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焼かれる脳

 目覚めることに抵抗があった。

 夢から覚めることが柄にもなく怖かった。いや、むしろ大人になるほど現実が恐ろしくなっていくことは必然なのかもしれない。子供の時はこの世の汚い部分が見えなかったから、無邪気に笑うことだってできた。

 今はどうかと聞かれたら、きっと心のそこから笑えてはいない。

 追いかけるばかりで満たされない日々が続いているからだろう。人が求めるものはいつも手の届かないところにあって、それは一生をかけても届かないものだったりする。


 そうだ、思い出した。


 思い出したくもないことを思い出した。

 目が覚めたらその現実に向き合わなきゃいけない。

 愛する人が無邪気に笑う姿を見てしまった以上、私はその現実を受け入れなきゃいけない。

 というより、そもそも、私は死んだのだろうか?


 何もかも分からないまま、瞼の上に温度を感じた。


 差し込んで来た眩しい日差しで、私は目を覚ました。


 ***


 フレイ・オリスカが目を覚ますとそこには見知らぬ天井が広がっていた。


 立派なベットに体が沈んでいた。目覚めは悪く気だるかった。身体が重く思うように四肢を動かすことができず、しばらく目を開いたまま天井を見つめていた。


『あれ、私、どうなったんだっけ?確か、あの黒い男を殺そうとして…』


 ようやく意識に体の動きが反応し始めたのか、フレイはゆっくりと身体を起こすことができた。


『それにしてもここはどこなのかしら…?』


 フレイが周囲を見渡した時だった。


「あら、起きたのね」


 自分以外の声がした。


「体調はどう?」


 首をベットの窓際に向けると、そこには一人の女性が椅子に腰かけていた。


「どこも痛くない?」


「ここはまだ夢の中ですか?」


「大丈夫そうなら良かったわ」


 そう言うと彼女はすぐに立ち上がった。


「待って下さい」


「何?」


「どうしてルナ様が私と一緒に居るんですか?」


 そこにいたのはまごうことなきルナ・ホーテン・イグニカ本人だった。目覚めの朝がこれほど幸せに満ちたことはなかった。目覚めて愛する人が傍にいる。これがどれほど素晴らしいことか今フレイはその身で感じていた。


「それにはいろいろ説明が必要なの、だからあなたの元気が戻ったのなら話しをするけど、どうかしら?」


 フレイは奇跡が起きていると思っていた。今、自分が彼女と当たり前のように会話をしていることに驚きが隠せなかった。開いた口が塞がらなかった。


「ねえ、聞いてるの?」


「あ、はい!えっと、まだ、その、少し寝ぼけているのでお話があるなら少し時間が経ってからでもよろしいでしょうか?そのまだ頭がぼやぼやしてて…」


 緊張でところどころ声が裏返ってしまったが意思疎通が取れただけで嬉しかった。憧れの人が自分のことを気に掛けていることが何より嬉しかった。


「構わないわ、それじゃ、私はいくから、だいたい何分後に来ればいいかしら?」


 心の準備が必要だったのでフレイは一時間後と言った。ルナはそれだけ聞くと部屋からすぐに出て行ってしまった。


 心臓の鼓動が聞こえていたのではないかと思うほどバクバクとフレイの中心で脈打っていた。


「とんでもないことが起きてる…」


 フレイはこの日の出来事を忘れないように深く記憶に焼き付けるため何度も先ほどのルナの言葉を繰り返し心の中で暗唱していた。


 しかし、フレイが舞い上がるのも束の間の出来事だった。


 一時間後、フレイがまだベットの上で鳴り止まない鼓動と共に舞い上がっているところに、部屋の扉が開いた。


 ルナがもう一度自分の元に会いに来てくれただけで呼吸が止まりそうで嬉しさのあまり笑顔が込み上げて来てしまいそうだったが、ただ、その後に入ってきた人物を見た瞬間にフレイの顔は一瞬で凍り付いていた。


 黒いベールを被った黒衣の人間が部屋に姿を現した。


 フレイの視線はその黒いベールの男に釘付けだった。


 ルナとその黒いベールの男は、フレイのベットの隣にあった椅子に座った。


「具合はどうなの?」


「大丈夫です」


 ルナからの心配はなにより嬉しかったが、それより隣にいる男の存在が許せなかった。フレイは返事をしたが視線は黒いベールの男から離れなかった。

 そして、その訝しい視線にルナが気づいたのか、彼女が話を進めた。


「彼から話があるから聞きなさい」


「はい…」


 不服ではあったが、ルナから言われたのであればフレイは耳を貸すしかなかった。


「まずひとつ君は誰かに雇われて私を襲撃したのかな?」


「雇われたとはどういう意味ですか?」


 フレイがそう言うとルナが横から口を挟んだ。


「聞かれたことだけ答えなさい」


「あ、申し訳ございません…」


 フレイは黒いベールの男に向き直って言った。


「私は誰にも雇われていません。私はこのホーテン家のロイヤルガードの隊員です」


「ロイヤルガードは、スイゼン隊長が指揮するホーテン家のボディーガードだよね?」


「はい、ロイヤルガードはホーテン家の方々の護衛が主な役目で、私はルナ様を担当させてもらっています」


 フレイはルナの担当で実際にそうだった。しかし、ルナ自身がそもそも護衛を付けることを頑なに拒んでいたため、フレイが彼女の傍に居られることはほんのわずかであった。


「ふーん、じゃあ、君はスイゼン隊長の命令で俺を襲うように指示されたわけだ」


「違います」


「じゃあ、ルナか?」


「なッ!」


 そこでルナが勢いよく椅子を倒して立ち上がった。フレイは彼女がそんな感情的に動揺する姿を見るのは初めてだった。


「そ、そんなわけないでしょ、なんで私があなたを襲うように指示をしなきゃいけないのよ!」


「だって、スイゼン隊長じゃなきゃあと繋がりがあるのはルナでしょ、彼女は君の護衛で、それに君はここのトップだ。彼女にだって簡単に命令を下せる、ほら」


「ちが、ねえ、ここに来てから私ずっとあなたの傍にいたでしょ!証人はあなたよ、ていうかそんな意地悪言わないでよ、もう」


 ルナが黒いベールの男の肩を揺さ振っては必死に訴えかけていた。フレイからしたらもうその光景を見ただけで、ルナとそこにいる黒いベールの男の仲の深さがうかがえた。それはあのギゼラ・メローアよりも親しい仲のようにみえた。それも男女の関係だ。


 そして、次の瞬間にはとんでもない光景がフレイの前に訪れた。


「ごめん、別にからかったわけじゃなく、そういう可能性もあるよねって思っただけ」


 黒いベールの男が詰め寄るルナの頭をまるで子供をあやすように撫でまわしていた。


「そんなの絶対にありえないよ、あなたを殺さなくちゃならないなら必ず私は自分の手でやるもん」


「それはいいね」


「へへ、でしょ?」


 ルナが座っている彼の膝に頭を乗せては上目遣いで見上げる。彼はそんな彼女を愛猫のように撫で続けていた。


「まあ、そうなったら返り討ちにするけどね」


「私を殺すってこと?」


「場合によってはね」


「でも、そっか、あなたに殺されるって思うと私、なんだか凄いぞくぞくする。なんでだろう…あっそうだ、いまちょっとここで私のこと殺してみない?」


「それは絶対、嫌」


「えーどうしてよ」


 フレイそっちのけで始まった物騒な二人ののろけたやり取りに頭の理解が追い付かなかった。何やら二人はもうすっかり信頼関係が出来上がっている様子で、フレイが入る隙は少しも無いように思えた。見たくもない光景に脳が崩壊してしまいそうだった。

 ルナ・ホーテン・イグニカという圧倒的カリスマを持ったホーテン家のトップが、悪い男に簡単に転がされるちょろい女の子になって居るのが見るに耐えられなかった。


「あの…」


 もうやめて欲しくてフレイは自分がここに居ることを主張する。

 愛する人の前で嫉妬の炎を燃やしたところでみじめな気持ちになるだけだった。それに最悪なことに惚れ込んでいるのは見たらわかる通りルナの方だった。それはフレイの絶望をより深いものにしていた。


「ああ、ごめんまだ何にも話が進んでなかったね、まあ、端的に言うとなんで君は私を殺しに来たのか知りたかったんだ。最初はドミナスっていう組織の刺客だと思ったんだけど、ルナが君を知っていてね」


「え…」


 フレイがルナの方を見た。ルナが自分のことを覚えていたことをフレイは心の底から嬉しかった。


「それで、君はどうして私を狙ったのかな?」


 ここは少し嘘と真実を交えて答えることにした。


「そんなの決まっています。敷地内に正体不明の黒いベールの男がひとりで歩いていたらホーテン家の秩序安定のため殺します。私たちロイヤルガードはホーテン家の敷地内の安全も任されているんです」


「なるほど、そうか、君は自分の任務を全うしたということなんだね」


「はい、怪しいものは処分するそれだけです」


「あの、遠距離から攻撃して来た者も君の仲間なんだね?」


「シャルド・オージャック、彼もロイヤルガードの隊員です。二人で巡回中でした」


 二人で巡回していたのは嘘だった。仲の悪い彼とフレイがチームを組むはずがなかった。だが、ここでは何となく彼のこともかばっておいた方が話がややこしくならないような気がした。

 それにもしも二人がこの仲睦まじい状態でシャルドに会いに行けば、彼は発狂せずにはいられないだろう。フレイでさえ、このルナとこの男の関係に今にも発狂しそうなのに、気持ちの悪いほどの執着心の強い彼にこの光景は耐えられないだろう。


「そっか、それじゃあやっぱり悪いのは私の方だったんだね。すまなかった、ただ今後は私のことを襲わないで欲しい。そして、周りの人間にも伝えてもらえると助かるよ」


「承知しました、そう、ロイヤルガードの者たちには私から伝えておきます…」


 平然を装ってそう答えた。

 だが、フレイは彼の存在の全てに腹が立っていた。

 どこか素性を隠した口調と声質。

 彼が男ということ。

 彼の得体の知れない強さ。

 人間味のある対応。


 そして何より許せないのが彼が、あのルナ・ホーテン・イグニカをまるで子猫のように扱っているところだ。

 そして、悲しいことに彼女もそれで納得しているところが、フレイの傷口をより酷く抉っていた。


『不快だ。この男のすべてが私には不快だ』


 彼の全てが不快だった。


 ルナとまるで恋人のように接している。

 彼女の隣に立てる彼が、自分の欲しいものを欲しいままに扱っているその感じが許せなかった。


 フレイはそこで意を決して尋ねることにした。


「あの、名前は、シアード様であってますか?」


「ええ、シアードでいいですよ」


 シアードという名前。だが、フレイはルナが彼のことを【ハル】と呼んでいるところをすでに知っていた。しかし、そのことはまだここでは控えておくことにした。


「それでは、シアード様ひとつ質問してもよろしいでしょうか?」


「どうぞ、答えられることなら」


 その答え方からやはり、彼は秘密裏な存在であることがうかがえた。しかし、そんなことより、フレイは率直に聞きたかったことを質問した。


「あなた様はルナ様とどういったご関係なのですか?」


 あまり聞きたくなかったが、二人の関係がどこまで言っているのか確かめておきたかった。それによって今後の自分の動き方は変っていくのだから。


 だが、その時シアードが答えるより早くルナが顔をあげてフレイを見て言った。


「彼は私の夫よ」


 フレイの脳内が一気に爆ぜると後には何も残らない空白の空っぽになってしまった。


 何も考えられず、何をすればいいのか分からず、何もする気が起きず、やがて、フレイの視界は真っ白になった後黒に染まっていった。


「あら、どうしたの?」


 ルナが呼びかけるが、ベットの上のフレイが彼女に応えることはなかった。


 ハルが立ち上がり彼女の傍に行き、彼女の顔の前で軽く指を鳴らした。


「気絶してる」


 どんな劇薬にも耐えられるフレイだったが、愛した人から告げられた真実は、心と脳を粉々に破壊した。



 ハルがそんな気絶した彼女のことをじっと悩ましく見つめていた。


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