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変りゆく世界情勢

「さてどうしたものか…」


 ひとりの若い男が部屋のテーブルいっぱいに溜まった資料を眺めては難しい顔をしていた。

 男がまとめていたのはここ数か月で【レゾフロン大陸】で起こった出来事についてだった。


 大雪により一部地域で積雪による被害が出ていること、それにより東部からの物資搬送に遅れが出ていること。それにより、複数同時並行で進めていた任務の中に多少支障が出ること。情報提供者から手に入れた情報の有無が正しかったこと。


 男がそこで別の資料の束に手を出す。各国での出来事などが書かれていた。シフィアム王国は無事に女王が即位し安定したこと。アスラ帝国が消えた山脈の調査に新たに人員を募集したこと。イゼキア王国のとある村に原因不明の落石あり被害は少ないとのこと。ニア王国が都市国家シーリカとの間で食料に関する分野の関税を一部撤廃したこと。などレイドとはあまり関りがなさそうなことばかりが書かれていた。


「世界が狂い始めているな」


 その中で男があえて遠ざけていた資料たちにも手出し始めると、そこにはびっしりと報告文が載っていた。それは男が入っている組織の身内の諜報部隊の人たちが足を使って実際に裏を取って来てくれたものだった。


『調査、大変だったろうに…』


 男はその資料をまとめて上官に報告することが主な任務であり、組織内でもそのポジションは極めて汗をかかない分野だった。男は腕っぷしは無かったが、それなりに頭を使うことは得意だった。そのため、こうして対した苦労もせずに高給を受け取れるまさにその男にとっての天国ともいえる職についていた。

 だがそれでもその男は頭を悩ませずにはいられなかった。


「ありえねえんだよな…いろいろな……まったく意味が分からん」


 男はそっと近くの煙草を手に取って、諜報部隊の実行部隊が汗水流して集めてくれた情報の結晶を眺めるが、悪態をつかずにはいられない様子だった。


 男が目にしている資料の内容はあまりにも信じがたいものであった。それはまるでおとぎ話のような報告だった。どこかの誰かが話題作りのためにでっち上げた創作で、つまるところ物語なんじゃないかとすら思うほどに現実離れした報告内容となっていた。

 ここ最近で起こったことは人間が想像できる範囲を遥かに超えていた。

 それはきっと歴史の観点からみたら一目瞭然だろう。もしも未来に生きる人たちがここに記された歴史書を見たらどう思うだろうか?きっと目を疑うはずなのだ。


 なぜ人類が今まで手も足も出なかった自然の脅威である神獣たちの対処をこのたった半年ほどの期間で半分以上達成してしまったのか?

 四大神獣など人間たちの手が出る領域ではないことなど、今時街を駆けまわるガキどもでも知っていた。それなのにも関わらず、今年の六月ころにはレイドとアスラの協力体制のもと四大神獣【白虎】が討伐された。

 男はその吉報を知った時、ありえないと倒れ込んだほどだった。そもそも、その作戦に反対だった男は常日頃から周りの人間に愚痴をこぼしてすらいた。


『大勢死ぬぞ、四大神獣討伐なんて夢のまた夢だ。あいつらなんてほっとけばいいんだ。人類が滅ぶその時まで手を出さなくていいんだよ、今までだってそうだっただろ?巣を突っついてみろ、激情に駆られた白虎がレイドに流れ込んでくるぞ?あの神獣襲撃の時のようにな』


 しかし、男の予言が的中することはなかった。

 四大神獣の白虎は討伐されてしまった。それも作戦中ひとりの死者も出さないという快挙すらおまけについてきた。

 男は最初、それが真っ赤な噓だと信じ、自分の目と足で安全が確認されたレイドとアスラの国の南にまたがって広がる広大な濃霧立ち込める【霧の森】に赴いたほどだった。

 そして、そこで知った。本当に四大神獣白虎の巣穴とされていた霧の森の霧は晴れていたことを。


 だが男はそこで何かがおかしいと思った。まるで辻褄が合わないことばかりだった。四大神獣白虎、その死体の数はとんでもないものだった。小型、中型、大型どの大きさの白虎もすべて綺麗に首が落とされており、霧の森で最後に見た百メートルを超える白虎の死体を見た時などは自分の目を疑ったと同時に男は思ったことがあった。


 カイ剣聖にあそこまでの芸当はできない。


 現在のレイドの剣聖カイ・オルフェリア・レイ。長い間レイドに座る者がいなかった剣聖という地位に就いた数十年ぶりの逸材だ。

 五年前の神獣による王都襲撃の際に大活躍して以降彼は、レイドの英雄として君臨していた。

 しかし、それでも男は白虎の件は本当はあのカイ剣聖がやったことではないと考えていた。彼がやったと考えるにはそれはあまりにも人間離れしており不自然な決着のつき方だった。そもそも、四大神獣という脅威を人類側が無傷で戦い抜いたなど、それこそ誰も信じない夢物語だった。

 だが、それでも男もその目で見た通り、白虎はしっかりと霧の森から根絶されていた。

 最初から、白虎なんていなかったんだと声を大にして言いたいが、何よりも白虎たちの死体が証拠として残っていた。


「集団催眠なんてな、ハハッ…」


 ついに男は自分の頭すら狂って来たのかと思ってしまった。


「バカなこと言ってないで、どうやって現実に寄り添った内容に仕上げればいい、ああ、誰か俺の代わりに考えてくれよ…」


 男が抱える問題はまだまだあった。

 もっともインパクトが大きく、世間の注目の的あるいは都市伝説とすらなっている案件があった。

 それは何を隠そう、【龍の山脈】が消滅したことだった。


 男は最初にその報告を聞いた時、ふざけているのかと報告者をぶん殴りそうになるほどだった。この件についてはいま誰しもがその話題の詳細について行けずにいた。そもそも、なぜ龍の山脈が消滅したのか、その原因を知る者がどこにもいなかった。

 龍の山脈は、イゼキア王国、シフィアム王国、アスラ帝国の三つの国にまたがって広がる巨大な山脈群であった。アスラ帝国からイゼキア王国領がある北に向かって扇状に広がり、その大きさは、南北に1500キロメートルもあった。

 そこには【黒龍】と呼ばれた四大神獣がおり、霧の森の白虎どうよう、そこは彼らの縄張りであり、もう、何百年も彼等の支配した山脈内に人類が侵入したことはなかった。そのことから龍の山脈の最深部は聖域と呼ばれていた。

 しかし、そんな龍の山脈も今では文字通り消滅してしまった。それも本当に山一つ残さず地表から山々が無理やり引きちぎられたかのように跡形もなく消えてしまった。

 さらにバカげたことに誰もその巨大な山脈群が、消えたことに気付く者がいないこと、これこそが、男が引っかかっている最大の問題だった。


 何よりこの問題がいま、この大陸にいる人間たちが一刻も早く解き明かさなければならない難問でもあると考えていた。その原因を解き明かさなければ人類がいずれ、誰も気づかないうちに消え去っていても不思議ではないこと、その証明にだってなってしまう。そんなこと許されていいはずがなかった。


「俺はまだ死にたくないのよね~」


 口笛を吹くように唇をとんがらせながら呟く、資料を呼んでいるだけで頭がおかしくなりそうなのを必死に抑えていたのかもしれない。もう狂った現実が載った報告書をまとめたくはないのだ。


「シフィアム王国は復興中、エルフの森の朱鳥は害がなく…」


 男はそこでここ最近入ってきた一番新しい資料に目を通した。


「スフィア王国王都エアロはクーデターにより壊滅状態。現在はレイドとアスラの両国だけが支援をし、このクーデターに関しては情報規制が掛かっているか…レベルは最高ランクか…」


 男が手にした資料には、数日前にスフィア王国で起こった悲惨なクーデターに関する内容がつらつらと綺麗な字で書かれていた。


「やっぱり、ルナ様の字は綺麗だな…」


 男は思わずにうっとりとした表情で何も考えられずにいた。その資料は男が所属する組織の最高権力者にして最高戦力である人物の名前だった。

 フルネームは【ルナ・ホーテン】、特名を持っていたが、彼女に与えられた特名は全部で四つあった。【ハイムーン】【ソード】【ルーン】【イグニカ】そのどの特名にもそれぞれ、直下の部隊があり彼女のもつ権限で自由に動かすことができた。特にハイムーンの特権が一番優先順位が高く、それはルナがこのレイド王国の裏を仕切るための絶対的な特権であった。


 そんな彼女がいる組織にいることだけで男は満たされていた。


「っと現を抜かしている場合じゃない、今日中にシャラヤ様に報告書を上げなきゃいけないんだったな」


 男は直属の上官であるシャラヤの下で日々任務に励んでいた。その上官のフルネームは【シャラヤ・ホーテン・レーダー】彼女はルナの実の姉であった。男はそのシャラヤ率いる諜報部隊の一員であった。といっても、男が彼女と顔を合わせる機会は報告を上げるとき以外ほとんどない。各国を飛び回っている彼女がレイドにいることはあまりない。それはルナの存在が大きかったが、とにかく、レイドの王家公認の裏組織の統率を担っているホーテン家の人間には逆らわない方が身のためだった。

 何よりも下手をすれば彼らは、表の顔として国をまとめているハドー家よりも強い権力を有していると言われているのだ。

 こちら側つまり裏方に居れば、そう言われるのも何となくわかることではあった。事実上ホーテン家はハドー家の下についてはいるが、戦力でいえば間違いなく命令ひとつで首がすげ替えることだって可能ですらあった。実際にはお互いにレイドの同士であるため、そんなことはありえないが、そうしないのにもいくつか理由はあった。ハドー家の国民からの指示は厚い。それは光があるからこそ影がある。ホーテン家にはそのような家訓のようなものがあるようで、ただ、男もその考え方には賛成だった。

 とにかく表側が脚光を浴びれば裏の人間というのはとても動きやすいのだ。さらに今のレイドの国王である【ダリアス・ハドー・レイド】は物分かりがよく、裏にも不用意に口出しをしてこないため、扱いやすいとは上官たちが話しているところを聞いたことがあった。しかし、男は今の国王がなかなかの食わせ者であることを何となく、彼の王としての立ち回りを見てそう思っていた。あの王様は間違いなく他の貴族たちとは何か違い、やはり王になるべくしてなった風格があったのだと男は勝手に確信していた。

 そして、何より彼の娘であるキャミル王女はトラブルメイカーだが、とても可愛らしく、男はあんな子が娘だったらどれだけ愛してやるかと、妄想に浸ることもあった。


 男はここ最近で起きた出来事をまとめた書類を完成させた。


「まあ、どんなに世界が変わってもレイドは今日も平和ってことだな…」


 完成させた書類を持って男は、部屋の外に出た。

 そして、廊下を出て書類を上官に提出しようと、歩いている時だった。


 正面の十字路で、誰かが誰かに対して頭を下げていた。


『おっと、ホーテン家の誰かがいるな、グレンゼン様はこのお屋敷にはめったにいないし、シャラヤ様も執務室で書類を片付けているはずだし、もしかしておいおいルナ様か?だったら、ラッキーだな!』


 ホーテン家の人間とホーテン家の敷地内ですれ違う時、誰もが皆、彼等に頭を下げて、通り過ぎるのを待つ習慣があった。

 男は廊下の先の十字路で、使用人が頭を下げているのを見てホーテン家の人間がそこを通ることをすかさず察知したのだ。


『いやあ、あの空気がひりつくような雰囲気のルナ様が堪らないんだよな…』


 男が十字路に立ち、使用人が頭を下げているその先を見ると、そこには予想通りルナの姿があった。


『ああ、本当になんて綺麗なんだろう…本当にずっとここに居てくれればいいのに……』


 男にとってたとえ彼女が手の届かない相手だったとしても、彼女のその美麗な姿をみるだけで目の保養になった。


 男は軽く頭を下げる。別に頭を下げることに対してホーテン家の誰もが何も言わない、というよりかは自分たちのことを気にしていないという方が表現としては正しかった。

 だから、別に頭を下げ忘れていた人が罰則を食らったなどということなどはなかった。

 そういった点でホーテン家の人間は人に対して恐ろしいほどまでに興味がなかった。


 男はルナが視界に入る範囲でお辞儀をした。男は背も高くすらっとしており、多少頭を下げてもルナの姿を視界に収めることができた。


 手入れの行き届いた艶々の黒髪に、力強い赤い瞳がなんともみんなを導く偉大な主導者としての素質を感じさせ、そこに大人の女性としての色気もあり、さらにはその鋭い眼光は男でも震え上がってしまうほどの鋭さが……。


「次はあっちを案内してあげるね、えへへ、ちなみにこれから案内する場所は、私の部屋があるんだけど…そこはハルが…えっと、その私と?あれよ、その、寝泊まりする場所になるから、覚えておいて!」


「いや、俺は毎日自分の泊ってる宿屋に帰るからいいよ」


 ルナの表情が想定外のことを聞き固まる。


「そ、それは嫌です。私の部屋に絶対に泊まってもらいます。だってそっちの方が時間を無駄にしなくていいじゃないですか、食事もでますよ?それと、これからここで私と一緒にイチャイチャするんですから、ここに居て下さい」


「いや、とりあえず金のためにここに居るけど、っていうか、イチャイチャって全然意味が分からないし」


「私とイチャイチャしてくれたら、お金たくさんあげますよ?」


「まあ、お金もそうだけど、それよりもやらなくちゃいけないこともあるからいいよ、任務の方で」


「むう!」


 ルナが頬を膨らませて怒って見せる。それはなんとも可愛らしくはあったが、どちらかというとかわい子ぶっており、彼女には似合わないものではあった。


「そうだ、だったらいまからその宿屋潰してきます…」


 ルナがすぐに踵を返してきた道を後戻りする。


「はぁ?え?あ、ちょっと待って、なんで戻るんだ。もしかして本当に潰しにいくのか?」


「ええ、場所は昨日ハルの後をつけたのでわかります」


「おい…」


「だって、酷いですよ、私からお金をむしり取って、私を残して自分だけ独り宿に泊まるだなんて!!」


「借りた金は返すよ、心配しないでいい働きはするから」


「だったら、私と一晩を一緒に!!」


 とんでもなく眩しい笑顔を見せたルナが再びハルの方向に振り返り、彼の腕をまるで恋人のように掴む。


 その男が見ていた光景はまさに異様な光景だった。それは男が一度も見たことのないルナの姿だった。それは完全にちょっと年上の男性に意地悪される後輩女子だった。

 男の中で完璧な存在であったルナの造詣が音を立てて崩れ去っていった。


 男が唖然とした表情でその男の顔を見ようとしたが、彼は真っ黒い特殊なフェイスベールを身に着けており顔を隠していた。


 その青年とルナが仲良く歩いて行く姿が見えなくなるまで男はただ見つめることしかできずにいた。


「ありえない……」


 呆然と廊下に立ち尽くしていると、そこに上官のシャラヤが通りかかった。


「おお、【ワイト】か、こんなところで何をしてる?報告書は出来上がったのか?出来たら私の執務室の机の上に置いておけよ、いいな?」


「はい、承知しました…」


 世界は常に刻々と確かに変化し続けていた。ワイトという男もまたその犠牲者だったのかもしれない。

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