雨の日 激闘
外では雨が強まったのか、室内にまで雨の音が響き渡る。
しかし、道場の中は騎士たちの熱気がこもった声援で雨の音はたやすくかき消えた。
その熱き声の中心に二人の男女が立っていた。
「すみませんが、本気で行きますよ」
ルルクが言った。
「もちろんです、私も本気で行きます」
ビナが返した。
十一試合目、レイド王国の副将ビナ・アルファ、対、アスラ帝国の副将ルルク・アクシムの試合が始まった。
「それでは、始め!!」
『負けるわけにはいかない!!!』
ビナが駆け出す、ルルクは軽く構えて彼女の様子を見た。
互いの距離が縮まっていく。
『やはり、想像以上にはや…』
ルルクがそう思った瞬間にビナがその倍の速さで加速して突っ込んできた。
「クッ!」
ビナはその勢いで飛び蹴りを繰り出したが、ルルクはぎりぎりでその攻撃をかわした。
『う、うそ…今の初撃かわされるの』
この試合中に誰にも見せたことのない速さの初撃を対応されて少し戸惑った。
『やはり、彼女、まだまだ速く動けたか…』
ルルクも少し焦っていた。
ビナは通り過ぎてしまったルルクの方に向き直り再び駆け出した。
ルルクは向かってくるビナを警戒して構えた。
加速してくるビナにルルクは左足の回し蹴りでけん制した。
ものすごい速さで加速していたビナは、その回し蹴りの直前でスピードを緩めてそれを回避した。
『遅い…』
そして、そのまま、ビナは、再び突っ込み、体勢の悪いルルクに蹴りを繰りだそうとしたとき、ルルクの左足がビナの横顔に迫っていた。
「え?」
バキ!!
ルルクの回し蹴りがビナの頭にもろに入った。
「グッ!!」
その蹴りでビナは吹っ飛ばされたが、すぐに受け身を取って、ルルクのいた方に向き直ると、追撃の蹴りがビナの横に再び迫っていた。
「あああああああ!!」
ビナは、そのルルクの蹴りに自分の拳を合わせた。
バン!!
ルルクの左足は、ビナの拳で打ち上げられた。
「!?」
体勢の崩れたルルクはそのままバク宙して、一旦、ビナと距離を取った。
『この力、想像以上だ、素晴らしい…』
ルルクはビナからもらった一撃の重さに感心した。
『まずい、想像以上に相手も早い…でも』
ビナの呼吸は乱れていたが、再び走り出す。
『もっと速く、速く』
さらに加速して、ビナはルルクに重いパンチを繰り出す。
「グゥ!!」
『まだ上がるのか!?』
ルルクもこればかりは驚いた。
重い打撃を繰り出しながらビナはルルクを翻弄していく。
ビナは一発撃っては加速を繰り返し、相手の身体にダメージを蓄積していく。
「グオ!」
ビナの重い拳がルルクのガードの隙間から何度も打ち込まれ続ける。
『力が強すぎる、これをもらい続けるのはまずい…』
そしてビナが完全にルルクの背後を取ったとき、それは起こった。
ビナはルルクの背後を取ると腹に激痛が走り、一瞬呼吸もできなくなった。
「ツッ…………!?」
『なっ!?』
ビナは何が起きたかわからなかったが、自分が宙を浮いている間に相手を見るとその理由がはっきりした。
ルルクはノールックで後ろ蹴りを放ち、ビナを捉えていた。
「ガハッ!」
床に強く叩きつけられたビナは、再び一瞬、息が止まる。
ビナはこの攻撃で大きなダメージを負うが、ルルクはそんな彼女に容赦はしない。
気を抜けばルルクが床に倒れることになった。
『よく戦ったよ、ビナさん、これで終わりだ』
フラフラで立ち上がったビナに、ルルクはこの一撃で終わらせるため力を入れて後ろ回し蹴りを放った。
バゴン!!
ビナはこの蹴りをもろに頭にくらって吹き飛ばされた。
吹き飛ばされるなかで、ビナの瞳には二階にいたハルの姿が映った。
彼女の瞳に映るハルの表情はとても不安そうな顔をしていた。
『ハル団長…そんな顔しないで笑ってください…あなたの笑顔は……』
ビナは途切れそうな意識のなかで彼を想った。
二階のみんなは、いつの間にか席から立って、柵から身を乗り出し何か叫んでいた。
きっとそれは応援してくれる声だったのだろう、だが、ビナの頭は思考をやめて情報を遮断していた。
『…………………』
ビナの視界はだんだん白くぼやけていき、全てが遠くに行ってしまったように何も感じなくなってしまった。
その真っ白な世界は、ビナにある光景を見せた。
それはビナの頭の中にある色褪せない鮮明な記憶だった。
*** *** ***
「急げ!急げ!何やってるんだ!早く逃げろ!」
誰かが叫んでいた。
ビナは街の中を駆けていた。
その街はあちらこちらで煙が上がり、悲鳴が鳴りやまなかった。
辺りには倒れてる人も大勢いて、その中には死体もあった。
ビナはそんな中、逃げ惑う人々たちとは逆方向に進んでいた。
しばらく走っていると、近くで轟音が鳴り響いた。
ドゴオオオオオオオオオオオオン!!!
その轟音と同時に目の前のにあった街を取り囲む巨大な壁が破壊された。
「ライラが来るまで足止めするぞ!!」
「全員構え!!!」
一人の騎士の掛け声で、ビナは手を前に出し魔法を放つ準備をした。
ビナの周りにいた騎士や兵士たちも同じように構えていた。
ズドン!ズドン!
大きな地響きが鳴り続け、それがどんどんビナたちの方に近づいてきた。
破壊された巨大な壁からは、大量の土煙が立ち昇っていた。
そして、その土煙の中から巨大な黒い影が浮かび上がり、地響きの正体が姿を現した。
破壊された目の前の巨大な壁と同じ大きさの獣がそこにはいた。
その獣は神獣と呼ばれ、多くの人々の恐怖の対象だった。
だが、よく本を読むビナは知っていた、その神獣の名前を。
「レイド…」
その神獣は、黄金の毛並みに、恐怖と圧迫感を与える立派なたてがみ、そして大きな赤い瞳が不気味に爛々と輝いていた。
その神獣は、はるか昔に絶滅したはずだった。
レイド王国には、大昔、人々が巨大な神獣たちを倒して、そこに国を築き上げたという歴史があった。
レイド王国の名前の由来はその神獣の名から取ったものだった。
「うそだ…」
ビナは小さく呟いた。
神獣レイドが街を見下ろす。
そして、神獣レイドがビナたちを睨んだ瞬間、その場にいた誰もが身動き一つとれなくなった。
『あれ?、体が動かない!?』
ビナはパニックになった。
『やだ、こ、怖い、怖い、怖い、逃げなきゃ、早くここから逃げなきゃ!』
恐怖に包まれたビナは、すぐにここから逃げ出したいと体を動かそうとしたが、その意思に反して全く身体が動こうとしなった。
『な、なんで身体が動かないの、やだ、やだ、やだやだ死にたくない、助けて』
ビナの前にいた騎士や兵士もその場から微動だにしていなかった。
この得体のしれない状況と凄まじい恐怖が目の前から迫っているのに誰も声を出すことすらできなかった。
ゴオオオオオオオオオオオオ
目の前の神獣レイドが見たこともない魔法を放った。
ガリガリガリガリガリ!
光の柱のようなものが神獣レイドの体、全身から複数放出され、それがものすごい速さで地面をえぐりながら四方八方に広がっていく。
その光の柱の一本がビナのすぐ横を通り過ぎて行くと、そのあとには、先ほどまで生きて隣にいた者達の死体が残っているだけだった。
『…やだ』
ビナは目の前の死体の山を見て、自分も次、同じように死ぬとしか考えられなくなった。
『…死ぬ、いやだ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、いやだ!!』
そして神獣レイドが残ったビナたちの方に口を開いた。
『……………あっ…』
身体の動かないビナや周りの人たちは死を悟った。
神獣レイドがその口から魔法を放った。
その放たれた魔法は、目に見えなかったが、地面をえぐって確かにこちらに向かってくる。
ガリガリガリガリガリガリ!!!
『………』
ビナは目を閉じた。
バー――――――――――ン
巨大な爆音とともにビナの身体に強風が吹きつけ後ろに吹っ飛ばされた。
『な、なに!?』
ビナが目を開けると、目の前には一人の青年が立っていた。
高い背に、くすんだ青い髪が風になびいていた。
青年は血で染まっていたが、どれも返り血のようだった。
そして、その青年の両手には見たこともない巨大な剣が握られていた。
「………」
ビナは、何が起こったか分からず、ただ、茫然と青年の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
周りにいる人たちは動けるようになっていたが、ただその青年を見ていた。
誰も逃げようとはせずに、その青年に目を奪われていた。
この絶望的な状況でも、その青年からは絶対的な安心のようなものを感じた。
『なんだろう、この気持ち…』
ビナも例に違わず、その場から動かず、その青年から目が離せなくなった。
「ガアアアアアアアアアア!!!」
神獣レイドは巨大な咆哮を発したあと、再び、口を開き同じ魔法を放った。
目に見えない何かが周囲を破壊しながら青年に迫った。
青年はその見えない何かにまっすぐ駆け出す。
「ダ、ダメ!!」
ビナの必死の叫びも青年には届かなかった。
ガガガガガガガガガガガガ!!
地面や周囲のものが削られていく。
そして、その見えない何かが青年の目の前まで迫った。
次の瞬間、青年が片方の剣を一回振り上げると。
バー―――――――――――――ン
先ほど同じ、凄まじい爆音と強力な風が吹き荒れた。
ビナは立っていようとしたが簡単に吹き飛ばされてしまった。
すぐに青年がどうなったか見ると、神獣レイドにまっすぐ駆け出していた。
さっき放たれた魔法はどこかに消えていた。
「…何が起こってるの……」
しかし、ビナや周りにいた人は、それ以上に信じられない光景を目にした。
「え!?」
途中まで目で視認で来ていた青年の姿がパッと突然消えると、神獣レイドの前足が宙に浮き、頭が後方にのけぞっていた。
次の瞬間には、神獣レイドの大きな首が胴体から切り離されており、辺りに血の雨が降り注いでいた。
そして、その青年が首の無い神獣レイドの上から現れ、叫んだ。
「全員、王城に避難しろ!これはお前らの軍からの命令だ、急げ!!!」
その青年の言葉を聞いた、騎士や兵士たちは、今までなぜ自分は逃げなかったのか分からないといったように、すぐに走り出した。
ドゴオオオオン!
遠くで再び轟音がして壁が破壊され、巨大な影が姿を現していた。
青年はすぐにその音のした方を向いて駆け出そうとしたとき声が聞こえてきた。
「ありがとう!!ありがとう!!!ありがとう!!!!」
みんなが逃げ出すなか、ビナは一人でその青年に向かって叫んでいた。
青年がビナの方を向いて、笑顔で応えて、みんなが逃げる方へ指をさすと、その場から彼は消えてしまった。
ビナの目にはその笑顔がいつまでも焼き付いて離れなかった。
『ありがとう…』
それからビナも青年が指した方へ走って行った。
*** *** ***
宙に浮いていたビナは地面に叩きつけられた。
ドサ!!
「おいおい、大丈夫かよ…」
周りの騎士たちがビナを助けようとしたとき、ビナは上半身を起こし、腕を前に出して、助けようとしてくれた騎士を止めた。
それを見ていた周りの騎士たちは騒然とした。
「あんた無茶だ、もう立てな…」
一人の騎士がビナを止めようとしたが途中で言葉がどこかに行ってしまった。
ビナの表情は凄まじい執念と気迫がこもっていた。
その彼女の表情に、そこにいた騎士たちは全員、息をのんだ。
ルルクはビナが立ちあがって来ると驚いた。
『あの蹴りでたちあが…』
ルルクがビナを見ると目を疑った、そこには先ほどとは全く異なる雰囲気の女の子が立っていた。
『彼女、まるで別人じゃないか…しかし、もう立ってるのもやっとのはずだ、試合を中止するか…』
そうルルクは考えたが、彼女から感じる得体のしれない力と、ここでやめては何か彼女の大切な決意みたいなものを踏みにじってしまう気がした。
「ビナさん、まだやるんですか?」
ルルクが質問すると彼女は静かに頷いた。
「分かりました、その代わり、次、あなたが一度でも倒れたら試合は終わりです、それでいいですね」
ビナが再び静かに頷いた。
「審判、彼女が位置に着いたら、開始の合図をくれ」
審判は軽く頷いた。
ビナがゆっくりルルクの正面に来た。
それと同時に審判が叫んだ。
「はじめ!!!」
二人の闘志がぶつかりあった。