ケガの具合はいかが?
最悪の目覚めだった。
気を失ったことは覚えていたし、なんで気絶したかも覚えていた。
何もルナ様の口から出てきた衝撃的な(聞きたくもなかった)言葉で気絶したわけじゃなかった。
あの黒いベールの男との戦闘後、身体の中に注入した薬に対して抵抗剤を投与しなかったことで、戦闘に使う戦闘剤の副作用が回ったのが気絶の原因だった。身体に負荷のかかる戦闘剤を緩和する薬を必ず戦闘後に投与しなければ、ご覧の通りベットの上から三日間ほど動けなくなるという強烈な副作用があった。緩和剤を使わなければ指一つ動かない戦闘剤の副作用は強力だった。
寝起き後、すぐに自らに緩和剤を投与しなかったことに、自分自身に腹が立った。だが、何より腹立たしいことは、寝起き早々視界の隅に黒いベールの男が映り込んでいたことだった。
彼は椅子に座って熱心に紙の束に目を通していた。
彼が資料から視線を外すとフレイが起きたことに気付いた。
「おはようございます、気分はどうですか?」
黒いベールの男がフレイの顔を覗き込む。
フレイはなんとか目と口だけは動くため会話はできた。しかし、それ以外体のどこも動かせないため、彼に上から見下ろされるのは屈辱の極みだった。
「お前…」
「いやあ、びっくりしましたよ、いきなり気絶しちゃったので」
声の調子からも分かる通り気絶する前の殺気立ったイメージとはだいぶ人柄が変っているように思えた。
「どこか調子の悪いところはないですか?一応、ルナが白魔法で治癒したみたいですが」
「白魔法…」
フレイはそこで自分の身体が動かないことを今一度確認した。
『たぶん、ルナ様も完治は無理と分かったんだろう。まあ、戦闘剤の副作用は大人しくしていれば治まるものだし、酷い症状も表立ってでないからな…』
【白魔法】
それはありとあらゆる怪我を治癒する魔法。どんな大怪我でも魔導士の熟練度と条件によっては一瞬で、その傷がまるで最初から無かったかのようにまで完璧に治癒できるその魔法は、魔法界の中でも屈指の素晴らしい魔法だった。
白魔法という名前も、このどんな傷にも対応し完璧に癒してしまうたったひとつの治癒魔法にだけ与えられたものだった。
それ以外の魔法は黒魔法という枠組みに収まり、特殊魔法や一般魔法(属性魔法)に分類された。
それほど白魔法という魔法は、唯一無二の特別な存在だった。
しかし、そんな便利で万能な白魔法にも欠点はあった。
白魔法にも治せない類の怪我や病気はあった。
それは即効性のない重複した傷だった。
その傷対しては一度の白魔法の行使では治りきらないというリスクがあった。
どういうことかというと、白魔法にはどうやらひとつの傷に対してだけその効果が働くという制限のようなものがあった。どんな大怪我でも一瞬で治せるが、複数の人体への傷に対しては、同じく白魔法も同じ回数と量の白魔法を掛けなければ治癒に至らなかった。
そして、その白魔法がどのように傷の回数を判定をしているのかというと、それは時間だった。
白魔法は新しい傷を治すことはとても得意だが、古い傷に対してはほとんど効力を持たないことは誰もが知っていた。
それは白魔法の傷の回数判定に直結するものであった。
フレイの戦闘剤の副作用もその例に当てはまった。
時間と共に戦闘剤の副作用は効果を強めやがて体を動かせなくなるという症状に至る。
しかし、その間には必ず段階を踏んで身体に症状が現れた。症状の進行度とでもいえばいいのか、戦闘剤にも複数にわたっての副作用の効果があった。
例えば、戦闘剤投与後は、身体は俊敏になおかつパワフルに動くが、その後、戦闘剤は身体にとっては毒に変わる。すると身体は大量の汗や発熱で危険を知らせるようになり、その後吐き気や下痢などで対処しようとする。これが第一段階。そして、第二段階はさらにその毒が身体に残り続けることで、身体を蝕むことで急成長し突然のブラックアウトつまり気絶という症状を引き起こさせた。
そして、戦闘剤の毒はひとしきり体の中で暴れると身体の治癒能力に負けておとなしくなり、体外に排泄されるという流れがあった。
つまり、戦闘剤の副作用のような、ある意味での毒物には、症状を引き起こす進行度があった。
そのため白魔法の一度の行使では、この進行度のある怪我や病気に対しては効果が薄かった。
白魔法の行使の感覚として、戦闘剤の副作用で例を挙げるとすれば、初期の第一段階であれば二十回の白魔法の行使で済み、優秀なら四、五回とのことで、第二段階までになると、最低でも四十回以上の白魔法の行使が必要だと白魔導士を扱う者から聞いたことがあった。
そのように、ならば複数回連続で白魔法を使えばいいと思うかもしれない。
しかし、白魔法にはさらにその治癒したい傷に対して見合った量の魔力を込めなければ完治しないという条件があった。
これはまさに白魔導士の中にも優劣がある理由でもあった。
優秀な白魔導士はどんな傷でも一瞬で治すが、実力不足の白魔導士では同じ傷でも時間が掛り、魔力が足りないと逆に白魔導士がマナ切れで倒れてしまった。
フレイが多分寝ている間に白魔法を掛けてもらったのに体が動かないのは、白魔法が戦闘剤の副作用に対して適正な回数働いていないからであった。
これは毒などもそうだが、毒に侵された直後であれば白魔法はとても有効な手段として役立つのだが、遅効性の穏やかな毒となると何百、何千あるいは何万、何十万回という途方もない傷の判定となりいくら白魔法を掛けても完治は難しかった。
そして、白魔法にもまた副作用があり、眠気を誘うのは白魔法の負荷であるからであり、あまりにも強力な白魔法を重複して病人に掛けてしまうと、その負荷だけで体がもたずに力尽きてしまうということにもなりかねなかった。
白魔法はあらゆる即効性のある怪我や病気に対して効果があるため、軍事面や護衛面もちろん医療の現場でも大いに役立っていたが、病気の症状が進行した患者を扱う末期の医療棟などに白魔導士がいないのにはそういった意味があった。
誰もかれも白魔法で救えるわけではなかった。
ということで、フレイの身体も当分ここから動けないことが確定してしまった。
戦闘剤の副作用、つまり毒の判定はすでに時間の経過から何百という数になっているのだろう。自然治癒すればその傷の判定も減るため白魔法の効きが良くなるため、ここは白魔法で回復してもらうよりは、三日ほど安静にしておいた方が無難だった。
「ところでなんでお前がここにいるんだ?」
「君と少し話がしたくてね、看病次いでにここで待たせてもらってたんだ」
「そうかよ…」
「それで話せるかな?」
彼が椅子に座り直すと、フレイが起き上がるのを待ったのだろう。そこで言ってやった。
「残念ながら、私の身体はいま全く動かないから、このままで話す」
フレイは天井を見上げながら言った。
「そっか、それならそのままでいいよ」
男はフレイの顔が見える位置に椅子を動かした。
『くそ、むかつく野郎だ…なにからなにまで気に食わない……』
こんな得体の知れない顔を隠した、自分たちの主を弄ぶ男と口など一切聞きたくなかったが、こいつを殺すためにも情報収集は必要だった。特にこいつの弱点となる情報を引き出すことが先決だった。多分武力では勝てないと先の戦いで分からされていたからだ。だが、殺すだけならやり方はいくらでもある。まさに毒殺から色仕掛けどんな手段を使ってもフレイはこの男を抹殺することを心に決めていた。
「でなんだ?私に話したいことって」
「君が私を襲った本当の理由について」
「はあ?」
「私にはちょっとした心当たりがあるんだ、私の話に付き合ってくれるかい?」
男のその口ぶりからきっと黒いベールの奥は自信満々に笑っていたのだろう。
本当に気持ち悪かった。
『ぜってえ、殺してやる…』
「ああ、いいぞ、言ってみろ」
そう言うと彼は話始めた。