極秘
ザイード卿が席から立ち上がるとデスクに戻り、何かの資料を持って戻って来た。
「まずはこれを見て欲しい」
ハルの前に紙の束が差し出された。
手に取り目を落とすとそこには『ジュリカ王妃に関する報告書』と書かれていた。
ページをめくっていくと、そこにはキャミル王女の母親でもあり八年前に亡くなってしまっているジュリカ王妃、彼女の当時患っていた病気の容態が事細かく書かれていた。
「これって」
「王妃が病床に伏せた時から記録していた診察録など当時の彼女に関わることを私たち用にまとめたものだ」
ザイード卿は再びハルたちの正面のソファーに座り腰を下ろすと、ハルの持っていた資料を忌々しい目で見つめていた。
「王妃は最後までその病と闘って死んだ。読み進めていけば分かるが王妃が患ったその病は生半可なものじゃない。正式にどんな病であったかは我々と当時の医療班しか知らない極秘事項だった」
ハルが、パラパラとページをめくっていくたびにその書かれている経過報告の内容がおぞましいものに変わっていった。
『発見当初:患者の胸の中心にあざのようなものが発症。翌日にはそのあざの部分が深緑色に変色痛みはない。白魔法を実行するも効果は無し』
『一週間後:深緑のあざが胸を中心に広がる。同じく白魔法の効果は無し』
『二週間後:全身にあざが広がり、深緑色に変色、意識はあるが全身激痛であるようですぐに失神。治癒魔法で痛みを止めようと試みるが効果は無し』
『三週間後:深緑色のあざが黒く変色。壊死した体の至る所の肉が腐り落ち始め、王妃の死亡を確認』
あまりにも凄惨な病状を前にそれでもハルは読む手を止めなかった。ある程度目を通すとその資料をテーブルに置いた。
「このことはキャミル王女も知らなかったのですか?」
「無論だ。キャミル王女にもダリアス陛下にも彼女の病状を最後まで教えることはできなかった。なぜならそれは王妃ジュリカ様からの最後の命令でもあったからだ。彼女は最後まで家族と周りの人間を守ろうとしていた」
ハルもキャミルの口から王妃がどのような病気だったのか聞かされることはなかった。どうやらそのことに関しては王妃によってかん口令が敷かれていたようだ。ならば身内であってもましてや王であっても知らないのは当然のことだった。
ザイード卿が煙草を取り出し火をつけると続けた。
「発症から一週間ほどで王妃は自身の身体の異常を理解し、誰も言いなかった棟を丸ごとひとつ閉鎖してそこにひとりで閉じこもり闘病を始めた。それから彼女は誰もその屋敷に近付けるなと命令を出したんだ。キャミル王女、ダリアス陛下はもちろん、最初は看病するための白魔導士や医者までも拒絶した徹底ぶりだった。王妃は医学にも精通した学者でもあったから、自身の病気が他者に感染するなどのリスクに対しては理解をしていたんだろうな。きっと、彼女は自分が助からないと思い、その時から、死ぬ覚悟を決めていたんだろう」
彼が上を見上げて紫煙を吐きだすと、もくもくと天井に上って消えていった。
「この病気って他人に感染するの?」
資料を手に取ったルナが言った。
「いえ、王妃の時は誰にも感染しませんでした。王妃の傍で看病した者たちは今も定期的に検診を受けているが、この八年間で王妃と同じ症状が出た者はひとりもおりません」
「王妃のこの病ってよくある病気じゃないですよね?」
ハルが尋ねる。
「ああ、他にも同じ症状の病がないか確認したが、レイド国内でそう言った病は確認でず、王妃が初の罹患者だった」
「他国ではどうなの?王妃と同じ病気が掛った記録とかなかったの?」
ルナがもう読み終えたのか本を閉じてギゼラに手渡していた。
「さすがはルナ様、鋭いですね。ありましたとも、彼女と同じ症状を患った者たちがいた国が少なくとも二か国」
「どことどこなの?」
前のめりにルナが食い気味に尋ねた。
「旧バイルドレア王国、旧ユグレー王国で似たような病があったと報告があります」
「どっちも聞いたことないわ」
ルナがソファーに腰をうずめる。
「ええ、それもそのはずです。百年ほど前まで存在した小国です。正直なところをいうとどちらも独立国でその歴史も短く、現在知っている者はほとんどいないでしょう」
「独立国?どこから独立した国なのですか?」
ハルが尋ねると彼は待ってましたと言わんばかりに言った。
「イゼキア王国です」
少なからずハルには衝撃があった。この件にはもしかすると大国が絡んでいる可能性が浮上してきたからだ。それと同時にこの事件が一筋縄ではいかないことも想像に難くなかった。
「イゼキアってこの前私任務で行ったわ」
「え、そうなの?」
ハルが隣にいたルナを見る。
「ええ、ハルが白虎を倒した後、お祭りがあったじゃない?」
「解放祭だね」
「そう、まさにそのお祭りの後すぐに、ザイード卿からの要望でイゼキア王国に調査に向かっていたの、ちょうど一か月くらい滞在したかしら?」
「どんな依頼だったの」
「彼から指定された場所の捜査だったわ。まあ、本当に何もなくて無駄足だったんだけど。でもその依頼された場所がイゼキアのスラム街とか地下街とか物騒なところばっかでさ…王都の街中も寄って見たかったんだけどね…」
「いや、ルナさん、観光もしっかりしてましたよね」
ギゼラが言うとルナの赤い瞳が彼女を鋭く睨みつけた。ギゼラは持っていた資料の紙で顔を隠していた。
「申し訳ございません。あの時は本当に空回りをさせてしまいました。ただ、その時、私の予想が当たっていれば、依頼した任務はランクでいうと危険度Sの達成が非常に困難なものでした」
ザイード卿を見ると彼は申し訳なさそうに肩をすくめていた。
「みたいだったようね。私たちがそこに行った時は、もぬけの殻で、何もなかったけれど相当大きな組織のアジト見たいだったから、何でもまたドミナスって組織が関わっているとかなんとかだっけ?」
「ええ、そうです」
ザイード卿が頷くように首を縦に振る。
「ドミナス…」
聞いたことのある名前にハルは自分の記憶にアクセスし始めるとすぐに思い出すことができた。
「ああ、思い出した。龍の山脈でそのドミナスの人たちと会ったな。あと解放祭でも顔を合わせていたっけ…」
ハルの顔に浮かぶのはギルやドロシーの顔だった。
「君はドミナスのことを知っているのか?」
ザイード卿が不思議そうに尋ねる。
「ええ、そう名乗る人たちには何人か出くわしています」
「そうだったのか…」
考え深そうにザイード卿は頭を悩ませていた。ハルにはいまいちその組織がどのような存在なのかつかめずにおり、ことの深刻さを掴み切れていなかった。
それよりもハルは未解決事件についての話を進めておきたかった。
「あの、ザイード卿」
ひとり思考を巡らせる彼にハルは声を掛けた。
「ドミナスより、私たちは、さっき話した未解決事件の方で何か知らないかここに尋ねて来たのですが、そちらの話を進めませんか?」
ザイード卿が顔を上げてハルの方を見た。
「そうだったな、だが、そう焦らないで欲しいものだ。焦ると周りがよく見えなくなる。そうなると近くにある真実を見落としてしまう。それにだ、この件はほとんど決着がついていると言ってもいい。それと私は先ほどから逸れた話をしているとも思っていない」
「どういうことでしょうか?」
「分からないかね?レイドの王族殺しとドミナスの件。この二つの事象は密接に繋がっているんだよ」
ザイード卿が煙草の火をテーブルに置いてあった灰皿に押し付け消した。
「なんだ、そうだったのね。やっぱり、ザイード卿、あなたには敵わないわ。さすがは裏の随一の情報屋だわ」
「ルナ様にそう言ってもらえるとこの八年間追いかけて来たかいがありました」
ルナはすでにことの概要を掴んでいるようではあったが、ハルはまだ上手くその二つのことが繋がる糸口のようなものが掴めずにいた。
ただ、八年という長い年月にハルも頭が上がらなかった。裏社会の情報屋が八年掛かって解き明かそうとしていた難問を、たった一夜でこの問題を解き明かそうとしていた自分が滑稽に思えた。そして、ハルたちはその答えを知る人物に回答を求めに来たようなものだった。
「それでどこまで分かってるの?わたしにも隠していたってことは相当厄介な件だったんでしょ?」
ルナのそのものの言い方にハルは改めて彼女の権力の大きさに恐れ入った。
「ええ、正直な話、この問題を浮き彫りにすることはレイド国内を少しばかり揺るがすことにもなります。それくらいこの事件深い根を張っていたんです」
「ふーん、貴方がそこまで言うなら相当ヤバイ事件のようね、話して頂戴」
彼は語り始めた。