盛り付けられたよく下ごしらえがされた口の中でとろりと溶けだすほどおいしい極上の肉料理は、ハルの食べる手を止めなかった。それだけじゃない、彼女の料理はどれも手の込んだものばかりでまるでレストランで食事をしているみたいだった。

 彼女にそのことを聞くと、料理は昔から得意で、一度作っているところを見るとだいたいは同じように作ることができると言っていた。それは凄い才能だと思った。しかし、それにしても彼女の料理は高級感あふれる上品な美味しいものばかりだった。


「もしかするとルナの舌はとても肥えているのかもね」


 それはホーテン家のようなお屋敷で育った彼女はいわゆるお嬢様でもあったのだから、そのような高級で上等なものの感覚は、彼女からしたら当たり前のものだったのかもしれない。

 そこがやはりある意味では貧乏といよりかはドケチな道場から這い上がって来たハルのような田舎者と彼女の違いだったのかもしれない。


 ただ、ハルも剣聖時代厳しく上流貴族のマナーを叩き込まれたので、食べ方の上品さではルナと引けを取らず、しっかりとテーブルマナーを守って彼女と楽しく食事をすることができた。


「ハルはやっぱり昔から変わってないのね」


「そうだよ、道場に居た頃、食事当番だった時よく塩と砂糖を間違えて入れて、みんなに殺されそうになってたんだ。なんで塩を入れる前にひとくち味見しないんだってね、俺はそれをやるたびにへこんでたね」


「フフッ、小さい頃のハルは沢山失敗してたね」


 ハルは首を縦に振った。


「そうだよ、でもさ、最悪なのが、自分もそのめちゃくちゃ甘いスープを飲まなくちゃいけないってところがより悲惨でさ、みんなに怒られた後飲む甘ったるいスープの味は最悪だったよ」


「アハハハハハハ!そうね、ハルだって美味しくないスープ飲みたくないものね」


 ルナがお腹を抱えて楽しそうに笑う。


「そう、残すとじいちゃんの拳が飛んで来たからさ、みんな食事は絶対に残さず食べなきゃいけなかったんだ」


「そっか、でも食べ物を大切にするなんていい師範だったのね」


「そうだね、まあ、その点、エウス、あいつはさ、わざと香辛料を大量に入れた料理を出してみんなにマナ無しで口から炎を吐き出させてたよ」


「クククッ、そうなんだ、エウスさんはそんな人だったのね」


 その時、笑っていたルナのことが何だかいいなと思っていた。彼女が他の誰かのことで笑顔になって居ることがたまらなく嬉しかったのだ。


「どう他の人に少しは興味湧いた?」


「少しね、だけど、私はやっぱりもっとハルあなたの話が聞きたい、もっともっと私の知らないあなたを知りたい」


「いいけど、俺はルナのことも知りたいけどね」


「私のは暗い話ばっかりだし、食事中にする話でもないし」


「そっか、ごめん」


「ううん、ハルが謝ることない。全部私が悪いの、私の過去が…」


 短い沈黙の後、空気が冷え込んでしまったのでハルは話を変えた。


「ひとつ聞きたいことがあったんだけどさ」


 彼女がお肉を頬張りながらうなずく。


「なんでルナは、その…そんなに俺を好きになってくれたの?」


 それを聞いた彼女の食事の手が止まった。そして、自信に満ち溢れた穏やかな笑顔で言った。


「運命だったのかもしれません」


「運命?」


「そう運命、それか、神様が私にくれた最後の希望だったのかも、人間みんなが幸せになる権利があるのだとしたら、私の幸せはこれだって思えるものを神様が与えてくれた。そうじゃなきゃ、きっと私はあの時救われてなかった」


 彼女はとても嬉しそうに満足気に続ける。


「神獣に囲まれてすべてを諦めようとした私の命を救ってくれた貴方は、私を生かしてくれた。生きてていいって、私みたいな人間は死んで当然なのに、それでもあなたはたとえ何も分からなかったとしても、死の淵から私を救い出してくれた。あのね、それ以来私は貴方のことしか考えられなくなったの。生きることも死ぬことも諦めていた私の頭の中を埋めたのはハルあなただけだった」


「死んで当然なんて、そんなことないと思う」


 その言葉に、今度のルナは憂いを含んだ笑みを見せた。


「まだハルに言ってないことはたくさんあるの。ホーテン家はね、ハルが思ってる以上にその手を血に染めてる」


「全部みんなの為でしょ?ルナはこの国の人たちの平和のために一生懸命頑張ってくれたこと知ってるよ」


「みんなのため、そうね…だけど、間違いもやっぱりあるの。こういう危険な世界だと情報が不確かな時でも踏み込まなくちゃいけない時があるの、たとえそこにいた人たちがなんの罪もない無垢な人たちだったとしても、私は迷いなく彼等の命を奪ってきた」


 ルナが真っすぐハルの目を見つめて言った。


「ねえ、ハルは本当にこんな私のことを愛せる?私はあなたが嫌う殺人鬼なの、もしかしたら、貴方の周りにいる大切な人たちも私の独占欲や殺人衝動が、殺してしまうかもしれないのよ?」


 ルナが自分の大切な人たちを皆殺しにした時のことを想像してみた。たぶん、その時、自分は迷いなく彼女を殺す選択を選ぶのだろう。だけど、その時の彼女のイメージがどうしても、ハルにはうまく想像できなかった。たぶん彼女にとって他の邪魔者が消せて嬉しくて笑っている。それが本来の彼女の在り方のはずなのだが、ハルにはどうしても彼女がみんなを殺した後笑ってるようには思えなかった。

 血だまりの中で、自分のやってしまったことをずっと後悔し泣いている。

 そんな彼女のイメージしか湧いてこなかった。


「そしたら、俺のことも殺してよね」


 ハルは笑顔でそれだけ言うと美味しそうにお肉を食べるのを再開した。


「いやよ、ハルだけはどんなことがあっても殺さないし、殺せない…」


「…………」


 それ以上ハルがそのことについて言及することはなかった。


 そして、それはハルからの明確な答えでもあった。


 相手を気遣う沈黙が続いた。

 けれど、その静けさが彼女をより傷つけてしまった。


 食事が終わるまで二人が言葉を交わすことはなかった。


 ***


 静かな夜。

 食事が終わりハルとルナはディナーの後かたずけをしていた。

 二人並んでハルが洗った食器をルナが受け取って布巾で拭いていた。


「さっきのことなんだけど」


「………」


 ルナが静かに彼の方を向く。そこにはどこか沈んだ表情をしていたハルがいた。


「気を悪くしたらごめん」


 ハルが食器を洗いながら呟くように謝った。


 重たい沈黙が広がる。


 ルナはすぐにその謝られた意味が分からずに理解するのに時間が掛った。けれど、彼のその答えが分かるとルナも思っていたことを言うことにした。


「あなたが私よりも好きな人がいることは知っています。だから、この生活が長くは続かないことも、あなたと私がこうして二人だけで一緒に居られる時間が限られてることも分かっています」


 ルナからしたら彼と二人だけで居られるそれだけでまるで常に奇跡を目の当たりにしているような気分だった。


 朝目が覚めれば彼が居て、『愛してる』といえば『愛してる』と帰って来る。望んだ未来はすべていまこの手の中にあり、欲しいものなどもう何もなかった。


 ハルがいるそれだけで、ルナの世界は完結していた。


 けれど、この幸せがいずれ自分の手から少しずつ零れて、失われていくことはわかっていた。


 私だけが彼の特別じゃない。

 それどころか私は彼の一番でもない。


 これは人であるが故の悪い一面だ。

 満たされているのにもっと、もっとと渇望してしまう。やがてその渇いた欲望から生まれる負の感情に支配される日が来る。

 愛が憎しみへと変わり、どうしようもない独占欲が支配欲に変わり、伸ばした手の先は血で染まっているのでしょう。


「だから、私、焦っていたのかもしれない…こうしてあなたの隣に居られる時間があとわずかだと思うと、あなたとこうして過ごす日々を失うことがとても怖い…」


 二人だけで居たかった。それは彼女たちも一緒なのかもしれない。だけどルナはそれ以上にハルと二人だけが良かった。


 彼は泡立った食器を黙って見詰めていた。


「ねえ、ハルは私のこと好き?」


「好きだよ」


 ほら、私、今幸せだって胸を張って言える。


 いつの間にか体が震えていた。

 目には涙が溜まっていたし、目の奥が熱くてたまらなかった。

 どうしてこんな楽しいはずの夜だったのに、胸の奥から後悔だって込み上げてくる。


 いずれハルはみんなの元に帰ってしまう。

 そこに私の居場所はない。

 こうして毎日彼に素直に甘えることだってできなくなる。


『手に入れてしまうことがこんなにも辛いなんて思わなかったなぁ…』


 失われることが分かっている日々が私の心を蝕む。

 気が付けばルナは心の底から悲しくて泣いていた。


「ねえ、ハル、見てこれ…」


 ルナは瓶を取り出した。そこには赤い液体が並々と入っていた。


「これね、惚れ薬なんだ。暗月の魔導士に創ってもらったの。それでね、今日この後一緒に飲もうとしてたお酒に盛ろうとしてたんだ。美味しい赤ワインの中に混ぜて…」


 ハルを私だけのものにする為に、あなたが永遠に私から離れられないように。


「私、バカだよね…、こんなんでハルを自分のものにしようとしてたんだよ、滑稽だよね」


 これ以上は何だかみじめで見っともなくて彼にも本当に見放されそうだったので、ルナはその瓶を力いっぱい握りしめると振り上げた。


「こんなものいらないんだ」


 地面に叩きつけようと腕を振り下ろす。


 けれどその瓶が地面で粉々に割れることはなかった。


 ハルがルナの腕を掴むと、その瓶を奪い取った。


「ハル…」


「これ、惚れ薬なんでしょ?」


 ハルが瓶の栓を開けた。


「何する……!?」


 ハルは勢いよくその瓶を傾けると中の紅い液体をすべて口の中に零すことなく流しこんでしまった。


 唖然とし言葉も出ないルナに、ハルは言った。


「俺は皆には申し訳ないと思ってたんだ。最初からたった一人を選べばこんなにみんなを悩ませることだってなかった…だけど、だけどさ、放っておけない子がいて、ずっと一緒に居て欲しいと思った子もいて、それで手放さなきゃいけない子もいた。そして、手放したくなくなった君がいた」


 抱きしめられるその温かさはやっぱり幸せの証で、だけどすぐに崩れるものだということは分かっていたけど、それでも、抱きしめ返さずにはいられなくて、あなたがどうしようもなく優しい人だってこと知ってるから、いつまでもその優しさに縋っていたかった。


「ルナ、心配させてごめん、不安にさせてごめん、俺はルナも含めて皆を幸せにするために頑張るからさ、だから、俺の傍から離れないでくれ、君が傍にいてくれる限り俺は必ず君も………………………………」


「ハル?」


 返事がなくなったハルの重みがルナにのしかかる。


「ねえ、ハル?ハルってば!?」


 ルナが慌てて彼を突き放して心臓の鼓動とそれから彼の顔を確認した。

 彼は静かに寝息を立てて、ぐっすりと眠っていた。

 薬の効果なのか分からなかったが、ルナはとにかく彼を担いで部屋の外に飛び出した。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…」


 ルナは走っている最中何度もそう呟きながら、暗月の魔導院に向かって走り続けるのだった。



 *** *** ***



 気が付けばハルは霧深い森の中にいた。



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