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すべてはきみのために

  二人だけの寝室に朝焼けの光が差し込んだ。

 ハルはベットで眠るルナの隣に椅子を持ってきて、置いてあった唯一の本を手にとって、彼女が目覚めるまでの間、時間を潰していた。

 しかし、そこで目が覚めたルナと目が合うと、彼女がハルの胸の中に飛び込んできた。


「どうした、怖い夢でも見た?」


 抱き着いて離れそうにない、彼女に声をかける。

 昨日の王座の間からそのままベットに寝かせたため、彼女は騎士服のままだった。

 彼女はハルの胸に顔を密着させたまま顔を振った。


「ううん、怖い夢なんて見てない、それに今の私に怖いものなんてない…こうしてあなたが傍にいてくれればそれだけでどんな怖いものにも立ち向かえる。本当よ、私はあなただけいればそれでいい……あなたさえいれば私は他に何もいらない」


 朝から、なかなかに重い感情をぶつけられるが、ハルはすでに慣れつつあり、それが彼女の愛情表現の仕方であった。


「ありがとう、嬉しいよ。フフッ、ルナはなんていうか、本当に俺のことが好きなんだね?」


 からかうようにハルが少しにやけながら言うが、彼女に冗談は通じず、ハルのことに関して一切の恥じらいがなかった。

 だから、顔を上げた彼女はハルの両頬を掴んで言った。


「うん、大好き、この世で一番大好き、あなた以外の人間なんてどうでもいいくらい、あなたのことが世界で一番好きよ」


 そう言うと、彼女は遠慮せずに唇を重ね合わせて来た。ここ数日間の間、彼女とのスキンシップの頻度は増えた。一緒にいる時間が増えたからなのだろう。ハルもこれといって拒む理由もなく求められれば彼女の欲求の全てに答えてきた。


 夫婦になる。

 昨晩、王座の間でホーテン家の人間たちにハルが宣言してから、ずっとそのことが頭の中の同じ場所で、ぐるぐると回っていた。

 ルナが自分の姓であるシアードを名乗ることに何となく違和感があった。きっとそれはまだ出会ってから日が浅いからなのだろう。ハルからすればまだ彼女と出会って一年も経っていなかった。解放祭で初めて彼女の存在を知って、気が付けばエルフの森に彼女がいて、スフィア王国の問題を一緒に解決して、レイド王国に戻って来て、出会ってからの彼女との日々は怒涛のものだったが、それでも、ハルからしたら、まだ彼女にはどこかしらに距離があった。ほんの少しだけであるが、まだ、愛を誓うまで親密さが足りないような…。


 しかし、相手のルナからしたら、全くそんなことないようで、ハルへの彼女からの親密は限界をすでに突破していた。


『ルナからしたら、五年前から俺のことを追いかけ続けて……』


 ルナはハルがレイド王国に来たばかりのころから、一方的に知っていた。その出会いは劇的だったようで、五年前のレイド王国への神獣襲撃事件時に、ルナはハルに命を救われていた。

 彼女はそれ以来ハルへの追っかけを続けていた。


「ハル……」


 色っぽい声で自分の名前が呼ばれるのを聞いた。


「スキ…スキ……」


 ハルの後ろに腕を回し逃がさないように頭を固定し、まるで時間制限があるかのように急いでキスをしては、回数だけを稼いでまったく味わおうとしない彼女に、ハルは目を閉じ応えていた。

 だが、唇を奪うことに夢中になっていた彼女にハルは告げた。


「ルナ、ちょっといい?」


「あ、はい…」


 ルナが離れる。彼女は行為が中断されたことで少し暗い顔をしていたが、その目はとろんと、とろけており息も荒く興奮は冷めていない様子だった。

 そんな彼女はハルからの次の言葉をそわそわしながら待っていた。何を言われるのか怯えているようにも見えた。だが、ハルが口にしたのは言葉ではなかった。それはもっとルナにとって良いものだった。


 ハルはゆっくりと自分からルナの唇に自分の唇を重ねた。それは十秒ほどだったが、流れた時間はとても長く濃密なものだった。そして、ハルの中にも彼女に対する好意が少しずつ上がっていくのを感じた。


「ルナ、焦んなくても大丈夫だよ、俺はここにいるから、気が済むまでしようか?」


「あ…………」


 芯まで響くハルの優しい声が、ルナの心を溶かしつくし、彼女の顔を真っ赤に染め上げていた。


 その後ハルは朝から甘い時間をルナと過ごした。


 そして、だいぶ日が昇ってからハルが甘ったるい雰囲気に包まれたベットの上で、彼女に言った。


「そういえば、昨日のことなんだけど」


「昨日?」


「まだ、返事をもらってないなって思ってさ」


「返事ですか?」


 昨日何があったか今浸っていた幸福な時間ですっかり忘れているようだった。ハルのその言葉の裏には彼女をよりもっと幸福にする意味が込められているにも関わらず、気絶するほどまで喜んでいたことのはずだったのに…。


 だが、ハルは恥ずかしげもなく改めて彼女に説明する。


「結婚してってこと、ルナが、俺のシアードを名乗って欲しいってことだよ、忘れちゃった?」


 ハルがにっこりとルナを見て言った。


「…………」


 彼女は固まっていたが、今度は気絶しなかった。彼女はハルというあまりにも刺激の強い愛しい人に少しずつ慣れつつあった。

 それでも、ハルのその発言は彼女の思考を数分間止めるのには十分な破壊力があった。


「みんなにはもう言っちゃったけど、これでルナに断られたら、俺は凄くカッコ悪いわけで…。できれば、はい、以外の言葉は聞きたくないな?なんてね」


 ハルがルナを抱きしめると、甘えた声でそう言った。

 そこでルナはさらに思考が停止し、一度自分の頬をつねっては伸ばしここが現実なのかを確かめている様子だった。


「それで答えは?」


 聞くまでもない答えをハルは意地悪く尋ねた。


 すると、いままで固まっていたルナがすぐにハルの身体を折る勢いで力を込めて抱きしめると、大きな声で言った。


「はい!!!」


 ハルはフフッと小さく笑ったあと、「嬉しい」と言った。その言葉だけでルナが完璧に壊れ目が血走らせては、息を荒げていた。


「じゃあ、結婚してくれるってことだね?」


「し、します、絶対にします。あ、あれですよ、逆に後からなしはダメですよ!?わたし、ハルにいらないって言われても、もう絶対にどこまでもついて行くから……ねえ、そういうことだから……」


 先走っている彼女を見て、ハルは落ち着かせるために彼女の頬に軽く触れた。


「ルナは本当に俺でいいの?よく考えた?勢いで決めてない?」


 挑発するかのようにハルがそう言うと、ルナの瞳孔が大きく開いた。


「な、なんでそんなに確認するんですか?ハルは私の愛が足りてないっていうんですか?こんなに愛してるのに!!」


 ルナが大きく手を広げる仕草をする。興奮状態で自分が嬉しいのか怒っているのかの区別もつかなくなり始めていた。そんな狂い始めた彼女にハルはあくまで冷静に対処する。


「ルナが好きって言ってくれるのは嬉しい、だけど俺には幸せにしなくちゃいけない人がまだいるんだけど、そのことも頭の中に入ってるのかな?ルナの前にいる男はあんまりよくない人かもしれないよ?」


「いい、いい、いい、そんなことどうでもいい!!私があなたのものになれるならそれでいい」


「そっか、じゃあ、ルナ」


 改めてそこで裏社会の女王の心を手に入れることができて安心した。ハルは隣にいた彼女の頭を優しく撫でた。


「な、なに?」


「これからよろしくね」


 そこで彼女の顔に緊張の糸が切れたのか、満面の笑みを浮かべた。


「う、うん!!その、ふ、ふつつか者のわたしですが、これからよろしく!!やったー!!!」


 ルナの声は緊張から震えていたが、最後は歓喜のあまり叫んでいた。


 一方、笑顔を貼り付けたハルの内心は、幸せでも喜んでもいなかった。頭の中にあったのは自身が企てる計画だけ、ルナの心を手に入れたというよりもとから手に入っているようなものだったが、これでハルは完全に彼女に対して優位に立つことができた。なぜなら、彼女を自分に縛りつけたことで、彼女はハルの妻という役割を手に入れた。しかし、それと同時に彼女は得たことによって、失うというリスクも手に入れたことに気付かなかなければならなかった。

 ただ、どちらにしろ、その選択肢はハルがしっかりと手綱を握っていたため、彼女がどうこうできるものではなかったが、ハルは、『別れよう』という言葉を切り札に彼女にどんな命令も通すことができた。


『これでもっと動きやすくなる、ありがとね、ルナ…』


 ハルは幸せに満ちたルナに優しい言葉を掛けながら、あの金色の髪を揺らす女性のことを考えていた。


 金髪でいつも自分の後ろを迷いなく追いかけて来てくれた。黄色い瞳の女の子。いつも欲しい時に欲しい言葉をくれて、いて欲しい時に、居てくれた彼女。だけどそんな彼女もいまハルの隣にはいない。


『すべては君のために…』


 ハルがこれから落としていくものの中に、その女性はいない。



 けれどそこで頭の片隅に、ふとよぎったのは、霧深い森の中に消えていく顔の見えない女性だった。


 手を伸ばしても彼女にだけは届かなかった。

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