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美味しい目玉焼き

 朝の清々しさを台無しにするのは、雑多な物音だと思う。素晴らしい朝に必要なものは、小鳥のさえずりと風の音だけでいい。朝はそれだけでいい。


 けれど、誰かがキッチンで料理をする物音はどこか安心もする。


 それは素敵な朝のはずだ。


 ハルがいたのは〈月桂〉と呼ばれるお屋敷の〈月の間〉と呼ばれる一室だった。リビングのソファーに我が物顔で寝そべり難しい顔をしながら、ずっと紙の束に目を通していた。


「はい、できましたよ、朝食です」


 ソファーに横たわり、資料館から借りて来た資料とにらめっこしている間に、いつのまにか目の前のテーブルには簡単な朝食が並び始めていた。


「ルナが作ってくれたの?」


「ええ、簡単なものしか作れませんが、家庭の味ってやつで許してください」


「ありがとう!」


 料理が乗った皿が次々置かれていく。作った料理の皿を運び終わるとルナがハルの隣に座った。


「何を見てるんですか?」


 ルナがハルが見ていた資料に興味を持つ。


「ここ数年で起こった事件についての資料だよ」


「王族殺しの件についてまだ追ってるんですか?」


「いや、そっちはザイード卿が決着をつけてくれるみたいだったから任せることにした。当日に手伝うだけでいいと思う」


 ハルが調べなければならないことは膨大だった。

 もしかしたら、一日をこのルナと一緒に過ごすより資料館に閉じこもり、芋づる式に連なるレイドで起きた事件の背景を探っていく時間の方が長くなりそうだった。


 今のハルは悪を知ることが何よりも優先事項で、ここでいう悪とはレイドの平穏を脅かす存在に当たった。

 レイドに平和をもたらすことはハルの善意では決してなかった。ハルの第二故郷と言える場所ではあったが、これはいわゆる取引であった。


 国が欲しいのは何よりも安全。

 その安全という商品をハルは国を相手にたったひとりで交渉をかけ取引することができた。

 ザイード卿にも楽園の話を打ち明けた際に、その話を持ち出していた。もとからそのつもりでもあった。

 ハルは国の平和と引き換えに、自分たちだけの土地つまり楽園を建設しようとしている場所にレイド王国直々にその場所を特別危険区域に指定して欲しいと交渉していた。


 そして、その交渉はザイード卿のような表と裏に顔が利く者にしか交渉が難しいことだった。

 特別危険区域の指定も王の権限が無ければ指定することはできなかった。そして、その表社会の頂点である王族に直接意見できるのは、三大貴族、剣聖などの国の中枢にいる有力者たちだけであった。


 ハルならばその日のうちにその実力を示し、レイドの剣聖に返り咲くこともできただろう。しかし、それをしないのにも理由があった。

 それはハルが世を忍び生きるためだった。再びレイドの剣聖として、注目を浴びることなく愛する人たちとひっそりと誰にも邪魔されずに生きようとそう誓ったのだ。


 なぜそんな生き方をしようと誓ったのか?それはハルが自分の中に存在する邪悪さに気づいてしまったことにあった。

 自分の内側には、いつのまにか人間への憎悪が溜まっていた。いつからそんな憎悪を抱いていたのかは分からなかったが、ハルは自分の中に人間を強く恨む悪性のようなものを見てしまった。そのため、今のハルは人という存在を信じることができなくなっていた。

 何かが自分を人への復讐へと狩り立ってていることは間違いなかった。しかし、その何か、つまり復讐するための動機を思い出すことができないため、ハルはこうしていまだに人類に手を掛けることなく生かし続けていた。

 そして、楽園を創造しそんな不安定な自分が彼等から離れて行くことで、自分もみんなも守ろうとしていた。


 だからこそ、ハルは再び歩くことになったこのレイドでの道を、裏社会という影が落ちる暗い道に決めていた。

 そっちの方が光を浴びるよりも今のハルからすればずっと好都合だった。


「それにしても、レイドはまだ抱えてる事件が多いね」


「まあ、そりゃあ大国ですから、解決すべきことは山ほどあります。ただこれでも私頑張ったほうなんですよ、裏でやりたい放題していた犯罪組織をこの五年間で片っ端から潰していったんですから」


「ルナの活躍は凄かったみたいだね、そっちの資料に記録が載ってたよ」


 ハルが視線をテーブルに置いてあった資料に向けると、ルナがその資料を手に取った。


「全部、あなたのためにやったって言いたいんですけど、私は、ハルのいるこの国が少しでも平和であるようにって、たくさん殺しました」


 ハルが資料から顔を上げると、ルナは彼女の華々しくも血塗られた功績の数々が載っていた資料のページをめくっていた。そのページをめくる彼女表情はどこか後悔しているようなとにかくこんな自分なんか認めたくないといった軽蔑した目で見ていた。

 これがいままで自分がやってきたことなのか?と、彼女がそう胸を張って言えるようなことじゃないこともハルはわかっていた。


 だからこそハルは彼女に伝えた。


「ありがとう、ルナ。君のおかげでレイドはずっと犯罪の少ない国になったと思う。俺が五年前ここに来てから今まで平穏に過ごせたのもルナのおかげだ。感謝してる」


「別に私だけの力じゃないですけど、そう言ってもらえると私も嬉しいです。それにいままで頑張って来たかいもあったってもんですね」


 ルナの顔にも笑顔が戻る。ハルは別に彼女のやって来たことの全てが正しいと認めたわけではなかった。彼女は影の英雄ではあるが、見方によれば大量殺人鬼でもあった。

 けれど、多くの人々の幸せの裏には彼女のような犠牲があって初めて成り立つこともこの世の中にはたくさんあった。

 今日も明日も笑っていられる世界があること、それは実はとても難しいことであることは、この大陸の過去の歴史を振り返れば容易にわかることではあった。


 だから、なのかもしれない、ハルもまたルナという女性にも今日も明日も笑顔で居られるような居場所を作ってあげたい、そのために自分が犠牲を払うことに躊躇はなくなっていた。


 自分の幸せになって欲しい人が、幸せでいて欲しい。


 それだけでよかった。


「ルナには、もう、こういう資料はいらないのかもしれないね…」


 そう言うとハルは彼女が眺めていた資料を手に取って、自分のも含めてソファーの横にあったサイドテーブルに放り投げた。


「どういうことですか?」


「俺がルナの代わりを引き継ぐからさ…」


 それはハルが裏社会の血なまぐさい殺しをすべて引き受けることを意味していた。


「だから、ルナはこうしてただ俺と一緒に幸せに暮らす、なんてどうかな?それも悪くないんじゃない?」


 ルナの目が一瞬希望に満ち溢れるがすぐにその輝きは失せ、自信なさげにうつむくと彼女は呟いた。


「私から殺しをとったら何もなくなりますよ…」


 ハルはそこで目の前に並べられた朝食のひとつに手を付けると言った。


「でも、この目玉焼き美味しいよ?」


 勢いよく顔を上げてこちらを向いた彼女と、朝食を頬張っていたハルの目が合う。


 今にも泣きだしそうな顔をしたルナがそこにはいた。

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