闇の獣
レイド王国王都スタルシアから東に位置する場所には【スターダスト山脈】が聳え立っていた。この山脈はエルフの森から始まり北から南へとレイド王国領内のふちをなぞる様に連なり、レゾフロン大陸の西部と中央部を分断していた。
レゾフロン大陸の特徴として東に行くほど人口が少なく自然的な生活が中心で繁栄が穏やかであることが知られていた。
まとめると、自然中心の生活をしているため金銭的に貧しい【東部】、魔法体系や技術的に発展が劣る【中央部】、六大国を中心にこのレゾフロン大陸でもっとも繁栄を極めていたのが【西部】だった。
そして、この三つの区域には北部と南部で特徴があり、北に行けばいくほど治安が良く安全で、南に行けば行くほど危険が多いという、安全面での違いがあった。
単純に南部は人口が北部より少なく、人の手が入っていない土地が多いという理由があり、魔獣たちなど自然に満ち溢れているのも南部の特徴だった。
レゾフロン大陸では、正確な全体像がわかる地図が街のどこにでも手に入るが、それでもすべての部分の詳細が載っているわけではなかった。地図を描いたものはレゾフロン大陸の周囲を測量しただけで、大陸全土を踏破したわけではなく、未知という部分はいまだに南部を中心に残っている状況だった。
しかし、レゾフロン大陸で起こる様々な出来事は常に大国がある北西部からで、この大陸の歴史の中心であった。
そして、そんな時代の中心である北西部のレイド王国の領内では良からぬことで一旗をあげた者たちが今宵、酒を片手に祝杯をあげていた。
スターダスト山脈の切り立った断崖にある要塞。その要塞には暴れ牛の旗が掲げられ、要塞の名は【スモーク】といい、首領は【ドーゴ・モス】という筋骨隆々で腕っぷしのある大柄でワイルドな男が務めていた。
夜の帳が降りた要塞に灯る篝火の光の下、大勢の人々が馬鹿騒ぎし、賑やかに酒をあおっていた。それは彼の元に集ったおよそ百人ほどの構成員だった。
その組織の名は【モス盗賊団】。悪名高い南部で名を馳せた盗賊団だった。
何もかもを力づくで奪い取り彼らが通り過ぎた後には何も残らないというのは南部では有名な話だった。だが、ここ最近南部での暴れっぷりがアスラ帝国の耳に入ったことで、新たな活動拠点を探さなくてはならなくなったことで、彼らはこの地に引っ越しをしに来たのであった。
そして、運のいいことに素晴らしい立地にあるこの要塞に拠点を譲ってもらえることができ、こうして今日はモス盗賊団の北部での初の大仕事を終えて、盗賊団のみんなで祝杯をあげていた。
「お前ら今日はよくやってくれた、飲んで飲んで飲みまくれ!!!」
ドーゴが眼前に広がる団員たちに向かって酒の入った金の杯を掲げた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
盗賊たちもお頭の掛け声の後、楽しそうに雄たけびを上げていた。
空は雲に覆われ星ひとつ無かった。真っ暗で陰鬱とした夜のスターダスト山脈に要塞の明かりが頼りなく灯る。
酒が回って来ると男たちは女たちを誘い、広場の中央で踊り始めた。
盗んだ楽器を持ち出し、演奏できる者が激しいリズムの音をかき鳴らし、夜の静けさを吹き飛ばす。
盗んだ綺麗な衣服や宝石を身に着けた盗賊たちが、広場中央でクルクル華麗に踊る。
ここは彼等にとって孤高の楽園だった。スターダスト山脈は交易としては険しくいまだに人々の往来は少なく隠れ家にはもってこいの立地だった。そして、なによりこのスターダスト山脈は西部の大国レイド王国と大陸中央部の小国群を遮るように南北に連なっており、モス盗賊団は、そのどちらで盗みを働くか選ぶこともできた。
よりリスクをとってリターンを得るならレイド王国で盗み、安定を求めるなら中央部の小国で盗みを働けばよかった。
こんな素晴らしい要塞を手に入れることができて、ドーゴも大満足だった。
「どうだ、ここ北部に来て正解だったろ?周りには盗み放題の国に、こんなデカい家も手に入って」
ドーゴが両隣で侍っていた若くて美しい女性たちに語り掛ける。彼の後ろにも後三人くらいの美女たちが彼の傍にいた。
「はい、ドーゴ様、ここは本当に素晴らしいところです」
「ドーゴ様の手腕には恐れ入ります」
みんな彼の男らしい色気にやられてうっとりしていた。上機嫌になった彼も彼女たちを甘い言葉で誘惑する。
「ここが俺たちの家になるんだお前たち今夜はたっぷり相手してやるからな、」
「もう、ドーゴ様ったら…」
「フフッ、夜が楽しみです…」
恍惚とした表情の女たちの顔はまんざらでもなさそうだった。ドーゴもそんな彼女たちに現を抜かしている時だった。
「お頭!」
ひとりの盗賊が彼のもとにやって来た。
「なんだ?」
女たちとの甘いやり取りを邪魔されたドーゴは少し苛立ちをあらわにして言った。
「お頭にお客様がお見えになって居ます」
「あ、客?」
「へい、ラースさんがお見えになっています」
そこでドーゴの酒と女で気の抜けていた顔色がすぐに消え失せると、男らしい覇気のある顔になっていた。女たちはそんな彼を見て相変わらずうっとりしていたが、彼だけは戦いにいく男の顔をしていた。どちらかというと盗賊の首領としての威厳を損ねない強面の面だった。
「すぐに通せ、お前たちは少し席を外してくれ」
「ええ、そんな…」
「大事な客が来てるんだ、いい子だから」
ドーゴがそう言うと女たちは奥の砦へと戻っていった。
部下たちの祝杯で騒がしい広間に、ドーゴの部下に連れられた二人の男がこちらに向かって歩いて来ていた。
ひとりはかなりいかつい見た目の大柄の男であった。腰には大きな曲剣をさげて、太い腕に、長い編み込まれた黒髪をなびかせ、浅黒い肌と鋭い眼光が、酒を飲んでいたドーゴの部下たちの視線を恐怖で釘付けにしていた。
正直ドーゴでさえ震えあがるほどの迫力がある男であった。少しでも下手な口を利けば殺されるそんな雰囲気を漂わせるその男はまさに鬼のようであった。ただ、その男はこのモス盗賊団に南部から北部への移住を提案し、この要塞をタダで譲ってくれたドーゴたちの恩人でもあった。
彼の名は【ラース】といった。
そして、もう一人の男は線の細い男で、彼の部下の【エシ】と言った。
部下がドーゴの前に、ラースとエシを連れて来た。
「お頭、連れて来ました」
「ご苦労下がれ」
「へい」
部下とのやり取りを終えるといよいよ彼と対話しなくてはならなかった。
「どうぞ、好きな場所に腰かけてください、ラースさん、お酒もたくさん用意しています」
すでにドーゴは部下に対面できるようにテーブルを挟んだ向かい側にソファーを用意させていた。
するとラースが先にどかりとドーゴの正面に座った。ドーゴの額に少し汗が流れ緊張の糸が張った。
「エシ、お前も座れ」
「私は遠慮しておきます。酒も飲みませんので」
「つれない奴め…、すまない、ドーゴさん気を悪くしないでくれ、そう言うやつなんだ」
「いえ、私は構いません」
「そうか、ならば、二人であいつの分まで飲んでしまおう、今宵は宴なんだろう?」
ラースが金の杯に自分で酒を注ごうとすると、ドーゴが止めた。
「俺が注ぎます」
「おお、悪いな」
ドーゴがラースの杯に酒を注ぐ。そして、同じ容器の酒を自分の杯にも注ぐ。
「それじゃあ、乾杯だ!!」
二人は互いの金の杯を軽くぶつけ乾杯した。
ラースは杯の中に入っていた酒を一気に飲み干す。ドーゴも負けずと自分の杯を一気に飲み干した。
お互いが空になった杯をテーブルに置いた。
「いやあ、うまい酒だ。どこで手に入れた?」
「中央部にあるフリケマ王国の酒場から奪った。俺たちはまず酒が無くちゃ生きていけないからな」
「そうか、南部の人間らしいな、さっそく盗賊らしいことをしてるみたいだな」
「あんたのおかげだ。こうして、アジトを提供してもらったおかげで俺たちは盗んだものを安全に保管しておける。富を蓄えられればこの盗賊団ももっと大きな組織にできる」
要塞には強固な魔法が掛かており防壁の防御も完璧だった。そんじゃそこらのお国の部隊ではまず突破は不可能なほど、魔法に少し疎いドーゴでもわかるほど、要塞に掛かっている魔法防壁は強力なものだった。
「もし、もっと要塞が必要だったら言ってくれ、その時は俺がすぐに手配してやるよ」
「ありがたいが、その時の要塞代はどうなるんだ?タダでいいのか?」
少し強欲かとも思ったが、つい聞いてしまった。
「ああ、そのときも要塞代はタダでいいが、ひとつだけ条件がある」
「なんだ?」
どんな条件を突き付けてくるのか、不安だったが、それはなんてことない条件だった。
「要塞を建てるのは必ず、レイド王国領内だけだ」
拍子抜けだった。
「…それだけでいいのか?」
「それだけでいい、その条件を呑むならいくらでもこれと同じ堅牢な要塞を建ててやるよ」
ラースは近くにあった酒瓶を直接口につけて飲んでいた。
「だったらもっと人を集めなきゃな…」
「人集めか、それなら俺が仲介人になって人を紹介してやってもいいぜ、ここらに知り合いの窃盗団を複数知ってる」
ドーゴは関心すると同時に不思議に思った。
「ラースさん、あんた何者なんだ?なんでそんなに、手際がいいんだ?」
ラースがそこで飲んでいた酒瓶を置くと彼に言った。
「俺の組織はいわゆる犯罪組織を援助する何でも屋だ。裏社会では結構人気もある、まあ、悪たちの間ではだけどな、お国の正義を掲げた裏組織とはもうバチバチで何度も酷い目にあわされてきたってもんだぜ…」
ラースがシクシクと悲しいふりをするが、顔が怖くて泣いても全く迫力が衰えなかった。
「ところであんたの組織の名前なんていうんだ?」
「ん、ああ、そうか、お前たちは南部出身だから聞いたことないかもな、北部じゃそれなりに裏で名が通ってるんだけどな」
ラースはそう言うと、自分の所属している組織の名を口にした。
「【バースト】、それが俺が所属している組織の名だ。覚えておくといい、今後その名を出すだけでお前さんに頭を下げる奴だって出てくるかもしれないな」
「バーストか覚えておく」
「ああ、覚えておけ、今後裏社会を統べる組織になるからな」
ラースがにやりと笑うと酒瓶のまま酒を喉に流し込んでいた。
***
ひとしきり宴も終わりを迎えると、でろでろに酔っぱらたラースがエシに支えられていた。
「ドーゴさん、私たちはこれで帰ります」
「泊っていった方がいいんじゃないか?部屋ならあるぞ?」
「ありがとうございます、ですが、大丈夫です彼は私が連れて帰ります」
ラースが座っていたソファーとテーブルの周りには大量の空の酒瓶が転がっていた。エシが飲まなかった理由がこのためかとドーゴも納得した。
「気を付けて帰ってください」
「ええ、それでは失礼いたします…おっと、いい忘れたことがありました」
ラースに肩を貸したエシが振り返る。
「ここらへんで最近化け物が出たとのうわさがあるので注意してくださいね」
「化け物ですか?」
「ええ、化け物です」
「はあ…」
ドーゴは気の抜けた面で、エシとラースが去っていくのを見送った。
「化け物って…」
漠然とした忠告にドーゴは首を傾げることしかできなかった。化け物などこの世には五万といる。そんな中化け物に注意しろとはとてもあいまいで難しいものだった。
「まあ、いいか…」
「ドーゴ様」
そこで振り向くとドーゴの後ろには、はだけた服で白い素肌をちらつかせた美女たちが薄暗い部屋の扉を半分開けて彼のことを手招きしていた。
「お前たち、すぐそっちに行く」
ドーゴは女たちのいる部屋へと歩いて行った。
彼はこの堅牢な要塞スモークを拠点に、モス盗賊団という家族たちと未来の大盗賊団を築くためにひた走るのだった。
すべてはドーゴの愛する女や部下達のために。
要塞スモークに、人々の愛であふれた希望の光が灯る。
スターダスト山脈の山頂に一匹の化け物が忽然と立っていた。
深く垂れこめていた雲の隙間から月が顔を見せ、月光がその化け物の姿を照らし出す。
巨大な闇の獣がいた。その獣を一言で表すならば、【首なし】だった。首から上が無く、二足歩行で、その獣の体毛はすべて触手で構成されており、常に絶え間なく不気味にその身体にまとわりついた闇の触手たちは蠢き続けていた。左腕はなく、その分右腕だけが異常に発達しており、黒い肌には溢れんばかりの筋肉が詰まった剛腕だった。
完全に生物としては未完成の化け物がそれでも月明かりの下、その山頂から、小さな明かりが灯る要塞を静かにない頭で見下ろしていた。
そして、再び月が雲の中に隠れた時には、その化け物の姿はどこかに消えてしまっていた。
人々はまだその化け物の存在を知らなかった。
しかし、確実に闇は彼等の傍に近づいていた。
膨れ上がる闇の脅威。
希望は塗りつぶされ。
夜が闇で飽和する。