お願いよ
ルナが談話室の外で待っていると、話し合いを終えたのかハルがひとり部屋の外に出て来た。
「お待たせ」
「ハル!じゃなくて、シアード様、お疲れ様です!」
慌てて言い直したルナはすぐさま彼の元に駆け寄った。
「遅くなってごめんね…」
「いえ、そんなことないですよ」
と言いながらも時間はかなり経っており時期に夕暮れ時だった。冬の夜は足が早い。油断しているとすぐに辺りは闇に覆われる。
「それと、お聞きしてもいいですよね…」
「うん、大丈夫分かってるよ。ちゃんと話すから、帰りながらにしよう」
ハルが脇に抱えていた兜を被り素顔を隠した。それを残念に思いながらもルナも兜をかぶり全身を鎧で覆い隠した。
「そういえばギゼラさんは?」
「ギゼラは先に帰しました。用事を思い出したって言ってたので」
「そっか、それならいいんだけど」
「ギゼラに何か用がありましたか?」
「いや、別に彼女にも話しておこうかなと思っただけ、今話してきたこと」
「………」
ルナはそこでハルの空いていた手を握った。彼の手を握ることで少しでも自分から気持ちが離れていないか確認しておきたかった。ルナにとってこうして隣に居られること自体が奇跡だった。それを失ってしまうかもしれない恐怖が常に彼の顔色をうかがうという行動に出てしまうのかもしれない。自分の気持ちが受け入れられなかったらどうしよう。もしも嫌われてしまったら?ルナは彼に愛されているという確信が欲しかった。なんなら都度顔を合わせるたびに愛を伝えたいし愛を伝えて欲しかった。それが現実的ではないことも分かっていながらも、触れる手のぬくもりにさえ答えを求めてしまう。
それでも握られた手を自然と握り返してくれていることで、ようやく、その発作のような暗い感情は水面下に沈んでいく。心の荒波が静まり返っていく。
「ギゼラになんて話さなくていいですよ。だってその話って大事なことなんですよね?」
「大事なことだけど、知っておいた方がいいというか、まあ後でもいいか、別に今すぐどうこうの話じゃなくて後の話だし」
「でも、私には教えてくれるんですよね?」
「教えるよ、だから今日はもう帰ろう」
繋いだ手のぬくもりを確かめながらルナはハルとザイード卿の住むシャーリー家の屋敷を後にした。
***
レイド王国の王城ノヴァ・グローリアの城門を顔パスで潜り抜ける。馬にまたがったハルとルナの視界には、夜を迎える支度をする王都の街並みが広がっていた。日はまだ落ちきってはおらず、辺りはまだ馬を安全に走らせるだけの明るさを確保していた。
門を出たルナとハルはゆっくりと除雪がされた王都の坂道を下っていく。
地面に積もっているはずの雪がすっかりこの坂道だけなくなっているのは、魔導士の炎魔法によるものなのだろう。火力の高い魔導士は、シャベルなどの器具を使う必要もなく、魔法ひとつで除雪をしてしまう。そのため、坂道の塩梅は良好で、馬たちの足並みも大胆で軽い。
ハルとルナは日が暮れる前にホーテン家に戻ることができた。
ホーテン家の敷地に入ると馬を預け、二人はルナが貸し切っているお屋敷に直行し帰宅した。
ルナの部屋であった【月の間】の部屋に二人が帰って来ると、さっそく帰宅後の身支度をある程度終わらせてから、ルナが暖炉に火を灯し、ハルを部屋のソファーに座らせ、彼のために飲み物を作って持ってくると、ルナも彼の隣に座り話を聞く体勢を整えた。
「はい、これココア寒い日にはいいでしょ?」
「ありがとう」
ルナはハルの隣で暖炉の日を眺めながらココアを一口飲んだ。程よい甘さが舌に溶ける。
「それで、お聞きしてもよろしいですか?ハルがザイード卿と何を話していたのか?」
ルナは二人が何を話していたのか聞きたくてたまらなかった。それがハルにとって重要そうなことは何となくわかっていたが、ルナには彼の考えていることに全く見当がつかず興味もあると同時に少し恐れもしていた。その話の内容が自分を遠ざける類のものではないか、そんな不安が頭をよぎっていた。
『何について話してたんだろう…ザイード卿についてハルが話しておきたいことってなんだろう…私には言えないこと?あれ、でも、それだったらわざわざ私に教えるなんて言わないか…え、本当になんだろう……』
ルナが前もって二人が話したであろう会話の内容を想像しようとしたが、全く何も思いつかず彼の言葉を待つことにした。
「その前にさ、ルナにひとつ聞いておきたいんだけどいい?」
「なんでしょうか…?」
不安げな声で答える。
「ルナは俺のことどう思ってる?」
「好きです」
ルナは即答した。一切のおふざけ無しで間髪入れずに答えた。自分が常にどれだけハルのことを思っているのか知って欲しかった。聞かれれば即答するほど好きだと、好意が伝わって欲しかった。
「大好きです。ハルも分かっているとは思いますが、私はハルのことが、それは、それは大好きで、日頃から常に思っていることです。私からハルを取ったら何もないくらい貴方に夢中で、私はあなた以外の人間が人とは思えないほど好きで、なんていうか、もう、これ以上言葉では好きと言い表せないほど大好きで…えっと、ええっとですね……」
「ありがとう、もういいよ。そこまで言ってもらえると照れるし、嬉しいよ」
「あの、まだ言い足りないくらいで…」
ルナが隣にあったハルの腕を抱きしめる。
「ルナは俺がいないとダメ?」
「はい、ダメです。もうハルのいない生活なんて考えられません…」
「そっか、じゃあ、ルナは俺とならどこへでもついて来てくれる?」
「ええ、もちろんです。ハルがいる場所にならどこへでもついて行きます」
ルナの視線の先には暖炉の炎を見つめるハルの姿があった。彼の黒い瞳に暖炉の炎が映っていた。
「じゃあ、もしもこのホーテン家に一生戻ってこれないとしたらどうする?それでも俺の傍がいい?」
「そんなの比べるまでもありません。こんな掃き溜めみたいなところに比べたら絶対にどんな場所でもあなたの傍にいます。というか、その…私は、あなたの妻なんですよ。好きなだけどこへでも連れまわしてくださいよ、もう、夫婦なんですから…」
縋るようにルナが言うと、ハルは静かに暖炉の火を見つめながら微笑みを浮かべた。
「ルナはきっと変わってるんだと思う」
「え?」
「ごめん、なんでもない。だけどそれは俺もそうだから気にしないで、俺もルナもいい意味でどこかおかしいのかもしれないね…」
「どういうことですか…」
ルナは息を呑んだ。何か自分が間違ってしまったのかと思った。しかし、ハルがルナに向ける優しい笑顔がその答えも秘密のままに話を進めた。
「ザイード卿と話したことルナにも話すね」
「あ、はい!」
身構えるルナとは違いハルはリラックスしながら肩の力を抜いて語る。
「俺には叶えなきゃいけない人生の目標があって、それは俺の愛する人たちだけが暮らす楽園を創ることなんだけど、なんていうか、少しバカげてるよね?」
自虐的に笑うハルにルナは首を振った。
『愛する人たちとの…楽園……』
そこに自分が入っているのかとても不安になったルナだったがハルは続ける。
「その楽園は外界との干渉がない場所にしたいと思ってるんだ。例を挙げるなら、エルフの故郷とかがイメージに近いかな?」
エルフの故郷は現在もっとも行くことが難しいとされているエルフの森の中にある。エルフたちが築き上げた国のことだった。確かにあそこはほとんど外との関りがなく独立していた。
「だけど俺はもっと、他の人が絶対に入ってこれないし、干渉できないような完全に独立した場所にしたいと思ったんだ。だって、エルフの故郷は行こうと思えば行けるでしょ?」
「ええ、あそこはスフィア王国から許可をもらえれば入国はできますね」
「そう、だから、俺は自分の楽園を築いた土地を禁足地つまり【特別危険区域】に指定してするようにザイード卿と話してたんだ」
「え?」
「特別危険区域に指定すれば、誰もその土地に許可なく踏み込むことはできないでしょ?だけど特区を指定するには後ろ立てとなる国が必ず必要となるでしょ、だから、表と裏の顔を持っているザイード卿みたいな人に話をする必要があったんだ」
ルナは一瞬困惑したが、ハルの言っていることの筋は通っていた。楽園という名の自分たちだけの土地を築き、そこに人を寄せ付けたくない独立した区域が欲しいなら、人が行きにくい場所の土地を買えばいいとも思った。それこそ人里から離れた危険区域などに土地を構えればそれこそ人が立ち寄る可能性は激減する。
しかしだ。そんな遠回りなことをするくらいならば、自分たちの土地を特別危険区域として指定してしまえば、そのハルの望む楽園などあっという間に完成してしまうことは誰から見ても明らかだった。
特別危険区域は現世から隔離された異世界とすら言い表せるほどの場所で、霧の森、龍の山脈、聖樹、恐怖の沼、などまず人々が絶対に寄り付かない場所であった。
「それ、めちゃくちゃいいアイデアですね…」
「でしょ?それに特別危険区域に指定された場所には人が入ってこないように国が管理しなくちゃいけないから、間違っても部外者が入って来ることは無い」
「いい、それ絶対にいいですよ…ハル、それ私にも協力させてください。私もその楽園でハルと一緒に暮らしたいです…あっ……」
ルナはそこで思い上がったことを言ってしまったと思った。ハルの愛する人の中に果たして自分が入っているのか?彼の妻として認められたがそれはあくまでもこの楽園を築くまでのいわゆる優しい嘘であり一時の夢なんじゃないかと、ルナの頭の中は一瞬で不安でいっぱいになった。
「ルナも来てくれるんだ…」
「え、ああ、はい…もちろんです。まあ、ハルがついて行って良いって言うなら…」
自信なさげなルナにハルが真剣に彼女に質問した。
「そこに入ったらもう二度と外の世界にはいけないんだけど?それでもいいの?」
「え、私は全然かまいません。それどころか私としたらそこは楽園以外のなにものでもないですねよ…だってハルと一生一緒にそこで暮らせるんですから……」
そう言うとハルが目を見開いてとても嬉しそうにルナの方を見て笑顔を見せた。そのハルの笑顔本当に心の底からあふれ出た嬉しいという感情が表されたものだった。そして、その時、嬉しさに溢れたハルがルナに飛びつき全身で抱きしめていた。
ルナは何が起こったか分からず、頭の中が真っ白になった。
『あれ、私、いまハルに抱きしめられてる?自ら?噓でしょ…』
「嬉しい!じゃあルナはもう決まりだね?楽園の住民の第二号だ、ありがとう!!」
嬉しさのあまり言葉を失いハルのぬくもりを全身で感じていたルナの頭にふと疑問が浮かんだ。
『二号…?二番目ってこと?』
そこでルナは一度抱きしめてくれているハルから離れながら彼に尋ねた。
「あの私が二号ってことは、第一号、一人目は誰なんですか?」
ルナがハルの顔を見た。
そこには狂気的な真っ黒な瞳をしながら笑うハルの姿があった。
そして、彼はその虚ろな瞳で虚空を見つめながら言った。
「もちろん、ライキルに決まってるでしょ?」
「うん」
ルナはそこで彼の中に潜む狂気の矛先がすべてライキルという女の子に注がれていることを知ってしまい。羨ましいと思ってしまった。その狂気は何よりも自分が彼に向けている者と一緒で、どれだけハルがライキルのことを愛しているのが分かってしまい悔しかった。
『そうか、そうだよね、うん、だってハルは前からそうだったもんね…』
ルナはそんなハルの顔を両手で優しく包み込んだ。彼の頬の冷たさが両手から伝わって来るのを感じた。
『君は前からライキルのことが、好きで、好きで、好きでたまらなかったんだもんね…』
覗き込むハルの黒い瞳にルナは映っていない。
『それでもいい、それでもいいから、今は私の傍で私だけを見ていて…』
ルナは虚空を眺めるハルの唇を激しく奪った。
『お願いよ…』
すでに壊れていた彼の唇の感触はとても味わいがなく無味だった。それでもルナは彼の唇を奪うことを止めることはなかった。