忘れ去られた者と何かを知る者
実力を試されたハルが部屋の中に入ると、そこには三人の人間がいた。そのうちの二人は先に部屋に入っていたルナとギゼラだった。彼女たちは重い鎧を脱いでソファーに座りくつろいでいた。
そして、その奥の窓際のデスクに腰を下ろしていたのが、レイド王国三大貴族の内のひとり【ザイード・シャーリー・ブレイド】であった。
年齢を重ねているにも関わらず、礼服からでもわかる逞しいきん肉に包まれた彼は、腕を組み入って来たハルに対して眉をひそめていた。
しかし、そんなことよりもまず注目すべき点は、ルナだった。彼女はハルたちが入って来るとものすごい鬼の形相で睨みをきかせてきた。その視線は当然のようにハルの後ろから入って来た二人にだけ飛ばされたものであった。
二人も彼女の圧を感じ取ったのかどこか居心地が悪そうだった。確かに二人も優秀な戦闘員ではあったが、ルナの方が格上であることは戦闘を通して実感していた。さすがは裏の女王ハル以外敵なしであった。
ハルの元に駆け寄ってきたルナが高く釣りあがっていた目を、心配そうな目つきに変える。
「どこも怪我はなかったですか?」
「大丈夫だよ」
「ごめんなさい、私が止めても良かったんですけど…止めようとしたら、あいつが本当に元剣聖だったのか分からないからどれほどの実力か試したいって、ほざいて…」
ルナが、三大貴族であろうザイード卿のことをあいつと呼んだうえで指を指しながら言った。奥でザイード卿が我関せずといった具合に目を閉じていた。
「でも、ハルなら絶対に大丈夫だと思ったので私も手を出さなかったんですが…その、本当にごめんなさい…」
ルナが頭を下げるが、そんな彼女の頭をハルは軽くポンポンと撫でると言った。
「別にルナが謝ることなんてないよ。それに俺が大丈夫なこと信じてくれたことは正直、嬉しいかも」
ルナが顔を上げると今にも感激のあまり涙を流しそうだった。
「うぅ、ハルは私を責めないんですね…ありがとうございます。本当にあなたのそういう優しいところが私は大好きです」
ルナがハルに抱き着くが、ハルの来ている分厚い鎧が彼女のぬくもりを遮断する。
「だけど今の私、自分も含めてあなた以外の人間を許せていません…」
ルナが抱き着いたまま、ハルの背後を見るとその後ろに控えていた二人にルナが続けるように言った。
「スワン、クロウ、お前たちには後で話があるから、いいわね?」
ルナと目を合わせた二人がびくりと肩を震わせるが、すぐに「はい」と二人は返事をして目を伏せていた。かなり動揺しているようだった。
「えっと、ルナさん、別に二人は悪いことしてないから、あんまり怒らないであげて」
ハルが何とか二人のことを庇おうとした。だが、ルナの二人に対する怒りは収まらないようで、睨みつけることを止めなかった。
「あんまり甘いこと言わないでくださいよぉ…私困りますぅ……」
「そんな、彼等は俺の実力を測ろうとしていただけだよ」
「いえ、あの二人はハルを殺そうとしていたんですよ?」
「まさか、そんなわけ…ただの手合わせだよ」
ハルが冗談めいて言うが、ルナの表情は珍しく真面目だった。
「ハル…残念ながらここは裏社会です。表社会とは勝手が違います。ここでは弱者の命はとても軽いんです。だから、もしもありえませんがハルが実力不足で彼らに負けていればその場で殺されていたはずです。そうですよね?ザイード卿。あなたはそのように命令を出したはずですよね?」
怒りを露にしたルナがデスクがある方に振り返ると、ザイード卿が口を開いた。
「ああ、無論だ」
その彼の悪気もない素直なものの言い方に、ルナの怒りの形相は、真顔に移り変わった。それは、いわゆる怒りを通り越した真のブチギレ状態であった。
「チッ、そっか、じゃあ、貴方も殺されても文句はないよね、そうだ私がザイード卿、貴方の実力を試してあげるわ、ほら剣を抜いて掛かってきなさい?」
「ふむ、お断りしよう。ルナ様と一戦交えるほどの実力はもう老いた私にはない」
「なんだか、若ければ私に勝てたみたいな言い方気に食わないわ」
「勝てるとはひとことも。ルナ様の実力はレイドの歴史の中でも屈指のもの、私のような凡夫であった騎士では、相手にはなりませんでしたよ」
ザイード卿がおべっかを使いルナをなだめた後に、ハルの方を見て言った。
「ただ、そんなあなたに釣り合うだけの男かどうか見極めることは必要なことでした。ルナ様、彼を紹介していただけませんか?」
「ザイード卿、あなた本当にハルを覚えていないの」
「残念ながら。私たちの中でハル・シアード・レイという人物のことを覚えていたのは、そこにいるスワンただひとりのみだった。私も彼のことは彼女から聞いたが、最初、彼のことを聞いた時は耳を疑ったね。ただ、スワンが私にそのような嘘をつくメリットも見当たらないと思ったのでね。そういった人物がいたこと信じてみることにしたのだよ」
ザイード卿がデスクの引き出しから煙草を取り出すと慣れた手付きで、一本取り出し、指先に灯った炎で火をつけていた。
「待ってスワン、あなたハルのこと知ってたね!?」
ルナがさらに白いドレスのスワンを睨みつけた。スワンは目を伏せてひとこと「ハイ」と言った。
「なんであなた私に知ってるって言わなかったの?私がハルを知っている人を探していたこと知っていたでしょ?」
「申し訳ございません。当初、私も何が何だか理解が追いつかず、どうすればいいか分からなかったのです。そうですね、一番にルナ様に相談すればよかったです」
スワンが申し訳なさそうな声で弁明をする。
「まあ、分からなくはないけど、私もハルがこの世からいなくなっちゃったと思って焦って取り乱してたから…でも、あの時、一人でもハルを覚えている人に会いたかったんだからね…」
「なんか、俺のせいでごめんなさいね…」
彼らのやり取りを聞いていたハルは、自分がかき乱してしまったことを申し訳なくなり、ひとつ謝罪の言葉を述べた。
「ハルは何も悪くありません!!」
ルナがものすごい怒りをため込んだ形相で言った。
「すまないが、ハルさん、私にも君についてのことの経緯を説明してはいただけないか?」
ザイード卿が煙草の火を消しながら言った。
「ええ、そうですね、さきに私のことを説明するべきですね」
ハル、ルナ、ギゼラが二つあったソファーの片側に集まって座り、反対側にザイード卿とその後ろに白いドレスのスワンと黒い礼装のクロウという青年が立ち、話し合いは始まった。
ハルは自分がかつて何者でどのような経緯で今の現状にたどり着いたのか一つずつ丁寧に説明した。
始まりはシルバ道場からで、そこから王都へ騎士になるために出て、一年という短い期間で剣聖になり、そこから数年その座で王国内に平穏をもたらした。そして、剣聖をやめて四大神獣討伐へと赴いたこと。
霧の森の白虎を討伐後、解放祭で表彰され、シフィアム王国で事件に巻き込まれ無事に生還した後すぐに、龍の山脈で黒龍を討伐したこと。
その黒龍討伐の際に使った力の余波のせいで今のハルという存在が消えてしまったこと。
その後は、四大神獣討伐の朱鳥と和解し、その帰りにスフィア王国で起きた革命を終わらせ、レイドに帰還したということ。
ハルはザイード卿にできる限りのことを打ち明けた。その間彼は一切質問を挟むことなく一から終わりまで黙って傾聴し続けていた。
「大体、こんな感じです」
ハルが話し終わると用意された水を飲んだ。
「正直、今の話がすべて本当なら、私の持っている情報の辻褄も面白いように合っていくんだがね」
ザイード卿は納得していない様子だった。それもそうだ。誰がそんなおとぎ話のような話を信じれるのか、とうことだった。何千年も閉ざされていた霧の森や龍の山脈がたったひとりの人間によって、切り拓かれたなど信じられるはずがなかった。
「残念ながら、私が話したことの証拠は、今のところ証明のしようがないというか時間が掛るというか…」
信用させようにもハルの信用度はすでに地の底であった。ハルの記録が書物や人の記憶か
らもそもそも消滅してしまっている以上、ハルという人間の信用はゼロに等しかった。
「ですが、証人ならここに居ます」
しかしだ。だからこそ、ハルの傍には彼女がいた。ハルの信用の代わりを担ってくれる存在がここにはいた。
「ええ、ザイード卿、彼の話私がすべて噓偽りない真実だと保証します」
レイドの裏社会でも最高権力を持っていると言ってもいいホーテン家のルナが言うのだから間違いはなかった。
ザイード卿がそこでスワンの顔を一瞥すると、彼女は何かを読み取ったのか、ルナを直視した。
そこで首を振るとザイード卿は視線をハルたちに戻した。
「失礼ね、操られてないわ」
ルナがザイード卿を睨むと、彼は腕を組み何か複雑なことを考え始めていた。いくつもの種類の絡み合った紐を解くように、何も見落としがないか確認するように、彼はひとつひとつの思考に丁寧に対応しているようだった。
ハル・シアード・レイという人物が信頼に至る人物かどうか吟味していた。
だがそれも時間の問題のようだった。
「わかった、ハルさん、私はあなたのことを信じよう」
「ありがとうございます」
「最初から疑うまでもないことが分からないのかしら…」
ルナがぶつぶつ不機嫌そうに呟いていたが、ハルはザイード卿のように慎重に行動できる人物がいることに好感を持てた。
『よし、だいぶ誤解がほどけたところで、彼に話さなければならないな、未解決事件のこと』
そう思った矢先、ザイード卿がハルの溜まっていた言葉を促す選択肢を与える。
「ところで、ハルさんたちがここに来た理由というのを聞かせてはくれないか?何か私に用があって来たと思っていたんだが?」
「ええ、実は…」
そこからハルは自分たちが突き止めたあるひとつの不穏な事件について語ることになった。
王妃ジュリカ・ハドー・レイドが不治の病ではなく、暗殺である可能性。そして、水面下でレイドの王族殺しの計画が未だに誰かの手よって、手引きされているかもしれないということ。
ザイード卿はハルたちの話を馬鹿にせず、再び最後まで聞いてくれていた。その彼の広い視野から物事を思慮深く捉えられる真摯な姿勢はハルにさらなる好感を抱かせていた。
『彼になら楽園のことを話してもいいかもしれない…』
それはハルが抱く理想。叶えなければならない夢だった。
ハルがレイドに執着しているのもその理想を叶えるための第一歩でもあった。
レイド王国なくしてハルの楽園化計画の実現は困難でもあったからだ。
『いや、それより、いまは王族殺しの方が先決か…』
ハルはこの国の王女の顔が浮かび上がって来た。そして、その彼女が自分のことを覚えていないことを思うと少し寂しい気持ちになったが、後悔はなかった。
『別れの挨拶はした。だからいいんだよな…』
ひとり心の中で自分を納得させた。それはあまりにも一方的で自分勝手な判断ではあったけれど、ハルにはもう決めた後で、選択肢など最初から存在していなかった。
そして、ハルが物思いにふけていると、ザイード卿が重々しい口調でうめくように呟いた。
「そうか、君たちも……」
「さすがは裏社会の情報屋ザイード卿、何か知ってるのね?」
「ああ、私からもそのことについて話がある」
ザイード卿が重い腰をあげるのだった。