気分は悪いがそこまでじゃない
ワイトはルナから紹介されたシアードという男を自分の仕事部屋に招待した。
彼の仕事部屋はホーテン家の本館の方の二階にあった。ブラックボックスと隣接している本館は、短い渡り廊下で各階繋がっており移動はスムーズだった。
短い渡り廊下を本館の方に抜けると、十字路の廊下があり、そこを左に曲がりすぐ近くにあった扉をあけると彼の部屋があった。
紙の束と周囲を囲む本棚。その本棚にもぎゅうぎゅうに敷き詰められた資料たち、なかなかの圧迫感に息が詰まりそうだが、ここはワイトの一番落ち着ける場所でもあった。
誰にも邪魔せずに情報を取り扱えることは、自分の性に合っていた。
『それにしても、変な任務を押し付けられたものだ…』
背後には黒いベールに身を包んだあからさまに怪しい男がいた。
「すみません、散らかっていますが、今、椅子を持ってきますので待っていてください」
「お気になさらず、椅子なら自分で用意しますからいいですよ」
一瞬彼の言ったことが分からなかったが、彼の足元から湧き上がるように黒い触手が現れると彼が何もないところに座るのに合わせてその触手が椅子の形に絡まり合った。
「ちょっと見た目は悪いですが、座り心地がいいんです」
「そうですか…」
不思議な魔法を使うなと思いながらも、こう見えても裏社会の情報を取り扱っていた自分も様々な魔法を見聞きしていた。そのため、彼の魔法に対してもあまり驚くことも無く話を進めることができた。
「ところで、シアード様はどのような情報をお求めなのですか?」
正直、彼の立場がどれくらいのものなのか分からなかった。一度、ルナ様と親し気に廊下を歩いているところは見かけた。その時、同じような黒いベールの男はハルと呼ばれていたが、このシアード様と呼ばれている人物と同一人物である可能性は高かった。しかし、一度も顔を見れなかったため、絶対とは断言できなかった。
ただ、ルナ様に関わるお方なら無礼のないように接することが一番無難だった。
「そうですね、まずはホーテン家の国内での立ち位置を大体でいいので教えて欲しいです」
「承知しました」
ワイトは彼のこのホーテン家の運営の仕方について説明した。
「ホーテン家は基本的に、レイド王国の王家であるハドー家の下に位置した立場にあります。なので命令があればハドー家の意向に従うことがこのホーテン家にいる者たちの責務ではあるのですが、それは形式上のもので、ホーテン家はすでに独立した機関としてこのレイド王国を独自に支えています」
「それはなんていうか、ハドー家や貴族たちから反感を買ってそうですけどね」
その考えにはワイトもその通りだと個人的にも思っていたが、現実は違った。
「それがそうでもないんです。ホーテン家と表社会の連中は、かなりそりが合っています」
「へえ、以外ですね、案外バチバチしてると思ったんですけど」
シアードが意外そうな声をあげる。
「ええ、そう思うでしょうね。ですが、これはたぶんですが、ルナ様のおかげかと思います…」
「というと?」
あまり自信はなかったがワイトがこの国がとても円滑に回っている理由の一つを上げるとすればそれはルナの存在が極めて大きい気がした。
「それはおそらくなのですが、ルナ様には、表社会での地位にあまりこだわりがないからだと思っています。ホーテン家のトップである彼女ならこの国の女王になることだって容易なはずです。それなのに彼女はまったく表社会に干渉しようとせず、つねに裏方に徹してきました。ハドー家に対しても敬意を払っているというよりかは、無関心に近いのですが、とにかく、ルナ様が表の彼らに対して何かを要求したことはありません。彼女はただひたすらこの国のために尽くしている素晴らしいお方です」
彼女の強さを尊敬していた。彼女の鬼神の如き強さで国を守っていく強さに惹かれ、この自分の仕事部屋に送られてくる報告書からいつも彼女の活躍に心躍らせていた。もちろん、強いうえに美しいという彼女の美貌にも酔心していたが、これでも身の程はわきまえていた。たかが、一情報局の職員である自身が、手を出せる領域の女性ではなかった。
ただ、そう思うと彼女と親し気に話せる目の前の彼は一体どれほど凄い人物なのか少しだけ興味が湧いた。
「確かに彼女はそういう権力とかには興味なさそうだ…」
彼の声がどこか遠慮気味に響く、まるでその黒いベールの奥の顔が引きつっているかのようだった。
「三大貴族のうち二つの家の、シャーリー家、パルフェ家、この両家はどちらもホーテン家と深い関わりがあるので、まあ、それも関係していると言えますね」
「シャーリー家はザイード卿で、えっと、パルフェ家は…」
何でも話していいと許可が下りている以上、包み隠さず知っていることを話すつもりでいたので、彼女のことも話すことにした。
「パルフェ家の令嬢である、アリス・パルフェ様がこのホーテン家の部隊に入隊していらっしゃいます」
「ええ!?」
あまりの驚きに彼の座っていた椅子が、彼の驚きに合わせてぞわぞわと激しく蠢く。
「実はアリス様はとても優秀な白魔導士で、現在は〈暗月〉に所属しております」
「初めて知ったっていうか…あ、それなら、ワイトさん」
「はい、なんでしょう?」
「アストルって子はこのホーテン家にいるんですか?」
彼のその声はとても弾んでいた。何というか彼はもっと大人びた人かと思ったが、彼にはまだ子供っぽい部分があるようで、もしかすると年も近いのかもしれないと思った。
「いえ、聞いたことありませんね」
「じゃあ、ジュニアスは?」
「私もそんなに実働部隊の方に知り合いは多くなくて…」
「そうですか…」
あからさまに声のトーンが落ちる彼のがっかりしている表情が顔が見えなくても十分想像できた。
「お力になれなくてすみません」
「いえ、そんな謝らないでください」
「その人たちはシアード様のお知り合いか何かで?」
そう尋ねると彼は何か考えるように短い沈黙の後、言った。
「…ええ、ちょっと前に剣を教えていたので……」
彼の気分が底に落ちるのをその寂しそうな声から感じた。少し力になってあげたいと思った。
「それなら探しましょうか?部隊の名簿があるのですぐに見つけられると思いますが?」
「いや、いいです。きっと厄介なことになるので」
「そうですか…」
彼と彼らに何があったのかは知る由も無かったが、複雑な事情を抱えているのか、彼のことは格好もそうだが、よく分からなかった。
「すみません、話がそれましたね、続きを聞かせてもらってもいいですか?」
「承知しました」
それから彼に続きを話した。
具体的なホーテン家の役割について語った。
「ホーテン家の主な任務は、国内外問わずレイド王国に害をなす犯罪組織などの敵対組織の撲滅と情報収集が基本ですね」
敵を知り有害なら駆除し、無害なら監視あるいは放置してさらに大きな獲物が釣れるのを待つのがここのやり方でもあった。そのため、あえて泳がされている組織も多々あった。その中から本当に優先度が高い、つまりすぐさまレイド王国に害がある敵を殲滅していた。
「レイド王国の治安を維持するために、四つの部隊がそれぞれ役割分担しています。分かりやすいのから行くとブレイド部隊。これは強襲部隊ですね、戦闘担当です。国内外に刺客としてターゲットを殲滅する部隊ですね」
実際にブレイドはこれまで数々の組織を血に染め上げており、優秀な部隊ではあったが、戦闘狂の集まり故、あまり近寄りたくはなかった。
「次が暗月、彼等の部隊はおもに魔法に関する問題が起きた時に対処する部隊ですね、魔法的支援が必要な場合にも彼が他の部隊と一緒に出動してくれます」
暗月魔法のスペシャリストたちが集う部隊。ただし、このホーテン家では表では禁忌とされている魔法でも許可さえ下りれば使用することができるため、探求心の強い魔導士たちが志願する部隊でもあり、生贄にされそうであまり近づきたくなかった。
「インフェルは、いわゆるなんでも屋といえばいいのでしょうか?なにせインフェルだけはこのレイド王国の各地に支部を持っていたりと、人数が多く、部署も多いです。基本的に彼らの中に諜報部隊が編成されていて、国中の情報は彼らがこのホーテン家に集めて来てくれます。さらには戦闘部隊もいたりとこの部隊が一番雑多で融通が利く部隊と言えます。人手が欲しければインフェルからの補充が一番いいでしょう。様々な人材に溢れていますから」
インフェルは、いつも貴重な情報を集める足となってくれるため、とても助かっていた。彼らが命がけで情報を集めて来てくれるからこそ、ホーテン家は影の中長いこと息をすることができていた。それに裏の中でも一番まともな者が多いことがワイトからすれば高評価のポイントだった。他の部隊ではプロはいるが常識人はいない。これがすべてだった。
「最後はロイヤルガードですね、ここはあまり目立った活動はないですね。ホーテン家の人たちの護衛などが主な任務なので仕方ないのですが…」
今のホーテン家の人間を知る者は少ない。初代剣聖のレイ・ホーテン彼の名前の方が劇場などで有名ではあるが、その子孫たちが今も脈々と受け継がれていることは知られていない。
「ただ、彼等が全四部隊の中で一番の実力者集団の集まりと言えるでしょう。特に隊長のスイゼン隊長は噂ではあの今の剣聖のカイ・オルフェリア・レイに匹敵するとか噂されているくらいですから、本当に助けが必要な場合はここに頼るのもありって感じです」
ロイヤルガードは優秀な集団だが、とにかく、出番が少なかった。ただし、彼らはホーテン家の命を守るためならどんな人間も排除することをいとわない、これまたなかなか狂った集団でもあったため、あまり近づきたくはなかった。ここには隠れ狂人が多い。それは質が悪いことだ。
「ちなみにルナ様も当然ロイヤルガードの護衛対象なのですが、彼女は自身への護衛を禁止しています」
「どうしてですか?」
「前におっしゃっていたのですが、彼等に足手纏いだからとはっきり言っていました」
「うわぁ、いいそう…」
「ただ、彼女はいつもどこに行くにもひとりの女性を連れているんです」
そこでルナと一緒にいた彼のためにひとつ豆知識を披露してあげることにした。それはこのホーテン家でも有名な隊員のことだった。
「ああ、知ってるよ、ギゼラさんでしょ?」
「知ってたんですね…」
少しがっかりしたが、彼女と一緒に居るのだから知っていてもおかしくはなかった。
「彼女はどういうわけか唯一あのルナ様と対等に渡り合える人なんです!インフェル所属の普通の隊員なのに彼女すごくないですか?」
熱を入れてそう言うと、彼は少し首を傾げて返した。
「うーん、単純にルナにも友達は必要だったんじゃないかな?」
「な、なるほど……」
友達。それはルナ・ホーテン・イグニカには似つかわしくない言葉のような気がした。彼女は最強でなおかつ孤高の存在として、自分たちのような庶民の手の届かない場所でずっと雲の上の人でいて欲しいそんな気がしていた。
しかし、彼はそんな彼女にも友達がいた方がいいと、あくまで彼女を自分たちと同じ目線で見ていた。それはある意味では凄いことだった。ルナ様が、このホーテン家でどれくらい力があるか?それは彼女が黒と言えば白も黒に変わるほど、その権力は絶大だった。それは力が支配する裏社会で、彼女が一番その力というものを持っていたから、彼女はホーテン家の中でも一番下でありながらも、当主として君臨していた。
「シアード様は、ルナ様とはどういったご関係なのかってお尋ねしてもよろしいのでしょうか?」
今、自分が一番知りたいことは、目の前で黒い触手の椅子に座る彼のことについてだった。
よく考えたら、さっき一緒について来ていたルナ様が、『私も一緒について行っていい?』と、シアード様と自分に同行しようとしていたところを『いや、ここからはひとりがいいから先に部屋に戻ってて』と、彼女の意見を簡単に拒否していた。これは凄いことだった。たぶん、あのギゼラぐらいなのじゃないだろうか?彼女にそうやすやすと意見できるのは、自分ならば怖くて否定できなかっただろう。
しかし、そこで彼の口からとんでもないことを聞かされたワイトは空いた口が塞がらなかった。
「実は、ルナは私の妻なんです」
「え?」
「このことってみんなに知っておいてもらった方がいいのかな?このホーテン家に詳しい貴方にちょっとアドバイスを頂きたいな」
思考が追い付かなかった。
『ルナ様に夫がいた?いつからだ?いつ、そんな噂があった?分からない、そもそも、この男はどこの誰で何者なんだ?』
一切情報のないこの無名の男に、混乱させられると同時に絶望を押し付けられていた。
いわゆるこれはあれだった。学園一の美少女が、他校の知らない男にかっさらわれる、そんなどうしようもない気分だった。
「いやあ…あんまり、そのこと打ち明けない方がいいと思いますよ……」
ほとんど自分の私情が混じったアドバイスをした。
「わかった。たしかにあまり歓迎はされなかったから、それが正解なのかもなぁ…」
事の重大さが分かっていない彼にガツンと言ってやりたかったが、そんな力ぼろぼろになった心では言う元気がなかった。
ルナ・ホーテン・イグニカを妻に取るということは、このホーテン家の跡取りになるということと同義だった。
誰かも知らない無名の男にホーテン家の支配権を継承する。これにはこの裏でも賛同する者は極めて少ないだろう。
「あの、今日のところはここまでよろしいでしょうか…ちょっと気分が良くないみたいで……」
普通に気分が悪くなってきた。酒が恋しくなった。ヤケ酒をしてやりたかった。
ただ、こんな自分勝手な都合で、彼との話し合いを終わらせてもいいのかとも思った。権力の序列だけでいったらもう彼がここのトップでもなんらおかしくはないのに、我ながら大胆なことをしてしまった。
「あぁ、かまいません、急に押しかけてすみませんでした」
「いえ、とんでもない!」
しかし、結果は案外あっさりとしていた。
「それじゃあ、私はこれで失礼します」
そういうと彼は座っていた黒い触手の椅子を自分の手の中に吸収し終えると、すんなりと出口に向かっていった。
そして、彼が部屋を出て行く直前、振り返り言った。
「また来てもいいですか?」
なんだか、その時の彼の言葉はとても緊張しているようにも思え、人間味を感じた。
「ええ、もちろん、また、いつでもお越しになってください」
「助かります」
彼が部屋の外に出て行った。
ひとりになったワイトは引き出しに隠していたボトルとグラスを取り出し、机の上に置いた。
「ルナ様をものにした男か…」
彼の存在の危うさを思いながら、グラスにボトルの中の酒を注いだ。
「なんか、一波乱ありそうだな……」
酒が入ったグラスをワイトは一気に傾け、飲み干した。
「だけど、仲良くなれそうな気もするんだよな…」
ふと未来に彼と楽しそうに話しをする姿が想像できてしまう自分がいた。
「なんでだろうな…」
ワイトは次の酒を呷るのだった。




