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絶望を焼き付ける闇のベール

 朝のランニングを終えるひとりの女性がいた。

 白い息を吐き、熱を帯びた体はいまだ高ぶっていた。

 ぐっしょりと汗で濡れた服の隙間から入りこんでくる冬の冷たい風が気持ちよく、服の胸元を軽く掴んで、パタパタとなかなかある自分の胸の中に涼しい風を送り込む。


 フレイ・オリスカそれが彼女の名前だった。

 雪のように真っ白い髪は、いまもまばらに降っている雪を連想させた。


 朝のランニングは日課だった。走ることはもともと好きで、距離を伸ばせば伸ばすほど、身体の中に疲れがたまり自分と戦いになる。負けず嫌いのフレイにとって常に張り合いのある敵が身近にいることは好都合だった。

 毎朝、どれだけ速く遠くにそして自分を疲労倒せるか競っていた。


 そんな彼女がスタート地点にし、ゴールにしている場所がこの【月桂(げっけい)】と呼ばれるお屋敷だった。


 何を隠そうそのお屋敷はフレイの想い人ルナ・ホーテン・イグニカが住む場所だった。


 何かの間違いで一緒に走ることになったり、あるいは走り終わった後に偶然声を掛けてもらうことを期待してのことなのは、誰にも言っていない。


 ただ幸運なことに屋敷の前には横長のベンチがあり、これを利用することでやましいことがないという免罪符を手に入れることができた。

 私はただ走り終わった後、ここで休憩しているだけですよと、汗だくの身体で座っていれば誰も疑いはしない。


 作戦は完璧だ。


『ルナ様は朝にだって任務で外出することがある。この場所は一番ルナ様の姿を見れるところ、それも結構私服だったり無防備なところも見られるってわけ、本当は中に入りたいけど、ロイヤルガードでも月桂は立ち入り禁止だからなぁ…』


 ロイヤルガードというホーテン家直属の護衛部隊でも、ルナの住まいはルナ自身の命令によって立ち入り禁止だった。

 そのため、フレイは数メートル離れたベンチに座って、そのお屋敷を眺めることしかできなかった。建物の傍でじろじろ中を除き込んでいるところが見つかったら間違いなく殺されてしまう。


「顔をだけでも見れないかな…」


 ルナの姿を一目見ようといつものようにベンチに座っている時だった。


 バン!!と突然、屋敷の正面玄関の扉が勢いよく開かれた。


 驚いたことにほぼ寝巻き姿のルナが、裸足のまま飛び出して来ていた。


『はぁ!?ちょっと待って、寝巻き姿!?超レアなんですけど!!ていうか、なんでそんな恰好で外に!!?』


 思わず立ち上がったフレイだったが、声は出なかった。というよりも自ら声を掛けることなんて任務以外では絶対にできなかった。


「………あっ………」


 そこで自分がロイヤルガードだということを思い出す。


『そうだ私、ホーテン家の人間を命懸けで守るロイヤルガードだったじゃん!!でかしたぞ、私!!』


 走っていくルナの姿を追いかけようとした時だった。


 フレイの視線の先、つまり、ルナが走っていくその先に、目を疑うような人物が立っていた。


「なに…あれ……」


 全身を真っ黒いベールに身を包んだまるで亡霊のようなその姿は、およそ人間のようには見えなかった。


「人なの?」


 なにやら得体の知れない不気味さを放っているその黒いベールの人間に、ルナが一直線に駆けて行く。


「危なッ…!!」


 そう声を掛けようとした時、フレイの頭の中に最近聞いた噂話が思い出された。


 それはフレイがちょうど食堂でひとりで飯を食べている時だった。近くにいた非戦闘員の女性たちのグループの会話を耳に挟んでいた。


『ルナ様に婚約者がいるって話、知ってる?』


『え、知らない』


『なんか最近噂になってるらしいよ』


 賑やかな食堂の中、フレイの耳はその噂話をする女グループの声だけを拾い始める。


『でも、ルナ様って孤高な感じでそもそも、男を寄せ付けるような人じゃないと思うんだけど…』


『まあそうね、ルナ様、ここ数年ずっと多忙でお城の方にずっと行ってるみたいだったし』


『あれじゃないかしら、王都のパーティーとかで素敵な殿方を捕まえたとか』


『たしかに、それだったら、何回もお城に顔を出していたのも納得できるかも』


『ルナ様のパートナーってどんな感じの人なんだろう?』


『多分どこぞの王子様よ』


『いや、それは夢見すぎだよ、裏社会の人間が結ばれていいのは裏社会にいる人とだけだよ、そうじゃなきゃ、表社会にでるなら裏社会は引退しなきゃ』


『じゃあ、まだ交際中で一番熱い時期なのかも』


『ルナ様、お綺麗だからなぁ…ああ、クソみたいな男だったら私が一発殴りにいってやろうかな?』


『いいわね、私も参加するする』


 気が付けばフレイは食事そっちのけで、その女グループたちの背後に立っていた。


『その話本当か?』


『え?』


 女グループの女たちはみんなフレイの放つ殺気に言葉を詰まらせていた。一言でも言葉を間違えれば死が待っているようなそんな威圧感を常時放っていた。


『詳しく聞かせてくれ、その話』


 フレイはそれからルナに婚約者がいるという噂話を彼女たちから聞きだした。その後すぐに他の者たちにも聞き込みをしたが、その噂話には尾ひれはひれが付き、具体性のあるものは乏しかった。

 中にはみんなを集めてその男がルナを自分の婚約者だと堂々と紹介していたなんて戯言をぬかす奴もおり、目を覚ますためにそいつの顔面を一発殴っておいた。

 そんな奴がいるなら間違いなくこのフレイが殺しているところだった。


『ルナ様は誰のものでもないんだよ…』


 叶わない夢を持っていることはフレイが一番よくわかっていた。だからこそ誰の手にも彼女の純情が染まってしまわないことを強く願っていた。



 ということを思い出したフレイだったが、次の瞬間にはもう信じられない光景がフレイの瞳に映し出されていた。


 ルナその亡霊のような黒いベールの人間に駆け寄ると、彼女はそのままその人間に思いっきり抱き着いていた。


 何かを話している、とっさに魔法で耳の感度をその二人の周辺に当てて、聞き耳を立てた。


「もう、どこに行ってたの、すっごい心配したんだから!!」


 背中までしっかりと腕を回して密着しているルナの涙ぐんだ声はとても印象的だった。彼女の人間味のある感情的な姿を初めて知った気がした。


「どこに行ってたの…」


「資料館」


 黒いベールの人間は、その声から男だということが分かった。


「なんで私に一言かけてくれなかったの?」


「寝てたから、起こしたくなかった」


 平坦な声で男が答える。

 その会話の内容だけで、フレイの中で何かが崩れ去っていく音が聞こえた。


「ハルがどこかに行っちゃったかと思ったじゃん…」


「そういうことね。ごめんね、ルナ、確かに勝手に出て行くのはよくないよね」


 黒いベールの男がルナの頭を平気で撫でる。

 フレイはその光景を何度も瞬きをしながら、ありえないといった様子で見つめていた。


「起きた時傍にハルが居なくて…屋敷中探したのに居なくて……」


「そうだったんだ…」


「私、ハルが傍にいないだけで不安になるの…あなたは急にふらっとどこかに行っちゃうから…」


「………そうだね」


「私はもうあなた無しじゃ生きていけないって分からない?」


「どうすれば許してもらえるかな?」


「しゃがんで」


 ハルと呼ばれた黒いベールの男がルナに言われたとおりに彼女の前で膝をついた。


「これは罰よ」


 そう言ったルナがベール越しに彼の唇を奪うと、彼を逃がさないように頭の後ろに手を回してしばらくその状態を保ったまま固まっていた。


 それと同時にフレイの時間もそのまま固まっていた。


 何が起こっているのかフレイはよく分からない状態だった。


 頭の中がなぜ?どうして?でいっぱいだった。


 ルナがゆっくりと唇を離すと、ハルが言った。


「気は済んだ?」


「済むわけないでしょ、続きは屋敷の中でよ!ほら、早くついて来て!」


 ルナに手を引かれた黒いベールの男が、屋敷の中に入っていった。


 その光景をフレイは遠くから何も言えずにただ黙って眺めていることしかできなかった。


 するとそこにひとりの青年がやって来た。


「あ、おい、フレイ、こっちに黒いベールの男が来なかったか?なんか黒い服で影みたいなやつなんだけど、そいつが本を持っててだな、もしかすると資料館から本を盗んだかもしれないんだ」


 その青年はシャルドだった。彼はずいぶんと慌てた様子であった。


 しかし、それとは反対にフレイはあまりにも落ち着いていた。その落ち着きっぷりは嵐の前の静けさのように、不穏さを孕んでいた。


「お前、知ってるのか?さっきの奴のこと」


 静かな海のような声。そこには確かに激情が渦巻いていたが、しかしそれはまだ海面に現れることはなかった。


「さっきの奴って?」


「ちょうどいい、お前にもいまここで何があったか教えてやるよ」


 フレイの目だけは完全に怒りで狂っていたが感情と声の抑揚だけは一定の境界をなぞるように制御されていた。


「絶望をな…」


 絶望に染まった殺意が二つに増えることはそう遠い話ではなかった。

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