未解決事件
天井のガラス窓から見える空が暮れ始める。資料館の至るところに明かりが灯った。それは炎魔法で燭台に灯した炎の明かりではなく、光魔法による光球が館内に設置された燭台の上に乗っかっているものによる光源であった。館内に規則正しく並んだ燭台や天井からぶら下がるシャンデリアに灯るその光球たちが、資料館の五階ほどある吹き抜けの室内を昼間のように照らしていた。
ハルはその一階のテーブル席で、黙々と一日では読み切れない資料の山相手に一つ一つ情報を吟味しては、読み込んでいた。
「この五年前のレイド襲撃事件のことなんだけど、もっといい資料ないかな?」
ハルが本から顔を上げて隣にいたルナに声を掛けた。
「それだったらこっちの山にまとめてありますよ」
ハルは席を立ってその山のように積まれた本と紙の束の中から適当に引き抜いては、席に戻って来た。引き抜かれた本と紙の束の山は音を立てて崩れ去り、近くの山も道ずれに雪崩を起こしていた。
「この事件って結局誰が何のために起こした事件だったの?」
【神獣レイド】というレイド王国の象徴ともいえる獅子による襲撃。すでに絶滅したはずのレイドという名の神獣が現代に蘇って、王都をスタルシアを襲撃した大きな事件。ハルはルナにこの事件の裏で糸を引いてた組織あるいは人物について尋ねていた。
あの事件の裏には誰かが何かしらの目的をもって引き起こしたものであると推測できる要素は多々あった。しかし、表社会ではあれは〈神獣災害〉という枠組みで捉えられていた。五年前の一度目の襲撃と二年前の二度目の襲撃の計二回。一度だけならば、群れとはぐれた神獣レイドがたまたま帰巣本能か何かで王都スタルシアに戻って来たのだと、それでも苦し紛れではあるが、そう言えた。けれど、二度も絶滅したと思われていたはずの神獣が王都を狙ったとなると、それは偶然というには何か原因があり、そもそも、そんなに多くの神獣という極めて貴重な個体がいるのか?と疑いたくもなるのは当然だった。【四大神獣】を除いて神獣など各地に指で数えるほどしかいないのだ。
そして、そんな神獣たちの襲撃を災害で片付けるよりかは、誰かが裏で糸を引いているのであれば、それは人災であった。
確証はないが疑う余地のある襲撃に当事者でもあったハルは目を光らせる。
「その事件は今のところ裏でも災害という形で処理されていますが…シアード様も、誰かが裏で糸を引いていると思っているんですか?」
「ルナもそう思う?」
「ええ、まあ、神獣を誰かが王都にそそのかした程度には考えていましたけど、その証拠が無くて…」
「ということはこれは未解決事件ってことだね」
「未解決事件…」
ルナがボソッと呟くとすぐに首を振る。
「ですが、いまさらこの事件を追うなんて不可能だと思いますよ…」
「それは、今からでも追ってみないと分からないさ。こんなに資料が残ってるんだ。何か手がかりが残っているかもしれない、一緒に探してみない?」
ハルが、パラパラとページをめくり、レイド襲撃事件の資料に目を通し始める。
「もちろん、お手伝いはしますけど」
ルナはべったりとくっ付いてたハルから離れて、自らも別の資料に手を伸ばし始める。
「これ、もし狙ってやったんだとしたら、俺はこの主犯の人間を消さなきゃいけない。レイドの平和のために」
そう言いはするもののハルの目は酷く濁っている気がした。そんなハルを見たルナが嬉しそうに微笑む。
「そうですね、やりましょうか!」
二人は大量の資料の山を漁り始めた。一度古い歴史書などの資料をテーブルからどかし、このレイド襲撃事件に関係ありそうな資料でテーブルの上を固めた。まずはこの事件の直近にあった出来事をまとめていくことにした。
「五年前か、この頃何かルナから見て思い当たることはない?」
「うーん、五年前ですか、これといってないです。この頃は私もやる気が底をついてる時でしたから、必要最低限の任務しかしてません」
「そっか、確かに資料にも書いてある通り、事件の前後で特にこれといって怪しい事件や出来事はないね」
ハルがパラパラと持っていたレイド襲撃に関する資料を流し読みする。
「それにしても、やっぱり、どこにも俺の情報は載ってないんだね」
それはハルが引き起こした、言ってしまえばこのレイド襲撃事件なんかよりももっとレイドにとっては重大な大事件と言えた。
元剣聖ハル・シアード・レイの存在消滅事件と名付けでもすればいいのか?それはハルが自分で招いた種であったが、レイドの人々がハルという偉大な存在を知らぬ間に失ったことはレイドにとっても、この大陸の人々にとってもそれはあまりにも大きな損害であったことに間違いはなかった。
この大陸での抑止力となって居た存在が知らぬ間に消えた。それは悪党どもの警戒心がハルがいたころよりも相対的に低くなってしまったことにあたった。
しかし、この感覚を得ることができるのも、ハルを覚えている人たちだけに限られるのは言うまでもなかった。
「ええ、シアード様のことは黒龍討伐以降すべての記述からまるでもともと存在していなかったかのように、記録が消えていましたから…」
ルナがとても悲しそうな顔で言った。ルナからすでにエルフの森で聞いていたことだったが、彼女はハルの存在がこの世から消滅したと分かった時、必死にハルという人物が存在する証拠を見つけるために、この資料館の記録を読み漁っていたらしい。
おかげで彼女はまるでこの資料館の司書であるかのようにハルが望んだ資料を用意してくれていた。
「となると、もしかして、真相にはたどり着けないのかな……」
「いえ、待ってください。そもそも、シアード様がこの事件にめぐり合わせたのは、シアード様がレイド王国を訪れてたったの一週間後の出来事ってことですよね?」
「まあ、そうなるね」
「だとすると、シアード様とは全く関係のない別の要因がこの事件の発端にはある気がします…」
「…確かに、そうだ。この時の俺はレイドに来て間もない。俺が直接関わっているとは考えにくい…」
ハルがこう考えるのも自分が原因で多くの厄介ごとを引き寄せていたことをルナから聞かされていた。そして、その厄介ごとをすべて裏で彼女が処理していたことも、ハルは知らされていた。だからこそ、ハルはルナを邪険に扱えないではいた。あんまりにも酷いとツンとした態度を取るが、それでもそれは愛情から来るものであり、憎悪ではなくなっていた。
『俺が原因じゃないとすると、一体誰が何の目的で神獣たちを王都に放った?』
ハルは資料をめくる手を止めて、真っ黒なベールの奥で目を瞑り、レイド襲撃事件が起こった原因についてひとり思考を巡らせた。
『単純にレイドに対する恨み?街を破壊することで得られる利益、他国からの攻撃?それも考えられるな、だけど、特に事件以前にレイドは裏でも表のどちらでも目立った動きはしていない。レイド王国が恨まれる要因は表立ってはない。他に何かないか…この事件のきっかけとなる出来事は…』
思考の限界を迎えたハルはベールの奥で目を開いて再び、資料を手に取る。
『だめだ、あまりにも手がかりがなさすぎる。推理する余地もない、結局この事件は神獣による災害ということなのか?まあ、はぐれていた神獣が戻って来るって言うのも、あるのかもな…もとはと言えばこのレイドの土地は神獣レイドたちの縄張りだったみたいだし、それを人間が無理やり追い出して国を建国したって感じだしな…』
ハルはレイドの建国の歴史の資料を思い出す。その資料に書かれていた事実とはどこまでも冷たいものだった。
よくレイドの国民たちが知っているレイドの建国の話では、初代剣聖のレイ・ホーテンが初代国王ミドル・ハドーと共に神獣レイドを討伐し、このレイド王国を建国したと、華々しく物語になっていたし絵画にもなっていた。
しかし、実際は人間の利益のためにレイドという獣を駆逐し、土地と名まで奪った紛れもない略奪であった。それでも人間が生きるためにその行為は必要不可欠なことだったことは間違いなかった。こうして、立地的にも安全な場所に国を作れたことは、人々の安定した暮らしに繋がったのだから、人として彼らは正しいことをしたのだろう。ハルもそのことをもう否定もしなかった。
「困ったね…」
ハルがそうため息ついて、読んでいた資料を閉じた時だった。
ハルとルナがいたテーブル席に、ひとりの人影が現れた。
「こんなところにいたんですね、二人とも」
そこにはまるで礼儀の無いふてぶてしい笑顔を浮かべている、ウェーブがかった金髪ロングの女性が立っていた。
ハルは彼女のことを覚えていた。
「ギゼラさん?」
ハルが黒いベール越しに見る先には【ギゼラ・メローア】が立っていた。